男子中学生が、救急搬送後に帰宅し、その日のうちに脳ヘルニアで死亡したことについて、担当医には頭蓋内圧亢進症を疑って必要な検査を行うべき義務や帰宅させずに経過観察を行うべき義務の懈怠があるなどと主張して不法行為等の責任を認めた事案
横浜地裁 平成29年6月8日判決
事件番号 平成25年(ワ)第1181号
主 文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
一 被告らは、原告に対し、連帯して、七一七三万二六七九円及びこれに対する平成〇年〇月〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 仮執行宣言
第二 事案の概要
本件は、深夜、長野県内の町立病院に救急搬送された男子中学生が、未明に帰宅した後、その日のうちに脳ヘルニアにより死亡したことについて、当該男子中学生の母である原告が、担当医には頭蓋内圧亢進症を疑って必要な検査を行うべき義務や帰宅させずに経過観察を行うべき義務の懈怠があるなどと主張して、カルテに主治医と記載された被告Y(被告Y医師)に対しては不法行為に基づき、当該病院の開設者であった町を編入合併した被告松本市に対しては債務不履行又は使用者責任に基づき、七一七三万二六七九円の損害賠償及びこれに対する不法行為又は債務不履行の日である平成〇年〇月〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求めた事案である。
一 前提事実
(1) 当事者等
ア 原告は、A(平成〇年〇月〇日生まれ)の母であり、Aの唯一の相続人である。
Aは、平成〇年〇月、〇月当時、原告と離れて、長野県c市内において、祖父(原告の父)であるB、祖母(原告の母)であるC及び叔父(原告の弟)であるDと同居して生活していた。
イ かつての長野県A1郡A2町は、A町立L病院(被告病院)の開設者であったが、平成〇年〇月〇日、被告松本市に編入合併した。
被告Y医師は、本件当時、被告病院に勤務しており、Aが被告病院に救急搬送された平成〇年〇月〇日の当直医であり、被告病院のカルテ上、Aの主治医と記載されている。
(2) 診療経過
ア Aは、平成〇年〇月〇日深夜、嘔吐・下痢・頭痛の症状を呈し、D及びCが要請した救急車により(まず、Dが要請し(第一通報)、次にCが要請した(第二通報)。)、同月四日午前一時一六分頃、被告病院に搬送された(以下「本件搬送」という。)。
イ 被告病院の担当医(本件医師)は、Aを急性胃腸炎及び片頭痛と診断し、点滴をした上で帰宅させ(以下、Aが帰宅のため被告病院から出る際のことを「本件退院」という。)、Aは、Bの運転する自動車で自宅に向かった。
ウ Aは、帰宅後、自宅建物に入らず、自動車内で休んでいたが、同日午前一〇時半頃、顔面蒼白な状態で発見され、同日午前一一時三五分頃、長野県立N病院に救急搬送されたものの、既に心肺停止状態にあり、同日午後〇時三〇分頃、死亡が確認された。
死亡後の全身CTの結果、Aには明らかな外傷は認められず、左側脳室内に直径九cm程度の内部に出血を伴うのう胞が認められ、のう胞による脳幹圧迫の所見も認められた。Aの直接の死因は脳ヘルニアであり、脳ヘルニアの原因はのう胞内出血、のう胞内出血の原因は頭蓋内のう胞性腫瘤と診断された。
(3) 本件に関連する医学的知見
ア 頭蓋内圧亢進
(ア) 頭蓋骨という固い容器内に脳・髄液・血液が存在して頭蓋内圧を規定しており、腫瘍・炎症・浮腫などによる脳実質の体積の増大や、血腫の存在、髄液の産生増加や吸収障害、通過障害などで頭蓋内圧は亢進する。脳は頭蓋骨によって外圧から守られているため、脳に異常が生じた場合に、かえって圧が逃げるところを失って陥るものである。
頭蓋内圧亢進の原因疾患としては、炎症性疾患(髄膜炎、脳炎)、頭蓋内出血(クモ膜下出血、脳内出血)、腫瘍(頭蓋内腫瘍、転移性脳腫瘍、頭蓋内膿瘍)、脳浮腫を来す疾患、水頭症等がある。頭蓋内圧亢進が進むと、脳ヘルニアをきたす。
