経尿道的前立腺切除術で外尿道括約筋を損傷した場合担当医師に過失があるとして医療ミス(医療過誤)が認めらた弁護士に相談すべき事例です
横浜地裁 平成12年3月30日
主 文
一 被告は、原告に対し、金九一一万八九九九円及びこれに対する平成七年六月二二日から支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告は、原告に対し、金二〇〇〇万円及びこれに対する平成七年六月二二日から支払済みまで年五分の割合の金員を支払え。
第二 事案の概要
一 本件は、被告の経営する総合病院において、前立腺肥大症により、平成三年一二月五日に経尿道的前立腺切除術(以下「本件第一手術」という。)を受けた原告が、右手術直後出血が生じ、経尿道的凝固止血術(以下「本件第二手術」という。)及び尿道形成開腹手術(以下「本件第三手術」という。)を受けたところ(以下においては、これらの手術を総称して「本件各手術」という。)、術後に尿失禁等が発症したため、診療契約の履行補助者である医師に外尿道括約筋を損傷した過失があると主張して、被告に対し、診療契約上の債務不履行に基づき、治療費、慰心謝料等合計四九七〇万四七七八円の損害のうち二〇〇〇万円の支払を請求をした事案である。
二~四 〈省略〉
第三 当裁判所の判断
一 前立腺肥大症の治療及び術中、術後の合併症等について
後掲の証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 前立腺肥大症とその治療方法について
(一) 男性性器の尿道は、後部尿道と前部尿道に分かれ、後部尿道は膜様部と前立腺部から成り、前部尿道は球部、陰茎部(振子部)、舟状窩部から成る(甲七四)。
前立腺が肥大して尿道を圧迫したため、頻尿、残尿感などの膀胱刺激症状、排尿困難、排尿遷延、尿路の閉塞等の症状が現われるものを前立腺肥大症という。その治療方法として、投薬療法などの内科的治療のほか、根本的な治療方法として外科的手術があり、これには、開放性手術である開腹式前立腺摘出術、内視鏡手術である経尿道的前立腺切除術、レーザーなどを利用する経尿道的前立腺レーザー手術などがある。(甲四、六、七、乙一一、証人A医師)
(二) 経尿道的前立腺切除術〒UR-P)について
(1) 経尿道的前立腺切除術は、患者の麻酔下に、内視鏡と電気メスが一体となった器械を尿道口から前立腺部尿道まで縦横に回転させて挿入し、潅流液を流しながら、高周波電流を通じ、前立腺肥大症における前立腺の腺腫の切除や出血点の凝固を行う手術法である。
(2) 適応
経尿道的前立腺切除術は、腹部の切開などを必要とせず、高齢者やリスクの高い患者にも適しているとされ、再手術が可能であることなどから、その普及が進んでおり、内科的治療に効果がない場合や、前立腺の大きさが一定以上の場合は適応として積極的に経尿道的前立腺切除術を勧める病院等もある。一回の切除手術時間は一時間以内が望ましいので、この時間内に切除し得る大きさの腺腫(普通は三〇ないし五〇グラム)が経尿道的前立腺切除術の対象となるが、熟練者であれば、一○○グラムを超す大きな腺腫の切除も可能である。
(3) 使用器具と設備
(1)切除鏡
先端に手術用のループ電極を装備した手術用内視鏡である。経尿道的前立腺切除術に当たっては、まず切除鏡の外筒を尿道内に挿入し、次いで切除鏡の本体を挿入する。なお、挿入する内視鏡にはCCDカメラが設置されており、テレビモニターを見ながら操作が進められる。
(2)電気手術器
経尿道的前立腺切除術には、高周波電流が用いられる。切除電流は、強力な組織分解作用によってループ電極に接触した組織を切断する。凝固電流は、血管の断端を瞬時に乾燥して止血する。経尿道的前立腺切除術には、この二種の電流をペダルで踏み分けられるようにした電気手術器を用いる。
(3)灌流液
経尿道的前立腺切除術の実施の際には、潅流液で視野を洗浄しながら、切除や凝固を進めていくが、電流を使用する関係上、この潅流液には、非電解質性のものを用いる。
(4) 手術手順
(1)体位
内視鏡的手術台で十分に開脚させる。
(2)尿道計測と外筒の選択
切除鏡の挿入に先立って金属ブジーを用いて尿道計測を行う。個人差があるので、計測の結果に応じて無理のない太さの外筒を選択し、それに応じた切除ループを使用する。
(3)手技の実際
切除が始まると、出血や凝血の付着により手術野が十分見え難い状態になるので、切除開始前に、前立腺各葉の腫大の程度、精阜と外尿道括約筋の位置関係などをよく観察して病像を十分に把握しておく。術者の習得した一定の順序で、前立腺組織を切除ループに引つ掛け、通電しながら、手前に引くという操作を繰り返し、細片として組織を切除していく。前立腺被膜が見えるまで切除し、切り残しのないようにする。また、切除しながら、凝固止血を行う。最後に、手術野を再度視診しながら、切除鏡を抜去する。
(4)バルーンカテーテルの留置
切除量に応じてバルーンを膀胱内で三〇ないし七〇ミリリットルに膨らませ、三〇ないし六〇分間軽く牽引することにより膀胱頸部の圧迫止血が行われる。
(5) 術式の習得
経尿道的前立腺切除術は、開腹による手術に比べ容易ではないともいわれており、ある程度の症例を実験的にこなすことを要する熟練を要した手術であって、ガイドラインはないが、病院によっては、習熟するまでに要する手術経験は五〇例とも、七〇例とも、一○○例ともいわれている。
(以上につき、甲五ないし七、一〇、一一、一三、七一、七六、乙七、九、証人A医師、同B(以下「B医師」という。)、同C(以下「C医師」という。)同D(以下「D医師」という。))。
2 合併症について
(一) 術中合併症
(1) 大量出血によるショック
