気管支喘息重積発作で死亡した案件。患者の病状を把握に過失があり適切な治療ができなかったとして病院の医療ミスが認定された例
横浜地裁 平成10年10月28日
主 文
一 被告は、原告Aに対し、金二三三九万七七八八円、同平Cに対し、金二二六六万九七六〇円及び右各金員に対する平成四年一〇月二七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余は原告らの負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
一 被告は、原告Aに対し金五四一八万一七九二円、同平Cに対し金五〇八三万四九二七円及び右各金員に対する平成四年一〇月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 訴訟費用は被告の負担とする。
三 仮執行宣言
第二 事案の概要
本件は、亡B(以下「B」という。)が、喘息発作のために被告経営の病院に入院したところ、即日、喘息発作が治まらず気管支喘息重積状態になったにもかかわらず、同病院の医師が適切な治療を怠り症状を悪化させ、その後、転院したものの、結局、死亡してしまったため、Bの遺族である原告らが、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償を請求している事案である。
一 争いのない事実等(証拠で認定した事実については証拠を( )内に示す。)
1 当事者等
(一) Bは、昭和00年0月0日生まれの男子であり、原告A(以下「原告A」という。)はBの妻、原告C(以下「原告C」という。)はBの子である(甲二)。
(二) 被告は、××病院(以下「被告病院」という。)を開設し、運営している医療法人社団である。
2 被告病院における治療の経過
(一) Bは、平成0年0月0日午前〇時ころ、倦怠感や動悸等を訴えて被告病院内科を外来で受診し、血液検査、聴診等の後、ビタミン剤の静脈投与を受けて、同日は帰宅した(乙一の一、四)。
(二) Bは、翌日の0日午前二時ころから喘息発作が起こったため、午前八時ころ、再び被告病院内科外来を訪れ、病院長であるア医師(以下「ア医師」という。)の診察を受けたところ、気管支喘息発作と診断され、同医師の指示により、午前八時〇四分にネオフィリン(気管支拡張剤)二五〇ミリグラムの注射、サクシゾン(ステロイド剤)二〇〇ミリグラム、ソリタT3五〇〇ミリリットルの点滴及び酸素吸入が行われたが、Bの発作の軽快はなく、Bは被告病院に入院することになったが、被告病院で行われた治療は次のとおりであり、これをまとめると別紙「治療経過表」のとおりとなる。(甲三、七、一三、乙七の一ないし六、八の一・二、九の一ないし四)。
午前九時三〇分 サクシゾン三〇〇ミリグラムの追加点滴
ネブライザー吸入
九時四〇分 ボスミン(気管支拡張剤)〇・二ミリリットル
九時五〇分 第一回目の血液ガス分析(アストラップ)
生食一〇〇ミリリットル追加点滴
ネオフィリン二五〇ミリグラム注射
一〇時ころ ポータブルによるレントゲン撮影
一〇時三〇分 ソリタT3五〇〇ミリリットル点滴
ネオフィリン二五〇ミリグラム点滴
一一時〇〇分 サクシゾン五〇〇ミリグラム追加点滴
一一時二〇分 ボスミン〇・二ミリリットル
パンスポ・テスト(抗生物質のアレルギー検査)施行
午前零時〇〇分 ソリタT3五〇〇ミリリットル、生食一〇〇ミリリットル、パンスポリン(抗生物質)一グラム、ソルメドール二〇〇ミリグラム点滴
零時一五分 第二回目の血液ガス分析
ボスミン〇・二ミリリットル
二時一〇分 挿管七・五号で人工呼吸器装着
側管でセルシン(自発呼吸を止めるための麻酔薬)五ミリグラム点滴
二時一五分 ミオブロック(麻酔薬)一ミリリットル、生食一〇〇ミリリットル点滴
イノバン(血圧上昇剤)一筒注射
二時三〇分 側管で生食五ミリリットル、サクシゾン五〇〇ミリグラム点滴
血圧上昇のため、イノバンの投与を中止し、メイロン二〇〇ミリリットル点滴
ハートレート(心拍数モニター)装着
三時〇〇分 右鼠径部よりIVH(カテーテル)挿入
三時一五分 ミオブロック一本点滴
生食一〇ミリリットルとミオブロック一本点滴
生食一〇〇ミリリットルとミオブロック一〇本(一五滴)点滴
生食一〇〇ミリリットルとセルシン一〇〇ミリグラム(一五滴)点滴
(以上は呼吸をコントロールするための措置)
三時三〇分 第三回目の血液ガス分析
(四時ころからBは血圧の上昇、多量の発汗状態になり、意識不明となる)
四時二〇分 セルシン一〇ミリリットル、ミオブロック一〇ミリリットル点滴
サクシゾン一〇〇ミリグラム追加点滴
五時二〇分 第四回目の血液ガス分析
六時〇〇分 メイロン二〇〇ミリリットル(二〇滴)点滴
六時一五分 ネブライザー吸入
生食三ミリリットル、ボスミン〇・二ミリリットル点滴
八時四五分 アダラート(血圧降下剤)一〇ミリグラム舌下
九時三〇分 ネブライザー吸入
一〇時三〇分 第五回目の血液ガス分析
一一時〇〇分 ソリタT3から切り換えてゴブロ五〇〇ミリリットル点滴
ネオフィリン二五〇ミリグラム注射
(三) また、右の治療中に実施した血液ガス分析検査(アストラップ)の実施時刻とその結果は、別紙「血液ガス分析表」のとおりである(弁論の全趣旨)。
(四) 七月六日午後一〇時三〇分に行った血液ガス分析の結果、血液中の二酸化炭素が二三〇ミリメートル水銀柱を示し、肺の機能不全が昴進していることが明らかであったため、被告病院ではこれ以上の治療は不可能であると判断し、午後一一時三〇分ころ、Bは救急車で訴外イ病院(以下「イ病院」という。)に搬送され、翌七日午前零時ころ、同病院に緊急入院し、心臓マッサージ等の蘇生措置がとられたが、同日午前一時一七分に死亡した(甲一、九、証人比屋根)。直接死因は、気管支喘息重積発作と診断された(甲一)。
二 争点
本件の主な争点は、
① 被告病院における気胸発生の有無と気胸の死因に対する影響
② 被告病院のBに対する診療行為上の過失の有無
③ 被告病院の過失と死亡との因果関係
④ 原告らの被った損害額
である。
三 原告らの主張
1 争点①(被告病院における気胸発生の有無と気胸の死因に対する影響)について
平成三年七月六日午後五時二〇分に行われた血液ガス分析により炭酸ガス分圧値が九三・〇ミリメートル水銀柱を示した後、午後一〇時三〇分に行われた血液ガス分析により同分圧値が二三〇・〇ミリメートル水銀柱という通常では考えられない高い値を示していることから、この間に換気障害が極度に達し、Bは危篤状態に陥ったと考えられる。そして、更に、この間に気胸も生じ、気胸が換気障害に追い打ちをかける形で死亡の結果を招いたのである。
2 争点②(被告病院のBに対する診療行為上の過失の有無)について
被告病院には、以下のような診療行為上の過失がある。
(主位的主張)
(一) 病態把握不十分
被告病院には、以下の各点において、Bの病態把握を怠った過失がある。
(1) 平成三年七月六日午前九時五〇分に実施された血液ガス分析の炭酸ガス分圧の値は六三・五ミリメートル水銀柱であり、かなり重篤な状態といえるのであるから、この時点で重症と判断してステロイド剤や、気管支拡張剤を集中的に用いるという治療方針をとるべきであった。
また、午後三時三〇分の時点での炭酸ガス分圧値が八五・九ミリメートル水銀柱、午後五時二〇分の時点での同分圧値が九三・〇ミリメートル水銀柱と非常に悪い状態であったにもかかわらず、それに対し、適切な処置がとられていない。
更に、右のとおり、同日午後五時二〇分には血液ガス分析の結果、炭酸ガス分圧値が九三・〇ミリメートル水銀柱という高値を示していたにもかかわらず、何ら特別な治療処置をとることなく、午後一〇時三〇分に実施された血液ガス分析まで約五時間もBを放置している。
(2) Bの血圧は、同日午後二時三〇分ころから一六九/一〇三という異常な高値を示しているにもかかわらず、何ら特別な処置がとられず、放置されている。
