総腸骨動脈瘤の疑いで検査入院した原告が,動脈瘤がないことが判明したにもかかわらず不必要な心臓カテーテル検査が行われたとして損害賠償を求めた。裁判所は,動脈瘤がなく,狭心症の疑いがあり検査が必要なことを説明せずに,原告の同意なしに検査を行ったとして,不法行為を認めた事例
横浜地裁 平成29年2月23日判決
事件番号 平成28年(ワ)第1837号
主 文
1 被告Y1,同Y2及び同独立行政法人国立病院機構は,原告に対し,連帯して,30万円及びこれに対する被告Y1及び同独立行政法人国立病院機構については平成28年5月18日から,被告Y2については同年6月3日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告の被告Y1,同Y2及び同独立行政法人国立病院機構に対するその余の請求並びに被告Y3に対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用のうち,原告と被告Y1,同Y2及び同独立行政法人国立病院機構との間に生じた費用はこれを5分し,その4を原告の負担とし,その余を上記被告らの負担とし,原告と被告Y3との間に生じた費用は原告の負担とする。
4 この判決は,被告独立行政法人国立病院機構に送達された日から14日を経過したときは,第1項に限り,仮に執行することができる。
ただし,被告Y1,同Y2及び同独立行政法人国立病院機構が20万円の共同担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
(1) 被告らは,原告に対し,連帯して156万円及びこれに対する被告Y1及び同独立行政法人国立病院機構については平成28年5月18日から,被告Y3及び同Y2については同年6月3日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2) 仮執行宣言
2 被告ら
(1) 原告の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
(2) 仮執行免脱宣言又は仮執行の開始時期を「判決送達の日から14日を経過した時」とすることを求める。
第2 事案の概要
1 本件は,総腸骨動脈瘤の疑いがあるとして独立行政法人国立病院機構□□医療センター(被告センター)に検査入院(本件入院)をした原告が,入院後のCT検査により総腸骨動脈瘤がないことが判明したにもかかわらず,そのことの説明もなしに,不必要な心臓カテーテル検査が行われたなどと主張して,被告センターの勤務医である被告Y1(被告Y1)及び同Y3(被告Y3)に対しては不法行為による損害賠償請求権に基づき,被告センターの院長である被告Y2(被告Y2)及び同センターを設置管理する被告独立行政法人国立病院機構(被告機構)に対しては使用者責任による損害賠償請求権に基づき,連帯して,入院費用,心臓カテーテル検査費用及び慰謝料等合計156万円並びにこれに対する訴状送達の日の翌日(被告Y1及び同機構については平成28年5月18日,被告Y3及び同Y2については同年6月3日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 前提事実(争いがないか,後掲証拠等により容易に認定できる事実)
(1) 当事者
ア 原告は,昭和21年○月○○日生まれの女性であり,本件入院当時,69歳であった(甲A1)。
イ 被告機構は,独立行政法人国立病院機構法により,被告センターに関する国の権利義務を承継した独立行政法人であり,被告センターを設置管理している。
被告Y2は,本件入院当時の被告センターの院長である。
被告Y3及び被告Y1は,被告センター心臓血管外科に勤務する医師である。
(2) 本件入院に至る経緯(甲A5の3,甲A6の2,甲A7の2,甲A8の2)
原告は,平成27年12月10日(以下,日付は,特に断りがない限り,全て平成27年である。),平成横浜病院で単純CT検査を受けたところ,左総腸骨動脈瘤の疑いがあると診断され,被告センターの紹介を受けた。
原告は,同月18日,平成横浜病院の紹介状を持参し,被告センターの心臓血管外科を受診し,被告Y3の依頼による心電図検査,血液検査,生化学検査,免疫血清検査を受けた。被告Y3は,同日,原告に対し,総腸骨動脈瘤の疑いで検査入院が必要である旨を伝え,同月21日から同月25日までの検査入院(本件入院)を予定した。
