出産時に帝王切開が遅れたため後遺障害が残った子供に対し、損害賠償請求を認めた事件
横浜地裁 平成19年2月28日 平成17年(ワ)第3468号
横浜地方裁判所判決 平成17年(ワ)第3468号
判決日 平成19年2月28日
出産時に帝王切開が遅れたため後遺障害が残った子供に対し、損害賠償請求を認めた事件
主 文
1 被告は,原告Aに対し,1億3708万7511円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
2 被告は,原告Bに対し,275万円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告Cに対し,275万円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
4 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
5 訴訟費用は,これを4分し,その3を被告の負担とし,その余は原告らの負担とする。
6 この判決は,第1項ないし3項に限り,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告Aに対し9000万円,原告B及び原告Cに対し各180万円の担保を供するときは,その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求
1 原告
(1)被告は,原告Aに対し,1億8120万8176円及びうち1億6514万6934円に対する平成17年8月1日から支払済みまで,うち967万円に対する平成18年5月18日から支払済みまで,うち639万1242円に対する平成18年11月23日から支払済みまでそれぞれ年5%の割合による金員を支払え。
(2)被告は,原告B及び同Cに対し,それぞれ550万円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで年5%の割合による金員を支払え。
(3)訴訟費用は被告の負担とする。
(4)仮執行宣言
2 被告
(1)原告らの請求を棄却する。
(2)訴訟費用は原告らの負担とする。
(3)仮執行免脱宣言の申立て
第2 事案の概要
本件は,原告B(以下「原告B」という。)と原告C(以下「原告C」という。)の長男である原告A(以下「原告A」という。)が被告の設置運営するY病院(以下「被告病院」という。)で仮死状態で出生して身体障害程度等級1級に相当する痙性四肢麻痺等を負ったことにつき,原告Cの分娩を監視していた被告病院医師に,①平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時に帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失,また,②同日午後8時35分又は午後9時の段階で帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失,③同日午後9時40分に帝王切開術の決定後30分以内に帝王切開術を実施して原告Aを娩出させる義務を怠った過失があるとし,被告に対し,診療契約上の債務不履行(民法415条)又は不法行為(民法715条)による損害賠償請求権に基づいて,原告Aが上記後遺症による損害,原告B及び原告Cが慰謝料の各支払を請求している事案である。
1 前提となる事実(証拠の引用のないものは当事者間に争いがない。)
(1)被告は,E市に被告病院を設置・運営する地方公共団体である。
(2)原告Bは昭和(以下略)生まれであり,原告Cは昭和(以下略)生まれである(甲B1)。原告Bと原告Cは平成(以下略)に婚姻した夫婦であり,原告Aは,平成9年2月24日,原告B及び原告Cの長男として被告病院で出生した(甲B1)。
(3)原告Cは,平成8年7月29日,被告病院産婦人科外来を受診し,妊娠していること及び平成9年3月14日が分娩予定日であることの診断を受けた。
(4)原告Cは,その後,平成8年8月13日,同年9月10日,同年10月8日,同月29日,同年11月19日,同年12月11日,平成9年1月8日に,それぞれ被告病院産婦人科外来を受診した。
(5)原告Cは,平成9年1月26日,被告病院産婦人科外来を受診したところ腎盂腎炎と診断されたため,同日から同年2月4日まで被告病院に入院して抗生剤の点滴投与を受け,同月4日,被告病院を退院した。退院時の診断では胎児に影響はないとのことであった。
(6)原告Cは,同月24日午前8時30分ころ,腹緊,性器出血,水様性帯下,破水感を感じたため,同日午後5時ころ,被告病院の外来を受診した。
被告病院の医師であるF(以下「F医師」という。)が内診したところ,原告Cは,子宮口開大2cm,開大度30%,先進部SP-3で,また,BTB検査で破水の可能性がうかがわれたため,被告病院に入院して経過観察をすることになった。
(7)同日午後7時30分ころ,原告Cの陣痛は間歇5分,発作20秒と弱かったが,胎児心拍数・陣痛の変動状況を監視しながら分娩の状況を観察する目的で,原告Cに分娩監視装置(以下「本件分娩監視装置」という。)が装着された。
なお,本件分娩監視装置は,母体の腹壁の上から陣痛の強弱及び胎児心拍数を関知して計測する装置である(証人G(以下「G証人」という。)の証言,甲B3)。
(8)同日午後8時ころ,原告Cの分娩監視の担当が,F医師から被告病院非常勤医師であるG医師(乙A9。以下,G医師のことを「G医師」という。)に交代した。
(9)同日午後9時40分G医師が帝王切開を決定し,午後10時53分に帝王切開術を実施し,午後11時1分ころ原告Aを娩出せしめた。
出生時,原告Aのアプガールスコアは2点,あえぎ呼吸が1回あったのみで,全身チアノーゼが著明であり,仮死状態であった。原告Aは被告病院からL医科大学病院(以下「L病院」という。)に転送された。(乙A3,8,9)
(10)原告Cは,同年3月5日,被告病院を退院した(乙A3)。
(11)原告Aは,同年5月28日,症状固定し,低酸素性虚血性脳症による痙性四肢麻痺のため身体コントロール不能,発達遅滞,てんかんの障害を負った(甲A6)。
(12)症状固定後,原告Aは,別紙入通院一覧表の通り,L病院及びM医療センターへ入通院した(甲A9ないし16,甲A17の1,17の2,18,19)。
(13)原告Aは,現在,四肢体幹機能障害によって身体障害程度等級1級と認定されている(甲A8)
(14)原告らは,被告に対し,平成17年8月1日到達の書面をもって,原告Aの分娩につき被告の過失を主張して損害賠償の請求を行った。
2 争点
本件の争点は次のとおりである。診療経過に関する当事者双方の主張事実は,別紙診療経過一覧表記載のとおりである。
(1)被告病院医師に,平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時に,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失があるか。
(2)被告病院医師に平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時の段階で帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があるか。
(3)被告病院医師に,平成9年2月24日午後9時40分に帝王切開術の決定後,30分以内に帝王切開術を実施して原告Aを娩出させる義務を怠った過失があるか。
(4)上記(1)(2)(3)の被告病院医師の過失と原告Aの後遺障害との因果関係の有無
(5)原告らの損害額
3 争点に対する当事者の主張
(1)争点(1)(被告病院医師に,平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時に,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失があるか)について
(原告ら)
ア 本件分娩監視装置によれば,胎児心拍数の記録は以下のとおりである。
(ア)平成9年2月24日午後7時30分ころ記録が開始され,基準心拍数は160から170程度と正常な値を示していたが,同日午後7時50分ころから基線細変動が減少して,同日午後8時ころ2回にわたり胎児心拍数の急激な低下があらわれ,心拍数自体はすぐに170程度に回復しているものの基線細変動が2bpm以下に消失ないし消失に近い波形を示している。
(イ)同日午後8時35分ころには,変動一過性徐脈が出現している。