(3) 血液ガス分析は、第二回目の午後一二時一五分から、第三回目の午後三時三〇分まで、約三時間実施されていないが、Bは午後二時過ぎに意識障害を起こしていることからすれば、それ以前の段階で、換気障害が起こり、血液ガス分析を行えば酸素分圧や炭酸ガス分圧の値が悪化した時点があったはずである。にもかかわらず、被告病院は、約三時間の間血液ガス分析を実施しなかった。
(4) 更に、皮下気腫があれば、気胸が発生していることを疑わなければならないというべきであるから、被告病院が午後八時二〇分に皮下気腫を発見したのであれば、気胸発生の有無を確認するためにレントゲン撮影を行うことは不可欠であるにもかかわらず、右レントゲン撮影を行わず、発生していたと考えられる気胸の発見・確認を怠った。
(二) 臨機応変の措置をとらなかったこと
被告病院は、前記のとおり、患者の病態を十分把握し、それに応じた処置を臨機応変にとるべき義務があったにもかかわらず、それを怠り、Bを死に至らしめた過失がある。その具体的内容は以下のとおりである。
(1) 被告病院は、平成三年七月六日午前九時五〇分に実施された血液ガス分析の結果、炭酸ガス分圧値が六三・五ミリメートル水銀柱と判断した段階で、ステロイド剤や気管支拡張剤の投与の他、水分補給やペーハーの補正を集中的に行うべきであったにもかかわらず、それらの措置がとられていない。
(2) 各薬剤の適宜適切な時期や量の使用を誤ったために、症状を重篤化させてしまった。
第一に、ネブライザーによる気管支拡張剤の使用は、気道の閉塞があまり進んでいないうちに行うことが効果的であるところ、被告病院はそれを怠り、初期の段階でBが苦痛を訴えているときに使用しなかった。そして、比屋根学医師(以下「比屋根医師」という。)は、七月六日の午後六時一五分、九時三〇分ころという、症状が一層重篤化して、気道閉塞が進行していると考えられる時期にネブライザーを吸入し、症状の改善を図ろうとするという、全く的外れの対応をしている。
第二に、ステロイド剤は、喘息の本体であるアレルギーの治療薬として、重積発作の時には大量に使ってでも症状の改善を図る必要があるにもかかわらず、右大量使用を怠った。
確かに、ステロイド剤の投与による副作用も考えられるが、それは長期連用の場合の問題であり、比屋根医師が引き継いだ午後五時二〇分の段階で、血液ガス分析の値がペーハー七・一七三、炭酸ガス分圧が九三ミリメートル水銀柱という、極めて重篤な状態だったのであるから、この段階で副作用を恐れるよりもむしろ死の結果を回避するために、サクシゾンで発作を治めることを優先して考えるべきであったのに、大量使用を怠った点については過失がある。
第三に、被告病院はネオフィリンを七月六月午前一〇時三〇分に使用してから、同日午後一一時まで使用していない。
ネオフィリンは、中毒をおこさないよう血中濃度に注意する必要はあるが、午後二時以降の一番重篤な時期に使用しなかった点については過失がある。
また、血中濃度を測らずに、ネオフィリンを使用している点については、ネオフィリンの適切な使用時期、使用量、使用方法に関する注意義務を怠った過失がある。
(3) 右(1)(2)の適宜適切な措置をとり、更に、気胸に対して適切な対応をしても、なお症状が改善しないときは、気管支洗浄や全身麻酔等の別の手段を考慮するなど、状況に応じた臨機応変の処置をとるべき注意義務があった。被告病院の一連の治療行為は、このような注意義務を怠ったというべきである。
(三) レントゲンを撮らなかったこと
レントゲンの撮影は、①気胸の発見、②挿管の位置確認、③肺野の状態把握のために必要であったにもかかわらず、被告病院はレントゲン撮影を行わなかったために、気胸の発見が遅れ、挿管の位置確認、肺野の状態把握ができなかった。
気胸の発見はレントゲン撮影により容易に判明したのであるから、被告病院にはレントゲン撮影を怠った点において、致命的な過失がある。
(予備的主張)
(四) 転院措置の遅延
前記のとおり、被告病院の主たる過失は、患者の病態把握不十分、病態を把握した上での臨機応変の処置の欠如、及びレントゲン撮影をせずに気胸発見が遅れたことにあるが、仮に右各処置が被告病院の体制ではとることができないというのであれば、早期に高次の病院へ転院させる措置をとるべきであったにもかかわらず、右転院措置が遅延した点において過失がある。
すなわち、前記のとおり、七月六日午後五時二〇分の時点でも、Bの状態は極めて重篤で、集中治療室での全身管理の必要な状態であったといえる。この時点において、被告病院では人員的にも、設備的にも、気管支洗浄や全身麻酔などの措置が無理であったならば、青木薫医師(以下「青木医師」という。)が自らイ病院に転院措置をとるか、比屋根医師に引き継ぐ時に早期に転院させるよう申し送りすべきであった。右時点での転院の判断が困難であれば、比屋根医師が引き継いでから、皮下気腫を発見した午後八時二〇分までの間に血液ガス分析をするなどして転院を決定すべきであったし、皮下気腫が呼吸状態悪化の重要な兆候なら、遅くとも午後八時二〇分に皮下気腫を発見した時点で直ちに転院させるべきであった。被告病院においてこれらの注意義務を怠り、午後一一時過ぎまで転院を遅らせたことについては過失がある。
3 争点③(被告病院の過失と死亡との因果関係)について
右に述べたとおり、Bの治療について、被告病院には病態把握が不十分であった点、臨機応変の措置をとらなかった点、レントゲンを撮らなかった点及び転院措置が遅延した点において過失があるのであり、右各点における過失がなければBは死亡しなかったのであるから、被告病院の過失と死亡との間には因果関係がある。
4 争点④(原告らの被った損害額)について
原告の損害額は次のとおりである。
(一) Bの逸失利益
五七六六万九八五四円
Bは、死亡当時満二七歳であり、少なくとも六七歳までの四〇年間就労可能であった。そして、平成三年当時、四八〇万一三〇〇円の所得を得ていたのであり、生活控除率を三〇パーセントとみて、ライプニッツ方式で算出するとその逸失利益額は右のとおりとなる。
そして、原告両名は右五六七七万九八五四円の二分の一である二八八三万四九二七円の請求権をそれぞれ相続取得した。
(二) 原告らの損害
(1) 治療費 一万三三八〇円
原告Aは、イ病院に対し、Bの入院治療費として、右金員を支払った。
(2) 葬儀費用 三三三万三四八五円
原告Aは、Bの葬儀に右金額の支出をした。
(3) 慰謝料 三六〇〇万円
(原告らそれぞれ一八〇〇万円)
原告らは、Bの死亡により多大な精神的苦痛を被ったところ、その慰謝料の額としては各自一八〇〇万円が相当である。
(4) 弁護士費用 八〇〇万円
(原告らそれぞれ四〇〇万円)
(三) 合計
右金額を合計すると、被告が原告らに賠償すべき金額は、原告Aに対しては五四一八万一七九二万円、原告Cに対しては五〇八三万四九二七円となる。
四 被告の主張
1 争点①(被告病院における気胸発生の有無と気胸の死因に対する影響)について
(一) 被告病院では気胸は生じていない。
(二) 仮に被告病院で気胸が生じていたとしても、Bの死因はあくまでも喘息発作による呼吸不全の結果である換気障害であり、気胸からの肺虚脱と死亡との間に因果関係はない。
2 争点②(被告病院のBに対する診療行為上の過失の有無)について
(一) 病態把握について
(1) 被告病院は、平成三年七月六日午前八時ころにBが再来院した際には、気管支喘息重積発作と診断し、直ちに鼻より酸素吸入及びネオフィリン、サクシゾン等の注射・点滴を開始した。右治療は、重症の喘息患者に対して最も効果のある治療であり、できる限りの治療である。
(2) また、被告病院はBに対して血液ガス分析を七月六日の一日で五回行い(一日五回の血液ガス分析は、大学病院でも行わないほど頻繁な検査回数である。)、血液中の酸素及び二酸化炭素濃度を測定し、Bの症状を客観的に診断しており、Bの症状に対して十分な注意を払っていたのである。
そして、右血液ガス分析の結果、六日午後零時一五分実施の検査では血液中の二酸化炭素濃度が下がって酸素濃度が上昇し、肺の呼吸機能の回復が見られていたのであって、被告病院の治療が効果を上げ、今後症状は良転すると考えられていた。