(3) 本件入院における診療経過(甲A1,甲A2,甲A5の1から3まで,甲A6の2,甲A7の2,甲A8の2)
原告は,12月21日,被告センターに,総腸骨動脈瘤の有無を確認し,病状が重い場合には緊急手術をすることを予定して入院(本件入院)した。
原告は,同日,「心臓カテーテル・心血管造影検査についての説明書」と題する書面(甲A1・31頁及び32頁。以下「本件説明書」という。)に署名した上で,被告Y1の依頼による胸腹部のCR撮影及びX線撮影,血液検査,免疫血清検査,尿一般検査,便検査,肺機能スクリーニング,輸血検査,心電図,一般細菌検査,血圧検査,生化学検査等を受けた。
原告は,同月22日,被告Y1の依頼による造影CT検査を受け,被告Y1は,同月23日,「(上記造影)CT上明らかな瘤はなし」との所見を診療記録(甲A1)に記載した。
被告センターの医師は,同月24日,心臓カテーテル検査を行い,冠動脈に有意な狭窄は認めず,心機能に問題はないとの所見を示した。
原告は,同月25日,退院する直前の医師面談において,被告センターの医師から,明らかな総腸骨動脈瘤は認められなかったと説明されたが,それ以前には,そのような説明を受けていなかった。
(4) 退院後の経過
原告が,退院後,被告センターに手紙を送ったのに対し,被告センターの心臓血管外科医長が,平成28年1月14日,原告と面談し,「動脈硬化はかなり進んでいるので,患者の健康のため,医師の良心として検査を実施すべきと判断した」などと説明をした。
3 争点及び当事者の主張
(1) 被告Y1及び同Y3の不法行為の有無
(原告の主張)
原告の担当医であった被告Y1及び主治医であった被告Y3は,次の各不法行為を行って,増収のために不必要な心臓カテーテル検査を行い,辻褄を合わせるために虚偽の病名をつけた。被告らが増収のために次の各不法行為を行ったことは,本件入院で検査をする前の12月18日の時点で,被告Y1が狭心症による特別食の加算を指示していること等から明らかである。
ア CT検査の結果,総腸骨動脈瘤はなかったにもかかわらず,これを原告に説明せず,危険を伴う心臓カテーテル検査を中止しなかった。
イ 原告に健康上の心配があることを説明せず,治療の意思を問わずに心臓カテーテル検査をした。原告は,動脈瘤の手術が必要となったとき,心臓機能がどれだけそれに耐えられるかを診るための術前検査として心臓カテーテル検査を行う旨の説明をされて心臓カテーテル検査に同意したのであり,動脈瘤はなく狭心症のためだけに検査を行うと知っていれば,当然心臓カテーテル検査を拒否していた。なお,被告ら主張の狭心症の症状は高齢者によくあるものであるし,原告は心臓が痛いかなどという狭心症の基本となる問診もされていないのであるから,狭心症を疑って無断で心臓カテーテル検査をする必要性,緊急性はなかった。
ウ 原告が狭心症,高血圧症だという虚偽の診療録を作成し,また,狭心症,高血圧症について原告に説明しなかった。
エ 退院後においても原告の質問を無視するという不誠実な態度をとり続けた。
(被告らの主張)
ア 本件入院直後の検査において,原告の血圧数値が160-170台を示したことから,12月21日に,原告に高血圧症があることが判明した。
イ また,本件入院当時69歳という原告の年齢,上記血圧,造影CT検査において原告の左総腸骨動脈には拡張と蛇行が目立ち,左下葉や大動脈に石灰化があったこと等の理由から,遅くとも12月22日には,原告の冠動脈に狭窄や石灰化等の病変が存在していたとしても何ら不思議ではなく,原告が無症候性心筋虚血(自覚症状がない狭心症。)に罹患している可能性も十分にあり得る状態であることが判明した。そこで,本件入院において,単に総腸骨動脈瘤に係る検査のみならず,狭心症の有無に係る検査も併せて行うこととした。