(イ) 症状として、自覚的には、①頭痛、②嘔吐、③視力障害の三主徴があげられる。他覚的には、④うっ血乳頭、⑤髄液圧亢進、⑥外転神経麻痺(一側又は両側)、⑦意識障害、⑧徐脈、⑨血圧上昇、⑩その他がある。
①について、深部痛でキリキリする又は鈍痛を訴える。②について、食事に無関係に、また、他の消化器疾患の症状なく、悪心を伴わず噴出する。嘔吐が終わると頭痛は緩解し、また食べられる。⑦について、テント切除ヘルニアにより惹起され、進行すると呼吸型が正常からチェーンストークス型の周期性呼吸、持続性の中枢性神経原性過換気等へと変化し、JCS(内容については後記エ参照)で二~三桁の意識障害を見る。ただし、緩徐進行性の場合は、軽い意識障害や精神障害を伴い、患者の自覚症状である頭痛や複視、視力低下などが訴えられないことがある。
(ウ) 頭蓋内圧亢進に対する緊急処置として、脳圧を下げるための高張液(マニトール、グリセオール)の投与、ステロイド療法、バルビタール療法、脳室ドレナージや除圧開頭術といった外科的療法、血圧管理、呼吸管理、及び全身けいれんの予防等がある。
イ 脳ヘルニア
脳ヘルニアとは、頭蓋内占拠性病変(腫瘍、血腫、膿瘍など)、脳浮腫、頭蓋内血管床の増大、又は水頭症などを原因として、容積が増加したり占拠性病変で圧排された脳組織の一部が、頭蓋内腔の区画を越えて移動・突出する病態である。
脳ヘルニアは、著しい頭蓋内圧亢進状態で生じ、全ての頭蓋内圧病変の最終病態である。脳ヘルニアの進行とともに、脳幹が傷害され、意識障害、除脳硬直、呼吸障害が出現し、最終的には血圧低下、呼吸停止を来し、死亡する。
ウ 頭痛
頭痛には一次性頭痛と二次性頭痛がある。二次性頭痛は基礎となる疾患の症状として頭痛を呈するものであるが、一次性頭痛は他に基礎疾患がなく、頭痛を呈するものである。
日常の頭痛診断では、他疾患に由来する頭痛(二次性頭痛)を一次性頭痛から鑑別することが重要である。最も重要な点は、クモ膜下出血のような生命の危険を伴う二次性頭痛を見落とさないことである。頭痛患者には、問診、一般身体的ならびに神経学的診察をきちんと行う必要がある。特に急性発症で局所神経学的所見や意識障害などを伴ったり、発症時に嘔吐や失神がみられた場合には注意が必要である。発熱を伴う頭痛患者では髄膜刺激症状(頭痛や嘔吐とともに、項部硬直、ケルニッヒ徴候、ブルジンスキー徴候といった診察所見上の徴候が含まれる。細菌性髄膜炎やクモ膜下出血で最も著明に認められる。)を診察するとともに、髄膜炎や脳炎が疑わしい場合は、脳の画像検査と髄液検査を施行する。
エ 意識障害の分類
意識障害レベルの分類のうち、我が国で最も広く用いられている方法としてJCS(Japan coma scale。以下単に「JCS」という。)があり、国際的に広く用いられている方法としてGCS(Glassgow coma scale。以下単に「GCS」という。)がある。
JCSは、意識障害が疑われる症例に遭遇した場合、まず①自発的に覚醒しているか、②刺激すると覚醒するか、③刺激しても覚醒しないかの三群に分ける。その上で、それぞれの群を①の場合は簡単な質問、②の場合は覚醒に要する刺激の強さ、③の場合は痛み刺激に対する運動反応具合により、さらに三段階に分け、合計九段階に区分する。意識障害のレベルが上がるにつれて、数値も上かっていく(①については一桁、②については二桁、③については三桁の数字となる)。
GCSは、意識レベルを開眼、言葉および運動による応答具合の三項目に分けて表現しようとするものである。開眼の度合いを四段階(Eを頭につけたスコアで表現)、言葉による応答を五段階(Vを頭に付けたスコアで表現)、運動による最良の応答を六段階(Mを頭につけたスコアで表現)に分け、意識障害のレベルが上がるにつれて、スコアが下がっていく。
二 争点
(1) 本件搬送時の検査義務違反の有無
(2) 本件退院時の検査義務違反又は経過観察義務違反の有無