しかし、午後一時四五分、Bの母親が持ち込んでいた気管支拡張剤を噴霧するいわゆる吸入器の使用をめぐり、使用を欲するBとこれを禁止しようとする母親の間で激しい口論になり、看護婦が両者を制止するまで口論が続いた結果、Bは激しい興奮状態に陥り、午後二時過ぎには、意識障害を起こし、チアノーゼ等の症状も現れ、自発呼吸ができない状態に陥ったのである。その後は直ちに人工呼吸器を挿管し、肺に酸素を送り込み、体内に酸素を供給する治療を行ったが、Bは相当程度喘息の症状が進んだ患者であり、心肺機能が低下していたため、早期に自発呼吸を回復することができず、喘息発作に伴う換気不全と心不全の結果を避けることができなかったのである。
確かに、被告病院は、午後零時一五分から、午後三時三〇分までの間、血液ガス分析を行っていないが、青木医師は、午後一二時以降はナースコールがかかればすぐに駆けつけられる体勢で詰所で待機していたのであり、午後二時にナースコールがあった後は直ちに診察し、午後二時一〇分には挿管し人工呼吸器を装着している。また、以後も、必要な投薬を行い、午後二時三〇分にハートレート(心拍数モニター)も装着して容態観察を続け、人工呼吸器装着後約一時間程度様子を見た上で午後三時三〇分に三度目の血液ガス分析を実施しているのであり、血液ガス分析の実施時間については何らの過失はない。
(3) Bは六日午後八時二〇分ころ胸部に皮下気腫の症状を呈しているが、人工呼吸器を装着して強制的に酸素を供給した場合、肺の酸素交換機能が低下して供給した酸素が十分に交換されないときは、酸素の供給圧力を高めざるをえなくなるが、酸素の供給圧力を高めれば、やがて皮下気腫等の症状を呈するのであり、人工呼吸器を装着した患者が示す末期的な症状である。酸素の供給圧力を高めなければ血液中の酸素濃度は直ちに低下し、心不全等により死亡してしまうから、被告病院としては他に何ら有効な治療行為をとり得ないのである。
(4) 以上のとおり、六日午後零時一五分実施の血液ガス分析の実施段階までは、被告病院の治療の結果、Bの症状は軽減しており、その後の経過も良好と判断されていたが、午後一時四五分ころの家族との口論の後から症状が急変し、いわゆる危篤状態に陥ってしまったものである。それ以後の治療は、被告病院としてもできる限りの処置である。被告病院は、患者の状態把握に努め、出来うる限りの治療をしているのであって、Bの病態把握について過失はない。
(5) なお、以前から被告病院で治療している患者の場合と異なり、Bのように突然治療に来た患者については、各種検査等が必要であり、患者の病状の把握にある程度の時間を必要とするものである。
本件において、Bは、平成三年七月五日に初めて被告病院で治療を受け、翌六日に再度来院した際に緊急入院し、同日午後一一時三〇分に症状悪化のためイ病院に転院したが、まもなく死亡したものであって、被告病院は、右のわずか一日の間に、Bの病状把握に努めつつ、出来うる限りの治療をしたのであるから、被告病院に過失はない。
(二) 臨機応変の措置について
(1) 喘息発作の治療としてのステロイド剤の投与量はケースバイケースであり、医師の裁量に委ねられているところ、本件において比屋根医師は、Bの身長体重及びサクシゾンの効用持続時間等から一日の投与量として一六〇〇ミリグラムはすでに十分投与されていると考えたのであり、さらにBの治療スケジュールとして、第二病日も第三病日も大量のステロイド剤の投与を考えていたのである。サクシゾンの大量投与は消化管出血や感染症等の重篤な合併症を引き起こすという副作用を伴うものであり、しかも合併症というのは、一度出ると本件のような重症の場合には致死的なものとなることもある。右のように、比屋根医師は今後の治療スケジュールや副作用を考慮してサクシゾン投与を控えたのであり、ステロイド剤の使用方法について何らの過失はない。
(2) ネオフィリンの中毒に至らない程度の投入量の上限は二四時間で注射四本ないし五本程度であるところ、本件においては、担当医がBの状態を考慮して、少々無理をして午前八時〇四分から午後四時三〇分までの間に合計三本のネオフィリンを投与しているのであるから、血中濃度はかなり上昇しているのであって、午後四時三〇分以降、それ以上の投与を差し控えるのは当然である。ネオフィリンの右使用量は、ガイドラインに従った使用方法で、過失があったとはいえない。
(3) 気管支洗浄という治療方法は、ファイバースコープ(気管支鏡)を区域枝あるいは亜区域枝に挿入してその部分に生理的食塩水を入れて洗うという方法であるが、この治療方法は大変な危険性をはらみ、症状によっては冒険的な手法である。本件においては、Bは重度の喘息発作のために自発呼吸を行っていない状態であり、従って装着中の人工呼吸器は全く外せない状態にあった。このような状況で気管支洗浄を行うためには、人工呼吸器を挿管したままでファイバースコープを挿入する他はないが、Bの気管支の内腔はすでに喘息発作のために極度に狭くなっている上に、そこへ既に挿管されているところへ更に気管支ファイバースコープを導入し、生理的食塩水を送り込むとすれば、空気が送り込めなくなるおそれがあり、非常に危険である。
また、一般論としても、この治療方法は呼吸仕事量の増加、気道粘膜の損傷による粘液産性の増加等により悪影響を招いたり有効性に疑問があるとの指摘ないし意見も多数存在する。更に、その有効性を主張する見解の下でも、適応症としては「気胸が発生していないこと」が要件として指摘され、また、気管支洗浄中またはその直後に高炭酸ガス血症、低酸素血症を起こす可能性がある等の指摘があり、これらの点からも本件には適切な治療方法とは到底いえない。更に、本件では、気道内圧も六〇ないし八〇と不安定な状態にあったのであるから、そこへ更に内腔を狭くする右治療法は採用しないのが常識である。また、右治療法は、大学病院クラスの医師が設備・人員双方において十分態勢を整えて行うことが可能であるという高レベルの治療方法であり、そもそも被告病院では個人病院という限界から治療スタッフ及び設備の両面において気管支洗浄を遂行することは不可能であった。
よって、被告病院には、Bに対して、気管支洗浄を実施しなかったことについて過失はない。
(三) レントゲンを撮らなかったことについて
レントゲン撮影をしなくても、挿管位置確認等は聴診で十分足りるので、過失があったとはいえない。
(四) 転院措置について
(1) 転院するためには、装着中の人口(ママ)呼吸器を患者から外し、移動中は医師の手による手動の人工換気(いわゆる用手人工換気)を続けなければならなくなるが、用手人工換気は、機械の代りに用手人工換気のバックを医師が手で押して空気を送り込むという方法であるから、押す回数や強さを妥当なものとして長時間続けることは困難である。また、患者を動かすこと自体危険であり、交通状態なども考えると短時間で転院先に到着できる見込みはなかった。
(2) また、そもそも、被告病院では、Bが入院した時から万全の治療を行っていたのであり、イ病院に転院させてもこれ以上の治療は考えられない。転院を見送った医師の判断は妥当なものであり、被告病院に過失はない。
3 争点③(被告病院の過失と死亡との因果関係)について
Bの死因は喘息重積発作による窒息死である。被告病院は人工呼吸器によるも自発呼吸を再発し得なかったBに対して最善の治療を行ったのであり、被告病院に過失はなく、また、直接窒息死に至るような重積発作を起こしたのはイ病院においてであって、死の結果と被告病院の治療行為との間に因果関係はない。
4 争点④(原告らの被った損害額)について
原告らが被った損害額については争う。
第三 争点に対する判断
一 事実経過
前記争いのない事実等に加えて、証拠(甲一、三、七、九、一七、二三の一ないし七、乙一の一・四・五、二ないし六、七の一ないし六、八の一・二、九の一ないし四、一二、一八、証人ア哲也、証人比屋根学、証人安永芳樹、原告A本人)と弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められる。
1 被告病院に来院するまでのBの症状