前立腺は、周囲に静脈叢があるなど、もともと血管が多い臓器である上、前立腺が肥大すると栄養の補給のために血管が豊富になり、また、切除部分が多くなれば断端からの出血量も増すことが予想され、経尿道的前立腺切除術では、ある程度の出血は不可避的であり、出血や凝固の付着により手術野が確保しにくく、時によって大出血を起こす場合がある。
(2) 穿孔
経尿道的前立腺切除術の施行中に、前立腺被膜若しくは膀胱頸部を損傷することにより起こる。潅流液が尿路外に潅流し、下腹部は膨満してくる。穿孔が起きたらできるだけ早く切除し、恥骨上部に小切開を加えて恥骨後部にペンローズドレーンを挿入する。
(3) TUR反応
術中に大量の潅流液が休内に吸収されることによって起こる。静脈の断端から潅流液が血液中に逆流することが主因であるが、穿孔により大量の灌流液が尿路外に溢流吸収されることによっても起こる。
(以上につき、甲五、七、一〇、一一、一三、乙四、一二の1、2)
(二) 術後合併症
(1) 後出血
バルーンカテーテルによる膀胱頸部の圧迫止血と持続洗浄で大抵は事なきを得るが、奏功せず、カテーテルが凝血で頻回に閉塞する場合には、速やかに、再度、切除鏡を挿入して凝固止血を行う。
(2) 尿路感染症
軽度の一過性尿路感染症は、術後、大多数の症例に見られる。
(3) 尿失禁
軽度の尿失禁は、術後三か月以内におおむね軽快するが、外尿道括約筋損傷による永続的尿失禁に対しては、人工括約筋埋込術などが考慮される。
(4) 下部尿路通過障害
外尿道口狭窄、尿道狭窄、膀胱頸部狭窄がある。
(5) 性機能障害(射精障害)
性交不能症(インポテンツ)になる率は低く、ほとんどないという文献もある。
(以上につき、甲五、七、一〇、一一、一三、乙四、一二の1、2)。
(三) 合併症の発症頻度と対策
経尿道的前立腺切除術では、出血が不可避的であるところ、これに対しては、凝固止血術を並行して行うことによって対処するが、前立腺の外科的被膜をなるべく破損しないことが必要であり、止血のための凝固電流の使用は、的確でかつ必要最小限であることが望まれ、無差別の凝固は避けるべきである。また、手術後の出血に対しては、再度止血を目的とした内視鏡手術(経尿道的凝固止血術、TUC)を行うこともあり、その頻度について、北里犬学病院では、統計上三・五パーセントの確率で術後出血による経尿道的凝固止血術が行われていると報告されており、B医師は、三〇〇例の執刀経験例のうち、三〇から四〇例(約一〇から二〇パーセント弱程度の割合)で経験があると証言している。なお、一九八八年一月から一九九一年七月までの一二一一人を対象にした海外の追跡調査では、一単位以上の輸血は四・二パーセント、TUR症侯群(吐き気や嘔吐、低ナトリウム血症)は二・八パーセント、穿孔は○・九パーセントである。(甲六、一一、乙四、七、一二の1、2)
また、経尿道的前立腺切除術の手技に関する医学文献によれば、被膜が薄くなり、奥に脂肪組織が見える穿孔などを生じても、五ミリメートル程度であれば問題ないとするものもあり、穿孔が軽度の場合はバルーンカテーテルの留置で軽快する場合もあるとされている(甲一三、乙四、一〇)。
さらに、内視鏡の外筒の出し入れやループの操作、尿道拡張術を行う際などには、尿道粘膜を損傷することがあるが、一般に尿道粘膜の再生力は強く、通常比較的短時間で治癒する。また、経尿道的前立腺切除術は、内視鏡操作をする場合に尿道及び前立腺に炎症を起こすので、炎症の治癒過程で尿道狭窄を起こす場合があり、尿道損傷及び尿道狭窄がひどい場合には尿道形成術を行い、半環状縫合などが行われる。また、各合併症などの発生率について、尿道狭窄では一九五八年の海外の文献報告で四から一二パーセント、一九八八年一月から一九九一年七月までの海外の七七五人を対象にした術後一年間の追跡調査では三・七パーセント(内尿道切開術で治療を受けている。)となっており、A医師は、その頻度は五から一〇パーセントであると証言している。(甲一三、乙四、一二の1、2、一五、証人A医師)
3 尿失禁について
(一) 尿失禁のタイプと分類について
医学文献上、尿失禁には、分類上の着眼点の違いによって、様々なタイプがあるところ、尿失禁時の契機や症状で見た場合の分け方として、咳、くしゃみ、歩くときなどの動作を契機として漏れる腹圧性尿失禁、尿意を催すと我慢がきかずに漏れてしまう切迫性尿失禁、本人が分からないうちに漏れてしまう症状のない尿失禁がある。また、時間的に見た分け方として、一時的に見られ、治りやすい一過性尿失禁や、長期間続いて治りにくい恒常性尿失禁があり、量で見た分け方として、ほとんどの尿が膀胱に溜まらず、そのまま漏れ出る全尿失禁あるいは完全尿失禁があり、そうではない不完全尿失禁がある。さらに、病態で見た分け方として、膀胱・尿道の機能異常による尿失禁(膀胱の中に尿が大量に残ってしまって溢れてくる溢流性尿失禁や重症の脊髄損傷者におこる反射性尿失禁)、膀胱・尿道以外の異常による機能性尿失禁がある。また、尿道括約筋が完全に壊れている場合や、先天的に欠落している場合、尿管膣瘻や尿管皮膚瘻などにより膀胱以外から尿が漏れてくるような場合を真性尿失禁という。(甲一二、証人D医師)
(二) 尿失禁の原因と治療法について
