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出産時、医師が帝王切開に切り替え出産させる注意義務を怠り低酸素状態が続き麻痺等の障害が残った事件

横浜地方裁判所判決 平成15年(ワ)第3041号 判決日 平成18年7月6日

出産時の医療事故。 医師が帝王切開に切り替え出産させる注意義務があったが低酸素状態が続き麻痺等の障害が残った事件

       主   文

  一 被告は、原告甲野春子に対し、一億〇二三〇万六三七四円及びこれに対する平成九年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。   二 被告は、原告甲野太郎に対し、二二〇万円及びこれに対する平成九年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。   三 被告は、原告甲野花子に対し、二二〇万円及びこれに対する平成九年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。   四 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。   五 訴訟費用はこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

       事実及び理由

第一 原告らの請求  一 被告は、原告甲野春子に対し、二億〇八七〇万七三二七円及びこれに対する平成九年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。  二 被告は、原告甲野太郎及び原告甲野花子に対し、それぞれ、五五〇万円及びこれに対する平成九年一〇月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。 第二 事案の概要  本件は、原告甲野花子(以下「原告花子」という。)が、平成九年一〇月二四日、原告甲野太郎(以下「原告太郎」という。)との間の子である原告甲野春子(以下「原告春子」という。)を出産するために、被告が設置した横浜市立市民病院(以下「被告病院」という。)に入院した際、原告花子の胎内の原告春子が低酸素状態に陥ったにも関わらず、被告病院の乙山松夫医師(以下「乙山医師」という。)が、適切な時期に帝王切開を行わなかった過失により、原告春子に脳性麻痺を原因とする四肢麻痺等の障害(以下「本件障害」という。)を負わせたとして、原告らが、被告に対し、不法行為に基づき、原告春子につき二億〇八七〇万七三二七円、原告太郎及び原告花子につきそれぞれ五五〇万円及び上記各金員に対する不法行為日である平成九年一〇月二四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。  これに対し、被告は、乙山医師による帝王切開の実施に遅れはなく、仮に遅れがあったとしても、本件障害の発生との間に因果関係はないと主張して、原告らの請求を争った。  一 基礎となる事実(証拠によって認定した事実については、当該認定事実の末尾に証拠を摘示する。)  (1) 当事者等  ア 原告春子  原告春子は、平成九年一〇月二四日(以下「本件出産日」という。)に被告病院で出生した女児である。  イ 原告太郎及び原告花子  原告太郎は、原告春子の父、原告花子は、原告春子の母である。  ウ 被告  被告は、被告病院の設置及び運営主体である。  エ 乙山医師  乙山医師は、本件出産日当時、被告に雇用され、被告病院に勤務していた産婦人科医師である。  (2) 既往歴  原告花子は、平成八年九月一八日、子宮内胎児死亡(妊娠一二週、原因不明)により、子宮内容除去術を受けた。  (3) 本件出産日以前の診療経過  ア 平成九年二月二六日  原告花子は、被告病院(産婦人科)を受診した。原告花子は、被告病院の医師に対し、最終月経は平成九年一月二二日であると告げた。  被告病院の医師は、原告花子の尿検査による妊娠反応が陽性であり、子宮内に胎嚢が存在することが確認されたことから、原告花子を妊娠五週〇日と診断した。  同病院の医師は、原告花子に対し、血液検査を行った。その結果、軽度の貧血(末梢血へモグロビン値一〇・八グラム/デシリットル。基準値は一一・〇グラム/ないし一五・〇グラム/デシリットル)が認められた。  血清検査の結果には、特に異常は認められなかった。  イ 平成九年三月二七日  妊娠九週一日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、超音波検査により、胎児心拍及び胎児の頭臀長が二六ミリメートルであること(妊娠九週三日相当)を確認した。  同医師は、胎児の頭臀長と、最終月経日から計算した出産予定日(平成九年一〇月二九日)とが、矛盾しないと判断した。  前回、原告花子に妊娠貧血が認められたため、鉄剤(フェロミア五〇ミリグラムを一日分として、二錠を二回に分けて服用。)が二週間分処方された。  ウ 平成九年四月二四日  妊娠一三週一日。  原告花子から、下痢があったが、現在は改善したという訴えがあった。  被告病院の乙山医師は、内診により、原告花子の子宮口の閉鎖を確認した。また、超音波検査により、胎児心拍(+)、児頭大横径が二四ミリメートル(妊娠一三週相当)であることを確認した。  エ 平成九年五月二〇日  妊娠一六週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取(ドップラーにより聴取。以下同じ。)し、整であることを確認した。  子宮底長一四センチメートル、腹囲七八センチメートル、体重五〇キログラム、血圧一一五/六四、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  血液検査を行ったところ、末梢血へモグロビン値は一一・二グラム/デシリットルであり、妊娠貧血は改善されていた。  オ 平成九年六月一七日  妊娠二〇週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長二一センチメートル、腹囲七八センチメートル、体重五一・五キログラム、血圧一〇一/六一、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  超音波検査によれば、児頭大横径四七ミリメートル、大腿骨長三四ミリメートルであり、妊娠二〇ないし二一週相当であった。  羊水インデックス(二か所)により、羊水量の検査を行ったところ、六・九センチメートルであり、前置胎盤がないことが確認された。  カ 平成九年七月一六日  妊娠二五週〇日。原告花子から、特に異常の訴えはなく、胎動の自覚があった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長二二・五センチメートル、腹囲八三センチメートル、体重五二・五キログラム、血圧一一一/六二、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  キ 平成九年八月一二日  妊娠二八週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなく、胎動の自覚があった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長二七センチメートル、腹囲八三センチメートル、体重五四キログラム、血圧一一一/六四、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  羊水ポケットが二・七センチメートル(二センチメートル[又は一センチメートル]以下が羊水過少)であることが確認された。  超音波検査によれば、児頭大横径七五ミリメートル、大腿骨長五四ミリメートルであった。被告病院の医師は、胎児体重を一四四九gと推定した。  血液検査によれば、末梢血へモグロビン値は一〇・一グラム/デシリットルで妊娠貧血であった。  ク 平成九年八月二六日  妊娠三〇週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長二八センチメートル、腹囲八五センチメートル、体重五五キログラム、血圧九一/四九、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  羊水インデックス(四か所)により、羊水量が一一・九センチメートルであることが確認された。  被告病院の医師は、超音波検査により、児頭大横径七九ミリメートル、大腿骨長六〇ミリメートル、胎児体重を一六三七グラムと推定した。  同医師は、前回(平成九年八月一二日)の血液検査で妊娠貧血が認められたため、鉄剤(フェロミア五〇ミリグラムを一日分として、二錠を二回に分けて服用。)を二週間分処方した。  ケ 平成九年九月九日  妊娠三二週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長三〇センチメートル、腹囲八七センチメートル、体重五六キログラム、血圧一一二/六一、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  腟分泌物を培養し、クラミジア抗原が陰性であり、一般培養でも陰性であることを確認した。  コ 平成九年九月二六日  妊娠三五週二日。原告花子から、特に異常の訴えはなく、胎動の自覚があった。  被告病院の乙山医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長三二センチメートル、腹囲八九センチメートル、体重五七キログラム、血圧一一五/六四、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  血液検査を行ったところ、末梢血へモグロビン値は一一・六グラム/デシリットルであり、妊娠貧血は改善されていた。  サ 平成九年一〇月二日  妊娠三六週一日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  子宮底長三二センチメートル、腹囲九一センチメートル、体重五八・五キログラム、血圧一二一/六五、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)であることが確認された。  被告病院の医師は、原告花子に対し、胎児心拍数モニター(胎児心拍数図と子宮収縮曲線を同時に記録し、胎児の健康状態を評価する装置。測定法には、電極を児頭に直接装着して胎児心拍数を測定する内測法と、母体の腹壁上に装置を固定して胎児心拍数を測定する外測法とがある。以下「モニター」という。)を、外測法により装着し、ノンストレステスト(分娩開始前の陣痛がない時期に、モニターを装着して胎児の状態を判断するテスト。以下「NST」という。)を行ったところ、三〇分間の測定中、一過性頻脈(胎児心拍数が、胎児心拍数基線〔一〇分の区画におけるおおよその平均胎児心拍数。正常値は一一〇~一六〇bpm。以下「基線」という。〕から一五bPm以上上昇し、一五秒間以上持続する現象。一過性頻脈が二〇分間に二回以上認められればリアクティブパターンとされ、一回以下しか認められなければノンリアクティブパターンとされる。リアクティブパターンの場合、胎児の状態は良好とされる。)が一回しか認められず、ノンリアクティブパターンと判定された。胎児心拍数基線細変動(基線にみられるギザギザの変動。以下「基線細変動」といい、毎分三~六サイクルで変動する長期細変動〔以下「長期細変動」という。〕と、心電図上のR-R間隔の細かな差を表わす短期細変動〔以下「短期細変動」という。〕があり、そのうちの長期細変動。)は保たれていた。  被告病院の医師は、原告花子に対し、五日後に再来院して再度NSTを受けるよう指示した。  シ 平成九年一〇月七日  妊娠三六週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなく、胎動の自覚があった。  子宮底長三二センチメートル、腹囲九一センチメートル、体重五八キログラム、血圧一二八/八〇(一二一/七七)、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  ビショップスコア(子宮頸管の成熟度、児頭の下降度等の変化の度合いをスコア化したものであり、九点以上で頸管成熟とし、自然陣痛の発来が近いと判断する。)は三点と診断された。  原告花子にモニター(トーイツ株式会社製、NT-430)を外測法により装着し、NSTを行ったところ、二〇分間の測定中、胎動に伴う一過性頻脈が四回認められ、リアクテイブパターンと判定された。  被告病院の医師は、超音波検査により、胎児体重を二四八七グラムと推定した。  ス 平成九年一〇月一四日  妊娠三七週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長三二センチメートル、腹囲九一センチメートル、体重五八・五キログラム、血圧一二一/六五、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  ビショップスコアは二点と診断された。  セ 平成九年一〇月二一日  妊娠三八週六日。原告花子から、特に異常の訴えはなかった。  被告病院の医師は、胎児心音を聴取し、整であることを確認した。  子宮底長三二センチメートル、腹囲九〇センチメートル、体重五八・五キログラム、血圧一一二/六六、尿蛋白(‐)、尿糖(‐)、浮腫(‐)であることが確認された。  ビショップスコアは二点と診断された。  尿検査により、尿中エストリオール定性が一〇-二〇ミリグラム/dayであることが確認された。  (4) 本件出産日(午前九時五〇分ころから午後〇時〇〇分まで)の診療経過  ア 午前五時ころ  原告花子は、生理痛のような不規則な陣痛を自覚するようになった。  イ 午前九時五〇分ころ  原告花子は、被告病院の産婦人科外来を受診した。  その際、原告花子は、被告病院の医師に対し、同日午前七時三〇分ころから、周期的な子宮収縮を自覚するようになり、現在は五分おきに陣痛が来る旨を伝えた。  原告花子は、子宮口開大三センチメートル、展退一センチメートルであり、児頭は骨盤主要平面の上方二センチメートルの位置にあった。未だ破水はしていなかった。  原告花子は、被告病院に入院することになり、以後、乙山医師が担当した。  入院時の同人の体重は五六・五キログラム、血圧は一三二/八八、尿蛋白は(1+)、子宮底長は三〇センチメートル、腹囲は九〇センチメートルであった。  ウ 午前一〇時〇〇分ころ  原告花子に、モニター(トーイツ株式会社製、MT-540)が、外測法により装着された。  エ 午前一〇時〇九分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した(なお、以下で「一過性徐脈」という場合には、それが「変動一過性徐脈」であるのか「遅発一過性徐脈」であるのかは暫く措く。)。  オ 午前一〇時一三分ころ  モニター上、遅発一過性徐脈(徐脈の開始点が子宮収縮より遅れ、徐脈の最下点が子宮収縮のピークより遅れる一過性の徐脈)が出現した。  カ 午前一〇時一七分ころ  モニター上、遅発一過性徐脈が出現した。  キ 午前一〇時二三分ころ  乙山医師は、原告花子に対し、胎児音響刺激試験(VAST。音・振動刺激に対する胎児の反応を見る検査)を行った。しかし、胎児に一過性頻脈は出現しなかった。  ク 午前一〇時三〇分ころ  乙山医師は、原告花子に対する帝王切開の準備を開始し、同人に対し、点滴を行い、絶飲食とし、胸部X線撮影、心電図及び血液検査を実施した。  内診を行ったところ、子宮口開大三センチメートル、展退五〇%、児頭下降度-二センチメートルであった。  乙山医師は、原告太郎及び原告花子に対し、(1) モニターより胎児の低酸素状態が考えられる。