(一) Bは、昭和四一年ころアトピー性皮膚炎で皮膚科に通院するようになり、昭和四五年、小学校入学ころから小児喘息を発病し、通院治療を受けていたが、昭和四八年小学校三年生の時に兵庫県西宮市内の小学校へ転校してからも小児喘息は継続していた。
(二) 昭和五一年、小学校六年生の時に東京に戻って来てからは、昭和医大病院において減感作療法(喘息の原因となるアレルゲンのエキスを繰り返して注射し、気道の反応性を低下させる方法)を受けながら通院治療をしていた。Bの喘息は絹、埃、ブタ草などに反応して症状を発するものであり、同年に公害認定を受けたが、昭和五二年の中学入学ころには喘息発作を起こさなくなったために公害認定の取消しを受けた。
(三) しかし、昭和五七年頃に気管支喘息を再発して以来、都立大学附属の本田病院で通院治療を受けていた。平成元年一二月に原告Aと結婚する前後のBの症状は、年に一、二回程度の喘息発作を起こす状態であり、喘息発作のために点滴を受けたのは、平成元年一一月ころと、平成二年の八月ころの二回で、いずれも本田病院で治療を受け、当日に帰宅したものであり、入院したことはなかった。
(四) 平成三年七月ころは、二、三週間に一度通院治療を受け、ネオフィリン、アロテック(交感神経刺激剤)、ベロテック(交感神経刺激剤)、セルテクト(抗アレルギー剤)、ムコソルバン(気道潤滑剤)、プレドニン(ステロイド剤)を毎日服用していたが、発作のとき以外のBの健康状態は普通であり、日常生活や勤務していた劇団文学座製作部の仕事について格別の支障はなかった。
2 被告病院におけるBの症状及び診療経過
(一) Bには、平成三年六月下旬から倦怠感や動悸等の症状があったため、同年七月五日午前一〇時ころ、被告病院内科外来を受診し、ア医師によって血液検査、聴診、レントゲン撮影等が行われたが、喘息等の症状もなく、異常が認められなかったことから、ビタミン剤の処方を受け、従前服用していた喘息の薬をそのまま続けて飲むように指示されて帰宅した。
(二) Bは、翌六日午前二時ころから激しい喘息発作が起こったため、午前八時ころ、自ら車を運転して再び被告病院内科外来のア医師の診察を受けたところ、気管支喘息の中程度の発作と診断され、同医師の指示により、午前八時〇四分にネオフィリン二五〇ミリグラムの注射(なお、血中濃度は測定しなかった)、サクシゾン二〇〇ミリグラム、ソリタT3五〇〇ミリリットルの点滴及び酸素吸入が行われたが、Bの発作が治まらなかったため、Bは被告病院に入院することになった。
(三) 同日午前九時ころ、ア医師からBの引継ぎを受けた青木医師は、前記治療後もBの発作が治まらなかったため、午前九時三〇分にサクシゾン三〇〇ミリグラムの追加点滴とネブライザーの吸入を行うとともに、午前九時四〇分には、ボスミン〇・二ミリリットルの点滴が行われたが、Bは、多量の発汗を伴い、呼吸苦及び喘鳴が激しい状態であった。
午前九時五〇分に第一回目の血液ガス分析を行ったところ、酸素分圧が五六・九ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧が六三・五ミリメートル水銀柱、ペーハーが七・一二〇であった。その後も呼吸苦が継続したため、青木医師は同時刻に生食一〇〇ミリリットルの追加点滴及びネオフィリン二五〇ミリグラムの注射を行い、午前一〇時ころには、ポータブルでレントゲン撮影が行われた。さらに、午前一〇時三〇分には、青木医師の指示により看護婦がソリタT3五〇〇ミリリットル及びネオフィリン二五〇ミリグラムの点滴(六時間で点滴する指示)を行ったところ、午前一〇時四五分ころには、冷汗はあったものの、呼吸苦は少し落ち着いた状態となった。
しかし、午後一一時には、再び呼吸苦が激しくなってきたため、青木医師の指示により、看護婦がサクシゾン五〇〇ミリグラムの追加点滴を行い、午前一一時二〇分には、青木医師によりボスミン〇・二ミリリットルの点滴が、看護婦によりパンスポ・テスト(抗生物質に対するアレルギーテスト)が行われ、さらに、午後零時には、看護婦によりソリタT3五〇〇ミリリットル、生食一〇〇ミリリットル及びパンスポリン(抗生物質)一グラムの追加点滴が行われた。
午後零時一五分に第二回目の血液ガス分析を実施したところ、酸素分圧が六三・二ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧が四五・六ミリメートル水銀柱、ペーハーが七・二九一であり、Bの呼吸機能が回復しているようにも見えたが、依然として呼吸苦が激しかったため、青木医師によりボスミン〇・二ミリリットルの点滴が行われた。
(四) 午後一時四五分、Bの母親が持ち込んでいた気管支拡張剤を噴霧するいわゆる吸入器の使用を巡り、使用を欲するBと使用を禁止する母親との間で激しい口論になり、看護婦が両者を制止するまで口論が続いた結果、Bは激しい興奮状態になり、午後二時過ぎには、意識障害を起こし、顔面蒼白となり、爪甲チアノーゼ等の症状も現れ、呼吸が一時停止した。青木医師は、午後二時一〇分には、挿管七・五号で人工呼吸器を装着し、側管で自発呼吸を止めるための麻酔薬であるセルシン五ミリグラムの点滴を行い、更に、午後二時一五分には、青木医師の指示で看護婦が、ミオブロック一ミリリットル及び生食一〇〇ミリリットルの点滴を行い、チアノーゼ軽度、口唇色改善となったが、同時刻に測定した血圧が五二/三三と異常な低血圧であったために、イノバン一筒を注射した。更に午後二時三〇分には、看護婦が側管で生食五ミリリットル、サクシゾン五〇〇ミリグラムの点滴を行ったが、血圧が一六九/一〇三と異常に上昇してきたためにイノバンの投与を中止して、メイロン二〇〇ミリリットルの点滴を行い、ハートレート(心拍数モニター)を装着した。
午後三時にカテーテルを挿入して、血圧を測定したところ、一三四/九四であった。午後三時一五分には、看護婦が、呼吸をコントロールするためにミオブロック一本を点滴し、さらに、生食一〇ミリリットルとミオブロック一本の点滴を行ったところ、意識の回復があり、上肢運動も認められたが、血圧は一四八/九八、心拍数が一五〇台であった。更に、生食一〇〇ミリリットルとミオブロック一〇本(一五滴)の点滴、更に、生食一〇〇ミリリットルとセルシン一〇〇ミリグラム(一五滴)を行ったところ、自発呼吸が認められた。午後三時三〇分に第三回目の血液ガス分析を実施したところ、酸素分圧は、三九九・六ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧は八五・九ミリメートル水銀柱、ペーハーは七・二二七であった。
(五) 午後四時ころから、Bは血圧の上昇、多量の発汗を伴い、意識不明の状態になり午後四時一〇分の血圧は一五〇/一〇二、心拍数が一六〇台であった。自発呼吸が再開しないため、午後四時二〇分には、看護婦により投与分を減らしてセルシン一〇ミリリットル及びミオブロック一〇ミリリットルの点滴と、サクシゾン一〇〇ミリグラムの追加点滴が行われた。同時刻の血圧は、一五〇/一〇二、心拍数は一六〇台であった。午後五時二〇分に、青木医師により第四回目の血液ガス分析を実施したところ、酸素分圧は一四三・五ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧は九三・〇ミリメートル水銀柱、ペーハーは七・一七三であった。午後六時の血圧は一六〇/一一三、心拍数は一七〇台であったため、看護婦により、メイロン二〇〇ミリリットル(二〇滴)の点滴が行われた。