内視鏡手術後におこる尿失禁には、術後一年以内に治癒してしまう場合、内科的治療を行っても奏功しない永続的な失禁の場合など様々なタイプがあり、経尿道的前立腺切除術後に発症した術後尿失禁は、多くの場合は比較的早期に自然に治癒し、投薬などの内科的治療を行わなくてもよい場合が多く、尿失禁の状態が長く継続し、外科的治療を必要とする症例は発症例全体から見ても少ないといえ、尿失禁に対する外科的治療の選択には、一定期間、症状の経過を観察し、その原因を解明することが必要となる。内視鏡手術後の尿失禁の原因としては、手術によって前立腺部の抵抗がなくなるために生じる場合、前立腺の炎症により生じる場合、膀胱の粘膜の破壊などの何らかの膀胱の刺激症状が原因で起こる場合のほか、同手術中の尿道括約筋の損傷により生じる場合が挙げられる。尿道括約筋には、前立腺の精丘より尿道口寄りの部分(膜様部)にある外尿道括約筋と、奥にある内尿道括約筋の二つかあるが、経尿道的前立腺切除術の場合、内尿道括約筋の一部切除は避けられず、内尿道括約筋の切除によって起こる尿失禁の場合は、時間の経過とともに治癒するが、外尿道括約筋の重度の損傷、破壊(解剖学的な欠損)による場合には、真性尿失禁となり、完全尿失禁あるいは永続的な尿失禁が生じ、一般的には患者の自然治癒力で治ることはないと考えられるが、外尿道括約筋の損傷が軽微であれば、術後比較的早期に治る場合もある。いずれにしても、手術手技として外尿道括約筋の損傷を避けるという点は重要な心得の一つであるが、その損傷が報告される例もある。(甲七、一〇ないし一三、乙四、一八、証人C医師、同B医師、同D医師)
継続する尿失禁に対する治療としては、外科的手術を要する場合やテフロンペースト注入療法、人工尿道括約筋埋込術等が考慮される場合もあるところ、人工尿道括約筋埋込術の適応については、必ずしも真性尿失禁や完全尿失禁の場合に限るものではなく、内科的治療で奏効せず膀胱の神経に障害がない場合には溢流性尿失禁、一部の反射性尿失禁、腹圧性尿失禁の場合でも、人工尿道括約筋を埋め込む適応ありと判断される場合もある。なお、北里大学病院及び関係医療機関では一九七一年から一九八七年の二一三三例のうち、尿道括約筋の損傷による尿失禁が二一例に認められ(一パーセント)、うち三例は重度の外尿道括約筋の損傷による完全尿失禁の発症が報告されているほか、D医師は四〇〇〇例の執刀経験例のうち、外尿道括約筋の損傷は一パーセントの割合で生じ、完全尿失禁に至った例もあると証言しており、また、昭和六二年四月から平成元年四月までの北里病院など九施設で人工尿道括約筋埋込術を受けた三一例のうち、前立腺肥大症の手術後の括約筋損傷による失禁を原因とするものが一一例で、北里病院など三施設で人工尿道括約筋埋込術を受けた一一例のうち、経尿道的前立腺切除術後の尿失禁を原因とするものが四例ある。(甲一〇、一二、一三、二一ないし二三、六三、乙四、一八、証人B医師、同D医師)
二 本件各手術等の経過について
前記認定の前提となる事実に加えて、当事者間に争いのない事実、後掲の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。
1 術前の経過について
(一)原告は、平成三年八月二四日、被告病院泌尿器科でA医師の診察を受けたが、それ以前に、尿が失禁することもあった。右初診時、原告は、一年前から残尿感、頻尿、排尿困難、排尿力の低下があり、前日飲酒後に頻尿が増悪したなどと訴えた。A医師が原告に対し、前立腺の直腸触診をしたところ、軽度の前立腺肥大症が認められたが、尿検査では尿糖があるものの、白血球、赤血球は認められなかった。A医師は、前立腺炎の併発を疑い、原告に対し前立腺マッサージを行ったところ、前立腺分泌物中に白血球の出現を認めたため、慢性前立腺炎と診断し、抗菌剤と前立腺肥大症治療薬及び胃薬を処方したが、同年九月七日の診察時、頻尿が軽快しなかったので、前立腺肥大症を中心とする投薬に変更した。(甲一、乙一)
(二) 同月二五日、腹部エコーの結果、原告の前立腺の推定重量は五五・八グラム(通常は二〇グラム程度)であり、尿流量測定の結果、最大尿流量は毎秒七・三ミリリットル(正常値は毎秒一五ミリリットル以上)であった。A医師は、早晩尿閉を来す可能性が大であり、抗男性ホルモン剤による治療は長期にわたり十分な効果が期待できず、副作用の可能性もあるとして手術療法の適応と判断した。
(三) 同年一一月一九日、静脈性尿路造影が実施されたところ、原告の膀胱内に大きな前立腺の腺腫の突出が認められたが、上部尿路には異常は認めなかった。また、逆行性尿道造影を行ったところ、前立腺部尿道の延長、膀胱内への腺腫の突出が著しく、中葉肥大型で、前部尿道(尿道球部)に膜様の狭窄が認められた。A医師は、尿道拡張術(金属性の尿道ブジーを尿道の先端部分から前立腺の部分まで挿入して、狭窄している尿道を物理的に広げるもの)により治療可能と判断した。
そして、A医師は、同日、原告に対し、前立腺肥大症は前記のとおり犬きく、内服治療薬などの保存的治療では効果が期待できず手術療法の適応にあること、開腹手術と内視鏡手術があるが、腹部に傷を付けず、再度の肥大に対する再手術が容易である点で内視鏡手術が有利であり、現在では内視鏡手術が主流で、開腹手術はよほど巨大な前立腺肥大症の場合や膀胱内に開腹操作が必要な場合に行われること、麻酔は腰椎麻酔か硬膜外麻酔の下半身麻酔で麻酔科医師に一任していること、手術の所要時間は順調な場合には二時間ほどであることなどと説明した。
2本件各手術について
(一) 本件第一手術について
原告は、平成三年一二月五日午後零時五〇分(以下、手術経過については、時刻のみを表示する。)に手術室に入室し、午後一時、遠藤医師により腰椎麻酔が投入され、午後一時三〇分から尿道拡張術が実施された。本件で用いられた手術用の内視鏡の直径は二六フレンチであったところ、A医師は、一六から二七フレンチ(一フレンチは三分の一ミリ)まで原告の尿道を拡張し、午後一時五三分から内視鏡を用いて経尿道的前立腺切除術(TUR-P)を開始し、前立腺の切除に当たっては、まず、右葉及び突出した中葉を切除し、続いて左葉を切除した。午後二時一五分、原告が痛みを訴えたため全身麻酔に切り替えた。
術中、膀胱内の突出が非常に強く、内視鏡操作が自由に行えない状態であり、また、経尿道的前立腺切除術の際、前立腺部の一二時方向で頸部寄りの部分にニアーパーフォーション(穿孔しかけた箇所)が確認された。また、術中の原告の出血が多く、これを補うために午後三時二〇分、午後三時三二分、午後四時に濃厚赤血球各一単位(一三○シーシー)の合計三単位の輸血を実施した。また、午後四時の段階で原告のナトリウム値は一二五となっており、低ナトリウム血症を発症した。
