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投薬量の限度量に増減が許される記載がある抗精神病薬につき,記載された限度量以上に投薬を行った医師に対して過失が認められなかった事例 薬の禁忌情報に違反して投薬を行った医師に,過失が認められなかった事

事件番号

横浜地方裁判所判決

平成18年(ワ)第3589号

平成19年(ワ)第1400号

 

       主   文

 

 1(1) 甲事件原告・乙事件被告及び乙事件被告Cは,甲事件被告・乙事件原告に対し,連帯して,77万7390円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を,うち28万2000円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員については乙事件被告Bと連帯して支払え。

  (2) 乙事件被告Bは,甲事件被告・乙事件原告に対し,甲事件原告・乙事件被告及び乙事件被告Cと連帯して,28万2000円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 甲事件原告・乙事件被告の甲事件請求及び甲事件被告・乙事件原告の乙事件被告Bに対するその余の乙事件請求をいずれも棄却する。

 3 訴訟費用は,甲事件及び乙事件を通じて,以下のとおりの負担とする。

  (1) 甲事件原告・乙事件被告に生じたものについては,甲事件原告・乙事件被告の負担とする。

  (2) 甲事件被告・乙事件原告に生じたものについては,これを10分し,その1を甲事件被告・乙事件原告の負担とし,その8を甲事件原告・乙事件被告の負担とし,その余を乙事件被告B及び乙事件被告Cの負担とする。

  (3) 乙事件被告Cに生じたものは,乙事件被告Cの負担とする。

  (4) 乙事件被告Bに生じたものは,これを3分し,その2を甲事件被告・乙事件原告の負担とし,その余を乙事件被告Bの負担とする。

 4 本判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

 

       事実及び理由

 

第1 請求の趣旨

 1 甲事件

 甲事件被告・乙事件原告(以下「被告」という。)は,甲事件原告・乙事件被告(以下「原告」という。)に対し,666万0300円及びこれに対する平成17年9月23日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 乙事件

 原告,乙事件被告B(以下「乙事件被告B」という。)及び乙事件被告C(以下「乙事件被告C」という。)(以下,上記3名を「原告ら」という。)は,被告に対し,連帯して,77万7390円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 1 甲事件は,原告が,統合失調症のため,被告が設置する「K病院」(以下「被告病院」という。)において入通院治療を受けた際,被告病院の医師から,パーキンソニズムに禁忌の薬剤を過剰,かつ,不当な方法で投与されるなどしたため,パーキンソニズムが発症,悪化し,一時起き上がれないほどになり,約1年間手の震えや歩行障害に苦しむことになり,また,被告病院の医師の説明義務違反により上記のような結果を回避することができず,結局,合計666万0300円の損害を被った旨主張し,診療契約の債務不履行又は不法行為に基づき,損害金666万0300円及びこれに対する甲事件についての損害賠償の履行を求める内容証明郵便が被告に到達した日の翌日である平成17年9月23日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

 2 乙事件は,被告が,原告において平成16年9月3日から同年12月21日までの間被告病院に入院し,入院費用合計77万7390円がかかったにもかかわらずこれを支払わない旨主張し,原告に対しては診療契約に基づき,乙事件被告B及び乙事件被告Cについては連帯保証契約に基づき,連帯して,上記医療費77万7390円及びこれに対する乙事件の訴状送達の日の翌日である平成19年4月28日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

 3 前提となる事実(当事者間に争いのない事実は,証拠を掲記しない。)

 (1) 当事者

 原告は,昭和〇年〇月〇日生まれの男性である。

 被告は,神奈川県相模原市麻溝台〈番地略〉に被告病院を開設し,診療業務を行っている。

 (2) 原告の入通院等の経過

 ア 原告は,平成13年9月ころから,人間関係に悩み,被害的言動をし,不眠になるなどしたため,平成14年2月20日ころ,医療法人社団青木末次郎記念会相州病院(以下「相州病院」という。)精神科を受診したところ,統合失調症と診断され,同病院に入院し,同年5月17日に退院した(乙A1の6頁,2の3頁,3の1頁,6の3頁)。

 イ 原告は,相州病院精神科を退院後,平成14年7月18日,被告病院を受診し,被告との間で診療契約を締結し,被告病院に通院していたところ,平成16年6月ころ(以下,平成16年の出来事については年の記載を省略する。),統合失調症を再発した(乙A1)。

 ウ 原告は,被告病院に,以下のとおり,入通院した。なお,原告の主治医はA医師(以下「A医師」という。)である。

 (ア) 6月4日から同月16日まで通院(乙A1)

 (イ) 6月16日から8月16日まで入院(以下「第1回入院」という。)

 (ウ) 8月17日から9月2日まで通院

 (エ) 9月3日から12月21日まで入院(以下「第2回入院」という。)

 (オ) 12月22日から平成17年1月6日まで通院

 (3) 原告は,上記入通院期間中,別紙「注射・点滴・錠剤投薬表」(ただし,6月19日の生食,8月24日のロラミット,9月4日のビカモール,10月16日及び同月20日のフルメジン,9月19日まで及び11月2日のセルシン,並びに9月3日から10月20日までのレンドルミンの用量は暫く措く。)のとおりの投薬を受けた。

 (4) 原告に投薬された薬剤の概要は,添付文書によると,以下のとおりである。

 ア フルメジン(甲B1)

 精神神経安定剤

 効能効果   統合失調症

 成分     マレイン酸フルフェナジン

 形態     糖衣錠(0.25mg,0.5mg,1mg)

 用法・用量  通常成人1日1mgないし10mg(なお,以下,特に断らない限り,投与量は1日当たりの量を示す。)を分割経口投与。なお,年齢・症状により適宜増減する(甲B1)。

 副作用    パーキンソン症候群(手指振戦,筋強剛,流涎等)など

 イ フルデカシン(甲B2)

 持続性抗精神病剤

 効能効果   統合失調症

 成分     デカン酸フルフェナジン

 形態     注射液(25mg)

 用法・用量  通常成人1回12.5mgないし75mgを4週間隔で注射薬量及び注射間隔は病状又は本剤による随伴症状の程度に応じて適宜増減並びに間隔を調整する。初回用量は,可能な限り少量より始め,50mgを超えないものとする。

 禁忌     パーキンソン病の患者

 使用上の注意 本剤が持続性製剤であることを考慮して,初回用量は患者の既往歴,病状,過去の抗精神病薬ヘの反応に基づいて決める。複数の抗精神病薬を使用している場合は,可能な限り整理した後,できるだけ低用量より始め,必要に応じ漸増することが望ましい。投与初期に用量の不足による精神症状の再発も考えられるが,その場合には原則として,本剤以外の抗精神病薬の追加が望ましい。次回投与時にはその間の十分な臨床観察を参考に用量調節を行う必要がある。

        本剤が持続性製剤であり直ちに薬物を体外に排除する方法がないため,副作用の予防,副作用発現時の処置,過量投与等について十分留意する必要がある。

        重篤な錐体外路症状(パーキンソン症候群〔手指振戦,筋強剛,流涎等〕など)に対しては抗パーキンソン剤等による対症療法を速やかに行うこと。

 副作用    パーキンソン症候群など

 ウ ドグマチール(甲B4)

 効能効果   胃・十二指腸潰瘍,統合失調症など

 成分     スルピリド

 形態     50mgのカプセル,錠剤

 用法・用量  統合失調症に対しては,通常成人300mgないし600mgを分割経口投与。1200mgまで増量することができる。

 使用上の注意 パーキンソン病の患者には慎重投与

 副作用    統合失調症の場合,パーキンソン症候群など。このような症状があらわれた場合には,減量又は抗パーキンソン剤の併用等適切な処置を行うこと。

 エ ニューレプチル(甲B6)

 精神神経安定剤

 効能効果   統合失調症

 成分     プロペリシアジン

 形態     錠剤

 用法・用量  プロペリシアジンとして,通常成人1mgないし10mgを分割経口投与。なお,年齢・症状により適宜増減する。

 副作用    錐体外路症状

 オ リスパダール(甲B12)

 抗精神病剤

 効能効果   統合失調症

 成分     リスベリドン

 形態     錠剤

 用法・用量  通常,成人にはリスベリドンとして1回1mg1日2回より始め,徐々に増量する。維持量は通常2mgないし6mgを原則として1日2回に分けて経口投与する。なお,年齢,症状により適宜増減する。ただし,12mgを超えないこと。

 使用上の注意 パーキンソン病のある患者(錐体外路症状が悪化するおそれがある。)

 カ ベサコリン散(甲B3)

 副交感神経亢進剤

 効能効果   慢性胃炎等。手術後,分娩後及び神経因性膀胱などの低緊張性膀胱による排尿困難(尿閉)。

 成分     塩化ベタネコール

 形態     散剤

 用法・用量  通常成人塩化ベタネコールとして30mgないし50mgを3,4回に分けて経口投与

 禁忌     パーキンソン病の患者(パーキンソニズムの症状を悪化させるおそれがある)

 使用上の注意 強い副作用があらわれた場合には,減量又は投与を中止すること。また,副作用の程度に応じて硫酸アトロピンの注射等適切な処置を行うこと。

 キ ビカモール(アキネトン。乙B1)

 抗パーキンソン剤

 適応     突発性パーキンソニズム,その他のパーキンソニズム(脳炎後,動脈硬化性,中毒性),抗精神薬投与によるパーキンソニズム・ジスキネジア(遅発性を除く),アカシジア

 成分     塩酸ビペリデン(ビカモールの場合1錠2mg。アキネトンの場合1錠1mg)

        乳酸ビペリデン(アキネトンにつき注射液1アンプル5mg)

 形態     錠剤,アンプル等

 用法・用量  塩酸ビペリデンとして1回1mg1日2回から始め,その後漸増し,3mgないし6mgを分服(増減)

        乳酸ビペリデンとして5mgないし10mgを注射。特殊な場合にだけ同量を5mgにつき約3分かけて徐々に静注(増減)

 (5) 原告は,平成17年1月17日,A医師に紹介された医療法人社団正史会大和病院(以下「大和病院」という。)に通院し,統合失調症との診断を受けたが,その際,被告病院でパーキンソニズムが悪化した旨訴えた(乙A6の7頁,9頁,10頁,12頁)。

 (6) パーキンソン病(本態性パーキンソン病,突発性パーキンソン病)は,主として,中年以降に発症する変性疾患で,臨床的には,筋固縮,寡動,振戦,姿勢反射障害等の錐体外路症状を主徴とする。これに対してパーキンソニズム(パーキンソン症候群)は,パーキンソン病の症状のいくつかが認められる疾患や病態をいい,その原因は多岐にわたるが,薬剤もそのひとつである。薬剤性パーキンソニズムはその代表的なものである。文献上一般に,薬剤性パーキンソニズムの予防のためにはその原因となる薬剤の長期大量使用や併用を避けるべきであり,発症を疑ったときにまずすべきことは原因薬剤の中止であるとされている。パーキンソン病に有害な薬剤はパーキンソニズムにも有害である。

 4 主たる争点及び主たる争点に対する当事者双方の主張

 本件の主たる争点は,(1) 被告病院の医師は,原告に対する投薬を誤り,原告にパーキンソニズムを発症させ,これを悪化させたか,(2) 原告にフルデカシンやベサコリン散を投与するに当たって,被告病院の医師に説明義務違反があったか,(3) 原告の被った損害は幾らか,(4) 第2回入院における治療費支払義務の有無であり,主たる争点に関する当事者双方の主張は,以下のとおりである。

 (1) 争点(1)(被告病院の医師は,原告に対する投薬を誤り,原告にパーキンソニズムを発症させ,これを悪化させたか)について

 ア 原告らの主張

 (ア) 原告の診療及び投薬の経過は,別紙診療経過一覧表(ただし,原告の反論欄の記載に反する部分は除く。)及び別紙「注射・点滴・錠剤投薬表」(ただし,9月4日のビカモールの用量は8mg,10月16日のフルメジンの用量は4mg,同月20日のフルメジンの用量は6mgである。)記載のとおりであり,特に問題となる点は次のとおりである。

 a 原告の症状は,被告病院に入院した後の治療で落ち着き,7月8日には,隔離解除となった。

 b A医師は,7月13日,原告から,投薬について説明がないことなどについて苦情を言われたことから,これを興奮状態と決めつけて原告を隔離室に拘束し,併せて,報復的にフルメジンの投与を開始した。

 A医師は,同日に1錠(1mgのもの),同月14日及び15日に各3錠,同月16日から同月22日まで各8錠,同月23日に12錠のフルメジンを投与すると共に,フルメジンと同成分の注射薬であるフルデカシン(デポ剤であり,1回の注射で4週間効果が持続する。)50mgを注射した。