(2) このまま持続するか、悪化するようなら帝王切開とするが、帝王切開の合併症として出血、膀胱や直腸損傷があり得る、(3) 回復するようなら経腟分娩も不可能ではない旨を説明した。  ケ 午前一〇時三五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  コ 午前一〇時四三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  サ 午前一〇時五三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  シ 午前一〇時五七分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ス 午前一一時〇一分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  セ 午前一一時〇五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ソ 午前一一時〇八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  タ 午前一一時一二分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  チ 午前一一時一五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ツ 午前一一時一八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  テ 午前一一時二八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ト 午前一一時三〇分ころ  モニター上、変動一過性徐脈(一過性徐脈の型及び子宮収縮とのタイミングが一定でないもの。最下点が六〇bpm以下まで低下し、六〇秒以上持続するものを高度、それ以外を軽度という。)が出現した。  ナ 午前一一時三一分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ニ 午前一一時四二分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ヌ 午前一一時四五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ネ 午前一一時五五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ノ 午前一一時五七分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  (5) 本件出産日(午後〇時〇〇分から娩出前まで)の診療経過  ア 午後〇時〇二分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  イ 午後〇時〇八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ウ 午後〇時一五分ころ  モニター上、変動一過性徐脈が出現した。  エ 午後〇時一八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  オ 午後〇時二〇分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  カ 午後〇時二三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  乙山医師は、原告花子に対し、毎分五リットルの酸素投与を開始した。  キ 午後〇時三二分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ク 午後〇時三七分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ケ 午後〇時四〇分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  乙山医師は、超音波検査により、臍帯動脈血の拡張期の血流が不良であると評価した。  また、同医師は、バイオフィジカルプロファイルスコア(以下「BPS」という。)による胎児の状態の評価について、カルテに、一過性頻脈(‐)、呼吸運動(‐)、胎動(‐)、筋トーヌス(筋緊張)(+)、羊水量(羊水インデックスによる。)二・五センチメートル、BPSの合計四点という意味の記載をした。  羊水量は過少であった(正常は五センチメートル以上)。  同医師は、カルテに「BPS四点、血流不良、モニター所見より胎児仮死の可能性大↓本人にムンテラし、帝王切開の方向とした。」と記載した。  コ 午後〇時五三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  サ 午後〇時五九分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  シ 午後一時一二分ころ  モニター上、遷延性徐脈(二分以上持続する長い一過性徐脈)が出現した。  乙山医師は、モニターの記録上に、「C/S(帝王切開)決定」と記載した。  ス 午後一時一五分ころ  乙山医師は、原告花子への酸素投与量を、毎分八リットルに増量し、原告花子を側臥位にした。  セ 午後一時二〇分ころ  乙山医師は、原告花子の帝王切開につき、手術室に連絡した。  ソ 午後一時二五分ころ  乙山医師は、原告花子に対する酸素投与を中止した。  タ 午後一時三三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  乙山医師は、原告花子に対し、毎分一〇リットルの酸素投与を開始した。  チ 午後一時四一分ころ  モニター上、変動一過性徐脈が出現した。  ツ 午後一時四五分ころ  乙山医師が、内診を行ったところ、子宮口開大三センチメートル、展退八〇%、児頭下降度〇センチメートルであった。  分娩経過表の処置の欄には、「D乙山C/S(帝王切開)決定」との記載がある。  テ 午後一時五〇分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ト 午後一時五五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ナ 午後一時五九分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ニ 午後二時〇〇分ころ  原告花子がトイレに行くため、酸素投与を中止した。  ヌ 午後二時一二分ころ  遅くともこのころまでに、乙山医師は、原告太郎及び原告花子の同意を得た上で、手術室へ、帝王切開を実施する旨の連絡をした。  ネ 午後二時一五分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ノ 午後二時二〇分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ハ 午後二時二二分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ヒ 午後二時三〇分ころ  モニター上、変動一過性徐脈が出現した。  乙山医師は、原告花子に対し、毎分五リットルの酸素投与を開始した。  フ 午後二時三三分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ヘ 午後二時三六分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ホ 午後二時三八分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  マ 午後二時四五分ころ  乙山医師は、原告花子に対し、炭酸水素ナトリウム一Aの静脈注射を行い、子宮収縮抑制剤(ウテメリン)の投与を開始した。  ミ 午後二時四九分ころ  モニター上、一過性徐脈が出現した。  ム 午後三時八分ころ  原告花子は、手術室に入室した。  メ 午後三時二五分ころ  原告花子に対し、全身麻酔、気管内挿管が行われ、帝王切開術が開始された。  (6) 本件出産日における原告春子出生時以降の診療経過  ア 午後三時二八分ころ   (ア) 原告花子は、帝王切開にて原告春子を出産した。  原告春子は、出生体重二二四〇g、身長四七・九センチメートル、頭囲三一センチメートル、胸囲二九・五センチメートル、臍帯動脈血PH六・九六四であった。  原告春子の体表は緑茶色であり、羊水混濁は(++)であったが、胎盤や臍帯に肉眼的な異常は認められなかった。  被告病院の医師らは、原告春子の出生後直ちに、同人に対し、吸引、心臓マッサージ、気管内挿管などの蘇生措置を行い、同人をNICU(新生児集中治療室)へ入院させた。   (イ) 乙山医師は、カルテに、原告春子のアプガースコア(心拍数、呼吸、筋緊張、反射及び皮膚色の五項目につき、各〇~二点の点数をつけ、合計点で新生児の状態を評価するもの)につき、一分値〇点、五分値四点、一五分値七点と記載した。また、助産婦は、分娩記録に、一分後アプガースコア〇点、五分後アプガースコア四点(心拍二点、皮膚色二点)、一五分後アプガースコア七点(心拍二点、皮膚色二点、筋緊張一点、反射一点、呼吸一点)と記載した。  なお、術中看護記録には、「胎児娩出するもRなく心停止有」という記載があり、助産記録には、「アプガースコア〇点」、「R停止、心停止し」という記載がある。  また、被告病院放射線科の報告書には、三分値のアプガースコアが〇点である旨の記載がある。   (ウ) 原告春子の出生後最初の動脈血検査の値は、PHが七・〇七九、PCO2が三四・八、HCO3‐が九・八、BEが-二〇・九であった。   (エ) 原告春子は、妊娠週数に比較して、出生時の体重が三パーセンタイル未満であり、出生時の頭囲は一〇パーセンタイル未満であった。  なお、原告春子の出生時の身長は、一〇パーセンタイル未満ではなかった。  イ 午後五時八分ころ  原告春子は、PHが七・〇九九、PCO2が四二・八、HCO3‐が一二・六、BEが-一八・五であり、メイロン四ccが投与された。  ウ 午後六時一三分ころ  原告春子は、PHが七・一五四、PCO2が二四・四、HCO3‐が八・二、BEが-二〇・六であった。  エ 午後六時四七分ころ  原告春子は、PHが七・一三〇、PCO2が二四・一、HCO1が七・七、BEが-二一・九であり、1/2メイロン八ccが投与された。  オ 午後八時二五分ころ  原告春子は、PHが七・一七〇、PCO2が二二・一、HCO3‐が七・七、BEが-二〇・四であり、1/2メイロン八ccが投与された。  (7) 本件出産日以降の診療経過  ア 平成九年一〇月二五日  原告春子には、四肢を硬直させる発作が二~三分あり、その後、同発作が、断続的に続いた。  原告春子は、午前四時半には、PHが七・三七四、PCO2が二八・二、HCO3‐が一六・二、BEが-六・四であり、代謝性アシドーシス(血漿中のHCO3‐が減少し、PHが低下し、塩基が不足する病態)は改善してきており、さらに、午前九時四分には、PHが七・五三四、PCO2が三七・二、HCO3‐が三一・五、BEが八・四となった。  イ 平成九年一〇月二七日  原告春子につき脳のCT撮影が行われた。  原告春子の脳には、大泉門の膨隆が認められ、くも膜下出血と大脳全体の著明な重度の脳浮腫が認められた。  ウ 平成九年一〇月二九日  原告花子の胎盤及び臍帯について、病理組織検査を行ったところ、「胎盤(一七×一七×二センチメートル)については、幾つかの貧血状変化を除いて、特に異常はない。臍帯(四〇センチメートル)については、血管周囲の出血や小さな急性炎症性変化を散見する。この変化は、分娩中または分娩前のトラブルの可能性を示唆する。」との結果であった。  エ 平成九年一〇月三一日  原告春子につき脳のCT撮影が行われた。大脳全体の浮腫は依然として認められたが、平成九年一〇月二七日時点のCTと比較すると、脳浮腫の状態は改善していた。  被告病院の小児科医は、報告書に、「大脳には広範な低酸素性脳ダメージが疑われる」と記載した。  原告花子につき、手術創部の抜鈎が行われた。創部には、異常は認められなかった。  オ 平成九年一一月二日  原告花子は、被告病院を退院した。  カ 平成九年一一月七日  原告春子につき脳のCT撮影が行われた。脳浮腫の状態は、平成九年一〇月三一日時点のCTと比較すると、改善していた。  被告病院の小児科医は、カルテに、「大脳には広範な低酸素性脳ダメージ」と記載した。  キ 平成九年一一月一二日  原告春子の超音波検査が行われた。被告病院の小児科医は、原告春子の所見を、低酸素虚血性脳損傷(hypoxic‐ischemic‐brain injury)による所見と考え、脳ダメージの時点から、二~三週間経過していると判断した。  ク 平成九年一一月一七日  原告春子の脳CTの撮影が行われた。大脳の著明な萎縮が認められた。  ケ 平成一〇年一月五日  原告春子の脳CTの撮影が行われた。大脳の著明な萎縮が認められた。  コ 平成一〇年四月一日  原告春子の頭部MRI検査が行われた。大脳の著明な萎縮が認められた。  (8) 被告病院の診断  被告病院の医師は、原告春子を、(1) 胎児仮死(胎児が子宮内において呼吸及び循環機能を障害された状態)に伴う重度仮死、(2) 低酸素性虚血性脳症(出生間近の時期において脳への血流と酸素供給が制限されたことに由来する新生児脳症の一種。以下「HIE」という。)、(3) 代謝性アシドーシス、(4) 急性腎不全、(5) くも膜下出血、(6) 両前腕石灰化(皮下膿瘍疑い)、(7) 貧血、(8) 胎便吸引症候群(胎児が胎便で汚染された羊水を気道に吸引することにより起こる呼吸障害。以下「MAS」という。)、(9)子宮内胎児発育遅延(子宮内における胎児の発育が抑制された状態のこと。以下「IUGR」という。)と診断した。  (9) 本件障害  ア 原告春子は、平成一〇年八月三一日、脳性麻痺を原因とする四肢麻痺と診断され、身体障害者等級表による級別一級との認定を受けた。  イ 原告春子は、重度の知的障害及びてんかんに罹患しており、意思疎通はできない。また、原告春子は、未定頸であり、上下肢は全面的に機能が障害された状態であり、自主的な排泄も、体位変換もできず、嚥下障害があるため、現在は、経管栄養が実施されている。  ウ 原告春子は、常時介護を必要とする状態にある。  エ 原告春子は、平成一五年七月八日、症状固定又は障害確定と診断された。  二 本件の争点  (1) 乙山医師には、本件出産日の午前一〇時三〇分から、遅くとも同日午後二時三〇分までに、帝王切開によって原告春子を娩出すべき注意義務があったか。  (2) 乙山医師が(1)の注意義務を尽くしていれば、原告春子に本件障害は発生していなかったか。  (3) 原告らの損害額は幾らか。  三 争点に関する当事者の主張  (1) 争点(1)(過失)について   ア 原告らの主張   (ア) 乙山医師の過失  以下の(イ)ないし(オ)記載のとおり、乙山医師には、本件出産日の午前一〇時三〇分から遅くとも同日午後二時三〇分までに、帝王切開によって原告春子を娩出すべき注意義務が存在した。  なお、産科医師には、胎児の適切な分娩監視を行い、胎児仮死の兆候を的確に把握し、胎児低酸素状態の改善のための経母体治療を行うと同時に、帝王切開の時期を的確に判断し、判断後は遅滞なく帝王切開を実施して胎児を娩出させるべき注意義務があるところ、被告病院は、地域の基幹病院であり、NICUを有する高度医療機関であったから、帝王切開を決定した場合には、三〇分以内に胎児を娩出させるべき注意義務があったというべきである。  しかし、乙山医師は、これらの義務に違反した。   (イ) 午前一〇時三〇分時点までの過失  乙山医師には、本件出産日午前一〇時三〇分の時点で、胎児計測を行い、胎児がⅠUGRであることを把握し、急速遂娩である帝王切開を実施すべき注意義務があった。  この注意義務を基礎付ける事実は、以下のaからj記載の事実である。   a 原告花子は、本件出産の一年前である平成八年一〇月、子宮内胎児死亡で流産した。   b 原告花子が被告病院に入院するまでの状況は、以下のとおりであった。   (a) 妊娠三六週一日目から子宮底長が三二センチメートルと止まっており、入院時には三〇センチメートルに下がっていた。   (b) 原告花子の腹囲は増加せず、入院前から減少していた。   (c) 原告花子は、三六週一日目から体重増加がなく、入院時の体重は、五六・五キログラムと減少していた。   (d) 胎児は、三六週一日目のNSTで一過性頻脈が少なかったため、三六週六日に再検査が行われた。   (e) 胎児は、三六週六日目の超音波検査で、推定体重二四八七gと判断された。  以上のような妊娠後期から分娩前の子宮底長、腹囲及び体重の各「伸び悩み」所見は、胎児の後期に発生する不均衡型IUGRの判断要素である。  IUGR児は、分娩中に胎児仮死になりやすく、遅発一過性徐脈が出現しやすい。そのため、胎児の低酸素所見を認めた場合には、胎児仮死の診断を待たずに、急速遂娩をしなければならない。   c 被告病院の医師は、原告花子について、三六週六日以降、NST及び胎児計測を行わなかった。妊娠後期に栄養不良で生じる不均衡型IUGR児を、早期に把握して娩出時期を失しないためには、妊娠週数の増加に伴い、複数回の胎児計測を行うことが必要である。   d 胎児には、モニターが装着された本件出産日の午前一〇時ころから、一貫して一過性頻脈が見られなかった。胎児が胎児仮死、胎内低酸素状態になければ、子宮収縮に伴う一過性頻脈が出現するはずである。   e 胎児には、モニターが装着された当初である午前一〇時五分ころから一七分ころまでの間、ほぼ明瞭な遅発一過性徐脈が出現していた。  子宮収縮に伴って生じる「徐脈」は、胎児への酸素血液量の低下が一定限度を超えたときに生ずるものであるが、遅発一過性徐脈の出現は、胎内低酸素、胎児仮死の重要な徴表とされている。  遅発一過性徐脈が一回でも出現したら、胎児は低酸素状態であるといえる。  なお、基線細変動が保たれている一過性徐脈であっても、基線細変動が保たれなくなってから娩出したのでは児の予後が非常に悪いため、基線細変動が保たれているうちに娩出する必要がある。   f 原告花子の入院当初から、胎児の基線細変動が減少していた。基線細変動の減少は、胎児仮死を警戒すべき徴表である。   g 「遅発一過性徐脈」に、「基線細変動の減少」、「一過性頻脈欠如」が伴うと、「胎児仮死」の指標として、急速遂娩の対象となる。   h 胎児に本件出産日午前一〇時二三分にVASTを施行したが、胎児に一過性頻脈は出現しなかった。  VASTは、胎児の「生理的な睡眠」と「低酸素状態による病的なリアクティビティ」を鑑別するための検査で、胎児が単に睡眠状態であれば、VASTによって一過性頻脈の頻発、基線細変動の増加、胎動の頻発がみられる。しかし、これらがみられなければ、「低酸素状態による病的なリアクティビティ」といえる。   i 原告春子は三九週二日で出生したが、在胎週数標準体重が三〇〇〇gであるのに対し、原告春子の出生体重は二二四〇gであり、在胎週数に比べて体重が少なかった。なお、原告春子の頭囲の発育は正常であった。   j 乙山医師は、本件出産日午前一〇時三〇分の時点で、原告太郎と原告花子に対し、モニター上胎児の低酸素状態が考えられ、帝王切開も検討している旨を説明した。  帝王切開の決定から娩出までに求められる時間のスタンダードは、三〇分が望ましいとされ、遅くとも一時間とされている。  このように、乙山医師は、少なくとも、本件出産日午前一〇時五分から一七分までに発生した遅発一過性徐脈と、午前一〇時二三分のVASTにより、午前一〇時三〇分までには、胎児仮死の把握が可能であったといえる。   (ウ) 午後〇時四〇分時点までの過失  乙山医師には、本件出産日午後〇時四〇分ころの時点で、胎児がIUGRであることを把握し、または胎児仮死の診断をしたうえ、急速遂娩である帝王切開の決定をし、決定から三〇分程度で原告春子を娩出すべき注意義務があった。  この注意義務を基礎付ける事実は、上記(イ)記載の事実及び以下のaからf記載の事実である。   a 本件出産日午前一〇時三〇分ころから午後〇時四〇分ころまで、モニター上、胎児の基線細変動は継続して乏しかった。   b 胎児には、本件出産日午前一〇時三五分から五七分ころ、午前一一時〇〇分から一八分ころ、午前一一時三一分ころから四五分ころまで、ほぼ明瞭な遅発一過性徐脈が出現した。   c 胎児には、本件出産日午前一一時三〇分に、サイヌソイダルパターン(基線が規則的に正弦波様の揺れを示すパターン)、午前一一時五九分には最小心拍数七〇bpmの変動一過性徐脈、午後〇時一五分にはオーバーシュート(変動一過性徐脈後に生じるなめらかな長い一過性頻脈であり、胎児心拍数基線へ回復するまでに数分を要する。)伴った変動一過性徐脈がみられた。  なお、軽度変動一過性徐脈も、胎児仮死を警戒すべきパターンであり、変動一過性徐脈が連続し、基線細変動が減少する場合には、胎児仮死と診断される。   d 乙山医師は、本件出産日午後〇時四〇分、原告花子の臍帯動脈の拡張期の血流量が低下し、不足していると判断した。   e 乙山医師は、原告花子に対し、本件出産日午後〇時二三分まで酸素を投与しなかった。胎児が低酸素であると判断したら、酸素吸入を行い、低酸素状態に回復が見られなければ急速遂娩しなければならない。   f 乙山医師が、原告春子に対し、本件出産日午後〇時四〇分にBPSを実施したところ、「羊水過少」、「呼吸運動(‐)」、「胎動(‐)」、「一過性頻脈(‐)」との所見があり、BPS四点と評価された。カルテにも、「BPS四点、血流不足、モニター所見よりfetal distress(胎児仮死)の可能性大」との記載されている。  BPS四点の場合、胎児仮死の可能性が高く、急速遂娩しなければならない。  このように乙山医師は、本件出産日午前一〇時三〇分までに現れた所見に加えて、午前一一時四五分までに現れた遅発一過性徐脈、午前一一時五九分の最小心拍数七〇bpmの変動一過性徐脈、午後〇時一五分のオーバーシュートを伴った変動一過性徐脈及び午後〇時四〇分のBPSにより、本件出産日午後〇時四〇分には、原告春子に代謝性アシドーシスが生じていたことを把握できたのである。   (エ) 午後一時二〇分時点までの過失  乙山医師には、本件出産日午後一時二〇分の時点で帝王切開を決定し、同時刻から三〇分程度で原告春子を娩出させるべき注意義務があった。しかし、乙山医師は、午後一時二〇分ころまでには帝王切開の決定をしながら、オペ出しを同日午後二時五〇分になってから行い、そのため娩出が同日午後三時二八分と遅れた。  この注意義務を基礎付ける事実は、上記(イ)、(ウ)記載の事実及び以下のaないしcの事実である。   a 原告春子には、本件出産日午後一時一二分に、二分以上持続する変動一過性徐脈(遷延性一過性徐脈)が出現した。   b 本件出産日午後一時二〇分の時点で、乙山医師は、原告春子が胎児仮死であると診断していた。乙山医師は、午後一時一五分に毎分八リットル、午後一時三三分に毎分一〇リットルと酸素投与を増量したが、これは、同人が、胎児仮死の状態を十分に認識し、急速遂娩への待機状態であったことの証である。   c 乙山医師は、本件出産日午後一時二〇分、手術室に帝王切開の連絡をした。   (オ) 午後二時三〇分時点までの過失  本件出産日の午後一時二〇分以降も、原告春子には、次の所見が現れていた。   a 午後一時三三分に、最小心拍数約六〇bpmの変動一過性徐脈。   b 午後一時四一分、五〇分、五六分及び五九分に、オーバーシュートを伴った変動一過性徐脈。   c 午後二時一五分及び二〇分に、遅発一過性徐脈。   d 午後二時三〇分に、オーバーシュートを伴った変動一過性徐脈及び基線細変動の消失。  しかし、乙山医師が原告春子を娩出したのは、本件出産日午後三時二八分のことであった。このように乙山医師は、帝王切開を実施しないまま、本件障害の発生を回避することが可能であった午後二時三〇分を漫然と途過したものである。  イ 被告の主張   (ア) 過失がないこと  原告花子の入院後のモニター所見は、後方視的に見れば、非典型的な異常を示しているといえるが、前方視的には、モニターから胎児仮死の兆候を把握するのは非常に困難であった。  したがって、乙山医師には、本件出産日午後二時三〇分までに、帝王切開によって原告春子を娩出すべき注意義務はなかった。   (イ) モニターの信頼性について  産科医師は、分娩中、モニターという非常に限られた情報をもとに、胎児の状態を推測するのであるが、モニターにより、胎児仮死を正確に判断することは非常に困難である。  モニターにおいて胎児の状態が悪いことを示すパターンは、非特異的であり、低酸素以外の要因でも出現することがあるため、モニター上、胎児仮死と診断された場合においても、非常に酸素化が良好で、代謝性アシドーシスや羊水混濁を認めないケースは多い。  モニター上、どのようなパターンが認められたときに、児を娩出させるべきかという点に関しても、意見の一致はみられていない。  モニターを導入しても、脳性麻痺児の減少には役立っていないという報告も、数多く存在している。   (ウ) 午前一〇時三〇分ころの説明  乙山医師は、午前一〇時三〇分ころ、胎児が胎内で低酸素状態になっている可能性を考えたものの、モニターに大きな変化や、急性で重篤な低酸素を示すようなパターンはなかったため、厳重に経過観察することとした。  乙山医師が、そのころ、原告らに説明した内容は、以下のとおりである。   a 胎児心拍陣痛図によれば、胎児が低酸素状態にある可能性を完全に否定できない。   b このまま分娩監視装置を継続して装着し、胎児の状態が悪化するようなら帝王切開術が必要である。   c 帝王切開を行う場合には、出血多量や膀胱、腸管損傷などの合併症が併発することがありうる。   d 胎児の状態が改善するなら、経膣分娩も可能であるし、母体合併症の観点からできるならその方が望ましい。   (エ) 一過性頻脈について  本件胎児には、一過性頻脈はみられなかったが、胎児仮死の診断においては、一過性頻脈の欠如はあまり重要視されていない。   (オ) 一過性徐脈について   a 遅発一過性徐脈について  遅発一過性徐脈の出現は、医師に、直ちに児を娩出させる義務を負わせるものではない。遅発一過性徐脈が一五分以上連続して出現したとき初めて、胎児仮死と診断するが、本件胎児には、遅発一過性徐脈が一五分以上連続して出現したことはなかった。   b 軽度変動一過性徐脈について  軽度変動一過性徐脈の出現は、「胎児仮死の疑いまたは警戒するパターン」ではあるが、軽度変動一過性徐脈にどのような所見が加わったものが胎児仮死に相当するかというコンセンサスはない。   c モニター上出現した徐脈について   (a) 午前一〇時九分には、子宮収縮がなかったため、遅発一過性徐脈があったと診断することはできない。   (b) 午前一〇時一三分及び一七分に現れた遅発一過性徐脈は、基線細変動が保たれている遅発一過性徐脈であるから、胎児仮死を示す所見ではない。   (c) 午前一〇時三五分には、子宮収縮がうまくとられていないため、遅発一過性徐脈があったと診断することはできない。   (d) 午前一一時〇〇分から同一八分の一過性徐脈は、変動一過性徐脈にすぎない。   (e) 午前一一時四五分には、遅発一過性徐脈は現れていない。   (イ) 午前一一時五九分の胎児心拍の数値は、それまでの胎児の心拍数と連続性を欠いており、母体の動脈拍動音を聴取してしまったものである。   (g) 午後〇時一五分ころ現れた所見は、オーバーシュートを伴わない変動一過性徐脈である。オーバーシュートというのは、「変動一過性徐脈後に生じるなめらかな長い一過性頻脈であり、胎児心拍数基線へ回復するまでに数分を要する」というものであるが、上記時刻ころの胎児心拍数の変化は、持続時間が短く、オーバーシュートは見られない。   (h) 午後一時三三分には、最小心拍数約六〇bpmの変動一過性徐脈は現れていない。   (i) 午後一時四一分、五〇分、五五分及び五九分に現れた変動一過性徐脈は、軽度変動一過性徐脈であり、オーバーシユートを伴っていない。   (j) 午後二時一五分には、遅発一過性徐脈は現れておらず。基線細変動も保たれていた。午後二時二〇分にも軽度変動一過性徐脈が現れたに過ぎない。   (k) 午後二時三〇分には、オーバーシュートを伴わない軽度変動一過性徐脈が現れたに過ぎず、基線細変動も消失していなかった。   (カ) VASTについて  VASTは、胎児仮死の診断基準としては、コンセンサスを得ていない。   (キ) 基線細変動について  胎児には、モニター上、本件出産日午前一〇時三〇分ころから午後〇時二三分ころ、午後〇時四四分ころから午後一時四〇分ころ、午後二時一四分ころから午後二時三〇分ころまでの間、六bpm以上の長期細変動が認められた。  本件では、当初出現していた遅発一過性徐脈が消失し、基線細変動も保たれていたのであるから、胎児は、低酸素状態から解放されつつあったと判断するのが妥当である。   (ク) 超音波検査及びBPS   a 乙山医師は、本件出産日午後〇時四〇分ころ、超音波検査を行い、胎児体重を二五〇〇gであると推定した。   b 原告らは、乙山医師が、本件出産日午後〇時四〇分に、胎児につき、BPS四点(異常値)と評価したと主張する。しかし、BPSは三〇分間の経過により評価するものであり、原告花子は仰臥位の姿勢を二〇分間しか維持できなかったのであるから、正確に異常値と判断したわけではない。  また、羊水過少やBPS四点の場合には、分娩を行う方が良いが、急速遂娩を行う必要はない。   (ケ) 帝王切開の決定   a 乙山医師は、本件出産日午後一時一二分の時点では、まだ、原告花子に対する帝王切開を決定していなかった。乙山医師は、同時刻ころ、胎児心拍数の大きな下降を認めたため、午後一時一五分に、原告花子に対する酸素投与を毎分八リットルに増量して投与し、帝王切開による分娩も考慮したが、その後、胎児心拍数パターンが改善したため、上記の胎児心拍数の下降は臍帯の強い圧迫による一時的なものと考え、分娩経過を観察する方針としたのである。  なお、母体に酸素投与を開始した後、胎児心拍数変動パターンが改善した場合には、一般的に酸素投与を中止する。  乙山医師は、胎児仮死の疑いがあるため、原告花子に酸素投与を行い、増量しているが、その後胎児心拍数変動パターンが改善したために、酸素投与を中止したのである。   b 乙山医師は、本件出産日午後一時二〇分ころ、手術室へ帝王切開が一件あるかもしれないという連絡をしたに過ぎず、確実に帝王切開を行うこととして申込みをしたわけではない。カルテの「C/S申し込み」との記載には、時間が記載されておらず、これは午後一時二〇分ころに行ったものではない。  乙山医師は、本件出産日午後一時二〇分に、胎児仮死の疑いがあったため、帝王切開術が一件あるかもしれないと手術室に連絡したが、原告春子の胎児心拍数変動パターンが回復したので、帝王切開の決定をせず、経過観察とした。   c 乙山医師は、本件出産日午後一時五〇分ころ、原告らに対し、同時点までの所見を総合した結果、胎児仮死と診断する決め手には欠けるが、経膣分娩を完遂するにはまだ相当時間がかかるため、帝王切開の方がよいと思われる旨を説明した。   d 乙山医師は、本件出産日午後二時一五分ころ、原告花子に対して帝王切開を行う決定をした。手術室から帝王切開実施のゴーサインが出されたのは、同時点から三〇ないし四〇分経ったころであり、原告春子の娩出は、帝王切開決定から約一時間一六分後のことであった。   