この徐脈は,最下点が90bpmに達していることから,早発一過性徐脈の特徴は備えておらず,また,他に同形の波形が出現していないことから変動一過性徐脈というべきである。
(ウ)その後,基線細変動の低下が続き,同日午後8時48分ころには,基線細変動が一時的に消失している。
(エ)さらに,同日午後9時ころには,遅発一過性徐脈又は高度変動一過性徐脈が出現し,この後8分ほど記録が欠落しているため,どのくらいの時間を要したのかは不明であるが,その後胎児心拍数は回復し,同日午後9時10分ころの胎児心拍数は200bpmないし210bpmにまで急激に上昇している。以後,基線細変動は著しく低下ないし消失している。
イ 上記のような分娩経過からすれば,基線細変動の減少・消失は重度の低酸素によって起こるとされており,変動一過性徐脈は基本的には臍帯圧迫による迷走神経反射によるものであって,それのみでは胎児状態の悪化を意味しないが,基線細変動が低下又は消失している場合には重篤な胎児ジストレスの状態が考えられる。したがって,同日午後8時35分ころの徐脈が変動一過性徐脈というべきものであり,同日午後8時ころ2回にわたる胎児心拍数の低下を示した後は基線細変動が消失に近い波形を示していることからすると,G医師は,同日午後8時35分の変動一過性徐脈出現時には,原告Cに対する帝王切開術を実施するべきであった。
ウ 同日午後9時ころの徐脈について,G医師は「遅発性徐脈?」とカルテに書き込み,遅発性徐脈の可能性ありと判断していたが,「多少時間はかかったが比較的長期の低下ということでなくて戻ったので,それほど重大とは思わなかった。」旨を証言している。しかし,2分以上の徐脈は持続時間が長いとされており,徐脈からの胎児心拍数の回復が遅いということは,臍帯圧迫の程度が強かったり,圧迫が解除されるスピードが遅かったりしていることが考えられるので,胎児心拍数が急激に基線に戻らずにゆっくりと戻る波形パターンは注意が必要とされている。そして,同日午後9時ころの徐脈からいつ胎児心拍数が回復したのかの判断は記録の欠落によって不可能であり,また,G医師は胎児心拍数低下時には原告Cの側にいたわけではないので,この徐脈がいつ回復したのかについての判断は不可能であるから容易にすぐに心拍数が回復したという判断はできない。また,胎児の正常脈は120ないし160bpmであって181bpmを超えるときは高度頻脈又は重症頻脈ともいわれるが,同日午後9時ころの徐脈の後に180bpmを超える高度頻脈が20分にわたって継続している。
エ 同日午後9時の時点では,そのころ生じた徐脈が遅発一過性のものであることが疑われ,徐脈後に高度頻脈が長時間継続し,基線細変動も減少又は消失しており,しかも徐脈の出現は同日午後8時35分ころに続いて2回目であった。これらは胎児が極めて危険な状態であることを示すものであるから,遅くとも同日午後9時ころに,G医師は胎児が極めて危険な状態にあると判断して直ちに帝王切開術を行う義務があった。
(被告)
ア 平成9年2月24日午後8時ころ,原告Cにつき2回の胎児心拍数の低下があったがすぐに回復しており,胎児心拍数の基線細変動の所見に大きな変化はない。
イ 同日午後8時30分ころに出現した徐脈は早発一過性徐脈であり,基線細変動に大きな変化はない。早発一過性徐脈は胎児仮死を示す所見ではないので,この時点で帝王切開術を決定しなければならないものではない。
ウ 同日午後9時ころ出現した徐脈は,遅発一過性徐脈の可能性もあるが,変動一過性徐脈の可能性もあり,断定はできない。また,基線細変動も正常であった。
G医師は,上記時点で遅発一過性徐脈を疑ったものの確定的には判断できず,原告Cを体位変換して側臥位にしたところ,胎児心拍数は180bpmに回復していることから経過観察とし,分娩が進行したとき経膣分娩か帝王切開のいずれかの方法となることが考えられたので原告Cを禁飲食とした。
以上のように,同日午後9時ころの徐脈は,遅発一過性徐脈であると断定できるものではなく,この徐脈の出現をもって直ちに帝王切開術を含む急速遂娩を行うべきであるとはいえず,帝王切開の可能性を考慮して経過観察することで足りる。
エ 同日午後9時30分ころ,胎児心拍数は160ないし200bpmであり,基線細変動は正常である。
オ 同日午後9時40分ころ60bpm台の一過性徐脈が出現し約2分続いた後に180bpm台に回復したため,G医師は高度の一過性徐脈であり胎児仮死を疑い帝王切開術を決定したのであって,本件の診療経過からすれば適切な判断であり決定が遅れたということはない。
(2)争点(2)(被告病院医師に平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時の段階で帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があるか)
(原告ら)
ア 被告病院が夜間に帝王切開術の実施を決定してから胎児娩出までに要する時間が平均で1時間20分程度で1時間以内に胎児娩出をすることが困難であったのであれば,被告病院は,平成9年2月24日午後8時35分ころ若しくは同日午後9時ころには,帝王切開術決定後30分以内に帝王切開術に着手できるような準備を整えておくべき義務があった。
同日午後8時35分ころに出現した変動一過性徐脈からは胎児ジストレスがうかがわれたのであるから,被告病院は,少なくとも,この時点において,F医師に連絡を取り情報を伝え,また,家族から手術同意書を取るなど,以後に胎児ジストレスを疑わせる記録が出現した際には速やかに急速遂娩ができるような準備を整える義務があったのに,これを怠っている。
仮に,上記午後8時35分ころの徐脈が,被告が主張する早発一過性徐脈であったとしても,同波形が反復されず,基線と最下点との差が大きく,最下点が90bpmに達しているというように,典型的な早発一過性徐脈ではなかったのであるから,被告病院は,次に胎児ジストレスを疑わせる記録が出現した場合に備えて急速遂娩の準備を整えておくべき義務があったのに,これを怠っている。
イ また,遅くとも同日午後9時ころの段階では,その後において帝王切開術を行うべきこととなった際には直ちにこれを実施できるだけの準備をしておくことが被告病院に課せられる最低限の注意義務であった。
しかし,G医師は,同日午後9時ころの時点では,上記義務を怠り原告Cの体を側臥位に変え,禁飲食を指示して点滴をしたに過ぎず,同日午後9時45分に帝王切開術決定後に至ってやっとF医師に連絡を取ったり原告Cの家族を読んで同意書を受け取るなどの準備を開始したため,原告Aの娩出までに1時間20分もの時間を要したものである。
(被告)
原告らの主張は争う。
G医師は,同日午後9時ころ,遅発一過性徐脈が疑われたものの,体位変換で正常に回復したことから経過観察とし,分娩が進行したとき経膣分娩か帝王切開のいずれかの方法となることが考えられたので禁飲食とした。本件では,同日午後9時40分ころに出現した徐脈から胎児仮死が疑われ帝王切開を決定し,直ちに帝王切開術の施行に向けた準備を迅速に行い,同日午後11時1分に児娩出となった。胎児仮死を疑わせる徐脈が出現してから娩出までの所要時間は約1時間20分であるが,被告病院における平均的な所要時間であり不当に長時間がかかったということはない。
なお,G医師は産婦人科医としてF医師を呼び出すことを予定していたものの連絡が取れなかった経緯があるが,産婦人科医として別の医師を直ちに呼び出しており,そのことで帝王切開術の準備が遅れたということはない。
(3)争点(3)(被告病院医師に,平成9年2月24日午後9時40分に帝王切開術の決定後,30分以内に帝王切開術を実施して原告Aを娩出させる義務を怠った過失があるか)について
(原告ら)
帝王切開術を決定してから実施又は胎児娩出に至るまでに要する時間は,理想的には15分以内であるが,30分以内には少なくとも帝王切開術が実施されるべきである。また,診療所のように人手の少ない所でも遅くとも1時間以内に実施されるべきとされている。このことから,被告病院は原告Cに対し帝王切開術を決定後30分以内に胎児を娩出させるべき注意義務があった。
しかし,本件では,G医師が平成9年2月24日午後9時40分帝王切開術を決定してから同日午後11時1分に原告Aが娩出されるまで1時間20分もの時間が経過しており,帝王切開術決定後娩出まで30分以上経過しているのであるから,被告病院には上記義務を怠った過失がある。
(被告)