 さらに,A医師は,同月24日から8月16日まで各12錠のフルメジンを原告に投与した。なお,A医師は,同月11日には,原告及びその父である乙事件被告Bから原告の手の震えなどの症状を訴えられたが,取り合わなかった。

 c 原告は,統合失調症の症状が改善したため,8月16日,被告病院を退院した。

 d A医師は,原告が被告病院を退院した後も,8月22日まで,原告に指示して各12錠のフルメジンを投与させ,同月23日の通院の際,原告から手の震えなどのパーキンソニズムの症状を訴えられたにもかかわらず,フルメジンを8錠に減らした代わりにフルデカシン75mgを注射した。

 e 原告は,8月24日,パーキンソニズムの症状が悪化したので被告病院を受診し,月岡医師の診察を受け,ビカモールをもらい服用した。

 f 原告は,8月25日,パーキンソニズムの症状が改善しないので,被告病院を受診し,A医師の診察を受けた。A医師は,「副作用」というだけでフルメジンの投与量を減らさなかった。

 g 原告は,その後,手の震えがひどくなり,電話の受話器も持てないほどになったため,8月30日,被告病院を受診し,A医師の診察を受けたところ,フルメジンを8錠から4錠に減量された。

 h 原告は,9月1日,被告病院を受診し,火野教授の診察を受け,フルメジンを4錠から2錠に減量された。

 i 原告は,パーキンソニズムの症状が改善せず,9月3日,「薬剤性パーキンソニズム」との診断で被告病院に再入院した。

 j 原告は,第2回入院期間中,以下のとおり,パーキンソニズムの人には禁忌か又はパーキンソニズムの原因となる薬剤の投薬を受けた。なお,ベサコリン散については,A医師は,9月27日に,被告病院の水上医師から,「ベサコリン内服されていますがこの薬は継続必要ですか」と指摘されているにもかかわらず,投与を続けた。

 フルメジン  10月16日から同月19日まで各3錠(ただし,同月16日は2錠),同月20日6錠。

 ベサコリン散 9月7日から11月21日まで10mgずつ1日3回

 ドグマチール 10月15日から11月25日まで50mgずつ1日3回

 他方,原告は,薬剤性パーキンソニズムの治療薬の投与を,以下のとおり中断された。

 ビカモール  9月6日から同月12日まで及び10月2日から同月18日まで

 アキネトン  9月14日から同月28日まで,10月20日から同月28日まで,11月5日から同月11日まで

 k 原告は,パーキンソニズムの症状が悪化しているにもかかわらず,10月20日,フルメジンの量を3錠から4錠に増量されようとしたので,被告病院の医師に対し,投薬の不合理さを指摘し,これを拒絶したところ,報復的に,フルメジン6錠を投与され,同日から同月27日まで隔離室に隔離された。

 l 原告は,セカンドオピニオンの意見を踏まえた乙事件被告Bの申入れにより,10月21日から,フルメジンの投与が中止され,これに代えてリスパダール1mg3錠を投与され,さらに,11月21日からベサコリン散の投与を中止された。

 m 原告は,その後,パーキンソニズムが改善し,12月21日,被告病院を退院した。

 (イ) 被告病院の医師には,原告に対し,第1回入院中の7月23日,フルデカシン50mgを注射し,また,同日から被告病院退院後の8月22日までフルメジン12錠の投与を続けさせ,遅くとも同月23日までに原告に薬剤性パーキンソニズムを発症させた過失が存する。

 なお,投薬に関する法的責任の有無は,あくまでも添付文書の記載を基準に判断されるべきであり,医師の裁量を安易に認めてはならない。まして,我が国では,統合失調症の患者の治療について,多剤大量療法という,国際標準からすれば明らかに誤った治療法が医療慣行として蔓延してきたことを念頭に置いて判断されるべきである。

 a 原告は,7月23日の時点では,第1回入院の直後の拘束及び隔離が終わっており,フルメジン8mgの投与により症状が落ち着いてきたこと,原告が平成14年及び平成15年の外来通院時においてリスパダール2mg(フルメジン4mgに相当)の投与により症状が落ち着いており,また,10月21日以降,リスパダール3mg(フルメジン6mgに相当)の投与により隔離解除,外出,外泊,退院と症状が著しく改善していったこと,平成17年1月17日からの大和病院における治療でもリスパダール3mgの投与で精神症状が安定していることからすれば,客観的には,原告の統合失調症はフルメジン6mgの投与で十分改善することができる状況であり,フルデカシンのような強力な薬剤を投薬する必要はなかった。

 被告は,原告の統合失調症の症状が改善したのは,同日以前に被告病院において投与されたフルメジン,フルデカシン等の効果によるところが大きい旨主張するが,それならば,同月20日に原告を隔離したことの説明がつかない。

 b 添付文書のフルメジンの限度量は10mgとされているところ,原告は,7月22日まで,フルデカシンと同成分で薬剤性パーキンソニズムの副作用のあるフルメジン8mgを投与されていたが,同月23日以降,フルメジンの限度量を超えた12mgを投与されるなど,明らかな過剰投与を受けた。

 なお,添付文書に記載された限度量10mgは,単なる目安ではなく,原則的な上限量である。

 c 被告病院の医師は,上記bのとおり,原告に7月23日以降フルメジン12mgという過剰な投与をしていたのに加えて,その必要性及び危険性を考慮せず,同日,添付文書のフルメジンの限度量10mg又はデカン酸フルフェナジン75mgを超える量のフルデカシン50mg(フルメジン12mgと合わせて,フルメジン換算で18.7mgないし22mg,デカン酸フルフェナジン換算で110mgないし140mg)を原告に注射した。なお,これは,前日までのフルメジン投与量8mgの2倍以上の急激な増量であり,フルデカシンが定常状態に達するまでの期間や当日のニューレプチルの減量(12錠〔60mg〕から8錠〔40mg〕)を考慮しても,急激かつ不当な増量である。また,被告病院の医師は,フルデカシンが,一度注射すると4週間効果が持続するデポ剤であるため,初回は可能な限り少量より始め,50mgを超えてはならないとされているにもかかわらず,格別の事情もないのに,いきなり限度量である50mgを注射した。

 被告は,フルデカシンの注射に経口抗精神病薬を上乗せして併用する場合,フルメジン換算で36mgまでであれば許されるというべきである旨,被告病院としては,フルメジン換算で25mgを超えないように努力するべきであると考えている旨主張する。しかし,被告の主張する症例は,急性期の治療に関するものであり,長期の維持治療には当てはまらない。被告の引用する文書にも,長期の治療にはより低用量が求められる旨,低用量で始め,反応と副作用のレベルに基づいて増量するか,又は,中程度の用量から始めることを推奨する旨が記載されていることからすれば,フルメジン10mg以上の投与が一般的であるということはできない。また,フルメジンに加えて,同成分のフルデカシンの注射を上乗せすることは予定されておらず,そのような症例は一例もないのであって,被告のフルフェナジン限度量算出方法は,標準的な医療慣行にさえ反するものであり,不当である。さらに,経口抗精神病薬をデポ剤に切り替える場合,経口抗精神病薬を徐々にデポ剤に切り替えていく方法はあっても,フルデカシンの注射に経口抗精神病薬を上乗せして併用することはないのであり,定常状態の前後を問わず,必要量を超えたデポ剤投与は厳に戒められているのであって,被告の投薬は正当でない。被告病院の医師は,フルメジンの経口投与により副作用がないことを確認した上でフルデカシンを注射した旨主張するが,被告病院の医師の試みたフルメジンの経口投与の量は8mgであり,その範囲内で副作用がなかったことを示すにすぎず,増量による副作用発生のリスクがないことを示すものではない。被告は,大和病院の医師が,フルデカシン50mgないし75mgの投与量は常識的な投与量であると述べている旨主張するが,大和病院の医師は被告病院のカルテを見たこともなく,詳しい実情を把握していないのであり,大和病院の医師の話をもって被告を免責する根拠とすることはできない。

 d フルデカシンは,複数の抗精神病薬を使用している場合は,可能な限り抗精神病薬の使用を整理した後に使用すべきであり,また,不足のため追加投与するときは他の薬剤を用いるべきとされている。しかるに,A医師は,原告に対し,フルデカシン50mgを注射した7月23日以降,フルデカシンと同成分のフルメジンを8mgから12mgに増量して投与し続け,また,薬剤性パーキンソニズムを副作用とするニューレプチルの投与を継続し,遅くとも8月23日までに原告にパーキンソニズムの症状を発症させた。

 (ウ) A医師は,原告に対し,8月23日,フルデカシン75mgを注射し,これにより原告の薬剤性パーキンソニズムを悪化させた。

 a 原告は,8月11日及び同月23日に手の震え等を訴えているなど,遅くとも同月23日までにパーキンソニズムを発症していた。

 b 原告は,8月23日ころには,7月23日に注射されたフルデカシン50mgの影響がなくなるのであるから,8月23日以降フルメジン及びフルデカシンを投与しなければ,原告の薬剤性パーキンソニズムは治癒した可能性があった。しかも,原告は,同日時点において,精神病は軽快したとして退院になっていたから,そもそもフルデカシンを投与する必要はなかった。

 c しかるに,A医師は,8月23日,原告にパーキンソニズムの症状が出ているのを認識しながら,あえて,同成分で同様に薬剤性パーキンソニズムの副作用のあるフルメジン8mgの継続投与に加えて,フルデカシンを2回目以降の投与限度量の75mgに増量して注射し,これにより原告の薬剤性パーキンソニズムを悪化させたものである。上記用量は,フルフェナジン換算で18mgないし23mg,デカン酸フルフェナジンとして115mgないし135mgであり,フルメジン,フルデカシンの限度量を超えているのみならず,フルデカシンの用量の不足により精神症状の再発の可能性が考えられる場合にはフルデカシン以外の抗精神病薬の追加が望ましい旨の使用上の注意に反し,用量の不足による精神症状の再発の可能性がないにもかかわらず,他の抗精神病薬の追加ではなく,フルデカシンを増量している点で使用上の注意に二重に違反している。さらに,被告病院の医師は,フルデカシン75mgが「試行」されたとカルテに記載しており,この投薬が実験的でイレギュラーなものであったことを認識していたと考えられる。

 なお,被告は,原告が8月23日の時点でパーキンソニズムを発症していることを否定するが,同日の時点で「手がワナワナしていてもたってもいられない感じ。」との訴えがあり,同月25日には下顎のジスキネジアが認められているのであるから,同月23日の時点でパーキンソニズムが発症していたことは明らかであり,被告病院の医師が,副作用チェックリストの「錐体外路症状」欄に「身体がワナワナする」などと記載していることからして,被告病院の医師も原告にパーキンソニズムが発症していたことを認識していたことが明らかである。パーキンソニズムの客観的症状がなければ,カルテにその旨記載するのが自然であるが,そのような記載もない。他院の医師も,原告の同月13日及び同月23日の症状がいずれも薬剤性パーキンソニズムの症状であると診断している(甲B14ないし16)。

 したがって,A医師には,原告の薬剤性パーキンソニズムを悪化させた過失がある。

 (エ) A医師は,原告に対し,9月7日から11月21日までベサコリン散の投与を継続し,原告の薬剤性パーキンソニズムをさらに悪化させた。

 a 原告は,9月23日ころには,8月23日に注射されたフルデカシン75mgの影響がなくなり,薬剤性パーキンソニズムが治癒していた可能性があった。

 b そもそもベサコリン散は,パーキンソニズムの人に対する投与は禁忌とされており,薬剤性パーキンソニズムの治療のため入院した原告に投与すること自体,故意ともいうべき加害行為である。

 すなわち,ベサコリン散の成分であるベタネコール塩化物は,アセチルコリンの誘導体であり,アセチルコリンには,副交感神経の興奮作用がある。この興奮作用により,筋肉の硬直や痙攣が増強された場合,パーキンソニズムの症状をさらに悪化させる虞がある。さらに,ドーパミン神経系とアセチルコリン神経系は,拮抗関係にあって,パーキンソニズムはアセチルコリン神経系がドーパミン神経系に対して相対的に優位となった状態をいうところ,アセチルコリンの誘導体であるベサコリン散が,アセチルコリン神経系を活性化することによって薬剤性パーキンソニズムを悪化させることになる。このため,パーキンソニズムの人に対するベサコリン散の投与は禁忌とされているのであり,ベサコリン散の成分が血液脳関門を通過するかどうかとは無関係である。

 原告の薬剤性パーキンソニズムは,症状の現れ方に変化はあるものの,10月15日以降も継続しており,ベサコリン散の投与が中止された後,12月21日に至ってようやく退院できるまでに回復したものであり,ベサコリン散の投与が,原告の薬剤性パーキンソニズムを悪化させたものである。

 c しかるに,被告病院の医師は,パーキンソニズムの原因となる抗精神病薬ドグマチールの投与に加えて,具体的な必要性がないのに,排尿促進剤としてベサコリン散10mgを3回投与するというやり方を漫然と76日間も継続した。