したがって,造影CT検査において明らかな総腸骨動脈瘤の存在が確認できなかった時点で,総腸骨動脈瘤の術前検査としての心臓カテーテル検査を行う必要性はなくなったが,前記のとおり狭心症の検査としての心臓カテーテル検査を行う必要性は高かった(狭心症の有無を判断するための検査としては,心臓カテーテル検査よりも低侵襲である心臓核医学検査があるが,心臓核医学検査は,心臓カテーテル検査と比較して無症候性心筋虚血の診断の精度が劣ることから,正確に狭心症の有無を確定診断するためには,心臓カテーテル検査が必要不可欠である。)。
そして,診断のための心臓カテーテル検査は,治療を目的とした心臓カテーテル治療とは異なり,一般的には極めて低リスクな検査とされており,70歳を超える高齢者や腎機能が不良な患者を除いては,心臓疾患の疑いがある患者に対して,広く一般的に行われている検査である。
よって,被告が,原告に対し,本件入院当初の予定どおり,原告の同意に基づいて心臓カテーテル検査を実施したことは,必要かつ相当といえるものであった。
ただし,被告は,原告に対し,疑い病名の一つとして狭心症があり得ること及びその確定診断の観点から心臓カテーテル検査を実施する必要があることを説明していない。
ウ その余の原告の主張は争う。
エ 以上から,被告らは,不法行為責任を負わない。
なお,特別食の加算は,前記アの高血圧症の所見から,塩分制限食(N2)を提供することとしたが,事務処理上の不備から,狭心症に基づく特別食加算がされてしまったものであり,適切ではなかったものの,特別食加算費用を原告から受領していない。
被告センターにおいて,原告の診療に当たったのは,外来時は被告Y3であり,入院時は被告Y1である。
(2) 原告の損害
(原告の主張)
ア 診療報酬のうち,不必要であった心臓カテーテル検査費用及び5日分の入院費用 合計6万円
イ 原告は,被告らによる無理な血圧の上げ下げによって,高血圧症になったか,または高血圧症の進行が加速し,薬を手放せない体になって,本件入院前のような安定した生活を送ることが困難になった。これによる現在及び将来にわたる医療費の負担及び日常生活を維持するための予定外の費用は,少なくとも50万円である。
ウ 被告らの不法行為によって,原告は,自己決定権を侵害され,また入院中にありもしない動脈瘤の存在に脅かされ続け,今もなお本件入院を思い出すだけで錯乱し,PTSD状態に陥ることがある。原告が被った上記精神的苦痛を慰謝するに足る金額は,少なくとも100万円である。
(被告らの主張)
原告の主張は争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前提事実,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。原告及び被告らの主張中,この認定に反する部分は採用することができず,他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。
(1) 12月18日
ア 原告は,被告センターの心臓血管外科の外来診療において,心電図検査,血液検査,生化学検査,免疫血清検査を受けた。被告Y3は,原告に対し,総腸骨動脈瘤の疑いがあって,検査入院が必要であり,12月21日に入院,同月25日に退院予定であるが,病状が重い場合はそのまま手術になることがある旨を告げ(甲A7の2・7頁),「病名」欄に「総腸骨動脈瘤の疑い」,「治療計画」に「検査入院のための入院です」と記載し,「(他に考え得る病名)」欄は空白とする入院診療計画書(甲A5の3・5頁)を示した。原告は,遅くとも同月21日までに,上記入院診療計画書に署名をした(甲A5の3・5頁,弁論の全趣旨)。
イ 被告Y1は,原告につき,本件入院後の同月21日に血液検査,免疫血清検査,尿一般検査,便検査,肺機能スクリーニング,輸血検査,胸腹部のX線撮影,心電図,一般細菌検査,血圧脈波検査等を行い,同月22日に胸腹部の造影CT検査を行い,同月24日に冠状動脈造影を目的とした心臓カテーテル検査を行う旨の指示を出した(甲A5の3,甲A7の2・15から18頁,弁論の全趣旨)。また,被告Y1は,本件入院時における原告の食事を「N2食」とする旨の指示を出した(甲A7の2・13頁)。
(2) 12月21日