(3) 因果関係の有無
(4) 損害
三 争点に対する当事者の主張
(1) 争点(1)(本件搬送時の検査義務違反の有無)について
ア 原告の主張
(ア) 本件搬送時のAの状態と本件医師の認識
Aは、本件搬送時、頭痛に伴う食事と関連性のない嘔吐をしていた。Aの下痢の症状は、誰も直接確認していないし、Aやその家族が訴えたこともなく、存在しなかった。
被告病院でAの診察を行った本件医師は、このようなAの状態を認識していた。特にAの頭痛に関しては、第一通報及び第二通報で嘔吐・下痢・頭痛の症状があることは被告病院に伝わっていること、Aを被告病院に搬送した救急隊員も、BやCから聞いたAの症状(頭痛が伴う嘔吐)を伝えていること、Cが本件医師に対しAが以前に頭痛及び嘔気で救急搬送されたM病院で出された薬について話していること、及び本件医師がカルテ上に「片頭痛」と記載していることからすれば、Aの頭痛が本件医師に伝わっていたことは明らかである。
被告らは、救急車での搬送中及びAへの問診においてA自身が「頭痛はない」と否定したかのように説明しているが、実際Aは救急車から病院での問診までぐったりした状態であり、回答はできなかったし、本件医師は、Cに対して当日のAの頭痛の有無や経過について一切聞こうとしていない。
これらのことからすれば、本件医師の医療行為としての問診が不十分でAが明らかに呈していた「頭痛と嘔吐」の併存という症状経過を見落としてしまったことは明らかである。
なお、Bは、本件医師のネームプレートに「E」という名称が記載されていたと記憶していること、本件医師がB及びCへの説明の際に用いた方言を被告Y医師が用いないことからすれば、本件医師は被告Y医師とは別人である。そして、本件医師と被告Y医師が別人であれば、Aを診察していない被告Y医師がカルテを作成したこととなり、被告らの主張に重大な疑義が生じる。
(イ) 本件搬送時の検査義務
小児患者において頭痛の他に嘔吐が認められる場合には、頭蓋内圧亢進を疑ってCT検査を実施すべき義務がある。そして、前記(ア)のとおり、Aは、本件搬送時に、頭痛に伴い食事と関連性のない嘔吐をしており、頭蓋内圧亢進の疑いを否定できる所見もなかったのであるから、本件医師には、Aの頭蓋内圧亢進を疑って、CT検査を実施すべき義務があったのに、本件医師はこれを怠った。
なお、Aの頭痛が、平成二一年八月下旬頃から頭痛の症状を訴えており初発でなかったこと、一過性であったこと、又はAに神経学的所見、ケルニッヒ徴候若しくは項部硬直が認められなかったことは、頭蓋内圧亢進を疑わなくて良い根拠にはならない。また、前医は「片頭痛が疑わしい」とカルテに記載し、確定的判断を留保していること、片頭痛により夜間に覚醒することはほとんどないことからすれば、安易にAの頭痛を片頭痛であると診断すべきではなかった。また、頭蓋内圧亢進において、頭痛は嘔吐が終わると寛解するとされているのであるから、仮に本件搬送時にAの頭痛症状が消失していたとしても、Aの頭痛及び嘔吐の情報を得た後にAの頭痛の症状が消失したことを認めたのであれば、頭蓋内圧亢進を疑うべきであった。
イ 被告らの主張
(ア) 本件搬送時のAの状態と本件医師の認識
本件搬送時のAの主症状は嘔気・嘔吐・下痢の消化管症状であり、本件搬送時には頭痛症状は治まっており、意識障害その他の神経学的所見もなかった。なお、Aの対応に当たった被告病院の医師(本件医師)は被告Y医師である。
救急司令室からは、第一通報ではAの症状の一つとして頭痛が挙げられていたが、第二通報では頭痛の報告がなく、被告Y医師が救急隊員から受けた引継ぎでも頭痛の訴えはないというものであった。Aは被告Y医師に対して頭痛症状はないと説明しており、Aの家族も被告Y医師や看護師に対し、強い頭痛の症状を訴えていない。したがって、仮に原告の主張のとおり、本件搬送時、Aに強い頭痛があったとしても、被告Y医師には認識できず、当該症状を前提とした診断を下すことはできない。