 なお,看護記録によれば,原告は,9月3日ないし同月6日まで,1日3回ないし8回の排尿があり,「排尿できないわけではない」ことを被告も認めているのであって,尿閉というような状況ではなかったことが明らかであり,ベサコリン散投与の必要性はなかったものである。なお,仮に,原告に尿閉が認められたとしても,ベサコリン散を使用する前に導尿,抗精神病薬の減量,変更,又は,他の排尿促進剤(ワゴスチグミン)を使用するなどすべきであった。

 d 原告は,上記のように,薬剤性パーキンソニズムに禁忌とされるベサコリン散を投与されたため,10月に至っても薬剤性パーキンソニズムが治癒せず,かえって悪化して一時起き上がれないほどになり,その後約1年間手の震えや歩行障害に苦しむことになった。

 e 以上のとおり,被告病院の医師には,原告にベサコリン散を継続投与し原告の薬剤性パーキンソニズムをさらに悪化させた過失が存する。

 イ 被告の反論

 (ア) 原告の診療の経過

 a 原告は,平成13年ころ,統合失調症にり患したものと思われ,平成14年2月20日,幻覚妄想状態を呈して,警察官に連れられて相州病院を受診し,直ちに相州病院に入院し,抗精神病薬の投与により症状が改善したので,同年5月17日,相州病院を退院し,リスペリドン2mg,中枢性コリン薬タスモリン2mgの投与を受けるなどしながら,外来で経過観察を受けていた。

 b 乙事件被告Bは,平成14年7月15日,被告病院に相談に訪れ,その後,原告が,同月18日,被告病院を受診した。被告病院における原告の診療経過は,別紙診療経過一覧表(ただし,「原告の反論」欄の記載を除く。)及び別紙「注射・点滴・錠剤投薬表」記載のとおりである。

 (イ)a 被告病院の医師には,原告に薬剤性パーキンソニズムを発症させたことにつき過失はない。統合失調症の治療上,抗精神病薬投与は不可欠であり,抗精神病薬には高頻度で薬剤性パーキンソニズムを発症させる副作用があることを考慮しても,統合失調症患者に抗精神病薬を投与しないことは非倫理的である。また,被告病院の医師の処方は,別紙「注射・点滴・錠剤投薬表」記載の投薬状況のとおり,多剤併用大量療法とは全く異なるものである。

 b 原告は,客観的には,原告の統合失調症はリスパダール3mg(フルメジン6mgに相当)の投与で十分改善することができる状況であり,7月23日の時点でフルデカシンを投与する必要はなかったなどと主張する。

 しかし,同日の時点では,第1回入院当初と比べれば,統合失調症の症状は改善していたものの,セレネースやニューレプチルを一応の上限量まで処方したにもかかわらず拘束や隔離が必要な状態が長く続いており,被害妄想,不安焦燥感,病識欠如の状態は続いていて精神状態は落ち着いておらず(乙A2),安易に投薬を減らせばすぐに症状が再燃する危険性が高かったものであり,治療効果を更に安定継続させ,早期に退院して社会復帰できるようにするために,服薬を嫌う傾向のある原告に長期間効果が持続するデポ剤であるフルデカシンを同日の時点で注射することには十分な合理性がある。被告病院の医師は,ニューレプチルをいわゆる交差置換法によってフルメジンに置き換えていき,副作用がないことを確認した上でフルデカシンを注射しており,その方法にも問題はない。

 なお,原告は,平成14年から平成15年ころ,外来通院により,リスパダール2mgを投与され,さらに,第1回入院前の6月4日からはリスパダール4mgを投与されていたが,結局,統合失調症が再燃して警察官の手を借りなければならないほどに激しい症状を呈する状況となり,同月16日に被告病院に医療保護入院せざるを得なくなったものであり,リスパダール2mgの投与では不十分であった。また,原告は,10月21日以降,リスパダール3mgの投与を受けているが,同日と7月23日とでは精神状態も違う上,10月21日を境にして原告の統合失調症の症状が改善していったわけではなく,これは,それ以前に被告病院において投与されたフルメジン,フルデカシン等の効果によるところが大きいものである。原告の統合失調症が,リスパダール3mgの投与で十分改善することができる状況であったとはいえない。

 c フルメジンの用法,用量は,通常成人1日10mgを上限とし,年齢,症状により適宜増減するとされているところ,適宜増減とは,1日10mgという上限はあくまでも目安であり,年齢,症状によってはこれを超過する投与も当然認められるということを意味しており,1日25mgを超えるのは問題であるが,1日10mgないし20mgのフルフェナジンを用いる方法は一般的である(乙B4,5)。なお,添付文書上,投薬量の一応の上限下限を定めた上で,「なお,年齢・症状により適宜増減する。」という記載がされている例は,精神神経科領域の薬剤に多いが,その場合,上限の2倍程度までは「適宜増」の範囲に入るという理解がされていることが多い。

 原告は,被告の挙げる文献(乙B4,5)の症例が,急性期に関するものであり,本件には適切でない旨主張するが,入院が必要な程度の精神病状に対する治療は急性期に対する治療というべきであるし,仮に,急性期の治療ではなく長期の維持治療であったとしても,10mgを超える用量は推奨用量範囲内に含まれているから,原告らの主張は理由がない。

 d(a) 抗精神病薬の作用は,薬物により大きく異なり,異なる種類の抗精神病薬についての世界共通の等価換算表は存在せず,ある抗精神病薬で治療が難航し,他の抗精神病薬へ切り替える場合につき,投与量について経験的に知られた大まかな目安となる等価換算表があるのみである。

 工藤義雄らの論文(乙B2)によれば,経口投与のフルフェナジン(フルメジン)1mgが,デカン酸フルフェナジン(フルデカシン)5mgの4週間毎投与と等価とされ,また,稲垣中らの論文(乙B3)によれば,経口投与のフルフェナジン(フルメジン)2mgが,フルフェナジンのデポ剤(フルデカシン)7.5mgの2週間毎投与と等価とされている。これらの換算方法は,定常状態に達した後を前提としており,定常状態に達するまでの期間が数か月に及ぶデポ剤の場合,使い始めの数か月間については,効力はこれらの換算方法から計算されるよりも劣らざるを得ない。なお,デカン酸フルフェナジンの場合,4週間毎の注射で5回目以降は定常状態に達していると考えられているが,1,2回目では効力はそれより劣るものである。したがって,経口投与による抗精神病薬をデポ剤に切り替える場合には,経口抗精神病薬とデポ剤を一時併用して,徐々にデポ剤に切り替えていく方法が安全かつ実用的とされている。

 原告は,被告が挙げる文献(乙B4,7,10)にはフルメジンに上乗せしてフルデカシンを投与した症例は一つもないから,被告が7月23日に行った投薬は標準的医療慣行にすら反する旨主張するが,上記文献中にフルメジンに上乗せしてフルデカシンを投与した症例が記載されていないからといって,被告病院の医師の投与方法が医療慣行ないし医療水準に反するということにはならない。

 (b) デカン酸フルフェナジン(デポ剤)の投与量は,1回12.5mgないし75mgを4週間間隔で注射し,薬量及び注射間隔は病状又は本剤による随伴症状の程度に応じて適宜増減並びに間隔を調節するとされており,投与量が75mgを超えることも認められており,投与量が4週間当たりで100mgまで増量された症例も存在する(乙B4)。

 (c) デカン酸フルフェナジン(デポ剤)の注射を始めるに当たり,それ以前に用いていた経口抗精神病薬を直ちに減量する場合と,直ちには減量せず注射剤を上乗せする場合のいずれもがあり得る。

 学術論文によると,33歳の男性につき,フルデカシンを4週間毎に75mg(フルメジン15mgに相当)投与し,これに加えて,レボメプロマジン300mg(フルメジン6mgに相当),ブロムペリドール30mg(フルメジン10mgに相当)及びクロカプラミン250mg(フルメジン5mgに相当)を投与した症例につき「中等度改善」し,「副作用なし」とされた症例(乙B7),フルデカシンを4週間毎に50mg(フルメジン10mgに相当)投与し,これに加えて,レボメプロマジン350mg(フルメジン7mgに相当),ブロムペリドール20mg(フルメジン6.7mgに相当)及びスルピリド1000mg(フルメジン10mgに相当)を投与した症例につき,「軽度改善」し,「副作用なし」とされた症例(乙B10),フルデカシンを4週間毎に100mg(フルメジン20mgに相当)投与し,これに加えて,プロペリシアジン50mg(フルメジン5mgに相当)を投与した症例(乙B4)があり,これらの症例にかんがみれば,フルデカシンの注射に経口抗精神病薬を上乗せして併用する場合,フルメジン換算で36mgまでであれば許されるというべきである。なお,被告病院としては,実際には,フルデカシンと経口抗精神病薬の全体の投与量は,米国エキスパートコンセンサスガイドラインを準用して,フルメジン換算で25mgを超えないように努力するべきであると考えている。

 (d) 原告の場合,怠薬により病状が再燃した事実があり,しかも,被告病院を受診していたころは実質的に単身生活をしていて服薬を常時監督される状況になかったので,デポ剤の使用開始は必要であった。

 原告は,病状が悪化すると著しく不穏になり,身長が高く,筋肉質で,男性の若年者であり,弱い薬物療法(リスパダール2mg)では誤った判断に基づいて服薬を中断し病状が再燃したことがあるなど,抗精神病薬の少量療法ではうまくいかなかったから,抗精神病薬の少量療法を再び実施するメリットは何もなかった。

 被告病院の医師は,以上のような状況から,フルフェナジンの経口剤で様子を見た後にデポ剤を使用するという標準的な方法を実施した。原告がフルメジンを12mg内服していたころ,フルデカシンは4週間で50mgの注射であったから,工藤義雄らの論文(乙B2)によれば,フルメジンに換算して22mg,稲垣中らの論文(乙B3)によれば,フルメジンに換算して18.7mgに相当する。原告がフルメジンを8mg内服していたころ,フルデカシンは4週間で75mgの注射であったから,工藤義雄らの論文(乙B2)によれば,フルメジンに換算して23mg,稲垣中らの論文(乙B3)によれば,フルメジンに換算して18mgに相当する。ただし,実際には,デポ剤使用開始当初においては,デポ剤の効力は定常状態に達していないので,デポ剤の等価換算量は上記の数字よりも小さいはずである。

 したがって,原告に対する抗精神病薬全体の投与量は,多く見積もっても,上記(c)で述べた許容範囲内であり,不適切なものではない。原告が受診した大和病院の医師も,フルデカシン50mgないし75mgの投与量は常識的な投与量である旨述べている。原告らの主張は,投薬に際しては,症状の改善よりも副作用発症防止の方が優先されるというようなものであり,失当である。

 e 原告は,7月23日当時,ニューレプチル及びフルメジンの2剤が併用投与されていたところ,これに加えてフルデカシン50mgを注射されたが,これは「複数の抗精神病薬を使用している場合」において「可能な限り整理した後」の投与ということができ,添付文書に反するものではない。

 f 原告は,被告病院の医師のフルメジン,フルデカシン等の過剰投与により,遅くとも8月23日までに薬剤性パーキンソニズムを発症していた旨主張する。

 しかし,原告は,同月11日には手の震えがあったと訴えておらず,同日から同月14日の外泊の際についても手の震えがあったと訴えておらず,同月16日の退院時までにも特に手の震えがあったとは訴えていない。原告は,同月23日の外来通院時において,「手がワナワナし,いてもたってもいられない感じ」を訴えていたが,他覚的には,パーキンソン症候群で普通に見られる静止時振戦や,小刻み歩行,筋強剛は認められなかったものであり,同日時点で薬剤性パーキンソニズムを発症していたと認めることはできない。原告は,平成17年1月17日に大和病院を受診した際,問診票(乙A6の11頁)に,8月23日のフルデカシン注射75mgによってパーキンソニズムにかかった旨記載しており,同日の時点までパーキンソニズムの症状が出ていなかったという上記主張に反する事実を自認している。なお,副作用チェックリスト上の「錐体外路症状」欄の記載は,「身体がワナワナすると」と記載されているとおり,原告の訴えを記載したものにすぎない。また,原告の指摘する他院の医師の診断は,客観的な情報を知らずに乙事件被告Bの訴えだけを基に作成しているものであり,何の証拠価値もない。

 (ウ) A医師が,原告に対し,8月23日,フルデカシン75mgを注射したことに過失はない。

 a 上記(イ),eのとおり,原告が,8月23日までに,薬剤性パーキンソニズムを発症していたと認めることはできない。

 b 原告は,8月23日以降,フルメジン,フルデカシン及びその他の抗精神病薬を投与されなければ,薬剤性パーキンソニズムを発症,悪化することはなかった可能性はある。しかし,同日時点で原告の統合失調症が軽快していたのはフルデカシン,フルメジンによる治療の賜物であり,これらの抗精神病薬の投与を中断すれば,当然,統合失調症が再燃する高度の危惧が存した。

 薬剤性パーキンソニズムは,抗精神病薬による治療を行った場合には高頻度で発生するやむを得ない副作用であり,薬剤性パーキンソニズムが発生した場合は,抗パーキンソン薬の投与,抗精神病薬の減量などで対応するものであるから,抗精神病薬の投与を全く止めたり急激に減らすことは不適切である。

 c A医師が,8月23日にフルデカシン75mgを注射したことに過失はない。原告の場合,男性の若年者で,筋肉質で体格が良く,弱い薬物療法(リスパダール2mg)では誤った判断に基づいて服薬を中断し病状が再燃したことがあり,病状が再燃すると,警察官の手を借りなければならないほどに激しい症状を呈する状況であったから,フルデカシンの投与量を少量に抑えるべき理由はなく,添付文書上の上限量を使用したことは妥当な判断である。