ア 被告病院では夜間の時間帯に手術を行う態勢になっていないので,夜間の時間帯に帝王切開術を決定すると,産婦人科医,麻酔科医,小児科医,手術室担当の看護師を呼び出し,手術室を用意し,手術施行の準備を行うことが必要となり,手術を決定してから実際に手術を開始するまでに要する時間は,病院内に在勤している通常診療時間帯の場合よりも長時間を要することになる。
イ 被告病院における平成12年から平成17年までに夜間(通常診療時間外の診療時間帯)に同病名で帝王切開を施行した症例の帝王切開決定から娩出までの所要時間は平均1時間20分である。本件が行われた平成9年当時においてもほぼ同様であったものと考えられるので,本件で要した時間も平均的な所要時間であって不当に長時間を要したということはない。
ウ 帝王切開術から児娩出までの時間については,産科,麻酔科医,小児科医,看護師,手術室などの病院の産科診療態勢によって大きく左右されるのであり,一般病院においては,現在の産科診療の実情の下で,できるだけ迅速に対応しても1時間以内に行うことには大きな制約がある。また,被告病院では,帝王切開術決定から娩出までの時間が1時間以上要して出生した児であっても,低酸素脳症等の後遺障害は生じていない。
よって,本件における帝王切開術の決定から児娩出までの時間は適切である。
(4)争点(4)(上記(1)(2)(3)の被告病院医師の過失と原告Aの後遺障害との因果関係の有無)について
(原告ら)
原告Aの後遺障害は,分娩経過中に生じた胎児仮死及び低酸素状態に起因するものであり,より早期に帝王切開術を実施して娩出していれば避けられたものである。
(被告)
新生児の低酸素脳症の発生機序あるいは原因について,分娩経過中における胎児仮死の発現などの分娩時の要因で発症するのではなく,その他の分娩前からの胎児側の要因であるとする見解が強く主張されており,新生児の低酸素脳症の症例の大多数については分娩時の胎児仮死以外の要因であると考えられている。
本件において低酸素脳症が発症しているが,帝王切開術を決定した要因となった高度徐脈は一過性で,胎児心拍細変動も認められ,心拍数が回復している状況などを考慮すると,新生児重症仮死を引き起こすほどのものとは考えられない。
原告Aに低酸素脳症が発症した原因については不明であるが,胎盤病理組織検査報告からすれば,分娩前から感染等の炎症が臍帯及び胎児に発生し,それによって慢性的な低酸素状態が存在していたことが原因である可能性が大きいのであるから,帝王切開術及び娩出の遅れと原告Aの後遺障害には因果関係がない。
(5)争点(5)(原告らの損害額)について
(原告ら)
ア 原告Aについて
(ア)逸失利益 4301万9829円
原告Aの労働能力喪失率は100%であり,基礎収入は平成16年度賃金センサスによれば男子全年齢平均賃金は542万7000円である。原告Aは,満18歳から満67歳までの49年間就労可能であって,1年から67年までの66年間に相当するライプニッツ係数は19.201であり,1年から18年までの17年に対応するライプニッツ係数は11.274であるため,以下の計算によって原告Aの逸失利益が求められる。
542万7000円×1.00×(19.201-11.274)=4301万9829円
(イ)後遺障害慰謝料 4000万円
原告Aは,常に介護を要し,これを慰謝するのに必要な額は4000万円を下ることはない。
(ウ)入通院慰謝料 967万円
原告Aは,出生後,別紙入通院一覧表記載のとおり,入通院をしているが,これら入通院と被告の債務不履行との間には相当因果関係がある。
延べ597日の入院のうち,傷病名からだけでは本件と直接の因果関係があるか不明なものもある。しかし,少なくとも,①出生後退院するまでの93日間の入院,②平成10年2月18日から同月27日まで10日間の入院,③平成15年7月28日から同年11月6日まで102日間の入院は,本件事故に密接に関連するものである。また,上記①ないし③以外の入院についても,脳の障害により発育が遅れたことが影響をしていることは疑いがない。
L病院への通院は,低酸素性脳症,早期乳児てんかん性脳症の検査と投薬治療等のために医師から指示されたものである。また,M医療センターへの通院は,平成15年に受けた胃ろう増設術により取り付けられたカテーテルのボタンの付け替えのために必要とされたものである。
これらの入通院慰謝料としては,少なくとも,入院分として451万円,通院分として516万円が相当である。
(エ)将来介護料 6229万6010円
原告Aの後遺障害は重篤であって,常時介護が必要であるが,原告Cが67歳になるまでは原告Cび原告Bによる介護が可能であるので1日当たり8000円が,原告Cが67歳を超えた後は職業付添人介護を依頼せざるを得ないので1日あたり1万5000円が,それぞれ相当である。そして,原告Cが67歳になるまでの42年間のライプニッツ係数は17.423であり,原告Cが67歳に達してから原告Aの平均余命76歳までの34年間のライプニッツ係数は(19.509-17.423)であるから,将来介護料は以下のとおり6229万6010円となる。
8000円×365日×17.423
+1万5000円×365日×(19.509-17.423)
=6229万6010円
(オ)介護ベッド等介護用品代 22万2337円
(カ)弁護士費用 1500万円
イ 原告B及び原告Cについて
(ア)慰謝料各 500万円
原告B及び原告Cは,原告Aの困難な生活を援助しながら一生暮らすのであり,自分たちがいなくなれば一体だれがAを援助するのかと将来を案ずる毎日であって,精神的苦痛は極めて大きいものであり,これを慰謝するには少なくとも各500万円を要する。
(イ)弁護士費用 各50万円
(被告)
原告らの主張は争う。
第3 当裁判所の判断
1 診療経過について
(1)証拠(乙A1ないし6,8,9,G証人)によれば,本件における診療経過について,別紙診療経過一覧表の「診療経過(主訴・所見・診断)」欄及び「検査・処置等」欄記載の事実(ただし,診療経過の「21:00」の「心拍数細変動(+)」を削除し,「21:40」の「一過性徐脈」を「遅発一過性徐脈」と訂正する。)を認めることができる。
(2)上記(1)認定の事実に証拠(乙A1,3,6,8ないし10,G証人)を総合すれば,以下の事実を認めることができる。
ア 分娩経過(特に示さない限り,表記した時間は平成9年2月24日の時間である。)
(ア)本件分娩監視装置による胎児心拍数図(乙A6。以下「本件胎児心拍数図」という)では午。後7時30分から午後8時ころまでは,胎児心拍数は150から180の間,基線細変動も約30bpmの間で正常に保たれていた。午後8時2分ころ,胎児心拍数が2回にわたり100bpmと120bpmに急激に低下した。
その後,胎児心拍数はすぐに160台に回復したが,数分間にわたり基線細変動が5bpm以下に減少した後,いったん20bpm程度に回復したが,午後8時15分ころから約10分間にわたり5bpm以下に減少した。
(イ)午後8時35分ころ,本件胎児心拍数図に90bpmに急激に低下する一過性徐脈が出現した。助産師から報告を受けた被告病院産婦人科当直医のG医師は,これを早発一過性徐脈と判断し,特段胎児モニタリング上問題ないと判断した。その後,胎児心拍数は160bpm前後に回復したが,約7分間にわたり基線細変動が5bpm以下に減少し,午後8時44分ころから20bpm程度に回復した。
(ウ)午後9時ころ,胎児心拍数が約2分間にわたり80bpmに低下する一過性徐脈が出現した。助産師は側臥位に体位を変換させるとともに,G医師に徐脈の出現を報告した。G医師は上記(イ)で出現した徐脈とは明らかに異なる徐脈であると判断し,分娩監視装置の記録からは徐脈の種類について明確には判断できなかったが,遅発一過性徐脈の可能性を疑い,カルテに「late deceleration?」(遅発一過性徐脈?)と記載した。この時点で,陣痛は間歇3分・発作20~30秒・中等の強さであり,G医師が内診した結果,子宮口の開大は3cm,開大度は30%,先進部SP-3,羊水清,体温37.3℃の状態であった。G医師は,陣痛状況,内診結果から経膣分娩までに時間が必要であること,遅発一過性徐脈が発現した可能性があり,急速遂娩が必要になるときには帝王切開になる可能性があると考え,帝王切開に備えて禁飲食と血管を確保してブドウ糖の点滴をすることを指示した。
なお,G医師はカルテにダブルセットアップ(経膣・帝王切開の2本立)を意味する「double set up」と記載したが,禁飲食にするという意味で上記のように記載したのであり,上記記載は実際に帝王切開術に備えて麻酔科医師や手術室看護師に連絡して招来することを意味するものではなかった。