そして、合計三七グラムの腺腫を切除し、午後四時三五分、止血状態を確認して内視鏡を抜き、バルーンカテーテルを挿入し、これを留置して手術を終了し、午後五時二〇分麻酔を切り、原告は、午後五時四五分ころ、帰室した。
なお、A医師は、手術終了時に膀胱を洗浄し、洗浄液の色や血尿の度合いを確認したが、この段階では特に出血等の異常はなー、尿路確保のためバルーンカテーテルを留置し、膀胱内に生理食塩水を充満させて排尿状態を確認したところ、尿漏れはなかった。(乙二、A医師)
(二) 本件第二手術について
原告は、帰室したものの、その直後、血尿が出現して出血が生じ、午後五時五七分の血圧は六二(最大血圧。以下同じ。)となり、ショック状態になったとして昇圧剤や補液が行われ、午後六時五分には一一〇台に回復したものの、午後七時すぎから血圧が一〇〇を切って下がり始めた。A医師はステロイドなどを投与し、バルーンカテーテルを五〇から一〇〇ミリリットルに膨張させて牽引したが、血は止まらず、濃厚赤血球合計四単位を追加して輸血した。
A医師は、再度内視鏡を挿入して経尿道的凝固止血術(TUC)を実施するため、午後七時五五分、原告を手術室に移した。
午後七時五五分の血圧は最大血圧が八二、最小血圧が五〇で、顔而蒼白で、冷感、疼痛があり、午後八時、全身麻酔を導入した上、午後八時五分、濃厚赤血球一単位の輸血を開始し、バルーンカテーテルを抜去後、エリックにて膀胱内の血塊を除去し、午後八時二〇分、ブジーを用いずに内視鏡を挿入して、経尿道的凝固止血術を開始した。内視鏡の再挿入の際には、顔面蒼白や冷感があったほか、尿道狭窄部の抵抗が強く、内視鏡を挿入しにくい状態であり、見通しが悪かった。
内視鏡を挿入したところ、膀胱内に、血液の塊が多量にあり、また、経尿道的前立腺切除術時に確認された位置とほぼ同じ前立腺部の位置に直径五ミリメートルから一センチメートル程度の脂肪組織が露出した穿孔が認められた。その後も、出血が続いたため、午後八時三〇分、午後八時五〇分、午後九時一〇分、保存血各一単位の輸血が追加された。A医師は、午後九時二五分、経尿道的凝固止血術を終了させ、内視鏡を抜去した。(甲二七、七〇、乙二、六、証人A医師、同C医師)
もっとも、A医師は、その尋問等において、経尿道的止血術の際には術者の視界を妨ぐ大量の出血は見られず、念のため、切除断端等を凝固し、止血の確認等を行ったものであるという。しかしながら、(1)本件第一手術後、大量の出血が見られ、バルーンカテーテルを五〇から一〇〇ミリリットルに膨張させて牽引したが、血は止まらず、濃厚赤血球合計四単位を追加して輸血したにもかかわらず、経尿道的止血術の際には大量の出血は見られなかったというのは不自然であること、(2)経尿道的止血術の際、午後八時三〇分、午後八時五〇分、午後九時一〇分に保存血各一単位の輸血が追加されたこと、(3)手術者としては、出血が治まったのであれば、本件第一手術で相当の時間を費やしており、尿道損傷の可能性を考えて、早急に止血術を終了してバルーンカテーテルを挿入するべきところ、念のため、切除断端等を凝固し、止血の確認等を行ったということは不自然であること、(4)麻酔医遠藤は、手術”記録(乙二)に「経尿道的止血不可↓尿道形成術」と記録していることに照らすと、A医師の右供述等は採用できない。
(三) 本件第三手術について
内視鏡を抜去後、A医師は、スタイレットを用いてバルーンカテーテルを挿入しようとしたが、これが入らなかった。
そこで、A医師は、再度内視鏡を挿入しようとしたが、この段階では内視鏡で観察しても尿道内腔が確認できず、副尿道形成を疑わせるほど高度の尿道損傷が見られたため、内視鏡の再挿入もできず、しかも、午後九時三〇分、原告の血圧は六〇、七〇台まで下がり、下腹部や陰嚢には潅流液(ウロマチック)が大量に貯留していたため、開腹手術が必要であると考え、原告の妻子に対して、「止血はうまくいきましたがどうしてもおしっこの管が入りません。お小水が出なくなりますのでこれから開腹手術をします。」と説明した。午後九時五〇分、A医師が要請した昭和犬学講師島田医師の執刀により、原告に対して、開腹手術が行われ、同時刻に保存血の輸血一単位が追加された。全身麻酔下で下腹部正中切開による手術(腹膜外手術)が行われ、電気メスで膀胱を一部切開したが、恥骨付近はウロマチックにより水っぽく、前立腺は右上面で数ミリメートル穿孔しており、その上部の脂肪組織より若干の出血が見られ、動脈性の出血は確認できなかった。被膜穿孔は右一箇所にしかなく、同所を縫合止血したほか、出血点を把持して止血し、午後一〇時一五分に濃厚赤血球一単位の輸血が追加され、逆行性に一六フレンチのバルーンカテーテルを留置しようとしたが、前立腺部(膀胱頸部)、膜様部には挿入できたと思われたものの、前部尿道に挿入できず、午後一〇時三〇分、会陰部を切開して、狭窄部の修復を行い、午後一〇時四〇分、濃厚赤血球一単位を追加して輸血し、午後一一時一三分、尿道口から一六フレンチのカテーテルを挿入して外に出した後、二ニフレンチのスリーウエイカテーテルを順行性に留置し、尿道粘膜を縫合し、再度前立腺被膜の止血を行い、膀胱内に二二フレンチのバルーンカテーテルをもう一本留置し、被膜、膀胱粘膜を縫合するなどして、会陰部と腹部より尿道形成(牽引通過手術)をし、翌五日午前零時一五分に洗浄の上、午前零時二〇分、保存血の輸血一単位を追加し、午前零時二五分ドレーンを挿入した。
そして、午前4零時四五分、止血を確認して手術を終了し、午前零時五〇分に覚醒抜管の上、原告は、午前一時一○分帰室した。(乙二、六、証人A医師)
三 本件各手術後の経過について
当事者間に争いのない事実及び後掲の証拠を総合すれば、以下の事実が認められる。
1 被告病院における経過について