ア 原告は,被告センターに入院(本件入院)し,12時2分頃,被告センターの医師から,本件説明書記載の心臓カテーテル・心血管造影検査に関する危険性及び「検査の必要性および付随する危険性や起こりうる合併症に関して十分理解された上で,患者様自身の自由意志により検査を受けるか受けないかを決定することができます。検査を受けないことによる不利益を受けることはなく,また一度承諾した後でも,いつでも承諾の取り消しをすることができます。」(本件説明書記載①),「心臓カテーテル・心血管造影検査を検査の必要性および付随する危険性や起こりうる合併症に関して十分理解し,私自身の自由意志により心臓カテーテル・心血管造影検査を受けることを同意承諾します」(本件説明書記載②)との記載がある本件説明書を示されて,これに署名をした。(以上につき,甲A1・8頁,31頁及び32頁,弁論の全趣旨)
イ 原告は,13時15分頃に,被告Y1の依頼による尿一般検査,血液検査,生化学検査,免疫血清検査,便検査,輸血検査を受けた(甲A5の1・4及び5頁,甲A5の3・2及び3頁)。
被告センターの看護師は,13時30分,原告の「入院時併存病名」として「狭心症」と診療記録に記載した(甲A1・5頁)。また,被告センターの看護師は,13時30分時点で栄養管理計画は「保留中」とされていたものの,13時31分に,原告の12月21日及び22日の夕食について,「食種」を「N2」,「病名」を「狭心症(加算)」とする指示を出し(甲A5の1・4頁),夕食に「N2」の食事を提供した(甲A5の2)。
原告は,被告Y1の依頼により,13時41分に一般細菌検査を受け(甲A5の1・13頁,5の3・4頁),15時29分頃に血圧検査を受け(甲A1・21頁),16時13分頃に血圧脈波検査及び心電図検査を受け(甲A5の3・7頁),16時18分頃に肺機能スクリーニングを受け(甲A5の1・15頁),16時59分頃にCR画像を撮影し,17時3分にX線撮影をした(甲A5の1・15頁,甲A5の3)。
ウ 被告センターの看護師は,18時49分,血圧(収縮期)が「160~170と高値」であることから「アムロジピン2.5mg内服開始となる」と診療記録に記載し,原告に内服させた。原告は,遅くとも19時49分の時点で,血圧が高いことを指摘されて,「こんなに高いなんて。言われたことないです。」と発言し,被告センターの看護師に対し,症状はない旨を伝えた。(以上につき,甲A1・21頁,甲A5の1・16及び17頁,弁論の全趣旨)
被告センターの看護師は,22時以降12月25日にかけて,数時間に1回原告の血圧を測定し,原告に対して血圧が高い旨や,血圧が下がらない旨を伝えて,ニカルピン等を投与するなどにより,原告の血圧コントロールを行った(甲A1,甲A4,甲A5の3,弁論の全趣旨)。
(3) 12月22日
被告Y3は,10時32分,被告センターの医事に依頼して,診療記録に原告の病名が「狭心症」であると登録した(甲A1・3頁)。
被告Y1は,16時頃,原告の胸部から下腹部にかけての造影CT検査を依頼し,これに基づいて同検査が実施された(甲A1・11頁,甲A2)。同検査に係る画像診断書の所見欄には,「左総腸骨動脈の拡張と蛇行が目立つが動脈瘤ははっきりしない」,「大動脈には拡張は認めない」,「左下葉に石灰化結節」,「子宮体部後屈と腫大あり.子宮底部に石灰化を認め筋腫の可能性がある」との記載がある(甲A2)。
被告センターの栄養士は,17時26分,原告の食事内容を「常食」とする栄養管理計画を作成したが(甲A5の1・11頁),それ以降も退院に至るまで,原告に「N2」の食事が提供された(甲A5の2)。
(4) 12月23日
被告Y1は,上記(3)の造影CT検査に関し,「CT上明らかな瘤はなし」との所見を診療記録(甲A1)に記載した。
(5) 12月24日
被告センターの医師は,心臓カテーテル検査を行い,冠動脈に有意な狭窄は認めず,心機能に問題はないとの所見を示した(甲A1・16頁及び17頁,33頁)。被告らは,心臓カテーテル検査を行うに当たって,原告に対し,前記(4)の所見を説明しなかった。
(6) 12月25日
被告Y3は,8時59分に,被告センターの医事に依頼して,診療記録に原告の病名が「高血圧症」であると登録した(甲A1・3頁)。また,被告センターの医事は,同時刻に,原告の「入院時併存病名」として「高血圧症」と診療記録に記載した(甲A1・6頁)。