(イ) 本件搬送時の検査義務
前記(ア)のとおり、被告Y医師に伝わったAの症状からすれば、Aの主病は消化管症状であって、頭痛症状はこれに付随するものと診断されるのであって、被告Y医師には、頭蓋内圧亢進を疑って、CT検査を実施すべき義務はなかった。
Aは、遅くとも平成二一年八月下旬頃から、頭痛の症状を訴えており、その頭痛について他病院で片頭痛という診断を受けていたのであるから、片頭痛では説明できない頭痛や随伴症状が生じていなければ、片頭痛以外の原因検索をする必要はない。しかるところ、Aが被告病院を受診した時点では既に頭痛症状は治まっていて存在せず、Aは激烈な頭痛症状を訴えていない。
また、頭蓋内圧亢進に伴う嘔吐は、食事に関係なく、他の消化器疾患の症状なく、悪心(嘔気)を伴わず噴出する態様となるものであるが、Aの嘔吐症状は、食事と関連性があり、下痢という消化管症状を伴うもので、嘔気を訴えてからの嘔吐で噴出する態様でもなかったことからすれば、頭蓋内圧亢進は否定的に考えられる状況であった。
(2) 争点(2)(本件退院時の検査義務違反又は経過観察義務違反の有無)について
ア 原告の主張
(ア) 検査義務違反
Aは、点滴終了後、頭が痛いと言いながら起き上がり、被告病院の玄関で再度嘔吐し、自ら歩行することさえ困難な状態に陥っていた。このことからすれば、本件医師には、本件退院時において、Aに意識障害が発症していたことを疑い、頭蓋内圧亢進を疑って、速やかにCT検査などの検査や脳圧のコントロール等を実施すべき義務があったのに、本件医師はこれを怠った。
(イ) 経過観察義務違反
救急外来の処置後、補液や鎮吐薬で全身状態が改善、自覚症状が消失してもなお重大な疾患が隠れていることも少なくないことが留意されるべきであり、症状が治まっても原因が確定できない、何となく元気がない、軽微な検査異常があるなど気になることがあれば、入院させて症状、検査の経過を観察するべきである。
Aは、本件搬送時から嘔吐していたが、点滴終了後、頭痛を訴え、再度嘔吐し、下痢の症状は存在していなかった。そうすると、Aは、本件退院時において、ウイルス性の急性胃腸炎では説明のつかない症状であった。そして、Aは、本件退院時において、歩行にふらつきがみられ、被告病院の玄関脇に置かれていた四輪電動車椅子に座ってハンドルを支えにうつ伏せとなり、Bが抱き起そうとしても起き上がらず、B、C及び被告病院の看護師の三人がかりで自家用車に運び込まれる状況で、単なる熟睡例ではなく意識障害下にあるものと判断され、重篤な何らかの疾患を疑うべき状況であった。
この状態を現認したのは、本件医師ではなく被告病院の看護師であるが、診療契約において医師が行うべき法的義務は、医師が最善を尽くして本来行うべき治療を適切に行うというものであり、被告病院の看護師は、患者の帰宅の可否に関わるAの症状に係る情報を本件医師に適切に伝えるべき義務があったし、本件医師としては、自らAを診察することなく、看護師に帰宅までのAの観察を委ねている以上、同看護師に対して、帰宅の可否に関して本件医師に提供すべき情報を指示する義務があったというべきである。
これらのことからすれば、本件医師には、Aを入院させて、症状、検査の経過を観察すべき義務があったのに、本件医師はこれを怠った。
イ 被告らの主張
Aは、点滴終了時点までの経過において、上記(1)イで主張したとおり、頭蓋内疾患を疑わせる症状所見がなく、消化器症状を訴える患者として理解される状況であった。Aは、点滴終了後の帰宅準備を行っている段階では、声掛けに反応して動作を行うなどしており、言葉の意味を理解し、これを踏まえて行動に移すことができているのであり、何らの神経学的な異常も来しておらず、頭蓋内疾患を示唆するような意識障害があったとはいえない。さらに、Aは、ベッドから自力で起き上がり、自力歩行で被告病院の玄関まで達していた。