e 乙山医師は、原告花子が手術室に入室した直後の本件出産日午後三時八分ころ、ドップラーで胎児心拍を確認しているが、心拍数は一四〇から一五〇bPmで正常であった。   (コ) 出生時に心停止はなかった  原告春子は、出生時、心拍停止してはいなかった。新生児仮死の場合、心拍が微弱で聴取しにくいため、原告春子も心停止と判断されたと考えられるが、帝王切開施行直前に胎児心拍が一四〇から一五〇で拍動していたのであるから、出生時に心停止ということは考えられない。したがって、原告春子のアプガースコア(一分値)は〇点ではなく、一点又は二点であったと思われる。   (サ) IUGRについて  被告病院の医師らは、以下のとおり、原告花子の入院前も、入院後も、胎児がIUGRであったことを疑い得なかった。   a 分娩前には、IUGRの三〇%は診断されないとされている。   b 原告花子の妊娠三六週目の子宮底長三二センチメートルは正常範囲内であった。また、妊娠三六週目以降は、児頭下降等の要因で、子宮底長が変化せず、減少することもある。   c 腹囲は測定者による誤差が大きく、これに基づきIUGRを疑うことはできない。原告花子の体重減少もIUGRを疑わせるものではない。   d 妊娠三七週以降、超音波検査によって胎児の体重を毎回測定したり、NSTを施行しなければならないとするコンセンサスはない。   e IUGRの診断は、超音波検査では必ずしも可能ではない。妊娠三九週目の推定体重が二五〇〇gであれば、平均体重三〇〇〇gの-一・五SD(SDとは標準偏差をいう。)以内であり、IUGRと診断されない。  三六週目の推定体重二四八七gも、必ずしも正確ではなく、本件出産日午後〇時四〇分に施行した超音波検査による二五〇〇gという推定体重では、体重増加がないとは判断できない。   f IUGRであっても、明らかな胎児心拍数異常が出現せず、分娩が順調に進行するのであれば、医師が経腟分娩を期待し、モニターを使用して経過観察することは、不適切ではない。   g IUGRであっても、胎盤が正常で、特に低酸素状態になければ、遅発一過性徐脈が出現しやすいということはない。「胎児心拍数モニタリング」にある「IUGR児のような子供のときは、遅発一過性徐脈が起こると頭に入れてかかってまず間違いない。」という記載がコンセンサスを得ているなら、IUGR況の経腟分娩はほぼ不可能であり、IUGR児に対してはすべて帝王切開を行わなければならなくなる。  また、IUGR児であるからといって、胎児仮死の診断を待たずに急速遂娩すれば、全く意味のない帝王切開を増加させる危険がある。  (2) 争点(2)(因果関係)について  ア 原告らの主張   (ア) 因果関係があること  乙山医師が上記(1)、アの注意義務を尽くしていれば、原告春子に本件障害は発生していなかった。  原告春子の後遺症は、娩出に近接した時点での、脳低酸素虚血ダメージに起因する。  原告春子は、分娩開始後、子宮収縮により胎内低酸素に陥り、胎児仮死となり、これが過度に長期間に及んだため、酸血症たる代謝性アシドーシスを経て、娩出前一時間から二時間の間に、脳細胞の壊死、神経繊維の脱落及び変成が生じ、HIEを発症し、脳ダメージが不可逆的となって本件障害を負ったのである。   (イ) 原告花子の妊娠経過は順調であった。  原告花子には、被告病院で妊娠が確認されて以降、母体合併症や、子宮内感染などは認められなかった。その後、平成九年一〇月二日に行われたNSTでは三〇分間の測定中一回の一過性頻脈しか認めなかったものの、同月七日の再検査ではリアクティブパターンであり、異常なしと認められた。  したがって、原告花子の妊娠経過は順調であった。   (ウ) 原告春子の頭部の発育は正常であった。  原告春子は、三九週二日で出生した際の体重が二二四〇gであり、一〇パーセンタイルよりかなり小さいIUGRであった。  しかし、原告春子の出生時身長は四七・九センチメートル、頭囲は三一センチメートルであったから、同人は「児の身長はそれほど小さくないが、体重の減少が強い」不均衡型IUGRであり、「体重のみならず身長、頭囲のすべてにおいてパーセンタイル一〇パーセント曲線を下回っている」均衡型IUGRではなかった。なお、不均衡型IUGRの予後は良好であるとされている。  また、原告春子の出生後の頭部画像所見においても、脳回形成などの脳の形態は成熟新生児レベルであり、脳奇形も存在せず、同人の分娩時までの脳発育は正常であった。   (エ) 原告春子は分娩時の低酸素に弱かった  原告春子は、IUGRであったから、胎盤によるガス交換能力が少なく、もともと胎内で慢性的な低酸素状態にあった。また、腎臓への血流低下のため、羊水量も少なかった。  しかし、胎児には、脳や心臓等の最重要臓器に対し、優先して血液が送られるという血流再配分の仕組みが存在しているため、胎内で、原告春子の脳に対する血液と酸素の供給は維持されていた。  ただし、IUGRには、正常児に比べて予備能が少ないため、原告春子は、分娩時には、正常児に比べて、胎児仮死に陥りやすい状況にあったといえる。   (オ) モニターの悪化所見  本件出産日のモニター所見を最初から最後まで読むと、モニター上、明らかに、胎児の低酸素状態は悪化していった。  モニター上、長期細変動が午後二時三〇分ころに消失していることに加え、一過性徐脈の深さも、時間を追うごとに深くなっている。また、午後〇時五三分以降、午後一時台には、典型的なオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈が出現している。   (カ) BPS検査  本件出産日の午後〇時四〇分に行われたBPS検査では、胎児の筋トーヌスは「+」(正常)であった。  筋トーヌスは、胎児が胎内で酸素不足の影響を受ける最後のパラメーターであり、中枢神経に不可逆的な障害が生じた後は「-」になる。  なお、BPS検査の項目のうち、呼吸様運動や一過性頻脈は、胎内低酸素に対する感受性が強いため、早期の段階から「-」を示しやすい。  さらに、午後〇時四〇分時点では、臍帯動脈血流も、減少はしているものの、いまだ、「逆流、途絶」には至っていなかった。これも、娩出時の状態であれば、臍帯動脈血流は「-」であり、「逆流、途絶」である。  したがって、原告春子の中枢神経系のダメージは、午後〇時四〇分から娩出までの間に生じたといえる。   (キ) 長期細変動の消失は午後二時三〇分前後  本件で、胎児の長期細変動が消失(〇bpm)になったのは、午後二時三〇分前後である。  長期細変動が消失するまでに、原告春子が娩出されていれば、本件では、HIEの允症自体を回避できた可能性が高い。   (ク) 出生時点の酷い低酸素所見原告春子は、出生後一分値及び三分値のアプガースコアが〇点であり、少なくとも四分間は心拍が再開しなかった。  また、同人は、出生時に高度の代謝性アシドーシスを示しており、MASを発症しており、重度の新生児仮死であった。けいれん発作も生じており、腎不全などの多臓器不全も生じていた。  さらに、原告春子の頭部画像所見は、分娩に近接した時期に、急激で重篤な低酸素状態により、脳が障害を受けたことを示していた。  このような、娩出に近接した時点における胎内低酸素状態が、原告春子のHIE及びその重篤化に対し、何の影響も与えていないとは考えられない。   (ケ) 被告の主張について   a 髄鞘化障害の主張について  被告は、原告春子が、入院前、すでに、胎内において、脳の髄鞘化が障害されており、それが原因で本件障害が生じたと主張する。  しかし、この説に対する医学的な裏付けは、何ら存在しない。   b 胎内における慢性的低酸素について  被告は、原告春子がIUGRであること自体が、分娩開始前に脳障害が発生していた可能性を高める事情であると主張する。  しかし、原告春子がIUGRであり、胎内で慢性的な低酸素状態にあったとしても、血流の再配分が起こり、心臓や脳といった最重要臓器に優先して血液が送られるようになる(その結果、原告春子は「不均衡型」IUGRとなった。)のであるから、原告春子の後遺症は、IUGRであったこと自体に起因するものではない。   c 臍帯圧迫による血流遮断について  被告は、原告春子に、入院前、臍帯圧迫による血流遮断が生じた可能性があり、本件障害がこれによって生じた可能性があると主張する。  しかし、原告春子の頭部画像所見は、臍帯圧迫による血流遮断などが生じた場合の「プロファウンドアスフィシア」の所見ではなく、胎内で低酸素状態が持続し、HIEが生じた場合の「パーシャルアスフィシア」の所見であったのであるから、被告の主張は妥当しない。   d 胎便による臍帯血管収縮について  被告は、原告春子が、入院前、胎内において胎便を排出し、それによって臍帯血管が収縮させられ、それが原因で低酸素状態が悪化し、本件障害が生じた可能性があると主張する。  しかし、この説を支持する被告側専門家証人は存在せず、同説は斟酌するに値しない。   e ACOGらの基準  被告は、原告春子が、米国産婦人科学会(以下「ACOG」という。)らによって提唱された「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」に当てはまらないと主張する。  このACOGらによる「脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準」は、医療訴訟における産婦人科医の敗訴を減少させようという目的で作られた、産婦人科医のファイティングスピリットに満ちた提言である。  しかし、この提言に即してみても、原告春子は、同提言の基本的診断基準(四項目すべて必要)のすべてを満たしており、本件障害は、分娩時の低酸素と因果関係を有するといえる。   f 分娩前脳障害パターン  被告は、原告春子のモニター所見が、R.K.freeman(以下「フリーマン」という。)が提唱する分娩前脳障害パターンや、B.S.Schifrin(以下「シフリン」という。)が提唱する自律性平衡異常パターンに当てはまると主張する。  しかし、そもそも、被告の主張するような各パターンは、学会レベルでは重視されていない。  その上、フリーマンが提唱する分娩前脳障害パターンの一つであるとされる「平坦な心拍数」及び「オーバーシュート」等の所見は、原告春子には、入院時から一貫して出現しているわけではない。  また、シフリンが提唱する自律性平衡異常パターンの一つであるとされる「短期細変動の欠如」の所見については、そもそも、外測法で測定された本件モニターの記録では、その有無を判読できない。  イ 被告の主張   (ア) 因果関係がないこと  原告春子は、高度のIUGRであり、被告病院に入院する前から、頭部への血流が障害され、頭囲の発育が抑制され、神経細胞の髄鞘化が障害されて、すでに、不可逆的な脳障害を負っていた。  さらに、原告春子には、出生の一四時間以上前に、臍帯圧迫等を原因とする胎児・胎盤循環障害が生じており、その結果、HIEを発症したと推測できる。  なお、胎児・胎盤循環障害により、胎便が排出され、この胎便が臍帯血管を収縮させたため、それによって原告春子への低酸素状態が悪化し、HIEを発症した可能性もある。  その他、原告春子の脳に先天的な障害が存在していた可能性も否定できない。  いずれにしろ、乙山医師が原告ら主張の上記(1)、ア記載の注意義務を尽くしていたとしても、原告春子の本件障害発生は避けられなかった。   (イ) 脳性麻痺の原因は多岐にわたる  脳性麻痺の原因は、多岐にわたっており、脳性麻痺の約八〇パーセントから九〇パーセントは、分娩時の胎児仮死以外の原因で発生するといわれている。  分娩時の胎児仮死以外の脳性麻痺の原因としては、早期産、脳出血、脳梗塞、ウイルス感染、遺伝障害、脳発達障害などがあり、遺伝障害または脳発達障害の例が最も多いとされている。   (ウ) 髄鞘化障害  原告春子は、高度のIUGRであり、被告病院に入院する前から、頭部への血流が障害され、頭囲の発育が抑制され、神経細胞の髄鞘化が障害されて、すでに、不可逆的な脳障害を負っていた可能性がある。  原告春子の頭囲は、一〇パーセンタイル未満であり、これは、脳への血流障害を疑わせる重要な根拠となる。   (エ) 入院時にすでに異常なモニター所見があつた  原告春子には、入院時から、すでにどのくらい持続していたのか分からない異常なモニター所見が認められており、胎児が元気であることを示す一過性頻脈は一度も認められなかった。  したがって、原告春子には、入院時、すでに、神経学的な障害が存在していたといえる。  なお、HIEの二〇パーセントは分娩前に発症するといわれている。   (オ) 分娩中には低酸素を引き起こす原因が存在しない  原告花子には、分娩中、臍帯脱出や常位胎盤早期剥離のような「急性で重篤な低酸素状態」は、全く生じていなかった。  なお、陣痛開始による低酸素ストレスは、胎盤の絨毛間腔血流量の減少によるものであるが、陣痛の間欠期には再度絨毛間腔内に母体血が流入するため、胎盤内に血栓等がなく、過強陣痛もなければ、胎児は間欠期にはこのストレスから解放されるはずである。  また、原告花子の陣痛は、分娩をほとんど進行させることができないほどの微弱陣痛であり、胎児は分娩第一期であり、陣痛促進剤の投与も一切行われていないのであるから、この陣痛が原因で、分娩中に低酸素状態が引き起こされるとは考えられない。  したがって、本件分娩中、脳性麻痺の原因といえるような大きな出来事は存在していない。  原告らは、原告春子がIUGR児であるから、本件のような陣痛でも本件障害を引き起こすほどの低酸素状態になったと主張するが、そうであれば、原告春子は、入院前に、すでに、HIEを発症していた可能性が高いといえる。   (カ) 臍帯圧迫による臍帯血流遮断  原告春子に発生した急性の胎児・胎盤循環障害の原因は、臍帯圧迫による臍帯血流遮断である可能性が高い。  臍帯は、子宮内において、常に、胎児と子宮壁との間で圧迫される危険性を有しており、しかも、原告花子は羊水過少であったから、臍帯圧迫が生じやすい状況にあった。  臍帯圧迫があっても、母体には自覚症状がないため、その時点でモニターを装着していなければ、臍帯圧迫が確実にあったと証明することは困難である。しかし、本件では、他に明らかな子宮内胎児死亡の原因が存在しない以上、原告春子に生じた急性の胎児・胎盤循環障害は、胎内における臍帯圧迫が原因であった可能性が高いといえる。  なお、臍帯圧迫は、長くても数十分間で解除されるはずであるから、その後、原告春子の低酸素状態は急速に改善し、代謝性アシドーシスも、徐々にではあるが改善していったと考えられる。   (キ) 本件障害が生じたのは娩出の一四時間以上前である。  原告春子は、娩出の一四時間以上前に発症した急性の胎児・胎盤機能不全により、被告病院に入院した時点では、すでに、HIEを発症していた。  一四時間以上前という時間は、「羊水中の胎便が胎児の脳を損傷する可能性はあるか?」という論文に記載されている出生児臍帯動脈血PH値と低酸素事象発生時点の関連グラフから推定できる。  また、出生時の原告春子の皮膚が緑茶色であり、胎便の色が染みついていたことや、羊水混濁が++であったことから、胎便の排出から出生までに長時間が経過していたといえるところ、この胎便が、臍帯血管を収縮させ、HIEを発症させた可能性もある。本件では、病理学的にも、臍帯に炎症所見が認められている。  なお、その後は、徐々に臍帯血管の収縮が緩和され、原告春子は、代謝性アシドーシスから開放されていったと考えられる。しかし、出生時には、入院前からの代謝性アシドーシスの影響がまだ残っていたため、重度新生児仮死で出生し、臍帯動脈血もアシドーシスを示していたのである。   (ク) ACOGらの基準について  ACOGらは、脳性麻痺の原因となる分娩中の急性低酸素症の診断基準として、四つの基本的診断基準(必須)と、分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的に伺わせる五つの診断基準を挙げている。  