(六) その後、青木医師から夜勤であった比屋根医師に引き継がれ、午後六時一五分には、比屋根医師の指示により、看護婦がネブライザーの吸入と生食三ミリリットル及びボスミン〇・二ミリリットルの点滴が行われた。しかし、午後八時頃のBの状態は血圧一七二/一一三と異常に高く、心拍数一六五であり、痛覚、腱毛反射がなく、四肢冷汗で爪甲色不良のチアノーゼを呈し、ショック状態であり、午後八時二〇分の比屋根医師の診断により頸部と胸部に皮下気腫が発見された。午後八時四五分には血圧が一八六/一二七と異常に高く、心拍数が一七〇台であったため、看護婦によりアダラート一〇ミリグラムが舌下され、九時三〇分には再度ネブライザー吸入が実施された。同時刻の血圧は一六一/一一〇、心拍数は一六七であった。午後一〇時三〇分に比屋根医師により第五回目の血液ガス分析を実施したところ、酸素分圧が六八・八ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧が二三〇・〇ミリメートル水銀柱、ペーハーが六・九八七であった。血圧は一八四/一一四であり、心拍数は一四八であった。午後一一時には、ソリタT3から切り換えてゴブロ五〇〇ミリリットルの点滴及びネオフィリン二五〇ミリグラムの注射が行われたが、第五回目の血液ガス分析の結果、血液中の二酸化炭素の濃度も肺が機能していない状態を示すほど異常に上昇していたため、比屋根医師は被告病院でのこれ以上の治療は不可能であると判断し、午後一一時三〇分、Bを救急車でイ病院に搬送入院する措置がとられ、翌七日午前零時ころ、同病院に緊急入院した。
なお、被告病院では、六日午前一〇時ころ、ポータブルでレントゲン撮影を行った以後、Bに対してレントゲン撮影は行われなかった。
3 イ病院へ転院した後のBの症状及び診療経過
(一) イ病院に転送され、同病院の安永芳樹医師(以下「安永医師」という。)が診察したところ、Bの身体状況は、意識レベルが三の三〇三(いわゆる意識不明状態)、血圧が六〇、脈拍が一〇二、頸、胸、腹部にかけて皮下気腫が認められ、自発呼吸はなく、胸部呼吸音減弱、腹部膨満、四肢、口唇チアノーゼが認められ、瀕死に近い状態であった。さらに、同医師が胸部レントゲン写真を撮ったところ、左胸部の緊張性気胸が認められた。安永医師は、午後一一時四〇分に、カコージン(昇圧剤)及びメイロン(アルカリ剤)二五〇ミリリットルを投与し、心臓マッサージを開始し、ボスミンの心臓への注射を試みたが、胸部から腹部にかけて緊張性気胸があり、心臓が偏位していたために挿入することができず、更に人工呼吸器であるアンビュバックを加圧しても酸素が肺内に入っていかなかった。気管内挿管されていたチューブを入れ替えた後、腹部膨満による呼吸の圧迫も考えられたため、マーゲンチューブ挿入による脱気を試みたが、不可能であった。午後一一時四八分には、ノルアドレナリン(昇圧剤)一アンプルを静脈注射し、状態を見ながら人工呼吸器を使用し、更にボスミンを気管内に二アンプル注入するとともに、ボスミン一アンプルを静脈注射した。更に、ミオブロック一アンプルを静脈注射したが、以上のような措置にもかかわらず心拍の再開が認められなかったために、腹部と胸部のレントゲン撮影を行い、胸腔内の脱気をするために、胸部ドレナージを行った。
(二) その間、心臓マッサージは続けられていたが、胸部ドレナージ、昇圧剤の投与などの処置によるもBの状態に全く改善が認められず、腹部の膨満による呼吸抑制を助長させる可能性もあったことから、翌七日午前零時を回ってから、外科の遠藤医師により開腹してドレナージが施行され脱気が図られた上、更に、午前零時四〇分に、ボスミン一アンプルの静脈注射等の措置がとられたが、Bは既に脳死状態となり、午前一時一七分に死亡した。
二 争点①(被告病院における気胸発生の有無と気胸の死因に対する影響)について
1 被告病院における気胸発生の有無について
(一) 右の事実によれば、Bがイ病院に転院し、直ちに実施された胸部レントゲン撮影によって、気胸が発見されており、しかもこれは緊張性気胸であったことが認められるが(甲九)、一般に、緊張性気胸の臨床症状としては、チアノーゼ、冷や汗、ショック症状が挙げられているのであって(乙一一の三)、これに照らして、前記認定事実を見れば、午後一時四五分ころ呼吸苦を訴えるBは自前の呼吸器の使用を要求して母親と口論をし、激しい興奮状態となって、意識障害、顔面蒼白、爪甲チアノーゼを呈し、呼吸も一時停止しているのである。右の症状は、午後二時一〇分ころからの人工呼吸器の装着によりやや改善されたが、午後三時一五分ころには、呼吸抑制のためのミオブロック一本が点滴されていながらBの意識が覚醒し上肢運動と自発呼吸があったことからすれば、鑑定人飯倉洋治の鑑定が指摘するように機械的呼吸管理が上手くいかず、Bが苦しがり、暴れていたことを示すものと推定するのが相当である。右鑑定人の鑑定の結果(以下「本件艦定の結果」という。)によれば、このような状態においては気胸が起こりやすくなっているものであることが認められる上、更に乙九号証の三(看護記録)には午後六時に「血性吸入」が認められており、気管内の出血があったことを示している。また、この時の脈拍が一七〇台であったことと併せてみれば、人工呼吸器の装着にもかかわらず、Bの呼吸状態が極めて悪かったことが推認される。前記認定事実と乙九号証の三によれば、午後八時には、痛覚(-)、反射(-)、四肢冷汗、爪色不良などのチアノーゼが発生し、ショック症状の発現があったと認められるものであり、これらの症状を前述の後刻確認された緊張性気胸の症状と認めることは、むしろ自然な認定であると考えられる。
(二) このようにして、その端緒が人工呼吸器装着前の興奮状態によるものか、その後の呼吸管理の不備によるものかは明確に判定できないが、入院中のBについて七月六日午後八時の時点より前に気胸が発生し、それは緊張性気胸に発展していったと認めるのが相当である。
2 気胸の死因に対する影響について
(一) 前記認定のとおり、Bの直接死因は気管支喘息重積発作であるが、右認定の緊張性気胸がBの死因に対して無関係であったと考えることはむしろ不自然である。すなわち、飯倉証人によると喘息発作重積状態は、喘息の発作が強く、気道の閉塞状態が持続している病態であって、このような閉塞状態の下では、合併症として十分に起こり得る気胸が発生した場合は、むしろ患者の死の転機となると捉えるのが一般的な見方であると認められる。
(二) これらの見方に立って考えれば、少なくとも午後八時前にはBに生じていた気胸が、同人の喘息発作による換気障害に追い打ちをかける形となって死亡の結果をもたらしたと認定するのが相当である。
三 争点②(被告病院のBに対する診療行為上の過失の有無)について
1 病態把握について
(一) 一般に、臨床医において、患者にどのような治療を施すかは、その患者の病態の診断如何にかかわる問題であるが、疾病によって基準化された治療方法がある程度確立しているという状況があり得るとしても、個々の患者の病態は、その発症の時期、病状の進行の遅速、体力等の強弱、合併症の有無などによって必ずしも一律なものではないと考えられ、臨床医の治療方法も、個別患者の具体的病態に即して採否が決定されなければ、治療の実を上げることはできないものと考えられる。特に、喘息患者については、ア証人、飯倉証人及び佐藤証人によれば、その症状に可逆性が見られ、治療には一定の困難性があり、これによる死亡はその八割が発作時のものであることが認められるのであり、この疾病特有の病態観察の必要性が認められるのである。従って、喘息重積発作の症状を呈している患者に対する臨床医の診断上の注意義務も、このような喘息特有の症状を前提として措定されなければならないものと考えられる。
(二) 右の観点で、当初中程度の喘息発作を発症していたBに対する病態把握のあり方を検討するに、一般に喘息重積発作による死亡は、気道閉塞による呼吸不全により、肺における換気不全が生じ、血液中の二酸化炭素濃度が上昇し、いわゆるナルコーシスとなって心停止をもたらすという機序によるものと認められるから、重積発作状態にある患者の病態把握には、一般的な症状の検査の他、血液ガス分析が不可欠であるということができる。また、人工呼吸器装着の際の挿管にはレントゲン撮影を行うことが一般的手法であると推認されるが、これは気胸などの合併症の発見に極めて有効であることから、必要に応じて、この撮影も病態把握に必要な措置であるということができる。
(三) 血液ガス分析について