被告Y3及び被告Y1らは,遅くとも9時20分には,「入院中血圧高値でありアムロジピン5mg,オルメテック20mgを導入しています。もともとかかりつけがなく近医での血圧コントロールを含めたご加療の継続をご本人が希望しています。」と記載した診療情報提供書を作成した(甲A1・34頁)。
原告は,退院する直前の医師面談において,被告センターの医師から,明らかな総腸骨動脈瘤が認められなかったと説明された。
2 被告Y1及び同Y3の不法行為の有無(争点(1))について
(1) 心臓カテーテル検査の実施に関する不法行為の有無
原告は,12月22日の造影CT検査により総腸骨動脈瘤がなかったのであるから心臓カテーテル検査は不必要であったにもかかわらず,被告Y3及び被告Y1が狭心症という虚偽の診療録を作成して不必要な上記検査を行った旨を主張するのに対して,被告らは,心臓カテーテル検査は,総腸骨動脈瘤の緊急手術の術前検査としては不必要となったが,原告には狭心症の疑いがあったことから,狭心症の確定診断のための検査としてはなお必要であった旨を主張する。
そこで,狭心症の疑いの有無及び狭心症の確定診断のための心臓カテーテル検査の要否について,以下検討する。
ア 狭心症の疑いの有無
被告らは,原告の年齢,本件入院直後の血圧,造影CT検査において原告の左総腸骨動脈には拡張と蛇行が目立ち,大動脈に石灰化があったこと等から,遅くとも12月22日には,原告が狭心症である疑いをもった旨主張する。
しかし,前記1(2)ウ及び(3)に認定した事実によれば,原告が本件入院後に初めて血圧を測定した12月21日15時29分より前の同日13時30分の時点で,被告センターの看護師が,原告の「入院時併存病名」として「狭心症」を記載している上,造影CT検査を行った同月22日16時23分より前の同日10時32分の時点で,被告Y3が,原告の病名として「狭心症」の登録を依頼しており,被告の主張の前記経緯と矛盾する。また,診療記録上,狭心症に関係する診察所見,検査所見,治療方針,指示等に係る記載が存在しないことは,被告らも認めるところである。このような不自然な経緯からすれば,狭心症の疑いを持った根拠及び時期に関する被告らの前記主張は,疑わしいものであるといわざるを得ない。(なお,原告は,食事について狭心症による特別食加算がされていることも不自然である旨主張するが,実際に特別食加算費用が徴求されていないことからすると(甲C2),事務処理上の不備であるとする被告らの主張が虚偽であると断定することはできない。)
もっとも,「原告の血管の硬さは70代前半に相当する」との検査結果があること(甲A5の3・7頁)や,被告センターの心臓血管外科医長が,平成28年1月14日に,原告に対し,「動脈硬化はかなり進んでいる」と説明していること(前記前提事実(4))等からすれば,原告は,本件入院当時,動脈硬化が進行していたものとうかがわれるところ,そのことと原告の血圧が高いこと(前記1(2)ウ)を踏まえれば,前記説示に係る不自然な経緯のみから直ちに,本件入院中の心臓カテーテル検査実施時において,原告が狭心症を疑うべき状態になかったとまでは認めることはできない。ほかに,原告が狭心症を疑うべき状態になかったと認めるに足りる証拠はない。
したがって,遅くとも12月22日には原告について狭心症の疑いをもったとする被告らの主張が,虚偽であるとまでは認められない。
イ 狭心症の確定診断のための心臓カテーテル検査の要否
そして,狭心症の疑いがある場合に,心臓カテーテル検査が不必要であることを認めるに足りる証拠はない。
そうすると,原告にとって,心臓カテーテル検査が全く不必要な検査であったとまでは認めることができない。
ウ 結論
以上から,被告Y3及び被告Y1が,狭心症という虚偽の診療録を作成して不必要な心臓カテーテル検査を行ったとする原告の前記主張は,直ちには採用することができない。
(2) 心臓カテーテル検査に関する説明義務違反の有無
原告は,被告Y3及び被告Y1が,総腸骨動脈瘤のないことや,狭心症の疑い等の心臓カテーテル検査をすべき健康上の心配があることを説明しなかったと主張する。