このような経過を前提とすると、Aが、被告病院から帰宅しようとする時点で、玄関で嘔吐し、四輪電動車椅子に座り込み、ハンドルにうつ伏せていたことについて、あえて頭蓋内疾患を疑うべき必要性はなく、極度の疲労感から熟睡したものと判断される状況であった。すなわち、Aは、救急車を要請するほどの嘔吐下痢症状に見舞われていたのであるから、強い疲労感があったと考えられ、Aに対する点滴の終了時刻は、強い眠気に襲われる時間帯である午前三時三〇分頃であり、速効性に全身状態を改善する効果を有するものでもなかった。また、Aの呼吸が不規則であったり、チェーンストークス呼吸を呈していたりといったことはなく、除脳姿勢及び除皮質姿勢といった頭蓋内圧亢進に随伴する意識障害もなかった。これらのことからすれば、Aに頭蓋内圧亢進を示唆するような所見は何ら呈されておらず、玄関先で疲労感から熟睡したものと判断される状況であったものである。
したがって、この時点で、Aが頭蓋内病変やその他の入院による精査・観察を要する症状を呈していると判断すべき状況にはなく、被告らに検査義務や経過観察義務はない。
(3) 争点(3)(因果関係の有無)について
ア 原告の主張
上記(1)アのとおり、Aは、本件搬送時に、頭蓋内圧亢進が疑われる状況であり、Aの死亡後の平成〇年〇月〇日午後一時五一分のCTにおいて頭蓋内にのう胞が存在していたことからすれば、Aには本件搬送時に頭蓋内圧亢進が生じていた可能性が極めて高い。また、Aは、同日午前八時頃の時点で、家族によって、その生存が確認されていることからすれば、被告病院から退院した時点でその脳幹に激烈に不可逆的な変化が生じていたとする根拠はない。
本件において、被告病院ではCT等の撮影を行い、頭蓋内圧亢進に対する治療として高張液(マニトール、グリセオール)の投与や脳室ドレナージ・除圧開頭術によって脳圧をコントロールすることができ、Aが同日午前八時頃の時点で、その生存が確認されていることと併せ考えれば、同日午前三時三〇分頃の帰宅時点において、必要な検査及び必要な内科的又は外科的な対応が採られていれば、Aを救命することができた高度の蓋然性があるといえる。
イ 被告らの主張
(ア) 救命可能性は不明であること
上記(2)イで主張したとおり、Aは、本件退院の時点で、疲労困憊のあまり眠り込んでいたと判断される状況であり、帰宅後にのう胞内出血が生じた可能性もある。また、頭蓋内圧亢進を来した場合、噴出性の嘔吐や強く持続的な頭痛の訴えがあるとされるが、Aには被告病院においてそのような症状が存在していなかった。
これらのことからすれば、Aがどの時点でのう胞内出血を生じたかは不明であり、救命可能性も不明である。
(イ) 被告病院在院中にのう胞内出血が生じていた場合
仮に被告病院在院中にのう胞内出血が生じていた場合、Aには、頭蓋内圧亢進が急激に生じて進行した上、本件退院時には既に不可逆的な脳幹障害が生じていたと考えられ、医療的介入によってもAの死亡を避けることはできなかった。
すなわち、Aの頭蓋内圧亢進の進行の程度については、頭蓋内圧亢進において、噴出性の嘔吐や激烈な頭痛の訴えが特徴的であるにもかかわらず、Aにはそのような症状がなかったことからすれば、脳幹が働きかけを受けて嘔吐中枢が刺激を覚えたり、痛覚が働いたりする間もなく、頭蓋内圧亢進が激烈に進行したものと考えられる。
また、脳幹に不可逆的な変化を来すと、どのような治療を行っても予後が悪いとされている。そして、意識障害が生じた場合には既に脳幹に障害が発症していると考えられるが、Aの本件退院時の症状が、単なる疲労困憊ではなく意識障害であるとすると、脳幹障害に起因する神経症状と考えられ、既に不可逆的な状態に至っていたといえる。
そうすると、仮にAが被告病院在院中にのう胞内出血を生じていたとしても、治療を行っても予後不良であり、救命可能性はなかった。