ACOGらの四つの基本的診断基準のうち、臍帯動脈血のBEが≦-一二であることを要求している点については、原告春子の臍帯動脈血BEについては記録が残っていないので判断できない。また、同基準のうち、先天感染や遺伝的疾患が除外されることを要求している点についても、原告春子に、これらが存在しなかったとは言い切れない。  ACOGらの分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的に伺わせる五つの基準についても、原告春子は、五つのうちどれをとっても、確定的に基準を満たしているとはいえない。  したがって、原告春子に分娩中に脳性麻痺が発生したことは、否定される。   (ケ) フリーマンの分娩前脳障害パターン  フリーマンは、以下の(1)ないし(5)の所見は、胎児中枢神経機能不全の証拠であると述べている。   (1) 平坦な基線   (2) 鈍角的な一過性徐脈   (3) 不安定な基線   (4) オーバーシユート   (5) サイヌソイダルパターン  原告春子には、(1)ないし(5)のすべてが認められるのであるから、同人は、入院前の時点で、すでに、神経学的損傷を負っていたといえる。   (コ) シフリンの自律性平衡異常パターン  シフリンは、以下の(1)ないし(3)の所見が、分娩前の脳障害を示す所見であるとし、特に、一貫した短期細変動の欠如が最も重要な所見であると述べている。   (1) 一貫した短期細変動の欠如   (2) 一定した胎児心拍数基線   (3) オーバーシュートを伴う僅かな変動一過性徐脈  これらの所見は、原告春子のパターンと酷似している。   (サ) 頭部画像所見と本件障害の発生時期との関係について  原告らは、「臍帯脱出や常位胎盤早期剥離のようなドラスティックなイベントの結果としてのHIE」では、脳の画像所見において「プロファウンドアスフィシア」の所見が、「分娩が長引き、胎児の子宮収縮(陣痛)による低酸素ストレスから胎児仮死、代謝性アシドーシスが進行した結果としてのHIE」では、脳の画像所見において「パーシャルアスフィシア」の所見が見られると主張する。  しかし、これらの原告らの主張は、動物実験を基本としたものに過ぎず、脳の画像所見から、脳障害の原因を特定することは困難である。  (3) 争点(3)(原告らの損害)について  ア 原告らの主張   (ア) 逸失利益 三七九七万八二六四円  原告春子は、身体障害者一級の認定を受けており、一〇〇%の労働能力を喪失している。  同人が一八歳から六七歳まで就労するものとして、平成九年度全労働者平均年収額五〇三万〇九〇〇円にライプニッツ係数七・五四九を掛けて算出した逸失利益は、三七九七万八二六四円である。   (イ) 介護費用        一億一九八三万〇二三〇円  原告春子は、未定頸であり、上下肢が全面機能障害の状態であり、自主的な排泄排便も不可能で、体位変換すらできない。また、嚥下障害があり、食事や水分の摂取がうまくできず、経管栄養を実施している。同時に、最重度の精神遅滞とてんかんに罹患しており、意思疎通はできず、意味のある発語はない。そして、原告春子のこれらの状態が将来回復する見込みはない。  したがって、原告春子には、二四時間二人体制での介護が必要である。親族による一日あたりの介護費用は一人六〇〇〇円、職業的介護人による介護費用は一人一二〇〇〇円と考えられる。  現在、原告春子の介護は、昼間は原告花子及びその母の丙川竹子(以下「丙川」という。)が、夜間は原告花子及び原告太郎が行っている。  しかし、丙川が七〇歳を迎える平成一八年以降、原告花子が六七歳を迎える平成四六年以降は、同人らに代わって順次職業介護人による介護が必要とならざるを得ない。  これを基礎に計算すると、原告春子が平均余命八二・八四歳を迎える平成九二年までの介護費用は、以下のとおりとなる。   a 六〇〇〇円×三六五日×九年間のライプニツツ係数七・一〇七八   b 一二〇〇〇円×三六五日×(平均余命八二・八四歳のライプニッツ係数一九・六三四-九年間のライプニッツ係数七・一〇七八)   c 六〇〇〇円×三六五日×三七年間のライプニッツ係数一六・七一一二   d 一二〇〇〇円×三六五日×(平均余命八二・八四歳のライプニッツ係数一九・六三四-三七年間のライプニッツ係数一六・七一一二)   e a+b+c+d=一億一九八三万〇二三〇円   (ウ) 入院治療費   三万五二四〇円  原告春子は、出生後一か月間、被告病院で入院治療を受けた。この費用は三万五二四〇円である。   (エ) 雑費    五八九万〇二〇〇円  原告らが、原告春子の流動食、オムツ代、ティッシュ代等につき、現実に負担している費用は、少なくとも月額二万五〇〇〇円であり、年間三〇万円である。この額に、平均余命八二・八四歳のライプニッツ係数一九・六三四を掛けて算出した雑費は五八九万〇二〇〇円である。   (オ) 慰謝料      三六〇〇万円  原告春子  二六〇〇万円(一級障害)  原告太郎及び原告花子    各五〇〇万円   (ウ) 証拠保全費用     一一万円   (キ) 文献翻訳費用     二八万円  被告は、本件訴訟において、大量の外国語文献を証拠として提出したが、その中には、部分訳しかされていないもの、原告に有利な記述部分については訳を付していないもの、明らかな誤訳等があった。  したがって、原告らは、これらの外国語文献について、信頼できる業者に翻訳依頼せざるを得なかったのであり、これらの費用は、本件医療過誤と相当因果関係のある損害といえる。   (ク) 弁護士費用 一九〇七万三三九三円  弁護士費用として、少なくとも上記請求額合計((カ)及び(キ)を除く)の一割は被告に負担させるのが相当である。  原告春子    一八九七万三三九三円  原告太郎及び原告花子   各五〇万円  イ 被告の主張  原告らの損害については知らない。  なお、原告らは、介護費用として二人分の費用を請求しているが、これまで、介護費用として二人分の費用が認められた判例はない。  また、近親者の慰謝料についても、五〇〇万円は過大である。 第三 争点に対する判断  一 前提となる事実経過  前記第二、一の基礎となる事実に《証拠略》を総合すると、次の各事実が認められる。  (1) 各検査の数値について  ア 子宮底長の平均値   (ア) 妊娠三六週の子宮底長は、平均が三二・四であり、±一・五SDが、二九・四~三五・七である(なお、計測された数値が-一・五SDよりも低い場合、発育速度が遅延していると判断される。)。   (イ) 妊娠三九週の子宮底長は、平均が三四・二であり、±一・五SDが、三一・八~三六・八である。  イ 超音波検査による胎児の体重推定  超音波検査による胎児の体重推定には、一〇%程度の誤差が生ずる。  (2) モニター所見の評価  ア モニター所見一般について   (ア) 正常所見  モニター上、基線及び基線細変動がいずれも正常であり、一過性頻脈が存在し、一過性徐脈がない場合には、胎児の状態は正常であると考えられる。   (イ) 異常所見  モニター上、遅発一過性徐脈、変動一過性徐脈又は遷延性徐脈が繰り返し出現し、細変動が消失している場合には、胎児が胎児仮死に陥っている可能性が高いと考えられる。   (ウ) 正常所見及び異常所見の確実性について  モニター上、胎児の状態が良好であることを示すパターンは、確証のもてる所見である。しかし、胎児の状態が悪いということを示すパターンは、胎児の状態が良好であることを示すパターンに比べると、その確実性は劣る。   (エ) 両者の中間所見  上記(ア)及び(イ)の中間に位置する多くの所見について、医師が、そのような所見が現れた場合にいかなる処置をとるべきかに関しては、いまだ、確定的な基準は確立されていない。  イ 一過性頻脈の評価  一過性頻脈の出現は、胎児の状態が良好であることを示す所見である。  モニターの所見が悪そうに見えても、一過性頻脈があれば、胎児は安心できる状態であると考えてよい。  ウ 遅発一過性徐脈の評価   (ア) 遅発一過性徐脈は、胎児が低酸素状態に陥っていることを示す所見であり、胎児仮死の一徴候として重要視されている。  なお、正常分娩でも、児の娩出の直前には、胎児には低酸素状態が起こり、遅発一過性徐脈が出現することがあるが、そのような場合でも、児が短時間で娩出されれば、児への影響は少ない。   (イ) 遅発一過性徐脈が、陣痛のたびに反復して一五分以上続いた場合には、胎児仮死と判断される。また、基線細変動の消失を伴う場合には、重症の胎児仮死と判断される。  遅発一過性徐脈が三回以上連続して出現した場合も胎児仮死と診断され、早急な処置を必要とする。  エ 変動一過性徐脈の評価  変動一過性徐脈は、子宮収縮に伴う一時的な臍帯の圧迫によって生じるといわれている。  高度変動一過性徐脈、オーバーシュートを伴う変動一過性徐脈、基線細変動の減少又は消失を伴う変動一過性徐脈等は、胎児仮死を疑うべき所見とされている。  オ 長期細変動の評価  長期細変動が五bpm以下に減少した場合には、胎児仮死を疑うべき所見とされている。  (3) 脳障害が分娩中に生じたものか否かの判断基準について  ア ACOGらの基準  ACOGらは、脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準として、次の項目を挙げている。   (ア) 基本的診断基準(四項目すべて必要)   (1) 臍帯動脈血中に代謝性アシドーシスの所見が認められること(PH〈七かつ不足塩基量≦一二mmol/L)   (2) 三四週以降の出生早期にみられる中等ないし重症の新生児脳症   (3) 痙性四肢麻痺型およびジスキネジア型脳性麻痺   (4) 外傷、凝固系異常、感染、遺伝的疾患などの病因が除外されること   (イ) 分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的にうかがわせる診断基準。(〇~四八時間の幅で)ただし、asphysia(アスフィシア。窒息又は仮死)の種類に対しては特異的ではない。   (1) 分娩直前または分娩中に急性低酸素状態を示す(sentinel hypoxic event)事象が起こっていること   (2) 胎児心拍モニター上、特に異常のなかった症例で、通常、前兆(Sentinelevent)となるような低酸素状況に引き続き、突発性で持続性の胎児徐脈または心拍細変動の消失が頻発する遅発性または変動性徐脈を伴っている場合   (3) 五分以降のアプガースコアが〇~三点   (4) 複数の臓器機能障害の徴候が出生後七二時間以内に観察されること   (5) 出生後早期の画像診断にて、急性で非限局性の(acute nonfocal)脳の異常を認めること  イ フリーマンの分娩前脳障害パターン  フリーマンは、急性期の低酸素症に伴う胎児心拍数パターンと、分娩以前の中枢神経障害に伴う胎児心拍数パターンにつき、以下の(ア)及び(イ)のように述べている。   (ア) 急性期の低酸素症に伴う所見   (1) 変動一過性徐脈  これは主に臍帯の圧迫により起こるが、基線細変動がよく保たれ、基線への回復が速やかで、頻脈を伴わないときは低酸素症あるいはアスフィシアはまだ高度ではない。このような場合、臍帯血ガスは臍帯動脈でのPCO2は高いが、静脈でのPCO2は正常である。   (2) 遅発一過性徐脈  低酸素症がまだ軽度であるときは、この波形が発生しても、基線細変動はまだよく維持され、pHは正常である。さらに進行して胎児に酸血症が発生すると、基線細変動は減少し、また頻脈を伴うことがある。その原因は胎盤機能不全にある。   (3) 遷延し持続する徐脈  この波形は解消されない臍帯圧迫、子宮破裂、妊婦のショック状態、臍帯脱落、vasa previa(前置血管)からの出血、テタヌス様子宮収縮などの突発的現象によりおこる。その持続は高度な呼吸性および代謝性酸血症をもたらす。   (イ) 分娩以前の中枢神経障害に伴う所見   (1) 平坦化したFHR。長期細変動(三~五週期/分)は減少するか欠如しており、存在していても非常に平坦な形をとる。   (2) 一過性徐脈のあるとき、パターンは「鈍的」で、変動一過性徐脈の特長的な鋭角性を消失している。   (3) 不安定な基線。基線は健康な胎児の場合は通常安定しているが、中枢神経障害のある場合不安定となり、さまよう(wandering)のような様子をみせる。基線の心拍数特定が困難となることもある。   (4) オーバーシュート。変動一過性徐脈から回復する過程で、心拍数が上昇しゆっくりと一二秒以上をかけて回復する。基線はつねにスムーズ(細変動消失)である。変動一過性徐脈は必ずしも大きくはないが、それに続いて、心拍数は速やかに上昇し、ゆっくりと基線に戻る。いわゆるshoulder(肩)とは異なる。   (5) サイヌソイダルパターン。これはまれなパターンであるが、一過性頻脈はなく、基線はまったくスムーズである。短期細変動は失われ、長期細変動は上下動をくりかえし、そのサイクルは毎分三-五回、振幅は一〇-四〇bPm。このパターンは古典的には胎児の高度貧血によるが、低酸素症でもおこる。  入院時、すでに、(1)から(5)までに挙げた様な慢性的なパターンがある場合には、胎児の中枢神経障害が分娩開始以前にすでにあることを示している。  ウ シフリンの自律性平衡異常パターン  シフリンは、「後に脳性麻痺に進展した胎児の何症例かでは、分娩中に一貫した短期細変動の欠如と、オーバーシユートを伴う僅かな変動一過性徐脈の両方によって特徴付けられた特有の胎児心拍数変動パターンが認められた。このパターン・・・・・・を・・・・・・自律性平衡異常パターンという」、「分娩開始前の神経学的損傷を証明するためには、分娩開始からこのパターンが持続していることが前提となる。」、「自律性平衡異常パターンは、一貫した短期(長期ではない)細変動の欠如、一定した胎児心拍数基線、オーバーシュートを伴う僅かな変動一過性徐脈と定義した。・・・・・・一貫した細変動の欠如が、最も顕著な所見であることを強調しておく。オーバーシュートを伴う僅かな変動一過性徐脈は間欠的な所見に過ぎない。」と述べている。  (4) VASTの評価  VASTに対し、一過性頻脈が出現すれば、胎児の反応は正常である。  逆に、VASTによって胎児心拍数図が変化せず、基線細変動が小さいか又は消失している場合には、胎児がいずれ胎児仮死になる場合が多い。  (5) 羊水量の評価  羊水量は、羊水ポケットの直径又は羊水深度が二センチメートル以上、AFIが五センチメートル以上あれば正常である。それ未満であれば、羊水過少である。  羊水過少の場合には、陣痛発来などの子宮収縮時に臍帯圧迫が起こりやすく、胎児は低酸素状態になりやすい。  (6) BPSの評価  BPS検査は、一〇点満点中、八点以上であれば正常、六点であれば判定保留、四点以下は異常と診断する検査である。  BPS検査の五つの項目のうち、最も低酸素状態の影響を受けやすいのは、一過性頻脈及び呼吸様運動である。胎児の状態が悪化するに伴い、一過性頻脈、呼吸様運動、胎動、筋トーヌスの順に胎児の反応が抑制されるといわれている。  (7) 臍帯血流計測の評価  臍帯血流計測において、拡張末期血流の途絶や逆流が存在する場合には、胎盤血流が障害されている所見、すなわち胎児の低酸素症の表れといえる。  (8) 陣痛について  ア 陣痛の開始は、規則的な一〇分間隔の不快感を伴う子宮収縮の開始で判断する。  イ 外測法によるモニターでは、陣痛の絶対的な強さを測ることはできない。その場合には、陣痛の周期や持続時間によって陣痛の強さを判断する。  子宮開大度が四~六センチメートル又はそれ以下の時点では、陣痛周期六分三〇秒以上、持続時間四〇秒以内の場合を微弱陣痛と判断する。  (9) MASについて  MASは、胎児が、胎内で低酸素状態に陥って胎便を排出し、その後、代謝性アシドーシスが進行して胎内であえぎ様の呼吸(ギャスピング)をした際に、胎便で汚染された羊水を気道内に吸飲することによって起こる。  (10) IUGRについて  ア 原告春子がIUGRかどうかは、出生時点で、一九九四年度厚生省研究班によるパーセンタイル版出生時体格基準曲線上、在胎週数に比較して体重が一〇パーセンタイル未満の児かどうかにより、判断される。  イ IUGRの胎児は、一般に、胎内で慢性的な低酸素状態にあり、さらなる低酸素状態には弱い。また、遅発一過性徐脈も出現しやすく、分娩中、胎児仮死になりやすい。羊水量も少ないことが多い。  ウ IUGRには、妊娠初期に発育遅延の原因があったため、身長及び体重がともに少さい「均衡型」と、妊娠後期に発育遅延の原因があったため、身長はそれほど小さくないが体重の減少が強い「不均衡型」があるといわれている。「不均衡型」の頭囲が、体重の割に正常範囲に保たれるのは、低酸素状態においても、脳への十分な血流が保たれる「ブレインスペアリングエフェクト」が働くためだと考えられている。  なお、一般に、「均衡型」IUGRに比べ、「不均衡型」IUGRの予後は良好であるとされている。  エ IUGRの多くは、入院前に診断されるが、娩出まで診断されない場合もある。  (11) 帝王切開の実施時期について  分娩中に、モニター等に胎児仮死を示す所見が出現し、体位変換や酸素投与を行ってもそれらの所見の改善がみられない場合、短時間のうちに経腟分娩によって児を娩出することができない状況であれば、帝王切開によって児を娩出する必要がある。  被告病院は、地域の基幹病院であり、NICUを有する高度医療機関であるところ、被告病院においては、通常であれば、帝王切開の決定をしてから三〇分以内に児の娩出が行うことができ、特別な事情がない限り、遅くとも一時間以内に児の娩出をおこなうことができる。  (12) 頭部画像所見について  ア 発達中の脳の破壊的病変の画像所見は、障害を受けた時期とその種類により、ある程度特徴的な画像を呈する。脳が、同じ種類の障害を同じ時期に受けた場合には、胎内であれ出生後であれ、ほぼ同じ反応を示す。  イ 成熟児の脳内神経細胞に重篤な障害が生じると、星状膠細胞の腫脹が生じ、脳浮腫が生じる。  ウ 未熟児の脳内神経細胞に重篤な障害が生じると、星状膠細胞の反応が不十分であるため、障害により壊死に陥った脳細胞が液化する。  エ 胎児が、心停止や完全な無酸素状態にさらされたために、脳に障害が生じた場合をプロファウンドアスフィシアといい、脳幹及び深部灰白質が主に障害される。  プロファウンドアスフィシアの画像は、基底核壊死の所見を呈し、妊娠八~九か月前半までは脳幹及び視床、九か月では脳幹、視床及びレンズ核、一〇か月では視床外側部、レンズ核、海馬及び皮質脊髄路が最も障害を受けやすい。  オ 胎児が、軽度から中程度の低酸素状態や虚血に一定時間さらされたために、脳に障害が生じた場合をパーシャルアスフィシアといい、大脳皮質、海馬、小脳皮質等が広範に障害される。  (13) 脳性麻痺の原因について  脳性麻痺は、分娩中以外の出来事が原因で起こることも少なくない。  (14) 本件出産日のモニター所見  原告春子の本件出産日におけるモニターの所見は、以下のとおりであった。  ア 午前一〇時三五分ころ  本件出産日の午前一〇時三〇分以降、胎児には、VASTによって、一時的に長期細変動が出現していたものの、その後、再び、長期細変動は減少している状態が続いており、一〇時三五分には、モニター上、遅発一過性徐脈が出現した。  イ 午前一〇時五七分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  ウ 午前一一時〇一分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  エ 午前一一時〇五分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  オ 午前一一時〇八分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  カ 午前一一時一二分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  キ 午前一一時一五分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  ク 午前一一時一八分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  ケ 午後〇時二三分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約七〇bpmの変動一過性徐脈であった。  コ 午後〇時三七分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、遅発一過性徐脈であった。  サ 午後一時三三分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約六〇bpmのオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈であった。  シ 午後一時四一分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約八〇bpmのオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈であった。  ス 午後一時五〇分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約六〇bpm以下の変動一過性徐脈であった。  セ 午後一時五五分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約六〇bpm以下の変動一過性徐脈であった。  ソ 午後一時五九分ころ  モニター上出現した一過性徐脈は、最小心拍数約八〇bpmの変動一過性徐脈であった。  タ 午後二時三〇分ころ  モニター上、長期細変動は消失した。  (15) 短期細変動について  原告花子に使用された本件出産日のモニター(トーイツ株式会社製、MT-540、外測法で測定された。)の記録からは、短期細変動の有無は読みとれない。  (16) 原告春子のアプガースコア  原告春子の、出生後一分値及び三分値のアプガースコアは、いずれも0点であった。  (17) 脳性麻痺の原因  ア 原告春子の出生に関しては、早産、外傷、多胎、分娩前出血及び骨盤位は存在していなかった。  イ 原告春子には、子宮内感染症や凝固系異常があったことを疑わせる所見はなかった。  ウ 原告花子には、抗リン脂質抗体症候群であることを疑わせる所見はなかった。  二 事実認定の補足説明  (1) 原告花子に使用された本件出産日のモニター(トーイツ株式会社製、MT-540、外測法で測定された。)の記録からは、短期細変動の有無は読みとれないと判断した点について、補足して説明する。  被告は、原告花子の本件出産日のモニターの記録から、肉眼で「短期細変動が消失または減弱している」ことが読みとれると主張しており、乙山医師、丁原医師及び戊田医師も、同旨の証言をしており、また、「産婦人科研修の必修知識二〇〇四」、「胎児モニタリング」にも、「短期細変動が消失または減弱している」ことが読みとれるとの趣旨の記載が存する。  しかし、原告花子に使用されたモニター(MT-540)の製造メーカーであるトーイツ株式会社の社員である長沢孝が、「外測法で測定されたモニター(MT-540)の記録には、短期細変動は記録されない」、「(外測法で測定されたモニターの記録において)長期細変動の上に現れる細かな変動は、短期細変動であるとはいえない」、「本件出産日に原告花子に対して使用されたモニター(MT-540)の記録には、短期細変動は記録されていない」と述べていることに加え、日本産婦人科学会も、基線細変動については、「肉眼的に判断する。」、「短期細変動、長期細変動の表現はしない。」としていること、「胎児心拍陣痛図演習」という書籍にも、「(短期細変動は)市販の装置による心拍図から肉眼で見ることは困難である。」、「臨床的に細変動という場合は長期細変動を指す。」と記載されていること、甲田医師も、同旨の証言をしていること、「産婦人科研修の必修知識二〇〇四」及び「胎児モニタリング」が念頭に置いているモニター中にトーイツ株式会社製の上記モニター(MT-540)が含まれるのか否かが不明であること等の諸事情を総合すれば、本件出産日に原告花子に対して使用されたモニターの記録からは、短期細変動の有無は読みとれないと考えるほかない。  なお、乙山医師、丁原医師及び戊田医師は、この認定に反し、短期細変動が「読みとれる」旨証言しているが、同医師らは、モニターの物理的な仕組みに基づく根拠は何ら述べておらず、同医師ら以外の第三者が同医師らの述べるところを追試して体験することは極めて困難であると推認されるのであり、同医師らの証言をもって、上記トーイツ株式会社の社員が述べている事実を覆すことはできないというべきである。  以上のとおりであるから、原告花子に使用された本件出産日のモニター(トーイツ株式会社製、MT-540)の記録からは、短期細変動の有無は読みとれないと認められる。  (2) 乙山医師は、原告春子のアプガースコアについて、手術直前に胎児心拍を良好に聴取していることや原告春子の全身色が青みがかかっていたことから、出生直後の心肺停止は考えにくく、聴診上で心拍が聴取しづらかった可能性が十分考えられる旨陳述し、原告春子の一分値アプガースコアが〇点であることにつき疑問を投げかけ、病理組織検査申込書の記載からすれば、乙山医師が当初から上記のような疑問を抱いていたことが窺われる。  しかし、乙山医師は、原告春子出生後、原告花子の手当をしており、実際に一分後の原告春子の容態を見ているわけではないこと、原告春子の蘇生に当たっていた小児科医師、助産婦がいずれも原告春子の一分値アプガースコアを〇点と判定し、また、小児科医師は三分値アプガースコアについても〇点と判定していることを考慮すると、原告春子の一分値アプガースコアが〇点であることは明らかであると認められるのであり、乙山医師の上記疑問は理由がないという外はない。  三 争点(1)(注意義務)について  乙山医師に、本件出産日の午前一〇時三〇分から、遅くとも同日午後二時三〇分までに、帝王切開によって原告春子を娩出すべき注意義務があったかを検討する。  (1) モニター所見の信頼性について  現在、分娩中の胎児の状態を外部から把握するためには、妊婦にモニターを装着して、その所見を分析し、補助的にVASTや超音波検査等を用いる以外に、より確実な方法は存在しない。  また現在、分娩時のモニターによる分娩監視は、産科医のスタンダードとなっており、日本産婦人科学会においても、モニター所見の用語及び定義に関する提言が行われていること、モニター所見の読み方に関する多数の文献が出版され、論文が発表されており、モニターの有用性が一般に承認されていること、モニターによる分娩監視が、分娩中の低酸素状態が原因で生じる脳性麻痺を回避するために有効である旨の報告が存すること、胎児が分娩中に低酸素状態に陥ったために脳性麻痺を発症してしまう症例が、脳性麻痺児の全体に占める割合は別としても、一定程度、確実に存在していること等の事情を総合すれば、分娩中の適切な時期に、胎児が胎児仮死に陥っていることを把握し、帝王切開等によって速やかに児を娩出するためには、妊婦にモニターを装着し、所見を分析することの重要性は否定できないというべきである。  被告は、モニターの所見は、胎児が良い状態であることを示す確実性は高いものの、悪い状態であることを示す確実性は低い旨主張し、丁原医師も、これに沿う内容の証言をしているが、上記事情にかんがみれば、モニターの有用性を否定することはできないのであり、この点での被告の主張は、採用することができない。  以下、モニターの所見を含めて本件に表れた事実を基に、乙山医師が、いつの時点で帝王切開を実施すべきであったかを検討する。  (2) 本件出産日午前一〇時三〇分までの所見について  ア 本件では、モニターを装着した直後である本件出産日午前一〇時一三分及び一七分に、遅発一過性徐脈が発生しており、これは、胎児が、胎内で低酸素状態に陥っていることを示す一つの所見であるといえる。  なお、午前一〇時九分の一過性徐脈については、子宮収縮との関係が明瞭でないことからすると、これを直ちに遅発一過性徐脈であると認定することはできない。  モニター上の長期細変動については、本件出産日の午前一〇時〇〇分から〇五分ころまでは、一応六bpm以上の長期細変動の存在が認められるものの、午前一〇時〇五分から二三分ころまでは、長期細変動はおおよそ五bpm以下に減少しており、これも、胎児仮死を疑わせる所見の一つであるといえる。  さらに、本件出産日の午前一〇時二三分には、胎児に対し、VASTが行われているものの、正常な反応である一過性頻脈は出現しておらず、胎児には、一時的に、長期細変動が出現するようになったにすぎない。  なお、本件出産日のモニターには、その当初から分娩まで、一貫して、胎児が安心な状態であることを示す一過性頻脈は、一度も出現していない。  イ 上記アの事情を総合するに、胎児(原告春子)には、本件出産日午前一〇時三〇分までに、胎児仮死を疑わせる一定の所見が現れていたことは否定できない。  しかし、モニター上どのような所見が出現し、VASTの結果どのような所見が現れたときに、帝王切開等の急速遂娩を選択すべきであるかという基準に関しては、上記一、(2)、ウ、(イ)のとおり、遅発一過性徐脈が三回以上連続して出現したような場合や、遅発一過性徐脈が陣痛の度に反復して一五分以上連続して現れたような場合等の一定の場合を除き、ほとんどの所見について、学会においても、信頼できる判断基準としての意見の一致はみられていない。  本件においても、本件出産日午前一〇時三〇分の時点では、未だ、遅発一過性徐脈が三回以上連続し、又は、遅発一過性徐脈が一五分以上連続して出現したような所見はなく、さらに、モニター上の長期細変動についても、消失したような所見は認められていない。  したがって、乙山医師が、午前一〇時三〇分ころの時点で、帝王切開を行う旨の決定を行わなかったとしても、それが、直ちに過失に当たるとは認められない。  ウ これに対し、甲田医師は、意見書及び証言において、午前一〇時二三分に行われたVASTの結果、胎児に一過性頻脈が現れなかった時点で、乙山医師は帝王切開を行う旨の決定をすべきであったと陳述及び証言している。  しかし、VASTについては、胎児の反応が分娩の進行、破水などにより低下する傾向があり、健康胎児であっても振動覚経路が抑制されて反応が減弱する可能性もあり、その判定に注意を要するとの指摘があり、VASTを二、三回繰り返して判定することを前提とする記述も存する上、「遅発一過性徐脈の三回連続出現」を帝王切開決定の基準としている戊田医師の意見書及び証言が存在していることを考慮すると、甲田医師の上記意見のみでは、乙山医師に、午前一〇時三〇分の時点において、帝王切開を決定すべき義務が発生していたと認めることはできないものである。  (3) IUGRの把握について  原告らは、乙山医師が、本件出産日の午前一〇時二三分ころ、VASTを行っても一過性頻脈が出現しなかった時点で、直ちに超音波検査を行って胎児の体重を計測し、原告春子がIUGRであったことを把握し、同人を帝王切開により速やかに娩出させるべきであったと主張する。  