(1) 被告病院の診療経過は前記認定のとおりであるが、平成三年七月六日午前八時〇四分にBを診察したア医師は、中程度の喘息発作症状と診断し、ネオフィリン二五〇ミリグラムの注射、サクシゾン二〇〇ミリグラム、ソリタT3五〇〇ミリリットルの点滴及び酸素吸入を行った上、午前九時五〇分には青木医師において、血液ガス分析を行ったことが認められる。そして、前記認定のとおり、その後四回の血液ガス分析を行ったことが認められ、その実施時刻と結果は別紙「血液ガス分析表」記載のとおりである。しかしながら、その第一回目の分析検査の結果は、炭酸ガス分圧が六三・五ミリメートル水銀柱を示していたというのであり、一般にこの炭酸ガスの正常値が三五ないし四五ミリメートル水銀柱の範囲であることを考えると、既にこの段階で気道閉塞による換気不全が生じていたと認められるのである。従って、青木医師は直ちにネオフィリン二五〇ミリグラムを投与し、その三〇分後にはサクシゾン五〇〇ミリグラムの点滴を開始しているが、これはBの発作の重篤さを認識した結果と理解することができる。
(2) ところで、被告は、午後零時一五分に実施した第二回目の血液ガス分析の結果では、血液中の二酸化炭素濃度が四五・六ミリメートル水銀柱と下がり、酸素濃度が上昇したことから、Bの病態が改善傾向にあったと主張しているが、右の二酸化炭素濃度はいまだ正常値にあるとは言えない上、看護日誌(乙九の一)の記載によれば、午後零時一五分には「R苦(++)の訴あり、閉塞感訴う」「R苦(+++)」とあるのであり、更に午後一時四五分には吸入器の使用を巡りBと母親が喧嘩をしていることに鑑みれば、Bの呼吸困難は極めて強い状態であって、呼吸困難は改善されていなかったと認めるのが相当である。前記認定のとおり、一般に、喘息発作は可逆性があり、一時的に良くなったかのように見えても、また悪化する例が少なくないという特質を有するものであるから、このような特質は、頻回の患者観察など一般的病態把握の必要性を示すものと解することができる。従って、母親との口論によって呼吸停止に陥り、午後二時一〇分には人工呼吸器の挿管にまで至ったのであるから、この時点で血液ガスの変化の有無を確認することが必要であったと考えられる。すなわち、この時点での換気障害の程度を正確に把握することは、次の治療処置の緊急性の判断に影響を与えたと考える余地があるからである。
もっとも、青木医師は、挿管直後の午後二時三〇分にはサクシゾン五〇〇ミリグラムを点滴しているのであるが、この処置が十分であるか否かは、本来は容態急変に伴う血液検査の結果に基づいて判断するのが相当であったというべきである。また、午後三時三〇分に実施した血液ガス分析では、炭酸ガス分圧は、八五・九ミリメートル水銀柱と状態は悪化しており、この状態が自発呼吸の蘇生がないまま推移すれば死亡という結果を予見しなければならない事態に陥ったものと考えられる。従って、被告病院において午後四時二〇分にサクシゾン一〇〇ミリグラムを追加点滴したのみで特別の措置をとっていないことについてはその相当性に一応疑問が残るというべきである。また、このことは、午後五時二〇分に四回目の血液ガス検査を行って更に状態が悪化しているという結果を得た後の処置についても同様である。すなわち、青木医師は午後六時ころ当直の比屋根医師に引き継ぎ、比屋根医師は、午後八時二〇分に血液ガス分析を行った他、午後六時一五分ころにボスミン入りのネブライザーを、午後九時三〇分ころにネブライザーを実施したのみで、サクシゾンについてはすでに合計一六〇〇ミリグラムが投与されていることにより、この投与を行わなかったことが認められるのである。
(3) これに対し、被告は、午後零時一五分の血液ガス分析の結果、改善傾向にあったBの症状が急変したのは、午後一時四五分ころに、吸入器の使用をめぐり、Bと母親が口論したことが原因であると主張しているが、甲一七号証及び原告A本人によれば、Bが吸入器の使用をめぐって、母親と口論になった原因は、被告病院の治療にもかかわらず、呼吸困難が改善されないために、やむをえず自ら吸入器の使用を欲したものであると認められるのであり、従って、むしろ臨床医としては、右のようなBの苦痛に満ちた言動の中から、本人の病態把握の資料を見出だすべきであったと考えられる。
(4) 更に、午後六時にメイロン二〇〇ミリリットルが点滴されているが、メイロンの大量投与後の重症喘息発作患者は症状が刻々と変化するのが特徴であるから、血液ガス分析を行い、患者の状態を把握することが好ましい。しかし、被告病院では、右のメイロン投与後は、午後一〇時三〇分まで実施されていないのであり、この点で病態把握の不備があると認められる。
(5) これに対して、被告は、七月六日だけで一日五回の血液ガス分析が行われており、一日五回という回数は大学病院でも行わないほど頻繁な検査回数であり、血液ガス分析に関して何ら不十分な点はないと主張する。
しかし、血液ガス分析は、ただ回数のみを重ねて検査すればよいというものではなく、患者の病態を的確に把握するために、必要に応じ適時に測定すべきものと解される。Bの病態は刻々と変化していったのであり、右病態に応じて被告病院では気管内挿管や、投薬等の処置がとられたのであるから、右各措置が有効適切であったかを把握し、以後の治療方法を検討する上でも、挿管前後やメイロンの投与後にも血液ガス分析を行うべきであったのに、右の各処置をとらなかった点において、不備があるということができる。
(四) レントゲン撮影について
(1) 一般に、喘息重積発作を引き起こした患者に人工呼吸器を挿管した後は、血液ガス分析、気道内圧、心電図、右心カテーテル、胸部レントゲン写真をモニターし、適正な呼吸管理及び循環動態の維持を図るとともに、合併性の早期発見に留意する必要があると考えられる。
前記認定事実によれば、被告病院は六日午前一〇時ころポータブルでレントゲン撮影を行った他は、その後レントゲン撮影を行っていないことが認められる。飯倉証人によれば、挿管の位置確認、肺野の状態把握のためにレントゲン撮影を実施することは一般的な手法であり、気管内挿管後、症状の改善が見られないときは、合併症として予見される気胸の発生を早期に発見するためにも、レントゲン撮影は必要と考えられていることが認められる。前記認定のとおり、Bには午後八時以前に気胸が発生していたと認められるから、Bの病態の推移は、気胸の発生を予見することが可能なものであったと考えられる。そうだとすると、被告病院においては、単に挿管等の確認のためだけではなく、合併症の発見のためにもレントゲン撮影を実施すべきであったということができ、レントゲンを撮影しなかったために、前述のとおり死亡に影響を与えたと認められる気胸の発見が遅れることとなったことについては被告病院に過失があるというべきである。
(2) これに対して、佐藤証人は、挿管直後にレントゲン写真撮影は行われた方がよりよいが、熟練した医師であれば挿管が適切にされたかどうかは呼吸音を聴診すれば十分判断できると供述するが(乙二〇)、呼吸音を聴診するだけでは、レントゲン撮影を行った場合のように、正確に患者の状態を把握することは必ずしもできないといえる上、合併症発見の必要がある場合には、佐藤証人の供述にもかかわらず、レントゲン使用の注意義務があると解すべきであるから、右証人の供述はこの場合には当を得ないというべきである。本件において、気管内挿管後にレントゲン撮影を行っておれば、気胸や皮下気腫を発見することが可能であったと思われるのであって、右レントゲン撮影を怠った点においては被告病院に病態把握の不備があったといわざるを得ない。
(五) 被告病院の過失
以上のとおり、被告病院においては、適時に血液ガス分析を行っていたとはいえず、また、気胸発見に有効であったと考えられるレントゲン撮影を実施しなかったことはBの病態把握の不備であるということができる。前述のとおり、臨床医には、患者の症状及びその変化を的確に把握して、それに応じた適切な治療を行うべき注意義務があると解される。本件においては、Bの症状は入院直後から刻々と悪化しているにもかかわらず、右に述べたとおり、被告病院は適切な時期における血液ガス分析、レントゲン撮影を実施することを怠り、Bが刻々と悪化していく状態の的確な把握とそれに対する検討を怠った点において過失があると認められる。