なお、マニトールは、急性頭蓋内血腫の患者に対する投与が禁忌とされており、そもそも治療に用いることはできない。また、グリセオールは半数以上の症例に効果が得られていない。さらに、脳室ドレナージや除圧開頭術等の外科的処置が可能であったことの根拠はない。加えて、仮に平成〇年〇月〇日午前八時においてAの体が温かかったとしても、脳ヘルニアによって直ちに絶命するわけではないから、救命可能性の根拠とはなり得ない。
(ウ) 本件退院後にのう胞内出血が生じた場合
仮に本件退院後にのう胞内出血が生じた場合、被告Y医師がAを帰宅させず入院させていれば、被告病院内でのう胞内出血を来したことになる。しかし、上記(2)イのとおり、Aの本件退院時の症状は、疲労感から熟睡したものと判断される状況であったから、仮に入院させたとしても厳重な観察にはならないから、のう胞内出血が生じたタイミングでこれを発見し治療につなげることは不可能である。したがって、救命可能性はなかった。
(4) 争点(4)(損害)について
ア 原告の主張
(ア) 逸失利益 三七七一万一五二七円
計算式 五二九万八二〇〇円(基礎収入)×〇・五(生活費控除)×一四・二三五六(ライプニッツ係数)
(イ) 慰謝料 二四〇〇万円
(ウ) 葬儀費用 一五〇万円
(エ) 原告固有の慰謝料 二〇〇万円
(オ) 弁護士費用 六五二万一一五二円
(上記(ア)から(エ)までの一割相当)
(カ) 上記(ア)から(オ)までの合計 七一七三万二六七九円
イ 被告らの主張
原告主張の損害は争う。
第三 当裁判所の判断
一 認定事実
前記前提事実、後掲証拠《略》及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。
(1) 被告病院への受診以前の診療経緯
ア Aは、平成〇〇年(以下、同年の出来事について、年の記載を省略する。)六月、嘔吐・頭痛の体調不良により、O医院を受診し、片頭痛と診断された。
イ Aは、九月二一日夜、頭痛を訴えるとともに嘔吐し、Cの要請により、M病院に救急搬送され、点滴と血液検査を受けて帰宅し、同月二五日の外来再診時に、起立試験を受けるなどした。M病院の医師は、Aの頭痛の原因がOD(起立性調節障害)であるとは考え難く、経過からは片頭痛が疑わしいとして、次回の受診を一箇月後とした。
(2) 本件搬送と被告病院での診療経緯
ア Aは、〇月〇日深夜、複数回嘔吐し、下痢をした。
Dは、同月四日(以下、同日の出来事について、日にちの記載を省略する。)午前〇時二八分頃、一一九番通報を行った(第一通報)。その際、Aの症状として「えーとですね、子供がちょっと吐きまして、あと頭が痛いと」、「本人、服脱いで、トイレに入って、あのー、オーバーしている」、「吐きながら…下痢している」、「で頭が痛い」、「はい?発熱、いまちょっとわからない、この前も救急車だったのですが、またおかしいんで」と伝えた。第一通報の最中、Aは、「頭が痛いよお」と声をあげた。
Cは、午前〇時〇分頃、二度目の一一九番通報を行った(第二通報)。その際、Aの症状として「実は、子供中学生がこないだもM病院にかかったんですけど、具合悪くて」と伝えた。
イ 午前〇時〇分頃Aの自宅に到着した救急車の隊員は、Dの案内でトイレに行き、Aがズボンとパンツを下ろして便座に座っているのを現認した。同隊員が、「立てますか」と声をかけたところ、Aは、返事はしなかったものの、自分で立ち上がってズボン等を上げた。
Aが救急車に乗車した後、救急隊員に対し、Cは、M病院では片頭痛という診断結果であった旨を話し、Dは、Aが最近よく頭痛を訴える、かかりつけのM病院は個人経営の病院で不安がある、公的な病院に搬送してほしい旨を話した。
救急隊員は、直近の総合病院にAの症状を伝えて収容依頼をしたが、小児科領域であるとして断られたことから、小児科の当番であった被告病院に収容依頼をし、了解を得て、午前〇時五二分頃、被告病院に向けて救急車を出発させた。
その際、Cが救急車に同乗し、Bが自家用車を運転して後に続いた。