 なお,被告病院の医師は,薬剤性パーキンソニズムと診断した後も,フルメジンを継続投与しているが,これは抗精神病薬をいきなり急激に減量又は中止することによる精神症状の再燃を危惧してのものであり,フルメジンは段階的に減量していっているのであって,不適切な点はない。

 原告は,同日時点では,他覚的には,パーキンソン症候群で普通見られる静止時振戦や,小刻み歩行,筋強剛が認められず,動作時に手に細かな振戦があるだけであり,この程度であれば,抗精神病薬の投与を直ちに止めたり減量したりしなければならない症状ではなかった。被告病院の医師は,フルデカシン75mgを注射する一方,自覚症状を考慮に入れて経口剤(フルメジン)を減量するという注意を払っており,過失はない。また,原告は,7月23日のフルデカシンの投与量よりも8月23日のフルデカシンの投与量が増加していることにつき,「投与初期に用量の不足により精神症状の再発の可能性も考えられるが,本剤以外の抗精神病薬の追加が望ましい。」とのフルデカシン使用上の注意を引用して,使用上の注意に反する旨主張するが,上記使用上の注意は,フルデカシンの投与初期には用量の不足により精神症状の再発の可能性も考えられるが,その場合,次のフルデカシン投与までの間は,フルデカシンの追加注射ではなく,フルデカシン以外の抗精神病薬の追加投与で対応するのが望ましいという意味であり,第1回目にフルデカシンを注射した後,4週間後にフルデカシンを増量して注射するという場面を想定したものではない。さらに,原告は,カルテにフルデカシン75mgが「試行」されたと記載されていることをとらえて,この投薬が実験的でイレギュラーなものであったことを認識していたなどと主張するが,悪意に満ちた揚げ足取り以外の何物でもない。

 (エ) 被告病院の医師が,原告に対し,9月7日から11月21日までベサコリン散の投与を継続したことに過失はない。

 a 原告は,9月23日ころには,8月23日に注射されたフルデカシン75mgの影響がなくなり,薬剤性パーキンソニズムが治癒していた可能性があった旨主張する。確かに,同日以降,抗精神病薬の投与を完全に中止していれば,9月23日ころには原告の薬剤性パーキンソニズムが治癒していた可能性があるかもしれないが,その代わり統合失調症が再燃していたはずである。

 b ベサコリン散は,添付文書上,パーキンソニズムの人に対する投与は禁忌とされているが,この禁忌指定は,科学的根拠に乏しいものである。ベサコリン散のインタビューフォーム(乙B11)によれば,ベサコリン(一般名称ベタネコール)は,通常用量では血液脳関門を通過せず,薬剤成分が脳内に入らないから,服薬によりパーキンソニズムの症状が悪化するとは考えにくいものである。実際,臨床の現場では,抗パーキンソン薬の副作用によると思われる尿閉が認められた場合には,ベサコリン散の投与がされている(乙B12,乙B13)。原告は,ベサコリン散は,コリン作用がある成分を含んでおり,服用によりコリン成分が増加するとドーパミンが低下し,これによりパーキンソン症候群が悪化すると考えられているため,禁忌とされている旨主張するが,これは,体内のどこの部位の話なのか,コリン成分が増えるとなぜドーパミンが低下するのかが不明であり,全く説明になっていない。

 原告の薬剤性パーキンソニズムの症状は,9月末から10月初めにかけて最も悪かったが,その後は改善に向かっているところ,ベサコリン散は,9月7日から11月21日まで投与されているのであり,原告の薬剤性パーキンソニズムがベサコリン散の投与によるものでないことが理解できる。

 c 原告は,被告病院の医師が,パーキンソニズムの原因となる抗精神病薬ドグマチールの投与に加えて,具体的な必要性がないのに,排尿促進剤としてベサコリン散10mgを3回投与するというやり方を漫然と76日間も継続した旨主張する。

 ドグマチールは,この時期,原告の精神症状が増悪してきたため投与したものであり,妥当な対応である。

 また,原告は,第2回目の入院当初から尿閉(排尿困難)を訴えており,排尿促進の必要性が高かったものである。看護記録にも「尿閉症状に注意」,「排尿困難」との記載があり,9月6日ころには輸液の影響で尿の回数が多くなっているが,入院中は全般に尿回数が2回ないし5回程度(通常は7回ないし8回)と少ないことが多く,尿閉の兆候が続いていた。なお,ベサコリン散10mgを3回投与というのは,添付文書上の最低量である。ベサコリン散投与開始後,原告の尿閉の訴えは改善していったが,それはベサコリン散が奏功していたためである。

 原告は,ベサコリン散を使用する前に,導尿,抗精神病薬の減量,変更,又は,他の排尿促進剤(ワゴスチグミン)を使用するなどすべきであった旨主張する。しかし,原告は,出にくさを訴えながらも,排尿できないわけではなかったから,投薬前に必ずまず導尿をしなければいけないということはない。また,被告病院では,同月3日の第2回入院から10月半ばまで抗精神病薬を使用していなかったから,抗精神病薬の減量等による対処は考えられず,他の排尿促進剤(ワゴスチグミン)を使用することも一つの選択肢であるが,ベサコリン散が,パーキンソン症候群があってもアルツハイマー病患者以外では安全性に問題がないことからすると,ベサコリン散を投与することが誤りということはないのである。よって,この点についての原告らの主張は,失当である。

 (2) 争点(2)(原告にフルデカシンやベサコリン散を投与するに当たって,被告病院の医師に説明義務違反があったか)について

 ア 原告らの主張

 (ア) 7月23日のフルデカシン投与について

 a フルメジン,ニューレプチルに加えてフルデカシンを投与するに当たっては,フルデカシンが,いったん投与すると1か月間効果が持続するためにその間減量することができないという特有の危険性があることから,そのリスクについてあらかじめ原告又はその父である乙事件被告Bに説明し,同意を得てから実施すべきであった。7月23日には症状も落ち着いており,説明は困難ではなかった。

 しかし,実際には,A医師は,副作用や投与量については説明していない。よって,A医師には,7月23日にフルデカシンを原告に投与するにあたって,副作用等について説明すべき義務を怠った過失がある。

 そして,このような説明義務を尽くしていれば,原告はフルデカシンの投与を拒否したといえ,パーキンソニズムの発症を回避できた。

 b 仮に結果発生との因果関係が認められなくとも,説明義務違反自体についての慰謝料請求権が発生するのであって,この慰謝料の額は請求額と同額とするのが相当である。

 (イ) 8月23日のフルデカシン投与について

 a 8月23日にも,A医師には,フルデカシンを原告に投与するに当たって,上記と同様の説明義務を負っていたところ,これを怠った。

 そして,この注意義務を尽くしていれば,原告はフルデカシンの投与を拒否し,パーキンソニズムは発症しなかったというべきである。

 b また,仮に結果発生との因果関係が認められなくても,説明義務違反自体についての慰謝料請求権が発生するのであって,この慰謝料の額は請求額と同額とするのが相当である。

 (ウ) ベサコリン散投与について

 a 第2回入院は,薬剤性パーキンソニズム治療が主目的であったのであるから,薬剤性パーキンソニズム患者に対して禁忌であるベサコリン散を投与するに当たって,A医師には,原告に対し,ベサコリン散を使用する必要性や副作用について説明すべき義務があったというべきである。しかし,A医師はこの義務を怠った。

 そして,原告は,尿が出ているのであるから,上記義務が尽くされていれば,パーキンソニズムの副作用のあるベサコリン散の投薬を受けることを拒否したということができ,この義務違反と結果発生との間には因果関係がある。

 b 仮に因果関係が認められなくても,説明義務違反自体について慰謝料請求権が発生するのであって,この慰謝料請求権は請求額と同額とするのが相当である。

 イ 被告の反論

 原告らの説明義務違反の主張は,いずれも争う。日常の診察で,すべての処方薬について薬名,薬効,予想される副作用等を患者らに説明する必要はないし,そのようなことは物理的に不可能である。

 (3) 争点(3)(原告の被った損害は幾らか)について

 ア 原告らの主張

 原告は,A医師を始めとする被告病院の医師らの過失により,薬剤性パーキンソニズムを発症し,これが悪化したため,以下のとおりの損害を被った。

 (ア) 治療費(調剤費を含む)  5万2600円

 原告は,平成17年8月1日分までの治療費の自己負担実費として5万2600円を支払った。(甲C4)

 なお,大和病院での治療は,主としてパーキンソニズムの治療であった。

 (イ) 交通費            5400円

 原告は,平成17年8月1日分までの交通費実費として5400円を支払った。(甲C4)

 (ウ) 休業損害       400万2300円

 a 原告は,8月23日にパーキンソニズムを発症させられて以来,約1年間,稼働することができなかった。

 b 原告は,不動産屋に勤務したり,アルバイトをするなどして平成14年には516万円(甲C1),平成15年には529万9676円(甲C2)の給与収入を得ていたが,平成16年の給与収入は230万円(甲C3)に減少しており,長期にわたる入院が減収を招いたことは明らかである。

 c 原告は,統合失調症という病気を抱えていたものの,上記bのとおり,健康人並に稼働することができたから,稼働不能期間に得ることができたはずの年収は,少なくとも平成15年賃金センサス25歳から29歳の男子学歴計の平均年収400万2300円によるベきである。

 (エ) 慰謝料            200万円

 原告は,薬剤性パーキンソニズムのため,9月3日から12月21日まで約4か月間入院し,以後も通院を余儀なくされている。平成17年の通院回数は15回(甲C4)である。これによれば,原告が被った精神的損害は200万円を下るものではない。

 (オ) 弁護士費用           60万円

 (カ) 合計         666万0300円

 イ 被告の認否

 原告の損害に関する主張は,争う。なお,大和病院のカルテによれば,原告は,初診の時点で,「日常生活で困ることはない」と述べており,大和病院へは統合失調症の治療のために通院していたものである。

 (4) 争点(4)(第2回入院における治療費支払義務の有無)について

 ア 被告の主張

 (ア) 原告は,平成14年7月18日,被告との間で診療契約を締結し治療を受けていたが,第2回入院の際の入院医療費合計77万7390円(乙D1の1ないし4)を支払わない。

 原告らは,第2回入院の費用が医療過誤による損害に当たるから,被告が負担すべきである旨主張するが,仮に,医療過誤による場合であっても,治療費の支払請求権が発生しないという理由はない。

 (イ) 乙事件被告B及び乙事件被告Cは,6月16日の第1回入院の際,被告に対し,入院証書(乙D2)を差し入れ,原告の入院費用の支払を連帯保証する旨約した。

 乙事件被告Bは,入院証書の保護者欄に署名押印し,診療費その他の諸費用についての連帯支払を約しているのみならず,療養環境料(室料)承諾書(乙D3)に保証人として署名しており,第2回入院費用について連帯保証人としての責任を負うものである。

 上記入院証書の欄外には,「同一疾患等による再入院については,3か月以内本証書有効」との記載があるところ,第2回入院は,第1回入院から3か月以内の入院で,かつ,統合失調症の治療及びこれに伴う合併症の治療のための入院であるから,「同一疾患等による3か月以内の再入院」に当たる。

 (ウ) したがって,原告らは,連帯して,第2回入院費用77万7390円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年4月28日(乙事件被告Cについては同月29日)から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払義務を負う。

 (エ) 原告の相殺の主張は,争う。これは,乙事件において,別訴である甲事件において訴訟物となっている債権を自働債権とする相殺の抗弁を主張するものであり,許されない。

 イ 原告らの認否,反論

 (ア) 原告の第2回入院は,被告の医療過誤により生じたものであるから,被告が負担すべきであり,被告には原告に対する治療費の請求権は発生しない。

 (イ) 乙事件被告Bは,入院証書の保証人欄に署名をしておらず,連帯保証人ではない。

 乙事件被告Cは,第1回入院につき連帯保証したものであり,第2回入院については連帯保証人の責任を負わない。第1回入院は,統合失調症による入院であり,第2回入院は,薬剤性パーキンソニズムによる入院であるから,同一疾患による入院でないことは明らかである。

 (ウ) 仮に,被告の治療費の請求権が認められる場合には,原告らは,平成19年7月20日の第4回弁論準備手続期日で陳述された同月17日付け準備書面により,被告に対する医療過誤に起因する治療費相当の損害賠償請求権と被告の治療費の請求権とをその対当額で相殺する旨の意思表示をした。

第3 争点に対する判断

 1 認定の基礎となる事実

 各項中に掲記した各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

 (1) 原告の症状

 ア 被告病院入院まで

 (ア) 原告は,昭和50年12月*日生まれであり,平成10年3月に大学を卒業した後,小学校の教師を1年間,高等学校の体育講師を2年間務めた後,家庭教師などをしていたが,平成13年9月頃,不動産会社に就職してから人間関係に悩むことが多く,この頃から幻聴,妄想等を発症し,盗聴器が仕掛けられていると訴えるなどしたため,平成14年2月20日,相州病院精神科を受診した。原告は,同病院において,統合失調症と診断され,興奮し,幻覚妄想状態にあったため,同日から同年5月17日まで,同病院に医療保護入院をし,抗精神病薬の投与を受けた結果,症状が改善され,同日,同病院を退院し,その後は外来に通院していた。(甲B23,乙A1ないし3)