このような過失によって、被告病院の治療も一般的、定型的なものに止まり、必ずしもBの具体的症状に即した有効な治療とはなっていなかったと推認される。すなわち、前記認定のとおり、七月六日午後三時三〇分に血液ガス分析を実施した時点での酸素分圧が三九九・六ミリメートル水銀柱、炭酸ガス分圧が八五・九ミリメートル水銀柱であったが、気管内挿管後も依然として炭酸ガス分圧が高い状態であることからすれば、患者の状態は非常に悪く、酸素投与以外の面での対応が問題となるにもかかわらず、被告病院はその時点で何ら適切な措置をとらなかったために、午後四時には、Bは意識不明の状態になっていると認められる。
また、午後五時二〇分の時点ではペーハー七・一七三とさらにアチドージスが強くなり、炭酸ガス分圧値が九三・〇ミリメートル水銀柱と極めて高く、それまでの治療に反応せず、悪化していることから、挿管後に何らかの対応が検討されるべきであったにもかかわらず、被告病院は、挿管後はサクシゾン、ミオブロック、セルシンの投与が中心で、午後六時にはメイロンを使用しているのみであり、なぜBの症状が改善しないのか、どうすれば気道閉塞を改善できるかに関する検討がなされていないことが認められるのである。
2 臨機応変の措置について
続いて、被告病院の各処置に関する過失について判断する。
(一) ネブライザーの使用について
(1) 気管支喘息重積状態時における病態変化の中心は気管支の閉塞であり、気管支拡張剤を直接気道にネブライザーにて投与することは有効であり、気道に水分を与えることもできる上、呼吸の調整にも役立ち、発作の治療には欠かせない治療法と考えられている(甲一四)。このような効用に鑑みれば、ネブライザー法は、気管支の閉塞が進行し、脱水症状や循環器障害が生じる前に使用することが効果的であるといえるから、早期の使用が必要であるということができる。
前記認定によれば、Bに対するネブライザーの使用は、六日に入院した直後である午前九時三〇分という比較的早くに用いられているが、その後の使用は、午後二時一〇分に気管内挿管するまで一回しかない。ところが、看護日誌(乙九の一)によれば、午前一〇時三〇分に「R苦持続」とあり、午前一〇時四五分には「呼吸苦少し落ちつく」とあるものの、午前一一時には「R苦(+)」とあり、午後零時一五分には「R苦(++)の訴あり、閉塞感訴う」「R苦(+++)」とあり、さらに午後一時四五分には吸入器の使用を巡りBと母親が口論をしていることが認められるのである。
本件鑑定の結果によれば、Bの呼吸困難は極めて強い状態であり、ネブライザーの治療効果から見て、より早い時期に酸素で気管支拡張剤の入ったネブライザー吸入を行えばBの呼吸困難は軽減された可能性があったものと認められる。このような観点に立てば、気管内挿管するまで一回しかこれを使用していないことは、呼吸困難を訴えている患者に対する対応としては不十分であるということができ、被告病院のネブライザーの使用方法については、この点を他の関係から切り離して独立の過失があるとは必ずしもいえないが、適切な処置であったということについては疑問が残るというべきである。
(2) これに対して、乙二〇号証及び佐藤証人によると、ネブライザーによる気管支拡張剤の投与はガイドライン上二〇ないし三〇分おきに反復してよいことになっているが、発作が強くなると患者が苦しがってうまく吸入できないことが多く、まして本件のような高度の発作の場合にはネブライザーで呼吸困難が改善するとは考え難いという。
しかしながら、乙二一号証のガイドラインによれば、携帯用のMDIを用いての吸入は、最初の一時間は二〇分ごと、以後一時間ごとを目途に改善するまで吸入し、吸入液のネブライザーによる吸入は呼吸困難のためMDIでうまく吸入できない患者に効果的であると記載されていることが認められ、佐藤証人が反論するように、発作が強くなると患者が苦しがってうまく吸入できないことが多いことから、本件のような高度の発作の場合にネブライザーで呼吸が改善するとは考え難いとまでは必ずしもいえず、なお、呼吸困難が認められる場合の早期使用には、呼吸改善の効果が期待できるというべきであり、佐藤証人の右見解は採用することができない。
(二) ステロイド剤の使用量について
(1) ステロイド剤は、気道の炎症をとり、気管支拡張剤であるβ刺激剤の効果を促進する点において気管支喘息に対して顕著な効果を有する薬であるが、ステロイド剤は、気管支喘息の中発作においては、交感刺激剤及びテオフィリン剤の投与によっても症状が改善されない場合に投与され、呼吸困難が強度で日常生活不能の大発作の際には、酸素吸入、大量の補液、テオフィリン剤およびステロイド剤の投与をなすべきものとされている(甲三、六)。
本件では、サクシゾンが六日午前八時〇四分に二〇〇ミリグラム、午前九時三〇分に三〇〇ミリグラム、午前一一時に五〇〇ミリグラム、午後二時三〇分に五〇〇ミリグラム、午後四時二〇分に一〇〇ミリグラムの合計一六〇〇ミリグラムが投与されており、本件鑑定の結果によれば、Bに対して使用された量と時間は挿管前においては概ね問題がないと認められる。
(2) しかしながら、前記認定のとおり、挿管後においても、機械呼吸にもかかわらず、血液ガスの改善はなく、悪化の一歩をたどり、午後五時二〇分以降は、極めて重篤な状態に陥ったといわざるを得ない。このような病態に直面した臨床医としては、死亡という最悪の結果を回避すべく、有効と考える余地がある限り可能な範囲で多様な治療方法を検討するのが相当である。ところで、甲一一号証によれば、ステロイド剤は、人工呼吸管理適応と判断したその時から、直ちに血管を確保し大量投与を行う必要があり、一日投与量として二ないし四グラム、時には六グラムを必要とする場合があるという文献が認められ、飯倉証人も、緊急時にはこのような大量投与を肯定する証言をしている。これらの事実によれば、合計一六〇〇ミリグラムのサクシゾン投与がBに対する治療として十分であったといえるかについてはなお疑問が残るといわざるを得ない。特に、その内の五〇〇ミリグラムは午前九時三〇分までに投与され、次の五〇〇ミリグラムは午前一一時に投与されているから、薬効持続時間が経過しているとも考えられ、挿管後においてはサクシゾン投与の検討の余地が残っていたと考えられる。従って、この点を他の関係から切り離して独立の過失があるとは必ずしもいえないが、Bの当時の症状に即応した適切な処置であったということについては疑問が残るというべきである。
(三) ネオフィリンについて
本件鑑定の結果及び飯倉証人によれば、ネオフィリンを発作が強い患者に投与する際には、初回は短時間にある量を早めに血管内投与するが、有効域が狭く、容易に中毒量に達することから、その後は血中濃度を測定して十分検討しながら次を投与することが必要となる薬品であることが認められる。
原告らは、この点で、Bの意識障害はネオフィリン中毒であった可能性もあるとして、被告病院における治療初期のネオフィリンの大量投与を問題にするが、前記認定のとおり、Bの死因は喘息重積発作による換気不全に起因する窒息死であると認めるのが相当であり、ネオフィリン中毒がこれに関与したことを認めるに足りる証拠はない(飯倉証人は、その可能性を指摘するが、Bの意識障害が二酸化炭素ナルコーシスであることはこれを肯定していると認められる。)。従って、被告病院のネオフィリン投与上の過失は、Bの死亡との間で、因果関係を有しない事柄であるというべきであり、原告らのこの点の主張は失当である。
(四) 気管支洗浄及び全身麻酔について
(1) 甲八号証、甲一二号証、甲一六号証と飯倉証人、佐藤証人によれば、気管支洗浄は、気管支内粘液栓子の排除の目的で行われるが、気管支洗浄の有効性については争いがあり、有効な治療であるとの報告がある一方で、発作の増悪、遷延化を招いた症例もあり、平成三年の時点では必ずしも一般的な治療法であるとはいえないこと、そして、気管支洗浄を行うことには、一定の危険を伴うことから、複数の専門医により行う必要があると一般臨床医には考えられていることが認められる。そうすると、ア証人と佐藤証人により、被告病院で気管支洗浄の措置をとることは人的物的にも不可能であったことが認められる上、気管内挿管後の気道のレントゲン写真を撮影していない状況の下では、気管支洗浄治療にふみ切るのは一定の危険があったと認められるのであって、これらの事情に照らすと、被告病院が気管支洗浄の措置をとらなかったことについて過失を認めることはできない。