なお、Aは、午前〇時〇分の時点で、意識レベルがE4、V5、M6、JCSで0、呼吸が一八回/分、脈拍が五〇回/分、血圧が一六一/七八、SpO2が九八%、瞳孔が左右共に三mm、対光反射が正常であり、午前〇時五五分の時点で、意識レベルがJCSで0、呼吸が一八回/分、脈拍が六三回/分、血圧が一二七/五四、SpO2が九七%の状態であった。
ウ Aは、救急車での搬送中、救急隊員から頭が痛いかと尋ねられ、首を振り、気持ちが悪いと答え、嘔気を示したが、嘔吐はしなかった。
また、Cは、救急隊員からAの既往について尋ねられ、M病院からの処方薬があること、Aが同病院を受診した際の傷病名は不明であるが、ホルモンバランスの関係があると言われたと答えた。
これらの聴取の結果、救急隊員は、搬送先病院に交付する傷病者情報連絡票の「事故発生内容等」の欄には、「19:00頃より嘔気、下痢、五回程嘔吐したもの(食物残渣等)」と記載し、「身体所見【特記事項】」の欄にいったん記載した「変(ママ)頭痛」の文字を二重線で消し、その脇に「ホルモンバランス等」と書き加えた。
エ 被告Y医師は、松本広域消防局救急指令室から被告病院の当直に対して、嘔吐、下痢、頭痛の症状がある男子中学生(A)の収容要請があった際、たまたまその場におり、電話口で看護師が復唱しているのを聞いて、要請内容を理解し、受入れを指示した。その後、被告Y医師は、Aの自宅に到着した救急隊員から被告病院の当直に対し、意識レベルやバイタルサインについては問題がなく、主症状は嘔吐、下痢というものであるとの連絡があったのも聞いていた。
Aを乗せた救急車は、午前一時一六分頃、被告病院に到着し、救急隊員は、眠っている様子のAの乗ったストレッチャーを救急室内に運び入れ、看護師のF(F看護師)とともに、Aを救急室内のストレッチャーに移乗させ、F看護師は、他の看護師とともに、Aのバイタル測定を行い、特に異常のないことを確認した。
被告Y医師は、Aの乗ったストレッチャーとともに救急室内に入りつつ、救急隊員から、前日午後七時頃から嘔気があり、午前〇時三〇分頃から嘔吐、水様下痢のあること等の引継ぎを受け、その際、当初の救急指令室からの収容要請において嘔吐、下痢、頭痛の症状があるという話であったことについて、嘔吐、下痢とくれば次は腹痛かと思われるのになぜ頭痛なのかと違和感を感じていたことから、救急隊員に対し、頭痛について尋ねたが、救急隊員は、そういう訴えはなかった旨を述べた。
なお、Bは、Aが被告病院の救急室内に入った後、被告病院に到着した。
オ 被告Y医師は、Aに声をかけて目を覚まさせ、Aは、被告Y医師から聞かれて、今は吐き気はない、おなかも痛くないと答え、さらに被告Y医師から「頭痛は」と聞かれて、「痛くない」と答えた。
被告Y医師は、その後午前一時四三分頃までに、Aの聴診や触診をし、脱水症状に陥っていないかを確認したほか、当初頭痛という話があったことに関し、外傷性クモ膜下出血をある程度除外するために項部硬直及びケルニッヒ徴候をみたが異常はなく、主症状は嘔気、嘔吐、下痢であり、頭痛の症状は消失していることなどから、Aがウイルス性の急性胃腸炎であると判断し、吐き気止めの坐薬を入れて整腸剤を処方することにした。
これに前後して、Cは、救急室内に呼び入れられ、被告Y医師から、来院経過を尋ねられ、頭痛や嘔吐で二、三回ほどM病院を受診して検査をしたが、思春期のホルモンバランスが安定しないための症状か、片頭痛だろうといわれた旨を答え、被告Y医師は、Aの頭痛症状は一過性の片頭痛によるもので、特段の治療の必要性はないと判断した。
F看護師は、被告Y医師の指示により、Aに坐薬を挿肛したが、肛門周囲が汚れており、これを見た他の看護師が、「下痢をしていたんだね」と述べた。
Aは、坐薬の挿肛を受けた後、「気持ち悪い」と言って、嘔吐した。
被告Y医師は、Aの症状がまだ改善していない可能性を考え、血液検査をし、点滴をして、しばらく経過をみることとした。
F看護師は、他の看護師とともに、Aに静脈留置針を入れて採血をした後、点滴を開始し、Aは処置室に連れて行かれ、そこで眠った。