ア 前提事実(3)のとおり,本件入院は,総腸骨動脈瘤の有無を確認し,病状が重い場合の緊急手術を予定したものであるところ,本件入院当初,心臓カテーテル検査が少なくとも総腸骨動脈瘤の術前検査として行われることが予定されていたことは,当事者間に争いがない。また,原告が署名をした本件説明書には,「検査の必要性」を理解してこれに同意する旨の記載(本件説明書記載②)があるところ,疑い病名の一つとして狭心症のあり得ること及びその確定診断の観点から心臓カテーテル検査を実施する必要があることを原告に説明していないことは被告らの自認するところであるから,原告が,総腸骨動脈瘤が認められた場合の術前検査としての「検査の必要性」を前提として,心臓カテーテル検査に同意をしたものであり,他の「検査の必要性」を前提とする同検査には同意していないことは明らかであった。さらに,被告センターの医師らは,本件説明書記載①で,「検査の必要性」について「十分理解された上で」「自由意志により検査を受けるか受けないかを決定することができ」,「一度承諾した後でも,いつでも承諾の取り消しをすることができます」と謳っているのであるから,患者が承諾した後に検査の必要性がなくなったり,検査が必要とされる理由が変更されたりした場合には,患者に対して検査の必要性について改めて説明し,承諾を撤回する機会を与えることを当然予定していたものというべきである。
以上から,被告センターの医師らのうち,少なくとも,被告らの主張によれば,本件入院時に原告の診療に当たった医師であると認められる被告Y1には,総腸骨動脈瘤がないこと及び術前検査としての心臓カテーテル検査の必要性がなくなったことが明らかになった場合には,これを直ちに原告に説明する義務を負うとともに,術前検査以外の目的でなお心臓カテーテル検査を行う必要性があった場合には,これを説明し,心臓カテーテル検査について改めて原告の同意を得る義務を負っていたというべきである。
イ しかし,被告Y1は,12月23日に明らかな動脈瘤が認められないことが判明し(前記1(4)),これに伴って術前検査としての心臓カテーテル検査の必要性がなくなった時点で,これらを原告に説明し,さらに,原告に狭心症の疑いをもってその確定診断をする目的で心臓カテーテル検査を行おうとするのであれば,狭心症の疑いがあること及びその確定診断としての心臓カテーテル検査の必要性を原告に説明し,改めて心臓カテーテル検査について同意を得る義務を負っていたものというべきであるにもかかわらず,原告に何ら説明をせず,同月24日に心臓カテーテル検査を行い,同検査後の同月25日になって初めて,被告センターの医師が,原告に動脈瘤がないことを説明した(前記1(2)から(5)まで)。
したがって,被告Y1には,前記各説明義務に違反した不法行為があったものと認められる。
ウ 他方,原告は,被告Y3は本件入院中の原告の主治医であり,説明義務違反があった旨主張するが,被告Y3が本件入院中の原告を実際に診療したことを認めるに足りる証拠はなく,原告に説明をする機会があったとは認められない。そうすると,被告Y3において,本件入院中の原告に説明義務があったとの主張は,その前提を欠き,失当である。
(3) 高血圧症に関する不法行為の有無
原告は,被告らが,原告が高血圧症であるという虚偽の診療録を作成し,また高血圧症について原告に説明しなかったと主張する。
ア しかし,原告の血圧は,本件入院後3回の測定において,収縮期が161から174まで,拡張期が94から107までと高かったのであるから(甲A1・21頁,前記1(2)ウ),原告が本件入院中に高血圧症であったとの診断が虚偽であると認めることはできない。
なお,原告が,被告Y1が12月18日に食事について「N2食」との指示を出していること(前記1(1)イ)は不自然である旨主張するのに対し,被告らは,高血圧症の所見から塩分制限食を提供した旨主張するが,証拠として提出されている診療記録上,同日に血圧検査をしたとする記録は見当たらず,平成横浜病院からの診療情報提供書(甲A8の2・3頁)にも血圧に関する記載はないから,被告の前記主張は疑わしいといわざるを得ない。もっとも,本件入院中に原告の血圧が高かったことは前記のとおりであるから,このことから直ちに,本件入院中に高血圧症であったとの診断が虚偽であるとまでは認めることができない。
イ また,原告は,少なくとも被告センターの看護師から血圧が高い旨を繰り返し伝えられ,血圧に関する薬剤の内服や投与を受けていたのであるから(前記1(2)ウ),高血圧症について説明を受けなかったと認めることはできない。