しかし、一般に、IUGRのすべてが入院までに把握されるわけではなく、分娩時までIUGRであることが把握されない場合も少なからず存在していることや、原告花子の妊娠三六週目以降の子宮底長も三二センチメートルであり、正常範囲(三六週目の平均値三二・四センチメートル、三九週目の平均値三四・二センチメートル)から-一・五SDを逸脱するほど少なかったわけではないこと、原告花子の腹囲及び体重の数値も、直ちにIUGRを疑わせるものではなかったこと、超音波検査による胎児体重測定についても、一般的に、一〇%程度の誤差が生じるとされていること等の事情を総合すると、乙山医師に、本件出産日午前一〇時二三分過ぎの時点で、直ちに超音波検査を行い、原告春子をIUGRであると診断すべき義務があったまで認めることはできない。  (4) 本件出産日午前一二時四〇分までの所見について  上記一、(14)、アのとおり、本件出産日の午前一〇時三〇分以降、胎児には、VASTによって、一時的に長期細変動が出現していたものの、その後、再び、長期細変動は減少している状態が続いていた。  そして、本件出産日午前一〇時三五分には、モニター上、再び遅発一過性徐脈が出現し、午前一〇時五七分ころから午前一一時一八分ころまでには、モニター上、比較的明瞭な、連続七回の遅発一過性徐脈が出現している。  これらの諸事情、すなわち、原告春子に、午前一〇時一三分、一七分及び三五分に遅発一過性徐脈が出現しており、午前一〇時五七分から午前一一時一八分にかけて、連続七回の比較的明瞭な遅発一過性徐脈が出現していること、一般的に、遅発一過性徐脈が三回以上または一五分以上連続して出現した場合には胎児仮死の所見であるといわれていること、胎児が安心できる状態であることを示す一過性頻脈は、モニターの開始当初から一度も出現しておらず、午前一〇時二三分にVASTが行われたにもかかわらず、一過性頻脈は出現していないこと、モニター上の長期細変動は、消失しているとはいえないものの、全体として減少傾向にあったこと、胎児は未だ分娩第一期にあり、子宮口開大も三センチメートルで、速やかに経腟分娩ができる状況ではなかったこと等の諸事情を総合すると、乙山医師には、遅くとも、本件出産日の午前一一時〇五分ころまでには、原告花子に対し、帝王切開を実施する旨の決定をすべき注意義務があったというべきである。  なお、甲田医師及び戊田医師も、意見書及び証言において、同時点までには、乙山医師が帝王切開を実施する旨の決定をすべきであった旨述べている。また、丁原医師も、少なくとも証言においては、「自分ならより早い時点で帝王切開していた」旨述べている。  (5) 帝王切開の決定から実施まで  少なくとも被告病院においては、産科医師が、帝王切開を行う旨の決定をした場合には、通常三〇分、特別な事情がない限り、遅くとも、決定から一時間以内に児の娩出が行われることができたところ、本件では、一時間以内に原告春子を娩出することが不可能であったことを示す特別な事情は認められず、むしろ、乙山医師は、すでに、午前一〇・三〇分の時点で、原告太郎及び原告花子に対し、帝王切開が行われる可能性について説明していたことをも考慮すると、乙山医師は、遅くとも、本件出産日午後〇時〇五分までには、帝王切開によって原告春子を娩出させるべき注意義務を負っていたというべきである。  (6) まとめ  以上のとおりであるから、乙山医師は、遅くとも本件出産日午後〇・〇五分までに、帝王切開によって原告春子を娩出すべき注意義務を負っていたというべきであり、同人には、この義務を怠り、本件出産日午後三時二八分まで原告春子を娩出させず、同人の娩出を三時間以上遅らせた過失があるといえる。  四 争点(2)(因果関係)について  乙山医師が、上記二の注意義務を尽くしていれば、原告春子に本件障害が発生しなかったかを検討する。  (1) 本件障害の原因について  原告らは、胎児である原告春子が、胎内において、子宮収縮の開始により低酸素状態となり、低酸素状態の持続及び悪化により胎児仮死となり、酸血症である代謝性アシドーシスを経て、脳細胞の壊死、神経繊維の脱落及び変成が生じ、HIEとなり、本件障害を発症したと主張する。  そこで、まず、本件障害が発生した原因について検討する。  ア 髄鞘化障害について  被告は、本件障害が発生した原因の一つの可能性として、原告春子の頭囲が一〇パーセンタイル以下であったこと等を根拠に、原告春子が、胎内において、頭部への血流を阻害されたために、脳の髄鞘化が阻害され、本件障害を発症した可能性があると主張する。  しかし、そもそも、脳の髄鞘化とは、その大半が、出生後、二歳位までの間に生じてくるものであり、胎児の時点では、脳の髄鞘化は脳幹部に認められるだけで、ほとんど生じていないのであるから、胎児の脳の髄鞘化の障害は、本件障害との関係では、問題とならないと考えるべきである。  したがって、この点に関する被告の主張は、採用できない。  イ 胎内低酸素以外に本件障害の原因が存在する可能性について  上記アの他、本件障害が、胎内低酸素以外の原因によって生じた可能性を検討する。   (ア) まず、原告春子には、早産、外傷、多胎、分娩前出血、骨盤位等は存在しておらず、子宮内感染症や凝固系異常があったことを積極的に疑わせる所見もなく、また、原告花子についても、抗リン脂質抗体症候群であったことを積極的に疑わせる所見はなかったのであるから、本件障害の原因として、これらの可能性は斟酌するに足りないといえる。   (イ) さらに、出生時の原告春子の頭部の発育は不良とはいえず、脳の形態にも、少なくとも肉眼的には、何ら奇形等の異常は認められなかったのであるから、原告春子の脳に奇形等の先天障害があった可能性や、原告春子がIUGRであったこと自体が原因で本件障害が発生した可能性は極めて少ないといえる。   (ウ) 「IUGR児の出生時頭囲が-一・五SD以下に発育が障害されている場合には、そうでない場合に比べ、生存例で、有意に高い頻度で神経学的異常が発生することが示唆された。」旨の報告も存在するが、児の神経学的異常の有無については、頭囲だけでなく、脳の形態を含めて判断しなければならないところ、原告春子の頭囲は、出生時で三一センチメートルあり、三九週の出生時平均頭囲のおおよそ一〇パーセンタイルをやや下回るところに位置づけられるものの、-二~-三SD以下といった高度の発育不良ではなかったのであるから、上記報告の内容も、原告春子に関する限り、そのまま採用することはできないというべきである。  ウ 胎内低酸素が本件障害の原因である可能性について  本件障害の原因が、胎内における低酸素状態であった可能性について検討する。  原告春子の出生時における臍帯動脈血PHは、六・九六四であり、出生早期に検査されたBEも、-二〇・九であったのであるから、原告春子は、少なくとも、分娩間近の時期には高度の代謝性アシドーシスであったといえる。  また、原告春子の出生時のアプガースコアの一分値~三分値が〇点であり、五分値も四点である等、原告春子が重度の新生児仮死であり、出生後には新生児けいれん等の症状を示しており、HIEと診断されていること、原告春子の出生後の頭部画像所見において広範な重度の脳浮腫が認められていること、モニター上も、本件出産日の午後一時台からオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈や遷延性徐脈が出現するようになり、一過性徐脈も次第に深さを増し、午後二時三〇分以降は、長期細変動が消失していること等、全体として児の状態の悪化を示す所見が現れていたこと等を総合すると、原告春子は、少なくとも、娩出直前、胎内において、脳性麻痺を生じさせ得る程度の、重度の低酸素状態に置かれていたものと認められる(原告春子の症状は、ACOGらが脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準として挙げている基本的診断基準、すなわち、(1) 臍帯動脈血中に代謝性アシドーシスの所見が認められること〔PH〈七。不足塩基量については検査がされていないが出生後最初に検査されたBEの値が-二〇・九であったことを考えれば、-一二以下であったと推認される。〕、(2) 三四週以降の出生早期にみられる中等ないし重症の新生児脳症、(3)痙性四肢麻痺型脳性麻痺、(4) 外傷、凝固系異常、感染、遺伝的疾患などの病因が除外されることをすべて具備している。)。  さらに、丁原医師、戊田医師、甲田医師、乙野医師及び丙山医師らも、少なくとも原告春子の本件障害が、胎内における低酸素状態によって生じた(又はその可能性が高い)という点においては、いずれも共通した証言をしていること等の諸事情を総合すれば、本件障害は、胎内における低酸素状態が原因で生じたものであると認めるべきである。  エ まとめ  したがって、本件障害は、胎内における低酸素状態が原因で生じたものと認められる。  (2) 胎内低酸素となった原因について  原告春子が、胎内低酸素になった原因について検討する。  ア 分娩開始により低酸素となった可能性  原告らは、原告春子がIUGRであり、予備能力がなかったことから、原告春子が、分娩開始により、低酸素状態に陥り、胎児仮死となり、HIEを発症したと主張する。  この点、確かに、原告春子は、IUGRであったから、もともと、胎内で慢性的な弱い低酸素状態にあり、しかも、同人が、羊水過少であったことをも考慮すれば、同人は、胎内において、子宮収縮の開始により、低酸素状態が進行しやすい状況におかれていたと考えられる。  ところで、被告は、原告花子の陣痛は弱陣痛であり、分娩をほとんど進行させなかったのであるから、原告春子が、この陣痛によって脳性麻痺を生じさせるような重度の低酸素状態に陥ることはないと主張する。  しかし、通常の陣痛でも、胎児が低酸素状態になることは当然あり得るといえるし、微弱陣痛とは、本件の場合、陣痛周期六分三〇秒以上、持続時間四〇秒以内の場合をいうところ、原告花子の陣痛は、陣痛周期がほとんど六分三〇秒以下であり、持続時間もほとんど四〇秒を超えているのであって、微弱陣痛の定義にはあてはまらないから、少なくとも、原告花子の陣痛は、微弱陣痛ではなかったといえる。  これらの各事実に加え、上記(1)で述べたように、原告春子が、娩出直前、胎内において、脳性麻痺を生じさせ得る程度の重度の低酸素状態に置かれていたことから考えれば、少なくとも、原告春子が、子宮収縮の開始により、低酸素状態に陥り、胎児仮死となり、HIEを発症した蓋然性は高いというべきである。  イ 臍帯圧迫による血流遮断説について  被告は、原告春子の本件障害の原因が、娩出から一四時間以上前に生じた臍帯圧迫による血流遮断である可能性が高いと主張し、丁原医師及び戊田医師も、これが本件障害の原因である可能性があると証言する。  被告が、「一四時間以上前」ということの根拠として掲げている「羊水中の胎便が胎児の脳を損傷する可能性はあるか?」という論文では、三二ないし三三の症例について、出生時臍帯動脈血PHと脳にダメージを負った時間を調査し、表にして、「重篤な虚血及び低酸素血症発症と出生との間の時間間隔が一四時間以下だった時に、PH値は六・九〇以下で、塩基過剰値は-二〇よりマイナスだった」と結論付けている。  しかし、同論文の根拠たる三二ないし三三例の各症例の数値には、それぞれかなりのばらつきがあり、同論文から、直ちに「重篤な虚血及び低酸素血症発症と出生との間の時間間隔が一四時間以下だった時に、PH値は六・九〇以下で、塩基過剰値は-二〇よりマイナスである」という一般的な命題を導き出せるとするには疑問が存するし、仮にそのような一般的命題が成立し得るとしても、上記の数値のばらつきにかんがみれば、多数の例外の存在を否定することができない命題であると言わなければならない。  しかも、原告春子の頭部画像所見は、無酸素状態や血流遮断が生じた場合の「プロファウンドアスフィシア」の所見ではなく、胎内における低酸素状態が一定時間持続した場合の「パーシャルアスフィシア」の所見であったから、この頭部画像所見に照らしてみても、本件障害が、臍帯圧迫によって一定時間血液が途絶えたことにより生じたとは考え難い。  なお、丁原医師及び戊田医師は、臍帯圧迫による血流遮断説を述べるにあたり、これらの頭部画像所見の評価は、考慮の基礎としていない。  なお、付言するに、被告は、原告春子の出生時の体表が、胎便に染まって緑茶色をしており、かつ、羊水混濁が++であったことを、分娩前に臍帯圧迫による血流遮断があったことの一つの根拠としているが、体表の色や羊水混濁の程度は、胎便が排出された時期をある程度推測させるものであったとしても、臍帯圧迫による血流遮断があったこと及びその時期についてまで推測させるものとはいえないから、この点での被告の主張は採用することができない。  以上の各事実及び判断に加え、そもそも、臍帯圧迫による血流遮断説自体、現在まで、そのような症例報告は一件もなく、理論上考え得る説にすぎないという事実も看過できない。  以上の各点を総合すれば、被告が主張する臍帯圧迫による血流遮断説は、採用できないというべきである。  ウ 胎便による臍帯血管の収縮説について  被告は、原告春子娩出の一四時間以上前に、胎内で胎便が排出され、この胎便が臍帯血管を収縮させて、本件障害を引き起こした可能性があると主張し、その根拠として、「羊水中の胎便が胎児の脳を損傷する可能性はあるか?」という論文を援用する。  しかし、本件で証言した丁原医師、戊田医師、甲田医師、乙野医師及び丙山医師は、誰一人として、この説に明確に同調していない。加えて、ACOGすらも、「胎便が臍帯血管の収縮をもたらし、それが胎児低酸素症の原因になるという仮説があるが、このことは臍帯の一部を使用した科学的な研究によっては確認されていない」と報告していること等からすれば、胎便による臍帯血管の収縮説は、本件障害の可能性として斟酌するに足らないといわざるを得ない。  エ まとめ  以上を総合するに、本件障害は、子宮収縮の開始による胎内低酸素状態が一定期間持続したことが原因で生じたものであると考えるのが最も合理的であり、本件障害は、少なくとも、原告花子に生理痛のような不規則な痛みが自覚された本件出産日午前五時ころから娩出時までの間に完成したものであると認められる。  なお、被告は、本件障害の原因として様々な可能性が存在する旨るる主張するが、訴訟上の証明とは、反証を容れる余地のない自然科学的な証明ではなく、「高度の蓋然性」が存在すればそれで足りるものである。そして、被告が主張する上記の各可能性は、いずれも、この「高度の蓋然性」の存在を覆すほどのものとはいえない。  (3) 本件障害が完成した時期について  本件障害が、本件出産日午前五時ころから娩出時までの間に完成したものであることを前提として、本件障害が完成した時期について検討する。  ア ACOGらの基準について   (ア) 被告は、原告春子がACOGらが提唱する脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準に合致していないと主張し、そのことから、原告春子は、入院前にすでにHIEを発症しており、すでに脳ダメージが不可逆的になっていたと主張している。  しかし、この基準は、それ自体、アメリカにおいて産科医療訴訟が頻発したことにより、訴訟対策として作成されたという政治的側面を有しているとの批判がある上、その点を暫く措いても、原告春子は、ACOGらの基準に照らしてみても、必須の四項目とされている基本的診断基準をすべて満たしている。(BEの値についても、出生後最初に検査されたBEの値が-二〇・九であったことを考えれば、-一二以下であったと推認できる。)   (イ) さらに、原告春子はACOGらの「分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的にうかがわせる五つの診断基準」(必須ではない)のうち、「複数の臓器機能障害の徴候が出生後七二時間以内に観察されること」及び「出生後早期の画像診断にて、急性で非限局性の(acute nonfocal)脳の異常を認めること」の二つを明らかに満たしていることに加え、同人は、陣痛開始により重篤な低酸素状態となり、HIEを発症したのであるから、「分娩直前または分娩中に急性低酸素状態を示す(sentinelhypoxic event)事象が起こっていること」という基準についても、問題とならないといえる。  