体位変換後から分娩監視装置の記録が中断し,午後9時10分から記録が再開され,胎児心拍数は200bpm前後から180bpm程度となり,基線細変動は5bpm以下に減少し,この状態が約30分間にわたり続いた。
(エ)午後9時40分ころ,胎児心拍数が約2分間60bpmに低下する一過性徐脈が出現した。助産師から報告を受けたG医師はこれを遅発一過性徐脈と判断し,酸素の投与を指示した。
G医師は,午後9時ころに出現した一過性徐脈も遅発一過性徐脈である可能性があると考えられ,遅発一過性徐脈が反復したことになる上に,今回は高度遅発一過性徐脈であるため,G医師は,胎児仮死を疑った。午後9時45分ころ,原告Cに対して緊急帝王切開術を行うことを決定した。
(オ)緊急帝王切開術を施行するために,助産師らが小児科医・麻酔科医・手術室看護師とともに被告病院産婦人科医長であり原告Cの主治医であるF医師を呼出した。ところが,F医師とは連絡が取れず,F医師の代わりにH医師が呼び出された。
(カ)午後10時2分ころ,原告Cに対して,帝王切開術準備のため心電図検査,剃毛の処置等が行われ,同日午後10時30分ころ,原告Cは手術室に入室し,麻酔が開始された。
(キ)午後10時53分ころ,G医師が執刀医,H医師が助手となり,原告Cに対し帝王切開術が開始され,午後11時1分ころ,原告Aが娩出された。
原告Cに対する術後の措置は,午後11時40分ころ終了した。
イ 平成9年当時,被告病院で夜間に緊急帝王切開術が実施されることに決定した場合の準備及び態勢は,以下のとおりであった。
(ア)被告病院では,麻酔科医,手術室看護師は常駐しておらず,夜間には当直医師と病棟看護師,助産師が勤務していた。夜間に当直医師が帝王切開術を決定すると,当直医師若しくは病棟看護師が管理師長に連絡し,管理師長が麻酔科医及び手術室看護師に連絡を取り招集する。また,当直医師とは別の産婦人科医及び必要がある時は小児科医も呼び出される。呼び出された手術室看護師は30分以内に,麻酔科医,産婦人科医及び小児科医はできるだけ早く病院へ到着することになっている。
(イ)助産師,病棟看護師は,麻酔科医などを呼び出している間に手術の準備を開始する。患者家族へ連絡を取り,説明と同意書・承諾書などの書類の確認を行い,併行して諸検査を行う。そして,胸部レントゲン,心電図,血管確保等を施行し,剃毛,留置カテーテルの挿入,心音聴取などの準備が整い次第,手術室へ患者を送り出す。
(ウ)到着した麻酔科医,産婦人科医,小児科医は,それぞれ準備を行う。こうした準備には多くの場合約15分を要する。
麻酔科医は,手術室に入った患者に問診をした後麻酔をかけ,麻酔の効果を判定後,産婦人科医と当直医は患者に対し帝王切開術を行う。麻酔開始から帝王切開術開始までには多くの場合約25分を要する。
(エ)被告病院において,夜間に緊急帝王切開術を施行した場合,帝王切開術決定から児の娩出までに要した時間の平均は平成12年から17年では約1時間20分であり,平成9年当時の平均所要時間も同程度であった。
2 分娩監視装置記録に関する医学的知見について
証拠(甲B3ないし7,乙B1ないし4,乙B6,7,G証人)によれば,分娩監視装置の記録に関する医学的知見について以下のとおり認められる(特に関係する書証を括弧内に挙示する。)。
(1)分娩監視装置について
胎児のwell-beingを評価する方法として,胎児心拍数のモニターが不可欠であるとされている。分娩中は規則的な子宮収縮が存在し,子宮筋の収縮は子宮筋層内を通り絨毛間腔に流入する母体側の胎盤血流量に影響を与えるため,その負荷に対応した胎児心拍数の変化をみることで胎児の状態を推測することができる。したがって,分娩中の胎児心拍数の変化は陣痛との時間的関係が重要となる。胎児心拍数図と子宮収縮を併列に経時的に記録したものが,胎児心拍数図である。
分娩監視装置は,胎児心拍数を超音波ドプラ法によって拾い出すが,1分間よりも短い瞬間的な胎児心拍数を数えて1分間の胎児心拍数を予想して算出された瞬間胎児心拍数(単位は1分間の心拍数beats per minuteを表すbpm)をモニタリング又は記録する(甲B3,4)。
また,分娩監視装置は,胎児心拍数を拾い出すのと同時に,外部からの圧力を想定して子宮の収縮である陣痛の強弱についても測定し,モニタリング又は記録する(甲B4)。
胎児心拍数及び陣痛の強弱が記録又はモニタリングされる場合,縦軸を胎児心拍数又は陣痛の強弱にとり,横軸を時間にとり,胎児心拍数の下に陣痛の強弱である陣痛曲線が位置するように記録又はモニタリングされる(以下,記録された胎児心拍数及び陣痛曲線を「胎児心拍数図」という。甲B3,4)。
分娩の監視に当たる医師は上記の胎児心拍数及び陣痛曲線に基づいて胎児の状態を推測するが,必ずしも胎児の状態を完全に推測できるわけではなく,分娩監視装置によって予測することのできる胎児の状態が常に実際の胎児の状態と一致するとは限らない。
(2)胎児心拍数図の読み方とその意義について
ア 分娩監視装置によって検出される胎児心拍数及び陣痛曲線から胎児の状態を診断する際には,主に①胎児心拍数基線,②胎児心拍数一過性変動(以下「一過性変動」という。),③胎児心拍数基線細変動(以下「基線細変動」という。)の3項目を判読する(甲B3ないし5)。
①胎児心拍数基線とは,一過性変動のない部分の10分間程度の平均的な心拍数をいい,②一過性変動とは,一過性の胎児心拍数変動のことをいい,③基線細変動とは,胎児心拍数基線の細かい心拍数の変動のことをいう。
イ 一過性変動の種類について(甲B3ないし5)
(ア)一過性頻脈
心拍数が160bpmを超えるものが頻脈と定義されている。161~180bpmが軽度頻脈,181bpm以上が高度頻脈とされている。一過性頻脈とは,胎児心拍数が一時的に増加し,短時間で基線に戻るものをいい,胎児心拍数基線から心拍数が30秒未満で15bpm以上の上昇を示し,この状態が2分未満持続して胎児心拍数は基線に戻る場合をいう。
なお,この状態がさらに長く続いて2分以上10分未満持続する場合は,遷延一過性頻脈という。
(イ)早発一過性徐脈
心拍数基線が120bpm未満のものを徐脈とするが,110~119bpmが軽度徐脈,99bpm以下が高度徐脈とされている。早発一過性徐脈とは,子宮収縮に伴って規則的に反復する一過性の徐脈であり,子宮収縮の開始と同時に心拍数の低下が始まり子宮収縮の終了とほぼ同時に回復するものをいう。陣痛波形と徐脈の形は対象形で子宮収縮の強さが同じであれば毎回類似の波形を呈し,胎児心拍数下降開始点から下降最下点まで30秒以上かかり,胎児心拍数の基線から最下点までの下降心拍数は約20から30bpmで20bpm前後のことが多く,最下点が100bpm以下に低下することはほとんどない。
早発一過性徐脈は,子宮収縮により児頭の圧迫が起こるので頭蓋内圧が上昇して高血圧となり迷走神経反射が起こって徐脈が発生すると説明できるものであるため,通常,早発一過性徐脈の出現のみでは胎児が低酸素状態やアシドーシスに陥っているとは判断されない。
(ウ)遅発一過性徐脈
遅発一過性徐脈とは,胎児心拍数の低下が子宮収縮より遅れて始まり,心拍数の最下点は子宮収縮のピークより遅れ,徐脈からの回復も子宮収縮の終了より遅れるものをいう。子宮収縮の程度が同じであれば,毎回類似の波形を呈するが,陣痛が強くなってから出現した場合は1回ごとの子宮収縮による子宮内圧の変化が大きくなるので波形パターンがすべて同じようになるとは限らない。
遅発一過性徐脈は,胎盤の灌流異常による胎児の低酸素状態を示すパターンとされており,1回でも出現したら胎児はその時には一時的に低酸素症に陥っていると判断されるが,それ以後には発生をみなかったり他の所見が良好になっていれば胎児は当該低酸素状態を克服したと判断される。
遅発一過性徐脈においては,胎児心拍数基線から心拍数下降の最下点までの時間は30秒以上であり,この時間が短いほど胎児の低酸素状態が重症であることが多い。
遅発一過性徐脈が生じた時に基線細変動が低下あるいは消失している場合には,一般的に胎児の低酸素状態が重症であると判断され得る所見であり,胎児が出生しても予後が非常に悪い可能性がある。したがって基線細変動の状態が遅発一過性徐脈の重症度を左右すると考えてよいとされている。基線細変動を伴わない遅発一過性徐脈は,遅発一過性徐脈の出現初発時期から約30分以後になってからみられることが一般的には多いとされており,このことからすると,遅発一過性徐脈が繰り返して発生した場合には30分以内に胎児の娩出を図らないと予後が悪いといえる。
(エ)変動一過性徐脈について