(一) 原告は、本件各手術後、数日間の間手足を縛られた状態で、酸素マスクの装着や輸血などの治療を受けていたが、平成三年一二月九日には歩行を開始し、その後、腹部のドレーン等を抜去された。そして、同月二六日、尿道に留置されたカテーテルを抜去したところ、尿失禁状態となった。
A医師は、原告にスピロペント及びプロパンサインを処方し、その原因として、三週間のカテーテル留置によるものか、あるいは尿道括約筋を手術で損傷したことによるものかと疑った。(乙二、証人A医師)
(二) そして、原告は、同月一人日には肛門括約筋を締める練習(骨盤底筋の訓練)を促され、これを実施したところ、尿失禁が一時止まることもあったが、その後も尿失禁は継続した。原告は、平成四年一月七日の尿道造影検査の結果、前部尿道の一部に狭窄が見られ、尿道拡張術等を受けた。その後、尿はスムーズに出て、痛みはなくなった。原告は、同月一一日に被告病院を退院した。(甲一、乙二、証人A医師、原告本人)
(三) 原告は、同月一七日朝から、尿閉状態になり、被告病院でA医師の診察を受け、バルーンカテーテルにより約四〇〇ミリリットルの導尿をした。その際、入院前の尿道狭窄とほぼ一致すると思われる部位に狭窄が認められた。
同月一八日、尿道周囲より出血があったが、バルーンカテーテルが抜去され、尿道拡張術が施行された。
通院時の原告の申告によれば、同月二一日は歩いても尿禁制は保たれていたが、同月二五日、同年二月一日、同月八日及び同月一五日の通院の際には、尿は安静時には漏れないが、歩行の際漏れがあった。
同年三月七日には尿の漏れが少なーなり、同月二一日には尿失禁は寝ているとほとんどなく、立位でなく、歩くと漏れるが、蓄尿できるようになっていたが、同年四月四日及び同月二五日には、量は少ないが歩くと漏れるなどして尿失禁の継続が見られた。
同年五月一六日の午前中は失禁はなく、ゴルフをしても尿は漏れなかったが、ビールを飲むと漏れが多い状態になった。原告は、被告病院で、尿道拡張術を継続して受けていたところ、尿道はほぼスムースに行くようになった。
原告は、同年六月二〇日に通院した際、「だいぶ漏れは減った。ゴルフも行った。午前中はオーケーだが午後漏れる。アルコール飲むと駄目である。少ない日は一日一枚で済む。尿の勢いはいいが、やはり途中で引っかかる感じがある。夜間漏れない。」などと訴えた。
同月二三日には、膀胱部単純撮影、尿道造影が行われた結果、A医師は、「やはり括約筋やられているか。」と力ルテに記載し、外尿道括約筋の損傷を疑った。
原告は、同年七月一八日、同年八月一日、同月二二日、同年九月一七日、同年一〇月三日、同月三一日、同年一一月一一日(なお、この日の診察では、黄色ブドウ状球菌による尿路感染が認められている。)、同年一二月五日、同月二一日、平成五年一月九日、二月二七日、それぞれ被告病院に通院したが、その間、尿失禁が継続している旨訴え続け、内科的治療を受けていた。なお、原告は、同日、同病院での治療を打ち切った。(乙一、証人A医師、原告本人)
2 北里研究所病院等における経過
(一) 原告は、被告病院への通院と併せて、平成四年一月二七日以降、尿失禁を訴えて、北里研究所病院(白金)にも通院した。同病院では、尿道拡張術を続けるとともに、投薬治療を受けたが、尿失禁、膿尿が続いていた。なお、同年一二月二日の尿流量測定検査の結果では、尿量一八〇ミリリットルの蓄尿が可能であった。
同病院の門脇和臣医師は、人工尿道括約筋埋込術の適応と考え、平成五年八月二五日、北里大学病院のB医師に原告を紹介した。なお、原告は、北里研究所病院には、同年九月一日まで通院した。(甲六六、乙一六)
(二) また、原告は、同年三月二九日及び同年八月三日に東京都済生会中央病院にも通院した(甲三二の3、4、三七の1)。
(三) B医師は、同月二五日、北里大学病院において、原告を診察した結果、TURP、開放手術後の全尿失禁と考え、尿道狭窄が安定するのを待って人工尿道括約筋埋込術(AMS八〇〇)を行うことにした。なお、原告は、同病院に合計三回通院したが、B医師の指示により、同年九月一〇日以降、北里大学東病院に通院し、B医師らの治療を受けた。同病院では、同月一四日、尿道狭窄部位が三箇所あったため、前部尿道形成術を施行し、その後は、尿道狭窄に対する治療のため、定期的にバルーン拡張術を施行した。原告は、同病院には、平成六年三月一五日まで通院した。(甲一、六六、六七、乙一六、証人B医師、原告本人)
(四) 原告は、B医師が聖路加国際病院に勤務するようになったので、平成六年四月一二日以降は、同病院で治療を受けた。同年九月七日、検査のため同病院に入院して、膀胱造影検査(VCUG)を受けた。その検査では、膀胱の機能は正常で、膀胱尿管逆流現象などは認められず、尿道狭窄はほぼ治癒し、尿道の憩室そのものもだいぶ小さくなっていたものの、造影剤注入後、排尿前の段階に本人の意思とは無関係に尿の流出が認められた。その結果、B医師は、原告の尿失禁は括約筋の損傷による完全尿失禁であるとの確定診断を行い、その旨原告に説明した。なお、その際、括約筋筋電図による検査は行われていない。
原告は、翌八日退院した。(甲九、六四、証人B医師、原告本人)
(五) 平成七年二月一四日、原告は、B医師により、AMS八〇〇というシリコン製の人工尿道括約筋(シリコンゴムを主材料とするカフを機械的に収縮・緊張させることにより括約筋と同じ動きを行わせ、陰嚢に埋め込まれたポンプを操作して排尿をコントロールするもの)の埋込術を受けた。
そして、右埋込手術の結果、原告の尿失禁は、若干漏れることがあるものの、パットを当てることもなくなり、平成九年四月の段階では勤務に支障がなくなった。
原告が埋込みを受けた人工臓器は、一九八〇年初頭に開発され、世界でアメリカンメディカルシステムズ社一社のみが製造しているものであり、約七○○例で五年の耐久率九〇パーセントの報告があるが、保険の適用がなー、故障や液漏れ、尿路感染のおそれがあるため、定期検査や予防的な服薬が必要である。(甲九、一九、二一、二二、六二の1ないし3、証人B医師、原告本人)