 (イ) 原告は,相州病院を退院した後,リスパダール2mg/日等の処方を受けていたが,女性化乳房,射精困難の副作用が出現したため同病院への通院を拒否し,平成14年7月15日に,被告病院を紹介されて受診し,外来でA医師の診療を受け,リスパダール2mg/日等の投与を受けていた。(乙A1ないし3)

 (ウ) しかし,原告は,病識に乏しく,平成16年初めころから,「調子がいいから薬は必要ない」,「親戚に飲むなと止められた」,「宅建の勉強をする」などと言ってリスパダールの服薬を怠る傾向になり,また,被告病院への通院も自己中断した。(甲B23,乙A1ないし3)

 (エ) 原告は,乙事件被告Bに付き添われて,6月4日,約5か月ぶりに被告病院を受診し,診察に当たったA医師に不眠を訴えたが,その際,乙事件被告Bは,A医師に対し,最近原告が意味不明の言葉を発する旨訴えた。(乙A1)

 (オ) 原告は,その後,乙事件被告Bに付き添われて,6月5日,同月9日に被告病院を受診し,A医師等の診察を受けた。その際,原告又は乙事件被告Bは,A医師に対し,薬を飲み忘れることがある旨申告した。(乙A1)

 (カ) 乙事件被告Bは,6月9日,一人で被告病院を訪れ,A医師に対し,原告の母親(乙事件被告Bの元妻)から薬を飲むなと言われているらしく,原告がリスパダールを飲まない旨,原告が「水を飲め」という幻聴を聞き,3リットルないし4リットルの水を飲んだ旨訴えた。そこで,A医師は,リスパダール等を7日分処方した。(乙A1,2)

 (キ) 乙事件被告Bは,6月16日午前8時30分頃,一人で被告病院を訪れ,A医師に対し,原告が,前日から全然薬を飲まず,殆ど寝ないと訴えた。そこで,A医師は,リスパダール液(4mg)を朝食後と就寝前に服用することとして5日分処方した。(乙A1)

 イ 第1回入院時の状態

 (ア) 原告は,6月16日午後,乙事件被告Bが原告に飲ませるつもりでリスパダール液を薄めてコップに入れ,テーブルに置いたところ,乙事件被告Bに洗剤を飲まされたと騒ぎだし,同日午後1時50分頃,自分で救急車を呼んだ。臨場した救急隊員2名は,何かあると困るため,大和警察署に連絡し,臨場した警察官2名及び乙事件被告Bに同乗してもらい,同日午後2時15分頃,原告を被告病院に搬送した。(甲B23,乙A2)

 (イ) 原告は,被告病院に搬送された直後,「親父が俺に洗剤を飲ませた」,「俺はプロテニスプレーヤーになりたかったのに親父はその邪魔をした」,「俺を殺す気だ」と訴えるなどして著しく騒ぎ,乙事件被告B,警察官2名及び救急隊員2名にしきりと食ってかかり,説得にも応じない状況であった。

 乙事件被告Bは,横浜家庭裁判所平成14年(家)第10196号事件についてされた同年3月8日の審判に基づき原告の保護義務者(精神保健福祉法20条)に選任されているところ,原告が自分は何ともないとして加療を拒絶するため,原告を,精神保健福祉法33条1項に基づき,医療保護入院することに同意した。原告は,直ちに,被告病院に医療保護入院させられた。(乙A2,3)

 ウ 第1回入院中

 (ア) 被告病院においては,医療保護入院後,医師4名及び看護師4名がかりで,やっとのことで原告に対して注射を施行した。原告は,注射を施行されている間も,騒ぎ続け,「親父は俺の邪魔をした」,「お前ら,俺を殺す気か」「俺をそうやって押さえるんだったらお前ら全員ぶっ殺す。」と攻撃的な口調で話すなど,易刺激性,易怒性が亢進し興奮していた状態であった。A医師は,以上のような原告の状況にかんがみ,原告が著しい不穏状態にあると判断し,6月16日午後3時頃,原告について拘束指示をした。(乙A1,2)

 (イ) 被告病院の医師は,原告が著しい不穏状態にあったため,6月17日ないし同月19日の3日間,毎日拘束指示をした。(乙A2)

 原告は,同月17日,被告病院の医師に対し,洗剤を飲まされたから入院している旨の話をし,病識がない状態であり,また,被害妄想もやまない状態であった。また,原告は,同日午前10時30分頃,乙事件被告Bと5分ほど面会したところ,次第に興奮し,説教し始めるなどした。また,被告病院の医師は,同日の昼食時に原告の肩拘束を解除したところ,再拘束する際に「外して,外して」などと抵抗され,再拘束が困難であった。(乙A2,3)

 原告は,同月18日にも,「父親にだまされた」と叫び,「父に洗剤飲まされてここに来た」などと話をしていた。また,原告は,午前9時30分頃には,一時亜昏迷による常同姿勢を取っているような状態であり,午後には,発汗が著明であり,全身に力を入れ振戦があり,口呼吸をするなど興奮していた。原告は,同日午後2時頃,アキネトンを投与されたことにより,表情が落ち着き,全身の緊張が見られなくなり,疎通性も高まり,夜間になると穏やかになった。(乙A2,3)

 原告は,同月19日,興奮や筋強剛はなく,少しはニコリとする状況になったが,「父に洗剤飲まされたから水を2リットル飲んだ」,「ひどいことをされた。洗剤飲まされたのは事実。でも,ここまでこれたのはお父さんのおかげ」と述べるなど,被害妄想が残存している状態であり,病識は依然として乏しかった。

 被告病院の医師は,原告につき,同日午後2時10分,拘束指示に代わり隔離指示を出した。これにより,原告は,施錠された隔離室で起臥寝食するようになった。(乙A2,3)

 (ウ) 原告は,同月20日も,隔離指示を受けたが,その後,CPK値(クレアチンホスキナーゼ値)の上昇が確認され,DIV(点滴静脈内注射)付加の必要性から,同日ないし同月22日まで毎日拘束指示がされ,保護室から個室に移され,拘束された。原告は,拘束指示に対し,説得に応じて理解を示し,これに従った。(乙A2,3)

 原告は,同月21日及び22日は穏やかであったが,依然として乙事件被告Bに洗剤を飲まされたとの想念を維持しており,また,服薬についても拒否的であった。(乙A2,3)

 原告は,同月22日,CPK値が改善し,DIVを抜去することができる状態になったことから,拘束指示に代えて隔離指示が出され,個室から保護室に移され,隔離された。原告は,同月23日も,不穏になることなく落ち着いており,明らかな幻覚妄想は認められず,会話もスムーズで,疎通性や接触性は改善されつつあった。原告は,被告病院に入院したことにつき,父親のせいではなく,自分自身の問題だとの認識を示すに至った。(乙A2,3)

 (エ) 原告は,同月24日より,隔離指示のまま,日中解放(自由に病室,病棟を移動できる。)とされた。(乙A2)

 原告は,同月28日時点においても,「洗剤を父に飲まされたのは事実,飲んで体全身しびれた」などと述べ,被害妄想は依然残存していたが,「洗剤ではなかったと言われればそうかなとも思えます。」と述べるなど,被害妄想も和らいできており,幻聴もなくなっていた。(乙A2)

 原告は,同月29日,言動は礼儀正しく,異常体験がほぼ消失したと考えられたため,日中解放とされた。他方で,「父親がシャッターに閉じこめられている気がする」などの発言があり,幻聴についても,少なくなってきたと述べて,依然として残存していることがうかがわれた。なお,被告病院の医師は,同月28日ころから,原告にデポ剤を投与することを具体的に検討するようになった。(乙A2,3)

 原告は,乙事件被告Bに洗剤を飲まされたとの被害妄想は残存しているものの,問題行動はなく,マイペースで過ごしており,7月2日には大部屋に移動できる状態にまで回復し,このような状態が同月4日まで継続した。(乙A2)

 (オ) 原告は,上記(ウ),(エ)のように回復の兆候を見せていたが,同月5日になると,時に易怒的となるようになり,病識もなく,乙事件被告Bに対する被害妄想が根強く残っている言動をするなど,病状がやや悪化した。そのため被告病院の医師は拒薬を疑った。(乙A2)

 (カ) 原告は,デポ剤を服薬するように説得されていたが,同月6日から同月13日までの間デポ剤の投与を拒否し,デポ剤の説明は困難な状態で推移した。(乙A2)

 なお,原告は,同月11日,父と面会しても精神症状の悪化が見られないことから,急性期は脱したと診断されるも,依然として,父に対する不信を荒い口調で訴えることがあった。(乙A3)

 (キ) 原告は,同月13日午前11時15分頃,「なに笑ってんですか」と木下医師に迫っていくなど,著しい興奮状態に陥り,加療を拒否した。A医師は,原告が,上記のような状態になり,説得に応じないため,拘束を指示した。原告は,同月14日も著しい不穏状態にあったため,拘束指示がされたが,同日午後9時頃,DIV治療に協力的であり,易怒性,易刺激性等がなくなったため,拘束解除とされた。(乙A2)

 (ク) 原告は,同月15日も,興奮がなく,治療に協力的であり,易刺激性,易怒性は見られなくなった。この日,被告病院の医師は,フルメジン投与量を増加した。(乙A2)

 原告は,同月17日,被告病院の医師に対し,薬の量が増加したのではないかと質問し,薬に対し過敏になっていることを示したが,医師から,昨日と薬の量は変わらない,薬を変更する際はきちんと説明する旨伝えられ,一応了解した。しかし,原告は,根底では投薬を不要と思っている様子であった。(乙A2,3)

 同月20日,A医師は,原告に対し,退院をも視野に入れて,1度外出を行った後デポ剤であるフルデカシンを導入することを決定し,同日よりニューレプチルの投与量を60mgから40mgに減らし,フルメジンの投与量を8mgから12mgに増やした。(乙A2)

 (ケ) 原告は,同月22日,外出許可を受けて外出したが,外出後の状況に変化はなかった。原告は,同月23日,被告病院の医師から,デポ剤の投与を開始する旨伝えられ,これを了解した。そこで,A医師は,原告にフルデカシン50mgを投与した。(乙A2)

 エ 1回目のフルデカシン投与後の原告の状況(特に記載がないものは乙A2による。)

 (ア) 原告は,7月26日,デポ剤の注射を1か月に1回すること,徐々にニューレプチルからフルメジンに変更して飲む回数を減少させることなどの説明を受け,射精障害の副作用について医師に話を聞いてもらった。原告は,同月28日,父親と一緒に,2回目の外出を行った。(乙A2,3)

 (イ) 同月29日から原告に対して心理教育が開始され,30日には病気や投薬の必要性は理解できつつあるような発言があった。

 原告は,同月31日,初めて外泊をした。

 8月2日,被告病院の医師は,原告に対する心理教育の結果から,原告につき,病識がやや認められるようになったと判断したが,なお服薬を自分で中断してしまう可能性はあるものと診た。

 (ウ) 原告は,同月4日及び同月5日にも,病識がやや認められるようになったとの評価をされ,同月6日,被告病院の医師により,ニューレプチルの投与を中止し,フルメジン12錠,ビカモール3錠の投与へと変更された。(乙A2,3p70)

 (エ) 原告は,同月6日及び7日,外泊し,同月11日,A医師に対し,もう乙事件被告Bに殺されるような気はしないと述べるなどしたことから,同月16日退院との決定を受け,同月12日及び13日,外泊した後,同月16日,被告病院を退院した。(乙A2,3)

 オ 退院後第2回入院までの原告の状況(特に記載がないものは乙A1による。)

 (ア) 原告は,8月16日の被告病院退院時,フルメジン12錠,ビカモール3錠を朝夕服用,プルセニド1錠を就寝前服用,デポ剤フルデカシン50mgを4週間に1回注射との処方を受け,8月23日に被告病院を受診するように勧められた。(乙A2の118頁)

 (イ) 同月23日,原告は,乙事件被告Bとともに被告病院の外来を受診した。原告は,A医師に対して「手がワナワナし,いてもたってもいられない感じ。足も若干軽ーくくる。足より手が強い。」と訴えた。そこでA医師は,フルメジンを12錠から8錠に減量し,ビカモールを従来どおり3錠として処方した上,フルデカシンを50mgから75mgに増量して筋注した。

 なお,乙事件被告Bが意見を聴取した神奈川県立精神病センターの芹香病院の医師は,上記フルデカシンの投与は適切であったが,結果として,原告に対しては量が過剰であったとのセカンドオピニンを述べている。(乙A4)

 (ウ) 原告は,同月24日,乙事件被告Bとともに,手の震えを訴えて被告病院を受診した。その際,原告は,被告病院の医師に対し,第1回入院をするときから手の震えがあった旨伝えた。