変動一過性徐脈とは,胎児心拍数がその基線から子宮収縮に関連して急激に下降して回復し,下降開始,最下点,回復が子宮収縮と一致することなく,心拍数下降の形もそれぞれ異なり,また,1回ごとの波形も同一ではないものをいう。最下点は15bpm以上で15秒以上2分未満持続するものをいうが,日本ではこのうち60bpm以下まで低下して60秒以上持続するものを高度変動一過性徐脈としている。
変動一過性徐脈は,分娩中の子宮収縮による子宮内圧上昇のために臍帯が圧迫されることによって起こるとされている。胎児は陣痛のために徐々に下降してくるため,しばしば子宮収縮時に臍帯が胎児と子宮壁の間に挟まれて圧迫されることが起こるため,変動一過性徐脈のみでは胎児の低酸素状態が悪化していると判断されないが,強い血流遮断が長く続く場合や繰り返し発生する場合は低酸素状態やアシドーシスの状態に陥る可能性があるため,高度変動一過性徐脈が繰り返し出現する場合は胎児の低酸素状態が悪化していると判断され得る所見となる。
(オ)遷延一過性徐脈
遷延一過性徐脈とは,胎児心拍数が突然に急激に下降し,最下点までの下降に要する時間が30秒未満で,徐脈の持続時間は2分以上10分未満の一過性徐脈のことをいう。遷延一過性徐脈は,子宮収縮の有無など陣痛のパターンとは関係せず,胎児心拍数図のみの所見で判断される。
ウ 基線細変動について
基線細変動とは,胎児心拍数基線の細かい心拍数の変動のことをいう。基線細変動には,振幅などに一定の規則性がない。
基線細変動については,6から25bpmの振幅が正常であり,6bpm以下の場合は基線細変動の減少といい,振幅がゼロになった状態又は2bpm以下になって肉眼で細変動が認められない状態を基線細変動の消失という。
基線細変動は,胎児の大脳,中脳,心臓の刺激伝導系,自律神経系などの神経系の活動によって引き起こされるので,基線細変動の低下,消失は胎児の神経系機能が抑制,麻痺していることを示し得る所見である。
胎児心拍数基線細変動の消失・減少の原因としては,①胎児のアシドーシス(高度又は長期の胎児低酸素状態,母体のケトアシドーシスなど),②母体への薬剤投与,③胎児疾患,④在胎週数の早い胎児,⑤胎児のnon-REM stateがあるとされており,②~⑤が否定されたときは胎児ジストレスと診断される。
(3)胎児仮死について(甲B4,5,6,乙B6)
胎児仮死とは,胎児が子宮内において呼吸並びに循環機能が障害された状態をいい,胎児・胎盤系の呼吸・循環不全を主徴とする症候群である。もっとも,臨床上の具体的明確な定義はなく,多くの場合は分娩監視装置が拾い出す胎児心拍数の異常所見をもって診断する。生理学的には酸素・虚血による代謝性あるいは混合性のアシドーシスに陥っている状態と定義される。胎児が低酸素状態になると嫌気性解糖が亢進し乳酸やピルビン酸が蓄積され,また,脂肪代謝が亢進するため,アシドーシスになる。
胎児が低酸素状態であるかどうかは,血液ガス測定でPO2(酸素分圧)低下,PCO2(炭酸ガス分圧)上昇,塩基欠損(BEの値で示される。)を伴うか否か,すなわち代謝性アシドーシスを発症しているか否かで判断される。
今日では,胎児にとっての生理的負荷を越えたストレスに対する胎児の反応を胎児ジストレスとし,胎児心拍数図の観察により,胎児ジストレスと判断されたら,その症例に適した医療的処置を講じなくてはならないとされている。
3 争点(1)(被告病院医師に,平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時に,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失があるか)について
原告らは,同日午後8時35分又は午後9時に,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失があると主張するので,この点について判断する。
(1)まず,同日午後8時35分までに帝王切開術を実施すべき義務があるか否かを検討する。
前記1の分娩経過に関する認定事実によれば,原告Cは午後7時30分から午後8時ころまでは胎児心拍数が150bpmから180bpmの間で基線細変動も約30bpmの間に正常に保たれており,午後8時2分ころに胎児心拍数が2回にわたり100bpmと120bpmに急激に低下したがすぐに160bpm台に回復していることからいずれも軽度の一過性除脈であり,その後数分間にわたり基線細変動が5bpm以下に減少したがいったん20bpm程度に回復し,さらに約10分間にわたり5bpm以下に減少した後,午後8時35分ころ胎児心拍数が90bpmに急激に低下する徐脈が出現していることが認められる。
原告らは,同日午後8時35分ころに出現した90bpmの徐脈を変動一過性徐脈であると主張するが,上記徐脈の波形は陣痛波形と対称形であることから早発一過性徐脈と判断できるものであり(乙A6,8,9,G証人),原告らの上記主張は採用することができない。そして,前記2(2)イ認定のとおり,上記徐脈が早発一過性徐脈であることからすると,その出現のみでは胎児が低酸素状態やアシドーシスに陥っているものとは判断されず,また,仮にこれが変動一過性徐脈であるとしても,変動一過性徐脈が1回出現したのみでは胎児の低酸素状態が悪化していると判断されるものではない。
さらに,同日午後8時35分ころまでに上記のとおりの5bpm以下の基線細変動の減少が認められるが,その継続時間は数分間及び約10分間にわたる程度のものであり,これだけでは臨床上有意な所見とまでいうことはできない(G証人)。
したがって,同日午後8時35分ころの時点では,胎児心拍数図の所見からは胎児が危険な状態であると認めることはできず,原告Cに対し帝王切開術を実施すべき義務があるということはできない。
(2)次に,同日午後9時までに,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務があるか否かを検討する。
前記1の分娩経過に関する認定事実によれば,原告Cは,同日午後8時35分ころ胎児心拍数が90bpmに急激に低下した後,160bpmに回復したが,基線細変動は5bpm以下に減少し,午後8時45分ころ20bpm程度に回復した後,午後9時ころに胎児心拍数が約2分間にわたり80bpmに低下する一過性徐脈が出現し,G医師は,分娩監視装置の記録からはこの徐脈の種類について明確には判断できなかったが,遅発一過性徐脈であることを疑うことができるものであり,原告Cの陣痛状況,内診結果からすると経膣分娩までに時間が必要であり,急速遂娩が必要になるときには帝王切開が必要になると考えて,カルテにダブルセットアップの記載をして,禁飲食と血管を確保してブドウ糖の点滴をすることを指示したことが認められる。
原告らは,同日午後9時ころ生じた徐脈が遅発一過性のものであることが疑われ,徐脈後に高度□脈が長時間継続し,基線細変動も減少又は消失しており,徐脈の出現は午後8時35分ころに続いて2回目であることから,これらは胎児が極めて危険な状態であることを示すものであり,同日午後9時までに直ちに帝王切開術を行う義務があったと主張する。しかし,午後9時の徐脈後に高度□脈が長時間継続し,基線細変動も減少又は消失していることを,午後9時の時点で帝王切開術を行うべき義務があるか否かを判断する際の判定資料とすることは相当ではない。また,午後8時35分ころの徐脈が早発一過性徐脈と判断されるものであることは前記(1)認定のとおりであるから,同日午後9時ころ生じた徐脈が遅発一過性徐脈であることを疑うことができるものであるとしても,遅発一過性徐脈としては原告Cの分娩中に初めて生じたものであり,上記(1)の基線細変動の減少及び午後8時35分ころ胎児心拍数が90bpmに急激に低下した後160bpmに回復した後に基線細変動は5bpm以下に減少し,午後8時45分ころ20bpm程度に回復した経過を考慮しても,午後9時ころの時点で今後の急速遂娩の可能性を予測して帝王切開術の準備に着手する必要性はあるとしても,上記時点において原告Cに対し緊急の帝王切開術を直ちに行う必要があるとまでいうことは困難である。
したがって,同日午後9時までに,原告Cに対し,直ちに帝王切開術を実施すべき義務があるということはできない。
(3)そうすると,被告病院医師に,同日午後8時35分又は午後9時に,原告Cに対し,帝王切開術を実施すべき義務を怠った過失があるとの原告らの主張は失当である。
4 争点(2)(被告病院医師に,平成9年2月24日午後8時35分又は午後9時の段階で,帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があるか)について