四 尿失禁の有無及び程度について
1 前一記三で認定したとおり、原告は、被告病院における本件各手術後、高度の尿失禁が継続し、投薬等の治療を受けていたものである。原告は、右尿失禁の程度について、ほとんどすべての尿が尿失禁となってしまう全尿失禁、完全尿失禁である旨主張し、B医師の証言中には、これに沿う部分がある。
しかしながら、前記三で認定したとおり、椅子に座ったり夜間安静にしたりしているときなどに尿漏れがないこともあったこと、北里研究所病院の尿流量検査(平成四年一二月二日実施)でも一八〇ミリリットルの蓄尿が可能であると確認されていること、B医師は、全尿失禁、完全尿失禁であると診断したが、その際、外尿道括約筋の筋電図による検査は行われていないことを併せ考えると、前記一3(一)で認定の尿失禁の分類上の概念からすれば、完全尿失禁の分類に当てはまるかは疑間があり、むしろ、外科的治療を要する程度の腹圧性尿失禁が長期間継続した状態にあったものと認めるのが相当であり、B医師の右証言は採用できない。
2 この点に関し、A医師は、原告の尿失禁について、平成四年五月一六日はゴルフをしても漏れがなかった点などを指摘し、この時点では、全尿失禁も腹圧性尿失禁もなかった旨証言する。しかしながら、(1)B医師及びA医師の各証言によれば、膀胱の機能が正常であれば、尿は膀胱内に貯留し、尿意を催すことはあり、生活習慣としてトイレで排尿できる場合もあったと考えられることや、患者の膀胱容量、体位、姿勢、水分摂取などによる尿の生産量によって漏れ出る量は異なるものと考えられることからすれば、原告の失禁状態の一時的な経過のみをとらえて、尿失禁の状態やその程度を判断することは相当ではないこと、(2)本件各手術後の経過によれば、原告は、被告病院において尿失禁の治療薬を投与され、内科的治療を継続していたが、その後も長期間にわたって尿失禁を訴え続け、症状の改善がなかったこと、(3)平成六年九月七日のUCVG検査(聖路加国際病院)では、原告の膀胱の機能は正常で、尿道狭窄はほぼ治癒していたのに、原告の意思とは無関係に尿漏れが生じたことが認められたこと、(4)乙五(A医師作成の陳述書)によれば、A医師も、原告が被告病院で治療を打ち切ったとき、腹圧性尿失禁が残ったことを認めていたことなどの諸事情に照らすと、A医師の右証言は採用できない。
五 本件各手術と尿失禁との間の因果関係について
1 原告は、被告病院における手術時に内視鏡等の操作により外尿道括約筋を損傷したことが原因で尿失禁が生じた旨主張するので、以下、この点について検討する。
2(一) 内視鏡手術時の外尿道括約筋の損傷によって起こる術後の尿失禁について、真性尿失禁、完全尿失禁のみではなく、腹圧性尿失禁、切迫性尿失禁、あるいは、腹圧性尿失禁と切迫性尿失禁が混在する場合もあるといわれており、また、完全尿失禁が腹圧性尿失禁かどうかは程度の差の間題であって、腹圧性尿失禁であっても、これが継続して高度になっている場合には、外尿道括約筋の機能が相当程度失われている場合も考えられる(甲一二、証人B医師、同C医師、同D医師)。
(二) 外尿道括約筋は、男性の尿道の場合、膜様部(後部尿道)あるいは球部(前部尿道)に近いところに位置し、膜様部より上の尿道において貫通損傷があれば、潅流液が恥骨上腔に漏れ、膜様部より下部に尿道損傷があれば、陰嚢を含め陰部に潅流液がたまるところ、本件においては、本件第二手術時には、陰嚢及び下腹部に灌流液(ウロマチック)が大量に流入しており、また、本件第三手術時には、恥骨付近は潅流液(ウロマチック)により水っぽかったことが確認されている。また、本件第三手術時には、会陰部を切開し、尿道を把持するという手術がなされている。これらの状況からみて、球部から前立腺部にかけて尿道が損傷されていると考えられる。(甲二七、七○、証人C医師)
(三) 平成六年九月七日に聖路加国際病院で行われた膀胱造影検査(VCUG)では、膀胱の機能は正常で、膀胱尿管逆流現象などは認められず、尿道狭窄はほぼ治癒し、尿道の憩室そのものもだいぶ小さくなっていたものの、造影剤注入後、排尿前の段階に本人の意思とは無関係に尿の流出が認められ、その結果、B医師は、原告の尿失禁は括約筋の損傷による完全尿失禁であるとの確定診断を行った(前記三2)。
(四) 原告は、術前尿失禁の状態もあったが、本件各手術後、重症の尿失禁を生じ、長期間にわたりその症状が継続していたもので、人工尿道括約筋の埋込術を受けて初めて右症状に悩まされなくなった(前一記二1及び三2)。
2 以上の諸事情を併せ考えると、本件各手術により外尿道括約筋が損傷されたことが原因で尿失禁が生じたと認めるのが相当である。
3 もっとも、A医師は、その尋問等において、外尿道括約筋が外科的に損傷した場合には一時的にであれ、尿失禁の改善が望めないにもかかわらず、原告に骨盤底筋の訓練を促したところ、平成三年一二月二八日には、肛門括約筋を締めると尿失禁が止まり、平成四年一月二一日には歩いても尿禁制は保たれ、同年三月七日には尿の漏れが少なくなり、同月二一日には寝ているとほとんどなく、立位でなく、歩くと漏れるが、畜尿できるようになっていて、同年五月一六日はゴルフをしても漏れがないなどと徐々に回復していたことなどを挙げ、本件各手術において、外尿道括約筋の損傷はしていないという。
しかしながら、前記認定の諸事情に加えて、A医師が指摘する点は、術後に一時的な経過のみをとらえているにすぎず、前記三のとおり、原告の尿失禁の症状はその後も長期間にわたって継続していたことに照らすと、A医師の右証言等は採用できない。
六 被告病院の措置の過失の有無について
1本件各手術中のどの時点において外尿道括約筋が損傷されたかについて、その手技から見て、どの時点においても、外尿道括約筋が損傷される可能性が一応考えられる。