 (エ) 原告は,同月25日,乙事件被告Bと共に被告病院を訪れ,A医師の診察を受けた。A医師は,原告について,振戦と下顎のジスキネジア(不随意運動)を認め,抗パーキンソン剤であるビカモールを4錠に増量した。

 (オ) 原告は,8月30日及び9月1日,被告病院を受診した。火野医師は,同日,原告及び乙事件被告Bから,フルデカシンの副作用が強くて困る旨,手が震えて力が入らない,顎が動いてよだれが出る,箸を持つ手が震えるなどと訴えられ,原告につきパーキンソニズムが亢進していることを認め,フルメジンを4mgから2mgに減量し,ビカモール(ビペリデン)を8mgに増量する旨の処方をした。

 カ 第2回入院

 (ア) 原告は,9月3日,被告病院を受診し,薬剤性パーキンソニズムと診断され,加療目的で独歩で入院した(任意入院)。このとき,原告には,手指・足の振戦,顎の不随意運動,開口障害,嚥下障害,流涎,筋強剛が認められ,そのために食事も摂れず,断眠傾向にあった。しかし,原告は,興奮や幻聴などなく,静かで,疎通性は良好であって,精神状態は安定していた。(乙A4,5)

 その後,同月5日ころまで,原告は,自力での歯磨きができず,食事もゼリー状のものの摂取はできるものの,通常の食べ物の嚥下に時間がかかり困難な状況が続いた。(乙A5)

 そのため,被告病院の医師は,ピペリデンの量を8mgから10mg/日(点滴)に増量した。(乙A4)

 (イ) 原告は,9月6日,乙事件被告Bのせいで病気になった,退院したら母のもとに行きたいなどと述べて乙事件被告Bに対する被害関係念慮を露わにするとともに,「副作用が良くなったらもう薬飲むのが怖いんです,もう飲みたくないです,注射もしたくないです。」と述べて薬に対する拒否反応や不安感を表した。(乙A4)

 (ウ) 原告は,同月6日,少し顎の動きは良くなったような気がする旨述べるなどし,下顎ジスキネジアが次第に消失する傾向となった。また,原告は,体の固さは不変であるが,移動時の歩行状態は,歩幅は小さいものの,小刻み歩行は軽減しつつある印象であった。(乙A4,5)

 原告は,同月11日には歯磨きの介助が必要であったが,判別はできないものの,病状というよりも依存の可能性もあった。(乙A5)

 原告は,同月12日には,看護師に対し,下顎の振戦が止まらないと訴えたが,話の途中で止まった。エンシュアの飲み込みもスムーズであった。(乙A5)

 原告は,同月13日,唇の振戦はみられず,歩行も自覚症状としては楽になってきた。(乙A4,5)

 もっとも,歩行以外の副作用については変化がなく,苦痛度,不安感,恐怖感も増悪し,同月16日及び同月17日には,看護師に対し,「安楽死させてください」と言った。(乙A5)

 (エ) 原告は,同月18日,同月19日ころには考えが固執してしまい,了解がかなり悪い状態であり,フルデカシンの投与に極めて拒否的であった。(乙A5)

 (オ) 原告は,徐々に回復していると思われるものの,9月中は自覚症状として全く以前と変わらない状態であった。しかし,原告は,10月2日ころから,顎の振戦がなくなり,体を起こしている時間が長くなり,自らベッドアップして看護師の介護を待つなど自発性が見られるようになってきたほか,良眠を得られるようになり,同月4日には食堂において25分程度をかけて食事を摂取することができるまでになったもので,「今迄できない事ができるようになった。」として自覚症状的にも薬剤性パーキンソニズムが改善傾向になり,同月5日には,振戦はあるものの前歯だけは軽くこすれるようになった。(乙A4,5)

 (カ) 原告は,10月7日,嚥下基準食を1400キロカロリーに増量され,また,アキネトンによる認知障害の可能性があるため,アキネトンの量を10mg/日から7.5mg/日に減量された。(乙A4)

 (キ) 原告は,上記(オ),(カ)のように薬剤性パーキンソニズムが改善傾向になってきたのに反比例して,精神状態の悪化がうかがわれるようになった。すなわち,原告は,10月8日には,表情が硬く看護師の方を一点で見つめ,イライラ感を表すなどし,話の内容もまとまりを欠き,理解力の低下が見られるようになり,同月10日には,他患者が自室に入ってきたことを繰り返し訴え,テレビを見ていたら消えたりして変である旨訴え,発語が乏しく,表情が冴えず,同月11日は,乙事件被告Bに対する被害的言動があり,同月14日には,被告病院の医師に対し,「チャンネル回してるのにTVが消えたり,不思議なことばかりおこって混乱するんです。」と述べ,幻覚妄想状態の再燃が疑われた。(乙A4,5)

 (ク) 原告は,10月15日,同月16日も言動にまとまりがなく,被害的言動があり,また,時に声を荒げるなど不穏であり,精神症状の再燃が強く疑われ,訂正不能なレベルにまでなった。そこで,被告病院の医師は,薬物調整が必要と考え,同日昼よりフルメジンを投与した。(乙A4,5)

 (ケ) 原告は,同月16日にフルメジンの投与を受けた後も被害的な言動を延々と述べるなど精神症状が悪い状態が続いていたが,同月20日,攻撃性が増し,著しい不穏状態,幻想妄想状態となったため,隔離された。この日,任意入院から,精神保健福祉法33条1項の医療保護入院に切り替えられた。なお,被告病院の医師は,乙事件被告Bの申入れにより,原告に対し,フルメジンに変えてリスパダールの投与を開始した。(乙A4,5)

 (コ) 原告は,10月22日から同月27日まで保護室で隔離されたが,不穏状態は徐々に軽減し,運動能力も改善傾向にあり,日中の開放時間も徐々に延長され,同月26日には,「体の動きがよくなった」とA医師に言うなどし,症状が軽快したため,同月27日,隔離を解除された。(乙A4)

 (サ) 原告は,10月27日に大部屋に移されてからも精神症状に変化はなく安定した状態であり,同月29日には,被告病院の医師と卓球をした。原告は,動きが早く,コントロールも良好で,錘体外路症状は改善傾向にあり,そのほか,中庭をウォーキングするなどするようになった。その後も錐体外路症状軽減にともない,他患者との交流等ができるようになっていった。(乙A4,5)

 (シ) 原告は,11月2日,父から「家の恥さらしだ」と言われるなどし,討論となったことから過呼吸の発作を起こした。しかし,原告は,自ら歩こうとするなどの努力をしており,その精神状態は改善に向かっていると考えられ,また,薬剤性パーキンソニズムの症状も改善してきており,同月3日からは常食をむせなく食べ,同日及び同月4日と卓球をするなどし,錐体外路症状,嚥下障害も改善傾向にあった。(乙A4,5)

 また,原告は,同月5日には歩行も改善し.乙事件被告Bと面会した後も被害的言動をせず,精神症状の悪化はなく,同月6日には学生実習の受入れにも協力的で前向きであった。(乙A4,5)

 (ス) 原告は,同月7日から同月9日まで著変なく過ごし,同月10日には乙事件被告Bに連れられて外出したが,その後も著変がなかったため,同月17日には外泊し,同月18日に帰院した。(乙A4,5)

 (セ) 原告は,帰院後,乙事件被告Bとともに金井医師と面談をし,ベサコリンとビカモールの同時併用や金井医師の言動を非難した。その後,原告は,薬に対する強い抵抗感を示し,同月20日,金井医師に対して詰め寄ったり,同医師に喧嘩を売られたなどの言動をするようになるなど被告病院の医師に対する不信感も強くなった。(乙A4,5)

 (ソ) 原告は,その後も,薬剤の投与について被告病院の医師等に対し,攻撃的言動をすることはあったものの,精神症状は安定しており,他の患者との会話も可能であり,中庭をウォーキングしたりベッドで小説を読むなどしていてパーキンソニズムの症状も改善してきた。(乙A4,5)

 (タ) 原告は,12月1日から同月2日まで,同月8日から同月11日まで,同月15日から同月18日までそれぞれ外泊したが,外泊後も精神症状は悪化せず,かえって攻撃性がなくなるなどしていた。

 原告は,以上のように症状が軽快したため,同月21日,被告病院を退院した。(乙A4,5)

 キ 大和病院転院後

 大和病院に転院後,原告はジムに通いながら仕事を探しており,著しい不穏状態となった記録は特に見当たらない。(乙A6)

 なお,大和病院医師は,フルデカシン50mgないし75mgの投与について,常識的投与量であり,それでもパーキンソニズムはある程度出現する旨の見解を述べている。(乙A6)

 (2) 尿量,尿の回数について

 ア 原告は,9月3日に被告病院の外来を受診した際,診療に当たったA医師に対して「オシッコが出づらい」と訴えていた。(乙A1の34頁)

 同月4日には,診療録上,「尿閉+」と記載されている(乙A4)。

 同月6日,原告は,看護師に対しても,「おしっこも出にくいんです。」と訴えており,訴えを聞いた看護師がトイレ時に付き添ってみていると,「しっかりと量はでている。」ものの,尿の出にくさと残尿感があると認められた。(乙A5の132頁)診療録には「尿閉+」と記載されている。(乙A4)

 同月7日,A医師は,原告に対して,ベサコリン散の投与を開始した(11月21日まで)。

 9月9日,原告は,排尿までに3分程度要し,看護師に対し,排尿困難感がある旨訴えた。(乙A5)

 被告病院の医師は,同月10日,アキネトン(ビカモール)による副作用により,原告の排尿障害は強く,排尿するのに除々に時間がかかるようになり,本人の苦痛度も大きいため,ベサコリン散に加えてウプレチドも併用することが検討された。しかし,原告は,同日午後3時ころの排尿時には,「出やすくなってます。」と述べ,笑顔を見せた。(乙A4,5)

 イ 原告の9月3日から同月14日までの尿回数と尿量は以下のとおりであり,同月15日から11月21日までは,おおよそ3回ないし6回であり,9月後半から10月中旬にかけては1日の排尿回数が2,3回であることが少なからずあった(乙A4の154頁以下)。なお,第1回入院時の尿回数は,おおむね5~8回である(乙A2の62頁以下)。

 9月 3日: 6回

 同月 4日: 5回

 同月 5日: 3回

 同月 6日: 8回

 同月 7日:11回,2400ml

 同月 8日:10回,2900ml

 同月 9日:11回,2990ml

 同月10日: 8回,2210ml

 同月11日: 7回,2240ml

 同月12日: 8回,2590ml

 同月13日: 7回,2520ml

 同月14日: 不明,2000ml

 (3) 原告の投薬の経過は,別紙「注射・点滴・錠剤投薬表」のとおりである。なお,9月4日のビカモールの用量は8mg,10月16日のフルメジンの用量は3mg,同月20日のフルメジンの用量は4mgである(乙A4の134頁,137頁,5の7頁,59頁,64頁)。

 2 争点(1)(被告病院の医師は,原告に対する投薬を誤り,原告にパーキンソニズムを発症させ,これを悪化させたか)について判断する。

 (1) 被告病院の医師が,原告に対し,7月23日に,同日よりフルメジンを12mgに増量して投薬し,フルデカシン(デポ剤)50mgを筋注したことは過剰投与か。

 ア 医薬品の添付文書(能書)の記載事項は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が,投与を受ける患者の安全を確保するために,これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから,医師が医薬品を使用するに当たって上記文章に記載された使用上の注意事項に従わず,それによって医療事故が発生した場合には,これに従わなかったことにつき特段の合理的理由がない限り,当該医師の過失が推定されるものというベきである(最高裁平成4年(オ)第251号平成8年1月23日第三小法廷判決・民集50巻1号1頁参照)。

 イ(ア) 前記第2,3,(4),ア及びイのとおり,フルメジンの添付文書には,通常成人1日1mgないし10mgを分割経口投与すべきこと,年齢・症状により適宜増減が可能なことが,フルデカシンの添付文書には,通常成人1回12.5mgないし75mgを4週間隔で注射すべきこと,薬量及び注射間隔は病状又は本剤による随伴症状の程度に応じて適宜増減並びに間隔を調整すること,初回用量は,可能な限り少量より始め,50mgを超えないものとすること,初回用量は患者の既往歴,病状,過去の抗精神病薬への反応に基づいて決めることなどがそれぞれ記載されている。

 (イ) このように,フルメジンの用法・用量は,添付文書上,通常成人1日1mgから10mgと,その許容範囲の幅が比較的大きい上,年齢や症状によってさらに増減することが許容されている。

 フルデカシンについても,その用法・用量としては,通常成人1回12.5mgないし75mgと,その許容範囲の幅が比較的大きい上,薬量及び注射間隔は病状又は本剤による随伴症状の程度に応じて適宜調整することが許容されている。