原告らは,同日午後8時35分又は午後9時の段階で,帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があると主張するので,この点について判断する。
(1)まず,平成9年2月24日午後8時35分の段階で,帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があるかを検討する。
前記3(1)に認定のとおり,同日午後8時35分の徐脈は早発一過性徐脈と判断されるものであり,そのころまでの基線細変動の減少もそれだけでは臨床上顕著な所見とまでいうことはできないから,同日午後8時35分の段階では帝王切開術の準備に着手する注意義務があったものということもできない。
(2)次に,平成9年2月24日午後9時の段階で,帝王切開術の準備をすべき注意義務を怠った過失があるかを検討する。
前記3(2)に認定のとおり,同日午後9時ころ生じた徐脈は遅発一過性徐脈であることが疑われるものである。前記2認定のとおり,遅発一過性徐脈は胎児心泊数の低下が子宮収縮より遅れて始まり,心拍数の最下点は子宮収縮のピークより遅れ,徐脈からの回復も子宮収縮の終了より遅れるものをいう。これが1回でも出現したら胎児はその時には一時的に低酸素症に陥っていると判断され,遅発一過性徐脈が繰り返し発生した場合には30分以内に胎児の娩出を図らないと予後が悪いといわれている。さらに,遅発一過性徐脈が生じた時に基線細変動が低下あるいは消失している場合は一般的に胎児の低酸素状態が重症であると判断されうる所見であり,したがって,基線細変動の状態が遅発一過性徐脈の重症度を左右すると考えてよいとされている。
同日午後9時ころ生じた徐脈の波形は上記の特徴にほぼ合致するものであり(乙A6),遅発一過性徐脈であることが高度に疑われるものである。これに,上記3(1)認定の基線細変動の減少及び午後8時35分ころ胎児心拍数が90bpmに急激に低下した後160bpmに回復した後に基線細変動は5bpm以下に減少し,午後8時45分ころ20bpm程度に回復した経過を考慮すると,胎児の状態は重症である可能性があり予断を許さないものといえる。なお,乙A9には,午後9時ころの分娩監視装置の記録から胎児心拍基線の細変動には異常がないと判断された旨の記載があり,G証人の証言中にも同旨の供述がある。しかし,午後8時35分ころまでの基線細変動の減少だけでは臨床上有意な所見とまではいえないとしても,午後8時35分ころの胎児心拍数の低下以後の上記の基線細変動の減少及び回復並びに前記1認定のとおり午後9時10分以後の高度□脈と基線細変動の減少が約30分にわたり継続していることからすると,乙A9の上記記載及びG証人の上記供述を採用することはできない。
ところで,前記1(2)イの認定事実によれば,被告病院では,平成9年当時の人的体制では夜間に緊急帝王切開術を施行する場合に帝王切開術決定から児の娩出まで平均約1時間20分を要していたというのであり,被告病院の医師は当時このことを了知していたことが認められる(乙A8,9,G証人)。
これらのことからすると,被告病院の医師としては,同日午後9時ころの段階において,今後の急速遂娩の可能性を予測し,胎児心拍数図を経過観察すること等により,胎児が危険な状態にあると判断される際には速やかに帝王切開術に着手できるように,直ちにその準備に着手する義務があるというべきである。
ところが,前記1の分娩経過に関する認定事実によれば,G医師は,助産師より同日午後9時ころの徐脈の出現の報告を受けて原告Cを内診し,原告Cの陣痛状況,内診結果からすると経膣分娩までに時間が必要であり,急速遂娩が必要になるときには帝王切開が必要になると考えて,カルテにダブルセットアップの記載をしたが,上記記載は禁飲食にするという意味であり,実際に帝王切開術に備えて麻酔科医師や手術室看護師に連絡して招集する準備をすることを意味するものではなかったというのであり,G医師は禁飲食と血管を確保してブドウ糖の点滴をすることを指示したに過ぎないことが認められる。
そうすると,G医師は,同日午後9時ころの段階において,今後の経過観察等により胎児が危険な状態にあると判断される際に,速やかに帝王切開術に着手できるように直ちにその準備に着手する義務があるのに,これを怠った過失があるというほかない。
(3)これに対し,被告は,G医師は,同日午後9時ころの徐脈により経膣分娩又は帝王切開を考えて経過観察とし,禁飲食を指示しており,同日午後9時40分ころの徐脈により帝王切開を決定し,直ちに帝王切開決定に向けた準備を迅速に行い,同日午後11時1分に児娩出となっており,帝王切開術の準備が遅れたことはない旨を主張する。しかし,同日午後9時ころに禁飲食を指示しただけでは,その後の経過観察等により胎児が危険な状態にあると判断される際に即時に帝王切開術に着手することができないことは明らかである。実際にも,G医師は同日午後9時40分ころの徐脈により帝王切開を決定したが同日午後11時1分の児娩出まで約1時間20分を要しているのであり,遅発一過性徐脈が繰り返し発生した場合には30分以内に胎児の娩出を図らないと予後が悪いといわれていることからすると,上記の実際の所要時間は是認できるものではない。G医師に帝王切開術の準備が遅れたことはないということはできず,被告の上記主張は採用することができない。
(4)なお,乙B5(I大学医学部産婦人科教授J作成のE病院症例に対する見解と題する書面)(以下「J意見書」という。)中には,「本件においては,分娩経過中も分娩監視装置による胎児の持続的な監視がなされており,二回目の児心音の低下が認められたときにダブルセットアップ(経膣分娩か帝王切開のいずれかの方法をとること)とし,注意深い観察がなされている。その後の帝王切開の実施,新生児の処置に関しては夜間にも拘わらず適切に遂行されているものと考えられる。従って,本件の当該病院の一連の分娩児の処置については,特に問題を見いだすことはできない。」との記載がある。しかし,前記1の分娩経過に関する認定事実によれば,G医師は,午後9時40分ころの徐脈により禁飲食を指示した後,午後9時40分ころに約2分間60bpmに低下する一過性徐脈が出現したことを助産師から報告されるまで,同医師が自ら分娩監視装置による監視をしていたことは認められず,午後9時10分以後の高度□脈と基線細変動の減少が約30分にわたり継続しているにもかかわらず,助産師からG医師にその報告がなされたことも認められないのであるから,被告病院がその間に注意深い観察をしているとはいえないはずである。さらに,本件において帝王切開の決定から児の娩出まで約1時間20分を要したにもかかわず,これが適切に処理されているとする理由も不明であり,J意見書の上記記載を採用することはできない。
5 争点(3)(被告病院医師に,平成9年2月24日午後9時40分に帝王切開術の決定後30分以内に帝王切開術を実施して原告Aを娩出させる義務を怠った過失があるか)について
原告は,同日午後9時40分に帝王切開術の決定後30分以内に帝王切開術を実施して原告Aを娩出させる義務を怠った過失があると主張するので,この点について判断する。
(1)前記1の分娩経過に関する認定事実によれば,午後9時ころに約2分間にわたり80bpmに低下する徐脈が出現して助産師が体位変換をさせた後一時分娩監視装置の記録が中断し,午後9時10分から記録が再開され,胎児心拍数が200bpm前後から180bpm程度となり,基線細変動が5bpm以下に減少する状態が約30分間にわたり継続した後,午後9時40分ころ胎児心拍数が約2分間60bpmに低下する一過性徐脈が出現し,助産師から報告を受けたG医師はこれを遅発一過性徐脈と判断し,酸素投与を指示したこと,G医師は胎児仮死を疑い,午後9時ころの徐脈が遅発一過性徐脈である可能性があることからすると,遅発一過性徐脈が反復したことになる上に今回は高度遅発一過性徐脈であるため,午後9時45分ころ緊急帝王切開術を行うことを決定したこと,その後,助産師らが,小児科医,麻酔科医,産婦人科医,手術室看護師を呼び出し,午後10時30分ころ原告Cが手術室に入室して麻酔が開始され,午後10時53分ころ帝王切開術が施行され,午後11時1分ころ原告Aが娩出されたことが認められる。