ウ ほかに,上記ア及びイの各認定を左右するに足りる証拠はない。
したがって,原告の前記主張は採用することができない。
(4) 退院後の説明に関する不法行為の有無等
原告は,被告らが,退院後に,原告の主張を無視するという不誠実な態度をとったと主張する。しかし,前記前提事実(4)のとおり,原告が,退院後,被告センターに手紙を送ったのに対し,被告センターの心臓血管外科医長が,平成28年1月14日,原告と面談し,「動脈硬化はかなり進んでいるので,患者の健康のため,医師の良心として検査を実施すべきと判断した」などと説明をしているところ,このような被告らの対応に,不合理な点はない。ほかに,原告の上記主張を認めるに足りる証拠はない。
また,原告は,被告らによる無理な血圧の上げ下げによって高血圧症になったなどと主張するが,そのことを認めるに足りる証拠はない。
(5) 以上から,被告Y1には,原告に対して,明らかな動脈瘤がないことが判明し,術前検査としての心臓カテーテル検査が不必要になったこと及び狭心症の疑いがあり,その確定診断のために心臓カテーテル検査が必要であることを説明せずに,原告の同意なく,狭心症の確定診断のための心臓カテーテル検査を行った不法行為が認められ,被告Y3には,前記(2)エのとおり,不法行為を認めることはできない。
そして,被告機構は,被告Y1の上記不法行為について,使用者責任を負う。
被告Y2は,被告センターの院長であり,医療法15条1項所定の病院の管理者であると認められるから,同項により,その病院に勤務する医師その他の従業員を監督し,その業務遂行に欠けるところのないよう必要な注意をしなければならない立場にあり,特段の事情のない限り,民法715条2項所定の代理監督者に当たるところ,被告Y2について,上記特段の事情を認めるべき証拠は存在しない。したがって,被告Y2は,被告Y1の上記不法行為について,使用者責任を負う。
3 原告の損害(争点(2))
原告は,前記2の不法行為によって,動脈瘤が存在しないことを前提として,狭心症の確定診断のためだけに心臓カテーテル検査を受けるかどうかを決める自己決定権を侵害されたものと認められる。そして,①心臓カテーテル検査は,心臓カテーテル治療と比較すれば低リスクであるとしても,脳梗塞や冠動脈の入口の傷害による心臓停止等の合併症が発症する可能性があり,合併症の発症により,死亡や緊急手術に至ることがあるという重大な危険があるというべきものであって(甲A1・31頁),原告の自己決定権の侵害の程度が大きいというべきであること,②心臓カテーテル検査が前記①のとおり重大な危険があるものであるところ,被告らの主張によれば心臓カテーテル検査よりも低侵襲である心臓核医学検査が存在することや,被告らの主張によっても「(狭心症)に罹患している可能性も十分にあり得る状態」という程度であって強く狭心症を疑うべき状態であったとは認められないこと等に照らせば,原告は,前記2の不法行為がなく,狭心症の確定診断のためだけに心臓カテーテル検査を行うと知っていれば,原告の主張するとおり,心臓カテーテル検査に同意しなかった可能性が高く,その場合,心臓カテーテル検査費用1万6200円(甲A3の2,弁論の全趣旨)や,12月24日以降の入院費用を負担する必要がなかった可能性が高いこと,③原告が,総腸骨動脈瘤が認められないことが判明した同月23日以降退院に至るまで,総腸骨動脈瘤があるかもしれないという本来感じる必要のなかった不安を感じていたことなど,本件における事情を総合考慮すると,原告の精神的苦痛を慰謝するに足る金額は,30万円と認めるのが相当である。
第4 結論
よって,原告の請求は,被告Y1,同Y2及び同機構に対し,連帯して,30万円及びこれに対する被告Y1及び同機構については訴状送達の日の翌日である平成28年5月18日から,被告Y2については訴状送達の日の翌日である同年6月3日から各支払済みまで民法所定の年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから,これを認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。
横浜地方裁判所第4民事部