これに対し、原告春子は、ACOGらの「分娩中に脳性麻痺が発生したことを総合的にうかがわせる五つの診断基準」のうち、五分以降のアプガースコアが〇~三点」という基準及び「胎児心拍モニター上、特に異常のなかった症例で、通常、前兆(sentinel event)となるような低酸素状況に引き続き、突発的で持続性の胎児徐脈または心拍数変動の消失が頻発する遅発性または変動性徐脈を伴っている場合」という基準を満たしていない。  しかし、五分値のアプガースコアについては、原告春子の五分値のアプガースコアは四点であり、ACOGらの基準と大きくかけ離れているわけではなく、アプガースコアの採点には主観的な要素も多く含まれるのであるから、この一点の違いを殊更に重視すべきではない。  また、「胎児心拍モニター上、特に異常のなかった症例で、通常、前兆(sentinelevent)となるような低酸素状況に引き続き、突発性で持続性の胎児徐脈または心拍数変動の消失が頻発する遅発性または変動性徐脈を伴っている場合」という基準に関しては、原告春子は、入院直後から、モニター上において異常所見が認められているのであるから、この基準を満たしていないことは明らかであるが、入院時に、モニター上の何らかの異常所見があったからといって、その時点で、必ずしも、原告春子の本件障害が完成していたとはいえないのであり、原告春子には、本件出産日午後〇時四〇分に超音波検査(BPS)が行われた時点で、一過性頻脈、呼吸様運動及び胎動の所見が(一)であり、すでにこれらの所見については抑制されていたものの、胎児の状態の悪化に伴って最後に抑制される所見であるといわれている筋トーヌスは、いまだ存在しており、(+)であったのであるから、少なくとも、原告春子は、本件出産日午後〇時四〇分の時点では、出生時のような重篤なHIEの状態であったとはいえないというべきである。  さらに、同時点における臍帯血流の状態についても、血流は不良ではあったものの、拡張末期血流の途絶や逆流は存在していなかったのであるから、これらの諸事情を総合すれば、原告春子には、少なくとも午後〇時四〇分の時点では、いまだ、本件障害のような重篤な脳障害は完成していなかったものと認めるべきである。  甲田医師、乙野医師及び丙山医師も、結論において同趣旨の証言をしており、丁原医師及び戊田医師も、この可能性を否定しているわけではない。   (ウ) 以上のとおり、原告春子には、午後〇時四〇分までにある程度の障害が生じていた可能性は存在するものの、ACOGらが提唱する脳性麻痺の原因としての分娩中の急性低酸素症の診断基準を満たしており、ACOGらの基準との関係でいえば、本件障害がその後に完成したと解することに何らの矛盾も存しない。  イ フリーマン及びシフリンのパターンについて  被告は、原告春子のモニター所見が、フリーマンの分娩前脳障害パターンやシフリンの自律性平衡異常パターンに該当していると主張し、これを、原告春子の本件障害が入院前にすでに完成していたことの根拠としている。乙山医師、丁原医師及び戊田医師も、同様の証言をしている。  しかし、これらのパターンの規範としての相当性については措くとしても、本件では、少なくとも、シフリンの自律性平衡異常パターンにおける重要な所見であるとされる「短期細変動の欠如」は、モニター上判読できず、フリーマンの分娩前脳障害パターンについても、原告春子のモニターには、フリーマンがいう「急性期の低酸素症に伴う所見」であるところの遅発一過性徐脈が入院時から頻回に出現しており、遷延性徐脈も出現している一方、「分娩以前の中枢神経障害に伴う所見」であるオーバーシュートを伴う変動一過性徐脈が出現するようになったのは、本件出産日の午後一時台であり、サイヌソイダルパターンに関しても、少なくとも、原告花子の入院直後から認められているわけではなく、加えて、上記アで述べたように、原告春子に、午後〇時四〇分の時点で、未だ筋トーヌスが認められており、かつ、拡張末期血流の途絶や逆流は存在していなかったという事実を総合すれば、原告春子のモニターがフリーマンの分娩前脳障害パターンやシフリンの自律性平衡異常パターンに該当しているとは認められず、入院前に本件障害が完成していたという被告の主張は、採用できないといわざるを得ない。  ウ まとめ  以上のとおりであるから、少なくとも、原告春子に生じている本件障害が完全に完成した時期は、本件出産日の午後〇時四〇分以降であると認められる。  (4) 小括  以上の各検討からすれば、本件において、乙山医師が、本件出産日午後〇時〇五分までに原告春子を娩出させていれば、同人の本件障害が、少なくとも現在より軽い状態に止まったという高度の蓋然性があると認められ、その意味において、被告の過失と本件障害との間には、因果関係があると認められる。  五 争点(3)(損害)について  (1) 原告春子に生じた損害  ア 逸失利益   (ア) 原告春子は、本件障害により、その労働能力を一〇〇パーセント喪失したと認められるところ、上記四のとおり、本件では、乙山医師が、本件出産日の午後〇時〇五分までに原告春子を娩出させていれば、同人の本件障害が、少なくとも現在より軽い状態であったという高度の蓋然性が認められる。  しかし、原告春子が上記時点で娩出させていれば、同人に何の知的・身体的障害も残らなかったかという点に関しては、モニター上、被告病院に入院した当初から、胎児が低酸素状態に陥っていたことを示す遅発一過性徐脈が出現していたこと、モニター上の長期細変動も、入院当初から一貫して減弱傾向にあったこと、モニター上、胎児が元気であることを示す一過性頻脈は、入院当初から一度も認められていなかったこと、本件出産日午後〇時四〇分に行われたBPS検査においても、その時点まで継続されていたと考えられる胎内低酸素状態の影響により、胎児の呼吸様運動及び胎動はすでに抑制されていたこと、同時点における臍帯血流の状態も、正常ではなく不良であったこと等の諸事情を考慮すると、本件において、被告病院に入院した時点で、原告春子が、すでに、胎内において、一定時間、決して軽度とはいえない低酸素状態に置かれていたといわざるを得ない。  したがって、仮に、原告春子が、帝王切開によって適正な時期に娩出されていたとしても、同人に、胎内における低酸素状態を原因とする知的・身体的障害が残った可能性があることは否定できないというべきである。   (イ) これに対し、甲田医師は、意見書において、本件出産日午後〇時一五分までに原告春子が娩出させられていれば、同人に脳性麻痺の後遺症が残らなかった可能性が高いと述べており、その根拠として、同時刻にオーバーシュートを伴った変動一過性徐脈が出現したことを挙げている。  しかし、オーバーシュートを伴う変動一過性徐脈、基線細変動の減少又は消失を伴う変動一過性徐脈等は、胎児仮死を疑うべき所見とされているが、これらの所見がなければ胎児に障害が生じていないことを示唆する論文、医学文献、統計結果等は、提出されていないのであり、甲田医師の意見書をもって、本件出産日午後〇時一五分までに原告春子が娩出させられていれば、原告春子に脳性麻痺の後遺症が残らなかったとまでは認められない。  また、乙野医師は、意見書及び証言において、原告春子が実際より一時間から二時間早く娩出させられていれば、同人は正常であったか、または、障害がより軽度であったと考えられる旨述べており、その主たる根拠として、「原告春子には、娩出時に最大の低酸素状態があったこと」を挙げている。  しかし、この理由も、原告春子が現在のような最重度の障害を負うことを回避できたことの理由としては是認できるものの、本件出産日午後〇時〇五分の時点で、同人に、胎内低酸素を原因とする何の知的・身体的障害も生じていなかったことまでを合理的に説明できるものとはいい難い(なお、乙野医師も、この点について明言しているわけではない。)。  丙山医師も、「原告春子が、心停止で生まれたにもかかわらず、出生後、心拍が再開した」という理由から、原告春子が実際より五分から一〇分早く娩出させられていれば、現在のような最重度の脳性麻痺は回避できた可能性が高い旨述べているが、丙山医師も、原告春子に胎内低酸素を原因とする何の知的・身体的障害も生じなかった可能性が高いと述べているわけではない。  したがって、本件では、これら三人の医師が、原告春子が全く正常であった「可能性がある」と述べている点は軽視できないものの、原告春子に何ら知的・身体的障害が生じなかった高度の蓋然性があると認めることはできないといわざるを得ない。   (ウ) 以上のとおり、乙山医師が、本件出産日の午後〇・〇五分までに原告春子を娩出させていれば、原告春子の本件障害が、少なくとも現在より軽い状態であったという高度の蓋然性が認められるところ、仮に、原告春子が、帝王切開によって適正な時期に娩出されていたとしても、同人に、胎内における低酸素状態を原因とする知的・身体的障害が残り、服することができる労務が制限された可能性が存在することは否定できないものの、近年における障害者の社会進出の状況にかんがみれば、原告春子が、それだけで労働能力を全く失ったと認めることはできないのであり、やはり、乙山医師の過失行為と相まって、原告春子が完全に労働能力を失ったというべきである。そして、上記(イ)の甲田医師らの意見に加えて、本件に現れたその他一切の事情を考慮すると、乙山医師の過失行為の原告春子の労働能力完全喪失に対する寄与割合は、少なくとも六〇パーセントを下ることはないというべきである。   (エ) 原告春子の逸失利益は、その年齢にかんがみ、平成九年度全労働者平均年収額五〇三万〇九〇〇円を基本として算定することとし、これに原告春子の一八歳から六七歳までのライプニッツ係数七・五四九を掛けて算出した金額の六〇パーセントである二二七八万六九五八円を損害と認めるのが相当である。  イ 介護費用  上記四のとおり、本件では、乙山医師が、本件出産日の午後〇時〇五分までに原告春子を娩出させていれば、原告春子の本件障害が、少なくとも現在より軽い状態であったという高度の蓋然性が認められる。  したがって、原告春子の介護費用についても、乙山医師の過失がなければ、実際より低額であった高度の蓋然性が認められるといえる。  しかし、上記アで検討したとおり、本件では、乙山医師の過失がなかったとしても、原告春子に、胎内における低酸素状態を原因として知的・身体的障害が残った可能性が存在することを否定できないところ、上記アと同様に、乙山医師の過失行為の介護費用相当の損害に対する寄与割合は六〇パーセントを下回ることはないというべきである。  なお、本件では、原告春子の介護を職業介護者が行った場合に、必ずしも二名の職業介護者が必要であるという立証がされたとはいえない。  以上の事情を考慮し、本件では、原告春子の介護費用として、全期間を通じて一日当たり一万二〇〇〇円(九年間は親族二名で一名当たり六〇〇〇円の合計一万二〇〇〇円、それ以降は職業介護人一名で一万二〇〇〇円)が必要であると認め、これにより介護費用を計算すると、以下のとおり、合計五一五九万八一五二円となる。  一万二〇〇〇円×三六五日×平均余命八二・八四歳のライプニッツ係数一九・六三四×六〇パーセント=五一五九万八一五二円を、介護費用たる損害と認めるべきである。  ウ 入院治療費  原告らは、出生後一か月間、被告病院で入院治療を受け、この費用として三万五二四〇円を支出した。  上記ア及びイで検討した諸事情からすれば、同費用の六割である二万一一四四円は、乙山医師の過失と相当因果関係のある損害と認めるべきである。  エ 雑費  原告らは、原告春子の流動食、オムツ代、ティッシュ代などの雑費が、少なくとも月額二万五〇〇〇円かかっていると主張するところ、原告春子の本件障害及び現在の介護の状態からすれば、これを認めることができる。  そして、上記ア及びイで検討した諸事情からすれば、本件において乙山医師の過失と相当因果関係のある雑費の損害としては、年額三〇万円(二万五〇〇〇円×一二)に平均余命八二・八四歳のライプニッツ係数一九・六三四を掛け合わせた金額の六割である三五三万四一二〇円と認めるのが相当である。  オ 慰謝料  上記三のとおり、本件では、乙山医師の過失により、原告春子の娩出が適正な時期より三時間以上遅れたことは明らかであり、また、上記四のとおり、乙山医師の過失がなければ、原告春子の本件障害が、より軽度であった高度の蓋然性も認められる。  また、上記アのとおり、本件では、乙山医師の過失がなかったと仮定した場合に、原告春子に、知的・身体的障害が残った可能性が存在することは否定できないものの、やはり乙山医師の過失行為と相まって原告春子に本件障害が残存したというべきであるから、これらの事情を考慮し、また、原告太郎及び原告花子についても慰謝料が認められることにかんがみ、本件慰謝料としては、一五〇〇万円とするのが相当である。  カ 証拠保全費用  原告らは、本件訴訟の証拠保全におけるカルテ等の複写費用として、一一万円を支出したものと認められるところ、医事関係訴訟を提起するにあたり、原告による証拠保全の実施は不可欠なものと考えられるから、この費用は、乙山医師の過失と相当因果関係を有する損害というべきであり、乙山医師の寄与割合を考慮し、そのうち六〇パーセントに当たる六万六〇〇〇円を損害と認める。  キ 文献翻訳費用  原告らは、被告が証拠として提出した大量の外国語文献の中に、部分訳しかされていないもの、原告に有利な記述部分については訳を付していないもの、明らかな誤訳等があり、これらの外国語文献について、信頼できる業者に翻訳依頼せざるを得なかったため、これらの翻訳費用が、本件医療過誤と相当因果関係のある損害であると主張している。  しかし、これらの損害は、乙山医師の過失から一般的に生じる損害とはいえないものであり、弁護士費用を算定するに当たって考慮すべきものであるにすぎないというべきである。  したがって、この点に関する原告の主張は採用できない。  ク 弁護士費用  上記損害額の合計額の約一割に当たる九三〇万円は、弁護士費用として、乙山医師の過失と相当因果関係のある損害であると認められる。  ケ 合計  以上を合計すると、原告春子に生じた損害は一億〇二三〇万六三七四円となる。  (2) 原告太郎及び原告花子に生じた損害  ア 慰謝料  上記三及び四のとおり、本件では、乙山医師の過失により、原告春子の本件障害がより重篤となり、原告太郎及び原告花子が相当の精神的苦痛を被ったことは明らかである。  加えて、本件出産日以降、乙山医師らの被告病院の医師が行った本件出産日の医療行為に関する説明も、少なくとも帝王切開の遅れの点に関しては不十分なものであり、これによって、原告太郎及び原告花子の精神的苦痛が拡大したことも否定できない。  以上の事情に加えて、原告春子についても慰謝料が認められることを考慮すれば、原告太郎及び原告花子が被った慰謝料としての損害は、各二〇〇万円とするのが妥当である。  イ 弁護士費用  上記損害額の合計額の一割である各二〇万円は、弁護士費用として、乙山医師の過失と相当因果関係のある損害であると認められる。  ウ 合計  以上を合計すると、原告太郎及び原告花子に生じた損害は各二二〇万円となる。  (3) 被告の責任  被告は、乙山医師の使用者として、上記損害金及びこれに対する不法行為日である平成九年一〇月二四日以降の民法所定の年五分の割合による遅延損害金を賠償する義務を負う。  六 結論  以上のとおり、原告らの請求は主文の限度で理由があるからこれを認容し、その余は棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法六一条及び同六四条を適用し、仮執行宣言については相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。 (裁判長裁判官 小林 正 裁判官 高倉文彦)  裁判官庄司芳男は、転補のため署名押印することができない。       (裁判長裁判官 小林 正)



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