前記2の認定事実によれば,胎児ジストレスと診断する胎児心拍数図のパターンとして,□高度徐脈,□遅発一過性徐脈,□基線細変動の消失が挙げられており,胎児心拍数基線が□脈を示しているとき,それに基線細変動の低下や消失と遅発一過性徐脈の両者の所見が加わったら,胎児はかなりな胎児ジストレスの状態にあるので,緊急の急速遂娩術が必要とされているというのであるから,午後9時10分以後の高度□脈と基線細変動の減少が約30分にわたり継続した後の午後9時40分ころに高度遅発一過性徐脈が出現した時点では,一刻も早く緊急に帝王切開術を施行して児を娩出させることが必要であることは明らかであり,被告病院は午後9時45分ころ緊急帝王切開術を行うことを決定してから速やかに帝王切開術を施行して原告Aを娩出させる義務があると認められる。
ところが,被告病院は,午後9時45分ころの緊急帝王切開術の決定後から初めて帝王切開の準備に着手したため,夜間に小児科医,麻酔科医,産婦人科医,手術室看護師を呼び出すのに時間を要し,午後11時1分ころに原告Aを娩出させるまでに約1時間16分を要したというものであるが,これは遅きに失したものというほかなく,被告には,上記の緊急帝王切開術決定後に速やかに帝王切開術を施行して原告Aを娩出させる義務に違反する過失があるというべきである。
(2)これに対し,被告は,①麻酔科医,手術室看護師等が常駐していない被告病院の診療態勢のもとでは,夜間は通常時間帯の場合より長時間を要することになること,②被告病院における夜間の帝王切開決定から娩出までの所要時間は平均1時間20分であり,本件で要した時間は平均的所要時間であり不当な長時間を要したということはないこと及び③一般病院においても帝王切開決定から児娩出まで1時間以内に行うことには大きな制約があることを主張する。
しかし,①急速遂娩である帝王切開術が可及的速やかに児を娩出させるために行われるものであることからすれば,帝王切開が決定されてから児の娩出までに要する時間はできるだけ短くしなければならないのは当然であり,被告病院の平均時間が1時間20分であり,一般病院においても1時間以内に行うことに大きな制約があるとしても,それは医療慣行に過ぎずこのような医療慣行に従ったからといって,被告の過失が否定されるということはできない。また,②麻酔科医や手術室看護師が常駐していない被告病院の態勢の下でも,前記4に判断したとおり,今後の急速遂娩の可能性を予測した午後9時の時点で麻酔科医等に連絡を取るなどして胎児が危険な状態にあると判断される際には速やかに帝王切開術に着手できるように直ちにその準備をしておけば,帝王切開術の決定から胎児娩出まで1時間16分も要することなく速やかに行うことが十分可能であったのであるから,被告の上記主張は採用することができない。
(3)なお,G証人は,本件胎児心拍数図から判断できる胎児の状態はそれほど重篤なものではなく,胎児の状態が悪くなければ1時間,2時間遅れても何も起きないと証言する。
しかし,G医師の上記証言は,要するに本件においては胎児の状態が重篤なものではなく緊急性がなかったのだから緊急帝王切開術の決定から娩出までの時間に1時間以上要したとしても相当な時間の範囲内であるということと解されるが,G医師自身が午後9時ころに出現した一過性徐脈は午後8時35分ころに生じた早発一過性徐脈とは明らかに違うものであって今後緊急帝王切開術になり得ることを認識し,更に午後9時ころ出現した一過性徐脈に加えて午後9時40分ころに遅発一過性徐脈が出現したことから胎児仮死が生じている可能性を判断して緊急帝王切開術を決定していることからすれば,午後9時ころと午後9時40分ころに現れた一過性徐脈は緊急帝王切開術を決定すべき胎児ジストレスの所見であったと認められる。よって,緊急帝王切開術が適応となる胎児ジストレスを示す所見があった以上,本件における胎児の状態に緊急性がなかったとはいえない。
6 争点(4)(上記(1)(2)(3)の被告病院医師の過失と原告Aの後遺障害との因果関係の有無)について
(1)証拠(甲A2ないし6,乙A1,3ないし9,乙B5,G証人)によれば,以下の事実が認められる。
ア 原告Cは,平成9年2月24日,被告病院に入院する際,感染予防のために抗生剤の投与を受け,また,同日午後9時,原告Cの体温は37.3℃であり,その他感染症を疑わせる徴候は認められなかった。
イ 被告病院医師らは,妊娠経過中の原告C及び胎児に合併症等の異常を特段認めていなかった。
ウ 原告Aは,出生時,あえぎ呼吸のみ,心拍数100以下,全身蒼白で筋緊張なく,胎便が羊水を混濁していることが明らかであったため,直ちに気管内挿管がされて胎便が混入した羊水が吸引された。また,人工呼吸器が装着された。
エ 出生後すぐに胸部X線によって原告Aに呼吸不全があることが確認され,また,胎盤に石灰が沈着していることが認められた。
なお,診療録等の本件診療に係る記録中に,原告Aの臍帯動脈のpHを測定したこと及びその値についての記載は存しない。
オ 原告Aの出生から1分後のアプガールスコアは2点,5分後のアプガールスコアは3点であった。
(なお,被告病院の診療録中には,原告Cの看護記録中に「AP3/5」(乙A3・74頁),小児科退院時要約に「APGAR 3」(乙A4・8頁,乙A5・6頁),新生児未熟児連絡票に「Apgar Score 1分3点,5分5点」(乙A5・3頁)との記載があり,これらは,1分後のアプガースコアが3,5分後のアプガールスコアが5であった旨の記載と解することができる。しかし,実際に原告Aを娩出させたHはアプガールスコアを「2/3」と記載し(乙A1・9頁),原告Cの退院時の看護要約が「3/5」を訂正して「2/3」としていること(乙A1・11頁),原告Aの入院診療録中に「APGAR」「心音1or2」「あえぎ呼吸1」(乙A5・8頁)とする記載があり,これは心音を1点若しくは2点と評価したものといえるが,上記のとおり原告Aは出生時心拍数100以下であるから1点と評価すべきこと,乙A8,9の各記載及びG証人の証言を総合すると,1分後のアプガールスコアを3,5分後のアプガールスコアを5とする上記各記載を採用することはできず,原告Aの出生から1分後のアプガールスコアは2点,5分後のアプガールスコアは3点であったと認定できる。)
カ 原告Aは,出生後,新生児仮死・胎便吸引症候群と診断された。
原告Aに対し,同日午後11時35分にメイロンが,午後11時40分にラシックスとK2がそれぞれ投与された。
原告Aに対し,同日午後11時41分,血液ガス分析が行われたが,結果は,pHが7.062,PCO2が66.8mmHg,PO2が49.9mmHg,BEが-13.0mmol/lであった。
なお,pHは7.38から7.46が,PCO2は32から46mmHgが,PO2は74から108mmHgが,BEは-2から2が,それぞれ基準値である。
キ 原告Aは,重症仮死,胎便吸引症候群により,呼吸・全身状態管理が必要であったため,同月25日午前0時40分ころ,L病院へ転院した。
ク 原告Aは,同日,L病院に入院し,重症新生児仮死として,急性期治療が開始された。
ケ 同年5月4日,L病院から,原告Cが娩出した胎盤についての組織検査結果が報告され,同報告書には,「胎児血管の内膜肥厚の著明な臍帯炎あり」「胎児面では血管内皮肥厚により血管腔の狭さくを来している」というコメントが付されていた。
コ 原告Aは,同月28日,L病院を退院した。原告Aは,退院時,①新生児仮死,②呼吸窮迫症候群,③低酸素性脳症,④早期乳児てんかん性脳症と診断され,1日2回から3回,多いときで3回から4回の持続時間10秒から20秒の痙攣がみられた。
サ L病院のK医師は,平成10年3月9日,原告Aについて,障害名を痙性四肢麻痺,原因となった疾病・外傷名を低酸素性虚血性脳症とし,総合所見を周産期仮死による低酸素性虚血性脳症,皮質化軟化症,痙性四肢麻痺,その他参考となる合併症を発達遅滞,てんかんとする診断をし,痙性四肢麻痺のため身体コントロール不能により身体障害者程度等級1級に該当するとの意見書(甲A6)を作成した。
(2)上記(1)の認定事実に前記2(1)(2)で認定した事実を総合すれば,原告Aの分娩中には高度頻脈と基線細変動の減少が約30分間にわたり継続した上に,高度の遅発一過性徐脈が生じていて,原告Aは胎便を吸引しており,出生後の検査でアシドーシスに陥っていることが確認されており,1分後のアプガールスコアは2点,5分後のアプガールスコアは3点であったことからすると,原告Aは出生前に母体内で低酸素状態・アシドーシスの状態にあり,それが原因となって出生後に重度の新生児仮死となったものと認められる。
そして,原告Aの症状固定時の病態は周産期仮死による低酸素性虚血性脳症,痙性四肢麻痺等であり,これは分娩中の低酸素状態やアシドーシス状態に起因するものであって,母体内の原告Aに低酸素状態,アシドーシスが生じていたにもかかわらず,児の娩出が速やかにされなかったことにより,原告Aの上記後遺障害が生じたものと認めるのが相当である。