そこで、以下、この点について検討するに、前記認定のとおり、経尿道的前立腺切除術においては、膀胱内の突出が強く、内視鏡操作が自由に行い得ない状態で、手術時間も当初の想定を超えるものであったとはいえるものの、経尿道的前立腺切除術の終了時点ては、懼流液の溢等は確認されておらず、色調も清明な状態で、また、念のため膀胱に生理食塩水を充満させ、腹部を押して手術後の排尿状況を確認したが尿失禁はなかったこと、前記二で認定した手術経過においても、経尿道的前立腺切除術中、特に外尿道括約筋の重度の損傷を疑うような手技が行われた形跡がなく、C医師は、経尿道的前立腺切除術中に 尿道括約筋が損傷された可能性は重視しなくてもよく、また、手術後に行われたバルーンカテーテルの牽引では、外尿道括約筋が軽度に損傷する可能性があり得るにすぎないと証言していることからすれば、経尿道的凝固止血術が実施されるまでの間に外尿道括約筋の重度の損傷が起こったと考えるのは困難であるといわざるを得ない。
これに加えて、(1)D医師の証言及び乙一八によれば、止血目的の再手術では、経尿道的前立腺切除術よりもさらに視野不良の中で行われるので、外尿道括約筋を損傷する可能性は大きいといえること、(2)前記二2(二)で認定したとおり、経尿道的凝固止血術においては、内視鏡の挿入がしにくく、その視野も悪かったもので、右手術終了の段階においては、前部尿道の損傷が激しく、バルーンカテーテルの挿入すらてきない状態となり、内視鏡による尿道内腔の確認も内視鏡の再挿入もてきない事態に至ったもので、血圧も六〇、七〇台まで下がり、下腹部及び陰嚢に大量の潅流液が流入し、尿道形成や潅流液のドレナージのため開腹手術の実施をせざるを得なくなっていること、(3)C医師も経尿道的凝固止血術あいは開腹手術時のいずれかによって外尿道括約筋が破壊されたのではないかと証言していること、(4)C医師は、懼流液の溢流が判明した時期やその程度(量が多く、下腹部にまで浸潤していること)からすれば、経尿道的凝固止血術における止血操作により尿道が損傷し、尿道内腔の確認や 道の把持もできなくなった最終段階において、スタイレットを用いたバルーンカテーテルの挿入や内視鏡の再挿入を試みたことによって、外尿道括約筋の不可逆的な損傷を起こしたものと考えるのが合理的であると証言していること、(5)開腹手術の経過において、特に外尿道括約筋の重度の損傷を新たに引き起こすような手技が行われた形跡はないことからすれば、経尿道的凝固止血術の過程において、外尿道括約筋の重度の損傷が生じたものと推認するのが相当である。
2 そこで、本件第二手術(経尿道的凝固止血術)におけるA医師の過失の有無を検討する。
(一) 内視鏡手術においては、精丘を視認、確保して、右部位を基準に操作を行えば、外尿道括約筋の損傷を避けることができ、経尿道的凝固止血術においては、その損傷を極力避けることが最も重要な心得の一つである。
そして、内視鏡の操作に当たり、出血等に起因して解剖学的な正しい位置関係の理解が十分できないため、内視鏡的止血が困難な状態に至った場合には、内視鏡を操作していた医師としては、速やかに経尿道的凝固止血術を終了し、尿道損傷のおそれがあれば、直ちに開腹手術による止血に切り替えるべき義務があるというべきである。
(三) これを本件についてみるに、前記二2、五2及び六1で認定した事実によれば、本件第一手術後に出血が生じ、本件第二手術(経尿道的凝固止血術)の開始後も続いていたこと、本件第二手術において内視鏡を挿入しようとした際、尿道狭窄部の抵抗が強く、内視鏡を挿入しにくい状態であり、見通しが悪かったこと、膜様部より上の尿道において貫通損傷があれば、潅流液が恥骨上腔に漏れ、膜様部より下部に尿道損傷があれば、陰嚢を含め陰部に潅流液がたまるところ、本件第二手術時には、陰嚢及び下腹部に灌流液(ウロマチック)が大量に流入しており、また、本件第三手術時には、恥骨付近は潅流液(ウロマチック)により水っぽかったことが確認されていること、本件第三手術時には、会陰部を切開し、尿道を把持するという手術がなされており、尿道を形成しなければならないほどの高度な尿道損傷が生じたことが認められる。
これらの状況を併せ考えると、経尿道的凝固止血術に当たり、精丘を視認、確保して操作を行えば、外尿道括約筋の損傷を避けることができたにもかかわらず、その手術の過程において、出血のために内視鏡の視野が不良となり、しかも、尿道が広範囲に損傷したことで、解剖学的な正しい位置関係の理解が十分できず、内視鏡的止血が困難となった状態で、内視鏡を一時間五分にわたって操作し続け、その結果、極力避けなければならない球部から膜様部にかけての高度の尿道損傷を生じさせ、さらに、盲目的にスタイレットを用いてバルーンカテーテルの挿入を繰り返し行ったため、副尿道形成を疑わせるほどの尿道損傷を生じさせ、これらと同時に、外尿道括約筋を不可逆的に損傷させたといわざるを得ない。
(四) 以上によれば、A医師は、出血等のために内視鏡的止血が困難となったのであるから、速やかに経尿道的凝固止血術を終了し、尿道損傷のおそれを考えて、直ちに開腹手術による止血に切り替えるべき義務があったのに、これを怠ったと認めるのが相当である。
3 この点に関し、A医師は、その尋問において、本件第二手術のハ、内視鏡の視野を妨げるような大量の出血は見られず、念のため、止血の確認等を行っていたもので、経尿道的凝固止血終了後、内視鏡を抜去してバルーンカテーテルを挿入しようとしたが、これを行うことができなかったため、開腹手術に移行したものであるという。
しかしながら、前記二2(二)で認定したとおり、本件第二手術開始後、出血は続いており、しかも、内視鏡の操作により、前部尿道を損傷し、これにより潅流液が溢流していることに照らすと、A医師の右証言は採用できない。