 (ウ) 以上のとおり,フルフェナジンを成分とする抗精神病薬剤については,添付文書上,比較的用法・用量の許容範囲の幅が大きく,症状などによって適宜増減も許容されているという特殊性が認められる。これは,精神病自体が,その症状の発現の程度において個人差が大きく,薬効についても個人差が大きいことによるものと考えられる。したがって,フルフェナジンを成分とする抗精神病薬剤については,添付文書に具体的に記載された用量と異なっていたとしても,それが添付文書上予想された「適宜増減」の範囲内である限り,直ちに添付文書の記載内容に違反するものとはいえず,したがって,過剰投与として,医師の過失が推定されるものではなく,添付文書上予想された「適宜の増量分」を超えたと認められる場合には,特段の合理的理由がない限り,医師の過失が推定されるものというべきである。

 ウ そこで次に,添付文書上予想された「適宜増減」の範囲について検討する。

 (ア) フルメジンについては,急性精神病疾患の治療につき,フルフェナジン換算量で10mgないし20mgを投与する旨,長期の維持治療にはより低用量が普通求められる旨が記された文献(乙B5),複数エピソードの患者については,急性期治療で5mgないし22.5mg,維持治療で5mgないし15mgを投与し,初発エピソードの患者の維持治療についても2.5mgないし12.5mgを投与する旨が記された文献(乙B6),フルデカシンの薬効について調査したものではあるが,フルデカシンを投与する前のフルフェナジンの投与量につき,12mg投与が1例,15mg投与が2例あったとする旨が記された文献が存在する。

 このように,フルメジンについては,患者の個体差や症状によってはフルフェナジンとして1日量10mgを超えて投与されることが予定されており,特に,急性期の患者については,1日量20mg余りの量を投与することにも十分有用性が認められるのであり,したがって,添付文書上も,患者の症状等に合わせて,フルフェナジンとして1日量20mg余りの量を投与することは,適宜の「増量」として予定されているものというべきである。

 (イ) フルデカシンの薬効については,統合失調症と診断された通院患者19例につき,1回投与量を調査した結果,4週間ごとの最終投与量が100mgを超えて投与された例が1例,初回投与量が50mgであった例が6例報告されており(乙B4),また,フルデカシンの主成分であるデカン酸フルフェナジンについては,4週間当たりの投与量が高くなるほど改善率が上がる傾向があることが報告されている(乙B2)。

 さらに,「複数エピソードの患者でかつ急性期の治療の場合」,2ないし3週間当たりで12.5mgないし62.5mgの投与を適切とする文献も存在する。(乙B6)

 フルデカシンの臨床治療経験を報告した文献(乙B7)によれば,重症例(「極めて重症」を含む。)14件(そのうち,30歳代の患者が4人)のうち6名につき初回からフルデカシン50mg以上が投与されていること,中でも33歳の男性は,50mgを4回,その後は75mgのフルデカシンの投与を受けているが,副作用もなく中等度の改善がみられている(10番)こと,36歳の男性も,初回50mgの投与を受け,次回より75mgの投与を受けており軽度改善して副作用もない(11番)こと,また,中等症例13件のうち,5件において当初より50mgが投与されていることが認められる。

 また,3つの実験報告書(乙B4,8,10)の実験報告においては,いずれも,フルデカシンの最終投与量の上限値を100mgと設定している。なお,上記各実験報告書は,副作用が現れた場合でも,改善傾向にあれば「有用」と評価しており,併用剤としてあらかじめ抗パーキンソン病薬を使用している例が多いことからして,抗精神病薬として,副作用が出現することはある程度やむを得ないと認識していると推認される。

 なお,臨床医である,神奈川県立精神医療センター芹香病院の医師,大和病院の医師は,いずれも,結果はともかくとして,被告病院が原告に投与したフルデカシンの量を過剰なものとは見ていない。

 (ウ) フルデカシンは,定常状態に達するまで5回程度の投与すなわち数か月の期間がかかるのであり,1回目の投与の時点では血中濃度は想定の濃度よりも相当程度低くなる。(乙B2,5)

 (エ) このように,重症例ないし中等症例の患者の場合は,初回よりフルデカシン50mg以上を投与する例も珍しくなく,2回目以降は50mgから100mgにわたる投与がされる場合が数多くあること,そしてそのような場合であっても副作用もなく症状が改善するなど有用な場合もあること,臨床医の認識もそのようなものであることが認められる。したがって,添付文書上の,フルフェナジンとして1回量75mgという上限は,必ずしも絶対的な上限ではなく,これを超えても,100mg以下程度の量までであれば,適宜の「増量」として添付文書上予定されているものというべきである。

 エ(ア) 上記ウを前提として本件についてみると,7月23日,原告はA医師から,フルメジン12mgとフルデカシン50mgを投与されているところ,これらを併せれば,フルメジンとして1日18.7mgないし22mgの投与を受けたことになる。(換算は乙B3による。)

 (イ) しかし,前記1,(1),アの認定のとおり,原告は,第1回入院前に相州病院精神科に医療保護入院した病歴があり,複数エピソードの患者ということができるところ,前記1,(1),イ及びウのとおり,6月16日の第1回入院の際,被害妄想が活発な状態で,警察官2名,救急隊員2名及び乙事件被告Bに付き添われて来院したものであって,易刺激性,易怒性が亢進し興奮しており,入院後も不穏状態が続き,A医師より3日間にわたって拘束の指示を受けたものであり,原告が当時28歳と若く,元体育教師をしていたことを考慮すれば,不穏状態になった場合の危険性は極めて高いものと認められる。

 その後,前記1,(1),ウの認定のとおり,投薬により一旦は症状は落ち着いているようであるものの,なお表面的であることが疑われ,実際に,7月5日以降,再び症状が再燃し,同月13日及び同月14日には拘束指示を受けており,拒薬が疑われた。実際,原告には過去にも怠薬傾向が認められていたし,同月17日にも,根底では投薬を不要と思っている様子があった。

 このように,同月23日の時点では,原告は,なお病識に乏しく,拒薬の疑いもあった上,薬効が消失して不穏状態になると危険な状態になることが認められるから,A医師が,その後の退院をも視野に入れて,持続的作用を有するデポ剤であるフルデカシンを投与したこと,そして初回より上限値である50mgを投与したことにつき,十分な理由があったというべきであり,不適切であったとはいえない。

 (ウ) フルメジンについても,7月23日より1日12mgに増量しているが,フルデカシンと併せて,フルフェナジンとしては,1日18.7mgないし22mgの投与がされていることとなるところ(換算は乙B3による。),フルデカシンは,定常状態に達するまで5回程度の投与すなわち数か月の期間がかかるのであり,1回目の投与の時点では血中濃度は相当程度低くなることからすれば(乙B2,5),実際には一日のフルフェナジン量はさらにこれより低いものと認められる。

 (エ) 以上の事実にかんがみれば,原告の7月23日の上記のような症状に照らし,一日のフルフェナジンの投与量としては,添付文書が予定する「増量」の範囲内であったといえ,必ずしも添付文書の内容に違反したとはいえない。また,仮にその範囲を超えたとしても,原告の症状にかんがみればこの程度の増量には十分な合理的理由があるものというべきである。

 したがって,7月23日の投薬において,A医師に過失があったとはいえない。

 (2) 被告病院の医師は,原告に対し,8月23日に,フルデカシン75mgを筋注したことにより,原告のパーキンソニズムを悪化させたか。

 ア 確かに,原告は,8月23日には,A医師に対し,「手がワナワナし,いてもたってもいられない感じ。」などと訴えていたことから,A医師としては,薬剤性パーキンソニズムの発症を予見できたというべきである。

 もっとも,上記各実験報告(乙B4,8,10)においては,副作用が現れた場合でも,改善傾向にあれば「有用」と評価されている上,精神病薬として,副作用が出現することはやむを得ないと認識されていると推認されるのであり,精神病の治療と副作用の出現回避のいずれを優先するかは医師の裁量に委ねられている部分が大きいものと認められる。(乙A7)

 イ この点,本件では当時,原告は,被告病院を退院していたのであり,入院時と比較して外界からの刺激が多い上,経口薬の摂取についても十分な監督下にあるとはいえない生活を送る状態にあった。そして,体格,年齢,症状悪化時の状態にかんがみれば,投与量を1回目よりも増やした判断が不合理であるとまではいえない。

 そして,その量としては,上記(1)で検討したことも併せ考慮すれば,75mgとしても必ずしも不適切とはいえない。しかも,A医師は,フルデカシンを増量する反面,フルメジンを減らしており,フルフェナジンの総量としては従前とほとんど変化がないように配慮している。そうであれば,A医師において,当時パーキンソニズムの発症について予見可能性があったとしても,上記のような原告の生活環境,症状及び従前の怠薬傾向にかんがみれば,デポ剤であるフルデカシンを増量し,フルメジンの量を減らしたA医師の判断には,十分合理性が認められ,不適切な点はなかったというべきである。

 ウ よって,この点においてA医師に過失があったとはいえない。

 (3) ベサコリン散の投与によりパーキンソニズムを悪化させたか。

 ア 前記第2,3,(4),カのとおり,ベサコリン散の添付文書には,ベサコリン散がパーキンソン病の患者には禁忌である旨の記載がある。

 他方で,ベサコリン散は,尿管平滑筋の収縮作用によって排尿効果を促進することから,「手術後,分娩後及び神経因性膀胱などの低緊張性膀胱による排尿困難(尿閉)」の場合に,有用性が認められている。(甲B3)

 イ(ア) この点,前記認定のとおり,原告の尿量については,9月6日の時点で,看護記録には「しっかりと量はでている」との記載があったり,尿回数も薬剤投与までは5~8回であったりと目立って少ないわけではなく,「尿閉」という状態ではない。

 しかし,ベサコリン散の適応を検討するに当たり,その薬効が,尿管平滑筋の収縮作用によって,排尿効果を促進すること,つまり,蓄尿能力はあるが膀胱の収縮能力が不足していることを補うところにある以上,必ずしも量や回数の多寡によってベサコリン散の投与の有無を決せられるものではないというべきである。むしろ,膀胱の収縮機能が弱まっているために排尿困難となっている場合に適応があるというべきであり,そうであれば,量はともかくとして低緊張膀胱のために排尿に時間がかかるような場合にも十分適応が認められるものというべきである。

 したがって,例え量がしっかりと出ていても,排尿に時間がかかるようであれば,ベサコリン散の適応にあるものというべきである。

 (イ) この点,原告は,前記1,(2)のとおり,9月3日には,A医師に対して,同月6日には看護師に対しても,尿が出にくい旨を訴えている。そして,9月9日には,排尿までに3分程度要し本人も排尿困難感を依然訴えていること,同月10日には,原告は排尿がしやすくなったむね述べているが,その後,同月15日から同月21日までの尿回数はおおよそ1日3回ないし6回であり,第1回入院時の1日当たりの尿回数5回ないし8回に比べて減少してきたこと,低緊張性膀胱のひとつとしての神経因性膀胱は,パーキンソン病によって起きることもあること(弁論の全趣旨)にかんがみれば,当時,原告には,低緊張性膀胱による排尿困難の症状が認められたものというべきである。

 したがって,原告は,9月3日ないし11月21日当時,ベサコリン散投与の適応にあったものと認められる。

 (ウ) さらに,添付文書の内容に違反した場合に,医師に過失が推定されるのは,製造業者や輸入販売業者は,当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有しており,それが添付文書に反映されているという事情に基づくものであるところ,本件においては,ベサコリン散の添付文書に,パーキンソン病の患者に対して禁忌であると記載がされたことについては,販売元の株式会社エーザイに対する調査嘱託の結果,厚生労働省からの指導によるものであって,株式会社エーザイ自身が裏付けとなる研究結果等に基づいて記載したものではないことが判明しており,禁忌とされた根拠は必ずしも明確ではない。その上,べサコリン散の成分は血液脳関門を通過しないからパーキンソニズムを悪化させることはないものとの考えが一部の出版物にも掲載されており(乙B12),また,ベサコリン散のインタビューフォームにも,ベサコリン散の成分は血液脳関門を通過しない旨の記載がある(乙B11)。

 (エ) 以上によれば,本件におけるベサコリン散の投与については,添付文書の記載内容には違反しているものの,原告に対してベサコリン散を投与すべき必要性が認められる反面,添付文書上の禁忌の根拠が明確でなく,むしろA医師自身は禁忌の根拠はないものと考えてあえて投与を行っていたものといえる(証人A)。したがって,添付文書に反していても,本件においてはそこに合理的理由があるものといえ,直ちにA医師に過失があるものということはできない。

 ウ また,仮に過失が認められるとしても,ベサコリン散は9月末から11月21日まで投与されていたところ,前記1,(1),カ,(サ)及び(シ)のとおり,原告は10月下旬頃からは卓球をしたり中庭をウォーキングするようになり,11月上旬ころには体の動きもよくなっており,遅くともそのころまでにパーキンソニズムは改善傾向にあったといわざるを得ない。そうであれば,ベサコリン散投与と原告のパーキンソニズム悪化との間に因果関係があるとするには疑問が残るといわざるを得ない。