したがって,被告病院医師がより早期に帝王切開術を施行して原告Aを娩出していれば,原告Aに低酸素性虚血性脳症を発生させず,原告Aの負った痙性四肢麻痺障害,発達遅滞,てんかんの後遺障害を発生させなかった高度の蓋然性があると認められる。
(3)もっとも,①被告は,本件において帝王切開術を決定した要因となった高度徐脈は新生児重症仮死を引き起こすほどのものとは考えられず,原告Aに低酸素脳症が発症したのは分娩前から感染等の炎症が臍帯及び胎児に発症したことによって慢性的な低酸素状態が存在していたことが原因である可能性が高いと主張し,F医師作成の陳述書(乙A8)中には同旨の記載がある。また,②J意見書(乙B5)中には,「もともと何らかの中枢神経異常をもつ胎児は,低酸素症に陥りやすいこと,また低酸素を介さずに胎児心拍数パターンに異常を来す可能性もある。本件の場合,分娩前からの子宮内の慢性的な炎症により,その結果として胎児に何らかの中枢神経異常を来したものと推定される。」との記載があり,さらに,③J意見書中には,脳性麻痺が分娩時の低酸素血症を原因とするというためには米国産婦人科学会の基準を満たしている必要があるが,原告Aの5分後のアプガールスコアが5点であって3点以下ではないこと及び原告Aの臍帯動脈血のpHが7.0以下であることが否定的であることをもって,原告Aの脳性麻痺は低酸素血症を原因とするといえない旨の記載がある。
しかし,①L病院の病理組織診断の結果では,確かに胎盤に臍帯炎があり血管内皮肥厚により血管腔が狭窄していたことが認められるが,妊娠経過中に原告C及び胎児に特段の異常は認められておらず,本件全証拠によっても胎盤異常の原因及び発生時期等に関する具体的な事実は不明であり,分娩前から胎盤に異常が発生していたと確定的に認めることは困難である。
また,②胎盤異常の原因・発生時期は不明であって,胎児期に原告Aに中枢神経異常があったことを認めるに足りる証拠はないし,原告Aが分娩時に母体内で低酸素状態に置かれていたことは上記(2)に認定したとおりである。
さらに,③5分後のアプガールスコアについては,前記(1)オに認定のとおり,3点であったと認められることからすると,原告Aの5分後のアプガールスコアが5点であって3点以下ではないことを根拠として,原告Aの脳性麻痺が低酸素血症を原因とするといえないとするJ意見書の上記記載部分は採用することができない。
また,pHについては,J意見書は原告大輝の血液ガス分析のpHが7.062であることから臍帯動脈のpHが7.0以下ではなかったとするが,そもそも血液ガス分析が行われたのは原告Aの出生後であり,上記(1)に認定のとおり,出生後すぐに原告Aに対し呼吸等の改善のための処置が行われていることからすると,原告Aの臍帯動脈のpHが原告Aの血液ガス分析のpHの値よりも低かった可能性が十分あり得るのであり,原告Aの上記血液ガス分析の結果をもって臍帯動脈のpHが7.0以下ではなかったと認めることはできないから,J意見書中の上記記載部分を採用することはできない。
なお,その他に,J意見書中には,低酸素脳症が脳性麻痺の原因とされる症例が全体の約12%であり,大半の症例は分娩時ではなく,分娩前,胎児期の異常に原因が求められるとの記載があるが,上記事情は,単に脳性麻痺の原因に低酸素脳症が占める割合を示す統計に過ぎず,本件における上記の因果関係の認定を左右するものではない。
(4)したがって,被告の債務不履行又は不法行為と原告Aの負った後遺障害との間には因果関係が認められる。
7 争点(5)(原告らの損害額)について
以上によれば,被告は,被告の診療債務の履行補助者又は被告の被用者である被告病院医師らの行為について債務不履行責任又は使用者責任を負い,原告らが被った損害を賠償すべきであるから,原告らの損害額について検討する。
(1)原告Aの損害について
ア 前記第2,1の前提となる事実によれば,四肢麻痺等の後遺障害により,原告Aの労働能力喪失率は終生にわたり100%であると認められる。原告Aは上記後遺障害を負うことがなければ,平成9年賃金センサス男子労働者学歴計の平均賃金575万0800円に相当する収入額を18歳から67歳までの49年間就労することにより得ることかつできたものと認められるので,原告Aの上記逸失利益を,ライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると,4341万5664円(575万0800円×(19.2390-11.6895))となる。
イ 将来の付添介護費用
前記第2,1の前提となる事実及び証拠(甲C17,18,20,21,乙A1)によれば,原告Aは,将来も終生常時介護を必要とし,両親のうち年の若い原告C(昭和(以下略)生)が70歳になる時までの○○年間は両親の介護が可能であるものの以後は職業付添人による介護が必要となり,両親による付添介護費用は1日当たり8000円を,職業付添人付添介護費用は1日当たり1万5000円を下らないものと認められる。
そして,平成9年簡易生命表によれば,生後3か月の男子の平均余命は77.15歳と推定されるから,上記期間の付添介護費用を,ライプニッツ方式により中間利息を控除して計算すると,6152万9510円(8000円×365×17.7740(45年のライプニッツ係数)+15000円×365×(19.5328(77年のライプニッツ係数)-17.7740))となる。
ウ 介護用品代
証拠(甲C1,2,甲C3の1ないし6,甲C4,5,6の1,2,甲C7,8の1,2,甲C9,10ないし15,16の1,2,3,甲C20,21)によれば,原告Aの介護のために介護ベッド等の介護用品の購入が必要となり,その購入代金は合計22万2337円となることが認められる。
エ 慰謝料
(ア)後遺障害分
前記認定の原告Aの後遺障害の程度等に照らすと原告Aの後遺障害慰謝料は2000万円と認めるのが相当である。
(イ)入通院慰謝料について
原告Aは,前記6で認定のとおり,新生児仮死等により症状固定まで93日間入院し,症状固定後も別紙入通院一覧表のとおり入通院をしているが,症状固定までの入院は被告病院医師らの過失によるものと認められる。また,証拠(甲A7,19,甲B2,甲C20)によれば,症状固定後の入通院のうち,平成10年2月18日から同月27日までの10日間の入院及び平成15年7月28日から同年11月6日までの102日間の入院は,原告Aの負った前記障害に起因するものであると認められる。
上記の各入院によって原告Aが受けた精神的苦痛を慰謝するには,192万円と認めるのが相当である。
オ 弁護士費用
原告Aが本件訴訟の提起及び追行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任したことは本件訴訟記録上明らかであり,本件事案の内容,審理経過,上記認容額等に照らすと,本件医療事故と相当因果関係を有する損害として原告Aが被告に対し請求することのできる弁護士費用は1000万円と認めるのが相当である。
(2)原告B及び原告Cの各損害について
ア 慰謝料
前記1,6の認定事実によれば,原告Aの父母である原告B及び原告Cは,両名の初めての子である原告Aが上記のような重大な後遺障害を負ったことにより,死にも比肩すべき甚大な精神上の苦痛を受けたと認められ,その慰謝額を各250万円と認めるのが相当である。
イ 弁護士費用
原告B及び原告Cが本件訴訟の提起及び進行を原告ら訴訟代理人弁護士に委任したことは本件記録上明らかであり,本件事案の内容,審理経過,上記認容額等に照らすと,弁護士費用は,各25万円と認めるのが相当である。
(3)損害額合計
以上によれば,原告Aの損害額は1億3708万7511円,原告B及び原告Cの損害額は各275万円と認められる。
第4 結論
以上によれば,被告に対し,原告Aの請求は1億3708万7511円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金,原告B及び原告Cの請求は各275万円及びこれに対する平成17年8月1日から支払済みまで民法所定の年5%の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余の各請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,61条,65条1項本文を,仮執行の宣言につき同法259条1項,仮執行免脱宣言につき同法259条3項をそれぞれ適用し,主文のとおり判決する。
横浜地方裁判所第5民事部
裁判長裁判官 三 木 勇 次
裁判官 本 多 知 成
裁判官 森 屋 和 子