また、D医師は、その尋問において、再手術になると、手術野一面が血液の凝固で覆われ、これを洗い流すのに随分時間が掛かり、また、その過程て括約筋が損傷することもあり得るとして、A医師の過失を否定しているが、前記認定のとおり、出血等に起因して解剖学的な正しい位置関係の理解が十分できないまま、内視鏡の操作を続けたことで、尿道を損傷したものであるから、D医師の右証言は採用てきない。
七 損害
1 治療費 一六八万八六六二円
原告は、本件各手術後、高度の尿失禁が継続したため、被告病院のほか、北里研究所病院、北里大学病院、北里大学東病院、東京都済生会中央病院、聖路加国際病院で治療を受け、その結果、平成三年一二月五日から平成七年四月末日までの間、治療費として合計一六八万八六六二円の支出を余儀なくされたことが認められる(甲二四の1、2、二五、二九、三〇の1ないし6、三一の1ないし6、三二の1ないし5、三三の1、2、三四の1、2、三五の1、2、三六、三七の1ないし3、三八の1ないし6、三九の1ないし7、四〇の1ないし7、四一の1ないし4、五九、原告本人、弁論の全趣旨)。
なお、原告は、差額べット代を請求しているが、原告の差額べッド使用が医師の指示によるとか、原告の症状等からみて相当であったとの事情を認めるに足りる証拠はないから、これについては、相当因果関係のある損害とはいえない。
2 紙おむつ等雑費
八万三六一七円
原告は、平成四年一月から平成七年四月末日までの間、尿失禁のため、紙おむつ等の使用を余儀なくされ、八万三六一七円の支出をしたことが認められる(甲一、八、五七の1ないし3、五七の4の1ないし7、原告本人)。
3 付添看護費
原告は、被告病院及び聖路加国際病院の入院期間中の付添看護費を請求しているところ、原告の供述によれば、原告の妻及び子供に右入院期間中付き添ってもらったことが認められるが、これが医師に指示によるとか、原告の症状等からみて相当であったとの事情を認めるに足りる証拠はないから、これについては、相当因果関係のある損害とはいえない。
4 入通院交通費
四万六七二〇円
原告は、平成四年一月二四日から平成七年三月二九日までの間、別紙一ないし四のとおり、北里研究所病院等に入通院し、交通費として、合計四万六七二〇円の支出を余儀なくされたことが認められる(甲九、一九、二四の1、2、二五、三〇の1ないし6、三一の1ないし6、三二の1、2、5、三三の1、2、三四の1、2、三五の1、2、三六、三七の2、3、三八の2ないし6、三九の1ないし3、6、7、四〇の1ないし7、六〇、六四、乙一六、原告本人、弁論の全趣旨)。
五 休業損害
原告が、被告病院の入院期間中、欠勤していたことは認められるが、右入院のため原告の収入が減額した事実は、本件全証拠によっても、これを認めるに足りる証拠はない。
6 逸失利益
原告は、本件各手術により、外尿道括約筋の損傷、尿道粘膜損傷によるはん痕性尿道狭窄、会陰部切開によるインポテンツの後遺障害が残ったとして、労働能力喪失率三五パーセント相当の逸失利益を求めている。
しかしながら、前記三2で認定したとおり、原告は、本件各手術後、外尿道括約筋を損傷し、尿失禁の症状が継続し、また、尿道粘膜損傷によるはん痕性尿道狭窄の症状も見られたが、北里研究所病院、聖路加国際病院で治療を受けた結果、尿道狭窄はほぼ治癒し、また、人工尿道括約筋の手術後は、原告の尿失禁は軽快し、生活や仕事に支障の生じる状態を脱しているから、労働能力の一部を喪失する程度の後遺障害が残ったと認めることは困難である。
のみならず、証拠(甲二九、五八)によれば、原告の平成三年度と平成四年度の収入を比較しても、給与面について格別不利益な取扱いは受けていないことが認められ、原告が現に従事し、又は、将来従事すべき職業の性質に照らし、現在及び将来において、経済的な不利益を被るおそれがあるものとも認め難いから、後遺症による逸失利益を認めることはできないといわざるを得ない。
なお、本件全証拠によっても、会陰部切開によるインポテンツの後遺障害が残ったことを認めるに足りる証拠はない。
7 慰謝料 六三〇万円
原告は、本件各手術後、治療を続けていたが、人工尿道括約筋埋込術を受けるまでの約二年三か月の間、高度の尿失禁症状が継続し、これに悩まされたもので、その精神的苦痛は甚大であったこと、右手術後、尿失禁は、ほとんどなくなり、パットを当てることもなく、勤務に支障はなくなったものの、感染防止のための服薬や定期的な検診を将来にわたって余儀なくされることなど、今後も精神的不安が続くこと、証拠(甲一、九、原告本人)から認定できる原告の職種、症状経過、その等本件記録に現われた一切の事情に鑑みれば、原告の慰謝料は原告主張の六三〇万円を下らないとするのが相当である。
8 弁護士費用 一〇〇万円
本件記録及び弁論の全趣旨によれば、原告が本訴の追行を弁護士である本件訴訟代理人らに委任し、報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の難易、審理経過、本訴認容額など諸般の事情を考慮すると、本件と相当因果関係にある費用としては、一〇〇万円と認めるのが相当である。
なお、原告は、被告に対し、診療契約上の債務不履行によって発生した損害の支払を求めているが、本件のようにその債務不履行が不法行為をも構成する場合においては、右弁護士費用は、当該債務不履行により通常生ずべき損害に含まれると解するのが相当である。
9 損害合計
九一一万八九九九円
第三 結論
以上の次第であって、原告の請求は、被告に対し、九一一万八九九九円及びこれに対する平成七年六月二二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法六四条を、仮執行宣言については同法二五九条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。