 エ 以上より,いずれにせよ原告のこの点における主張には理由がない。

 3 争点(2)(原告にフルデカシンやベサコリン散を投与するに当たって,被告病院の医師に説明義務違反があったか)について判断する。

 (1) 一般に,患者に対して投薬の必要がある場合,その薬剤の選択については,担当の医師が総合的な診療方針のもとに,最良と考えられる薬剤を決定すべきであって,その点については医師の裁量が認められるものというべきである。その上で,医師は,薬剤の投与に際しては,診療契約に基づき,患者が自己の症状と薬剤の関係を理解し,投薬について自己決定を行うことができるよう,時間的な余裕のない緊急時等特別の場合を除いて,薬剤を投与する目的やその具体的な効果とその副作用がもたらす危険性等についての説明をすべきであるといえる。

 (2)ア 7月23日のフルデカシンの投与について

 (ア) フルデカシンはパーキンソニズムの副作用を有する薬剤であるところ,一旦投与すると1か月間効果が持続するものであり,途中で量の増減ができないことからすれば,A医師は,原告または乙事件被告Bに対し,7月23日までに,原告の症状と薬効,用量,副作用等について説明すべきであったとも思われる。

 しかし,そもそも,医師の説明義務は,他に有効な選択肢がある場合に,患者がそれらの利害得失についての情報を十分に得て,いずれの選択肢を選択するかを検討するという意味での患者の自己決定権を根拠とするものである。ところが,前記のとおり,原告には怠薬傾向があり,経口薬では服薬を拒否する可能性が高かった上,薬効が消失すると著しく不穏となることが認められることからすれば,本件においては,デポ剤であるフルデカシンを投与しないという選択肢は認め難い。また,A医師は,パーキンソニズムの副作用についてこそ説明しなかったものの,原告に対し,1か月間効果が持続する抗精神病薬であることは説明し,数日にわたって投与の説得を行った上で,一応の了承が得られた時点で投与を実施していることも認められる(乙A2)。また,前記のとおり,抗精神病薬においては,副作用の出現はやむを得ないものであり,副作用が出現する都度対症療法を行うものと推察され,精神病の治療と副作用の治療のいずれを優先するかは医師の裁量に委ねられているものともいえる。そして,本件では,抗パーキンソン病薬も併用されている。

 これらにかんがみれば,本件において,A医師が原告に対し,フルデカシンの副作用等について説明しなかったことは,投薬についての原告の自己決定権を侵害するほどの違法性を帯びた行為ということはできない。

 (イ) また,仮に説明義務違反があったとしても,当時,乙事件被告Bは,1か月間効果を有するフルデカシンについて,これさえ注射すればほかの薬は飲まなくてよいということについて好意的に受け止めており,投与を歓迎していたことが認められるのであり,それまでも原告の統合失調症に対する治癒を強く願っている乙事件被告Bが,副作用についての説明を聞けば投薬を拒否したとは考えにくく,少なくともその立証はされていない。さらに,A医師としても,原告にフルデカシンを投与する必要性を強く認識しており(乙A7,証人A),治療方針をあえて変更するとも考えにくい。

 よって,結果発生との間に因果関係は認められないというべきである。

 イ 8月23日のフルデカシン投与について

 (ア) 前記認定のとおり,フルデカシンは,一定の血中濃度を維持できるようになるまで,数回の投与を経ることが必要であるところ,8月23日は,一回目のフルデカシン投与からちょうど1か月を経過した時点であり,一回目に投与したフルデカシンの薬効が消失し,再度フルデカシンの投与が必要となっている時期であった。そして,当時,原告は在宅で治療を継続しており,入院中のように服薬について家族や医師らによる監視が可能な状態ではなく,怠薬のおそれは否定できなかった。したがって,この時点においても,原告に対してフルデカシンを投与しないという選択肢は認め難い。

 また,原告としても,以前に一度投与されている薬剤であることを承知しながら投与を受けていたものと認められ(乙A2,弁論の全趣旨),これに,前記のとおり,精神病の治療と副作用の治療とのいずれを優先するかは医師の裁量に委ねられていること,フルデカシンを投与するにあたって,抗パーキンソニズム剤も併用して投与していること,フルデカシンン75mgは添付文書上の上限値にも反しないし,フルデカシンの量を増量する反面,フルメジンの投与量は減らしていることなどにかんがみれば,やはり,ここでも,A医師が原告に対して副作用等について説明しなかったとしても,それが原告の自己決定権を侵害するほどの違法性を帯びた行為であるということはできない。

 (イ) また,仮に説明義務違反が認められるとしても,統合失調症に対する治療の必要性が高く,そのためA医師としてもフルデカシンを投与するという治療方針を強く認識していたこと(乙A7,証人A),少なくとも乙事件被告Bは,原告の精神病の治癒を強く願っていたことなどにかんがみれば,なお,A医師から副作用についての説明を受ければ乙事件被告Bにおいて投薬が拒否されたはずであると断定することはできず,少なくともその立証はされていない。

 よって,仮に説明義務違反が認められたとしても,それと結果発生の間に因果関係は認められないというべきである。

 ウ ベサコリン散について

 (ア) 前記第2,3,(4),カ認定のとおり,ベサコリン散は,添付文書上,パーキンソン病の患者に対しては禁忌であり,パーキンソン病を悪化させる副作用があることが明記されている。

 (イ) しかし,前記認定のとおり,原告は当時排尿困難であってベサコリン散に対する適応があった上,ベサコリン散がパーキンソニズムを悪化させることの客観的根拠は乏しく,A医師としても,ベサコリン散がパーキンソニズムを悪化させるものではないということにつき,科学的根拠をもって原告にベサコリン散を投与していることが認められる。そして,その科学的根拠については,一応の合理性も有しているものといえる。そうであれば,A医師に対し,合理的理由に基づいてそもそも発生しないと考えている副作用についてまで説明する義務を課すことはできない。よって,A医師に,ベサコリン散投与に際しての説明義務を認めることはできない。

 また,仮に説明義務違反が認められるとしても,前記2,(3),ウのとおり,原告は10月下旬ころには,ベサコリン散の投与が継続されているにもかかわらず,体の動きがよくなり,パーキンソニズムの症状が改善傾向にあったものであり,そうでなくとも,少なくともパーキンソニズムの悪化という結果は生じていない。よって,上記説明を行わなかったことと結果との間に因果関係は認められないものというべきである。

 エ 他方で,これら説明義務は,上記のとおり,患者が自己の症状と投薬の関係を理解し,投薬を受けるかどうか検討するという患者の自己決定権から導かれるものであるところ,原告は,A医師が上記注意義務を怠ったことによって,原告のこの点の自己決定権が侵害された旨主張するが,前記のとおり,いずれにおいても,A医師には説明義務違反が認められないから,この点における原告らの主張には理由がない。

 4 争点(4)(第2回入院における治療費支払義務の有無)について判断する。

 (1)ア 乙事件は,第2回入院に基づく診療報酬の支払を求めるものであるが,第2回入院は,当初は原告と被告との間に成立していた任意入院であったところ,10月20日より,精神保健福祉法33条1項に基づく医療保護入院に切り替えられている。

 同法29条の定める措置入院が,自傷のおそれから本人を保護し,又は意思に反しても本人を入院させることで他害のおそれから他人を保護するための強制措置であるのに対し,同法33条の医療保護入院は,本人に病識がないなどのために入院の必要性について本人が適切な判断をすることができず,自己の利益を守ることができないような場合に,保護義務者の同意というチェック機能を通して,専ら本人の利益を図ろうとするものと解するのが相当である。

 したがって,医療保護入院は,本人若しくは保護義務者と医療機関との間に任意入院契約が締結されていること又は任意入院契約の外形があることを前提とし,(とりわけその契約が本人と医療機関との間に成立しているとみられる場合には)保護義務者はそれが本人のためになるかどうかをチェックするために同意権を行使するにとどまるものと解される。

 イ これを本件についてみると,9月3日に,原告と被告との間に診療契約(任意入院契約)が締結されていることには争いがなく,この効力は10月20日まで継続しているものといえる。したがって,10月20日には,有効な任意入院契約の存在を前提として,医療保護入院の必要性が生じたために,保護義務者である原告の父親の同意を通じて,任意入院が医療保護入院に切り替えられたものと解される。

 よって,本件においては,任意入院の期間中である9月3日から10月19日までの医療費は,契約当事者である原告に支払義務があり,10月20日以降の医療保護入院期間中も,本人である原告に支払義務があるものと解される。そして,被告が原告に対して有する診療報酬額は,77万7390円であると認められる(乙D1)。

 ウ 次に,乙事件被告Cは,第1回入院の入院証書に保証人として署名しているところ,この入院証書には,「同一疾患等による再入院については,3ヶ月以内本証書有効。」とある(乙D2)。そして,第2回入院においては上記証書が作成されていないこと,第2回入院の現病歴欄には第1回入院の様子についても細かく触れられていること(乙A2の3頁),薬剤性パーキンソニズムは,第1回入院時の症状である統合失調症の治療過程で発生したものであること,にかんがみれば,第2回入院は,第1回入院と「同一疾患等による再入院」といえ,かつ3か月以内の再入院であるから,第2回入院においても,第1回入院における入院証書の効力が及ぶというべきである。

 よって,乙事件被告Cは,第2回入院においても,原告の債務について書面により連帯保証していると解されるから,これについて連帯保証債務を負う。

 エ(ア) 他方,乙事件被告Bは,保護義務者としての地位に基づく限り,少なくとも任意入院契約においては契約の当事者ではないし,医療保護入院期間においても,乙事件被告B自ら事務管理として被告に医療費を支払うのであれば格別,被告側から乙事件被告Bに対して医療費を請求できる根拠はないものといわざるを得ない。

 (イ) そして,入院証書には,「この度貴院に入院するにつきましては,連帯保証人を連署の上,下記事項を誓約いたします。」とあり,「3.診療費,その他の諸料金は所定の期限までに支払います。」とあるが,前記のとおり,診療契約はあくまで患者本人と医療機関との間で成立し,保護義務者はそれが本人にとって不利益とならないように同意権を有するにすぎないことからすれば,この入院証書の作成者はあくまで患者本人というべきであり,保護義務者である乙事件被告Bの署名押印は,診療費その他の諸料金を所定の期限までに支払うという義務が本人に生じることについても,保護義務者が同意したことを示すものにとどまり,それが本人の不利益となるかどうかチェックするためにすぎないものというべきである。したがって,入院証書に乙事件被告Bの署名押印があるからといって,同人が治療費の負担までを保証したものとはいえない。このことは,入院証書の右下に「注:連帯保証人は独立の生計を営み,支払い能力のある方に限ります。」とあり,保護義務者は格別,連帯保証人のみに支払能力を求めていることからもうかがえる。

 (ウ) もっとも,乙事件被告Bは,原告の療養環境料(室料)の支払債務については,これを連帯保証していることが認められる(乙D3)。そこで,第2回入院における療養環境料についてみると,9月分及び10月分において合計28万2000円の支払債務が生じている(乙D1の1及び2)。したがって,乙事件被告Bは,上記原告と乙事件被告Cの治療費等支払債務のうち,療養環境料として28万2000円の限度で,連帯して支払債務を負うものというべきである。

 なお,乙D3によれば「転室」した場合には改めて承諾書を提出するものとされており,9月分の請求書に記載された部屋番号(102号室)と10月分のそれ(112号室)とは異なっているところ,112号室についての承諾書が存在せず,この分については乙事件被告Bは債務を負わないようにも思われるので検討するに,原告は,9月3日に102号室に入院したのち,10月20日に隔離病棟へ保護入院されるまで,転室したことを示す証拠はないこと,10月分の療養環境料の合計額が一月分としてはやや低額であることを考慮すれば,原告は9月3日から10月20日までは102号室に入院しており,その後保護室へ移った後,隔離解除がされた10月27日から112号室(乙D1の3ないし4によれば療養環境料は0円。)へ転室したものと認められる(乙A5の184頁)。

 したがって,乙事件被告Bは,乙D1の1及び2において明記された療養環境料の合計の全額について,支払債務を負うものである。

 (2) 以上より,原告と乙事件被告Cは,被告に対し,連帯して,77万7390円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員(うち28万2000円及び遅延損害金については乙事件被告Bとも連帯して)を,乙事件被告Bは,上記2名と連帯して,28万2000円及びこれに対する平成19年4月28日から支払済みまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払う義務があるというべきである。

 なお,原告は,上記債務につき,被告に対する損害賠償請求権を自働債権として対当額で相殺すベきことを主張するが,係属中の別訴において訴訟物となっている債権を自働債権として他の訴訟において相殺の抗弁を主張することは許されないと解するのが相当であるから(最高裁昭和58年(オ)第1406号同63年3月15日第三小法廷判決・民集42巻3号170頁,最高裁昭和62年(オ)第1385号平成3年12月17日第三小法廷判決・民集45巻9号1435頁参照),そのような主張は採用できない。

第4 結論

 以上によれば,甲事件原告・乙事件被告の,甲事件被告・乙事件原告に対する請求は,いずれも理由がないからこれを全て棄却し,甲事件被告・乙事件原告らの請求は,一部において理由があるからこれを認容し,その他の請求については理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担について民事訴訟法64条本文,61条を適用し,仮執行宣言については259条1項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

 



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