(2) また、全身麻酔の方法は、飯倉証人によれば、平成三年当時においても喘息の重症患者に対する呼吸管理の方法としては採用可能な方法であったと認められるが、佐藤証人によれば、全身麻酔は必ずしも確立した治療法ではなく、かえって全身麻酔中でも喘息発作を起こすことがあり、全身麻酔をかければ喘息が治療できるというものではないことが認められる。
従って、被告病院において、この手法を採らなかったことをもって過失ということはできない。
(3) しかしながら、前記認定のとおり、午後五時二〇分ころのBは、このまま放置すればほぼ死にいたることが予見できる状態にあったものと認められるから、可能な限りの救命措置を採るべきであるとすれば、被告病院においては、右の時点ころに気管支洗浄、又は全身麻酔治療によって効果を上げ得る病院に転院させるべきであったとも考えられる。もっとも、ア証人、比屋根証人によれば、人工呼吸器装着中の患者の搬送には一定の困難があり、その困難によりかえって病態悪化を招くおそれもあったことが認められるから、他の関係と切り離してこの点だけで転院させなかったことが被告病院の過失であるとは必ずしもいい切れないが、右の時点で転院を考慮しなかった被告病院の治療方針はBの当時の症状に適したものではなかったといわざるを得ない。
(五) 以上のとおり、それぞれ独立した過失であるというべきかは別に置くとして、被告病院のネブライザー処置、サクシゾンの挿管後の使用がなかったこと、午後五時二〇分以降の転院措置をとらなかったことはいずれも具体的なBの症状に照らして不適切な治療処置であったと認められるところ、これらの処置又は不処置は、結局、前記認定のBの病態把握に関する過失に起因するものと認めることができる。
従って、右のような被告病院の不適切な処置又は不処置は、前述の被告病院の病態把握に対する過失の延長上に存する行為であり、全体として被告病院の過失を構成するものと解するのが相当である。
3 被告病院の過失
以上のとおりであり、被告病院にはBの病態把握を十分に行わなかった過失があり、その結果前述のとおりの複数の不適切な処置又は不処置を行うに至ったものと認められる。すなわち、被告病院には、Bの症状及びその変化を的確に把握し、それに応じた治療を行うべき注意義務があるにもかかわらず、Bの入院後、適切な病態把握を怠り、右過失の結果として、症状が悪化してゆくBに対して臨機応変な処置をとることができなかったものと認められる。
四 争点③(被告病院の過失と死亡との因果関係)について
進んで、右過失と死亡との因果関係を検討する。
前述のとおり、Bの死亡の直接原因は、気管支喘息重積発作であり、その原因は気管支喘息であるが、死亡時には緊張性気胸を併発しており、それが気管支喘息発作による換気障害に拍車をかける形で死亡の結果を生じたと認定することができる。前記認定のとおり、Bは被告病院に入院するまでは、必ずしも重篤な症状であったとはいえなかったにもかかわらず、被告病院に入院して、前記認定のとおりの内容の診断と治療を受け、入院後わずか一日も経たないうちに死亡したものであってその間に、前記認定のとおりの被告病院の過失が介在したものと言うことができるから、右被告病院の過失とBの死亡との因果関係は、これを肯定せざるを得ない。
五 争点④(原告らの被った損害額)について
1 Bの逸失利益
甲二号証、原告A本人尋問の結果によると、Bは昭和三八年一〇月二日生まれの男子であり、年に一、二回の喘息発作はあるものの、発作時以外の健康状態は普通であり、劇団員としての仕事に対して格別支障なく稼働していたこと、Bは平成三年当時一家の主柱として妻である原告A及び子である原告Cを扶養していたことが認められ、右各事実に照らせば、Bの就労可能年数は死亡時から四〇年とし、生活費控除率を三〇パーセントとするのが相当である。原告は、Bの平成三年当時の平均年収が四八〇万一三〇〇円であると主張するが、右事実に関する証明がないため、年収額を平成三年の賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・男子労働者・学歴計の該当年齢額四〇七万一一〇〇円を基礎に計算した額の収入を得られたと推認することができる。
これらを基礎に中間利息をライプニッツ式で控除する方法によりBの死亡による逸失利益の現価を求めると四八八九万九二〇三円となる。
(計算式)四〇七万一一〇〇×〇・七×一七・一五九=四八八九万九二〇三円
そして、Bの相続人たる原告らはこれの二分の一につき権利を有する。
2 原告らの損害
(一) 治療費 一万三三八〇円
前記争いのない事実及び弁論の全趣旨によれば、Bは平成三年七月六日午後一一時三〇分ころにイ病院に転院し、七日午前一時一七分に死亡するまでの間に同病院で治療を受け、右治療費として一万三三八〇円を要したこと、原告Aは右治療費を右病院に支払ったことを認めることができる。
(二) 葬儀費用 一二〇万円
甲一八号証ないし二二号証、原告A本人尋問の結果によれば、原告Aは喪主としてBの葬儀を行い、相当額の葬儀関係費用を支出したことを認めることができ、被告の不法行為と相当因果関係にある損害として被告に賠償を求めうる葬儀費用としては、一二〇万円とするのが相当である。
(三) 慰謝料 二〇〇〇万円
甲一七号証、原告A本人尋問の結果によれば、原告らがBの死亡により多大の精神的苦痛を受けたことは容易に認められるところであり、これを慰謝する金額としては、本件の諸般の事情を考慮して、原告らそれぞれについて各一〇〇〇万円と認めるのが相当である。
(四) 合計
以上を合計すると、原告Aの損害額は三五六六万二九八一円、原告Cの損害額は三四四四万九六〇一円となる。
3 過失相殺法理の類推による減額
Bは被告病院の診療上の過失がなければ救命されていたであろうことは既に認定したとおりである。しかし他方、喘息は、軽症あるいは中等症の喘息患者でも突然大発作を起こし死亡することもある危険な病気であり(甲六、一二、一四、二四、二六、乙一五)、Bのように、急激な症状悪化の経過に鑑みれば、被告病院による適切な病態把握及び臨機応変な治療措置がとられたとしても、死亡に至る可能性もまた少なからずあったことが認められる。そうであれば、被告病院の処置と、Bの死亡との因果関係を否定することはできないものの、前記認定したBの症状の重篤さとその急激な症状経過及びもともと同人が幼い頃から患っていた喘息特有の病質に鑑みると、Bの死亡による損害を全額被告の負担とするのは相当ではなく、ここに過失相殺の法理を類推するのが当事者間の公平の要請に適うものというべきである。そして、その減額の割合は、前記認定の各事実及び医療過誤に係る諸般の事情を勘案すると、全損害の四割と考えるのが相当である。
従って、右減額後の原告らの損害賠償請求債権の額は、それぞれ、以下のとおりとなる。
原告A 二一三九万七七八八円
原告C 二〇六六万九七六〇円
4 弁護士費用 四〇〇万円
原告らが弁護士に依頼して本訴遂行に当たったことは記録上明らかであるところ、以上認定の損害額に本件訴訟の審理経過、難易度などを考慮すると、弁護士費用として被告に損害賠償を求めうる額は原告らそれぞれにつき各二〇〇万円が相当である。
六 結論
以上によれば、被告は、原告Aに対し金二三三九万七七八八円、原告Cに対し二二六六万九七六〇円及び右各金員に対する不法行為の日の後である平成四年一〇月二七日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金をそれぞれ支払う義務があり、原告A及び同Cの本訴請求は右の範囲で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条本文、六五条一項を、仮執行の宣言につき同法二五九条一項を各適用して、主文のとおり判決する。
※医療過誤(医療ミス)が認定された例なので弁護士に相談してよかった案件です。