カ 被告Y医師は、点滴の開始前に救急室を出て病棟で入院児の対応をしていたが、その後、電子カルテで血液検査上Aに異常所見のないことを確認し、午前三時二三分頃、Aの点滴が終わり、嘔吐等の症状がないことをF看護師から聞いたため、Aの帰宅を許可した。被告Y医師が、眠っていたAに声をかけて起こしたところ、Aは「頭痛い」と言いながら起き上がった。被告Y医師は、Aの点滴の抜針前後に処置室から退室し、F看護師がその後のAの対応をした。
Aは、F看護師の「針を抜くとき痛いよ」という声掛けに頷き、抜針した部位の酒精綿を抑え、ベットから自力で降り立ったが、その際言葉を発する元気はなく、歩き始めても足元がふらつく様子であった。
F看護師は、前日、Aの通う中学校で文化祭が行われたと聞いており、Aの様子は眠気によるものと考え、Cとともに、Aの両脇から腕を組むようにして歩いた。
Aが被告病院の玄関付近まで来たところで「吐きっぽい」と述べたため、F看護師は、救急室にガーグルベースやティッシュを取りに行った。F看護師が戻ってきたところ、Aは、玄関の風除室に置かれていた四輪電動車椅子の座席に座り、ハンドルを支えにしてうつ伏せになっており、その足元には嘔吐の跡があった。BがAを自家用車に乗せるために抱き起そうとしたが、Aは、上記座席に座ったまま動かず、B、C及びF看護師によって自家用車の中に運び入れられて、自宅に向かった。
(3) 本件退院後の診療経緯
ア B、C及びAは、午前五時頃、自宅に到着した。Aは後部座席に横になっており起こそうとしても反応がなく、B及びCは、Aの体を持ち上げて自宅に連れて行くことができなかったため、毛布と枕を自家用車に持って行き、Aの体を毛布で温めた上で自宅に戻り、何度か自家用車にAの様子を見に行った。
イ Bが午前一〇時半頃Aの様子を見に行ったところ、Aは顔面蒼白でチアノーゼが出ており息もしていなかったため、Bは再び救急車を呼んだ。Aは、午前一一時三五分頃、長野県立N病院へ搬送されたが、既に心肺停止状態にあり、午後〇時三〇分頃、死亡が確認された。
二 事実認定についての補足説明
(1) 原告は、被告病院でAの診察をした本件医師が被告Y医師でない可能性があるかのように主張するが、その根拠となるのは、本件医師のネームプレートに「E」という名があったとするBの陳述書及び証人尋問時の供述以外にないこと、そのBの陳述書や供述においても、本件医師のネームプレートの記載に気付いてこれを記憶していた理由は何ら明らかにされていないこと、被告病院のカルテ上、被告Y医師がAを診察した旨が記載されているところ、その記載の信用性を疑わせるような事情のあることを認めるに足りる証拠はないこと、さらには、原告自身も、「E」という医師(被告Y医師本人によれば、被告病院には、被告Y医師に外見の似ている「E」姓の医師が在籍していたものと認められる。)でなく、被告Y医師を相手に本件訴訟を提起していることから、Aの診察をした本件医師が被告Y医師であることは明らかであり、原告の上記主張は採用できない。
(2) 原告は、Aに下痢の症状がなかったと主張し、Dは、証人尋問に際し、第一通報においてAが吐きながら下痢をしていると伝えたのは、Aがトイレに入っていることからそのようなことが念頭に浮かんだものであり、下痢はみていないと供述するが、Dの供述によっても、第一通報前にトイレで便器に向かって吐いていたというAは、救急隊員の到着時には、ズボンとパンツを下ろして座っていたというのであるから、当時、便意を催していたことは明らかであり、そのことと、第一通報の内容及び被告病院においてF看護師らが肛門周囲の汚れを見ていること(上記一(2)オ)に照らし、Dは、Aが下痢をしていることを見聞きしていたことからその旨を第一通報において通報したものと窺われ、原告の上記主張は採用することができない。
(3) 原告は、第一通報及び第二通報、救急隊員からの伝達、Cの本件医師に対する話、被告病院のカルテ上の「片頭痛」との記載からすれば、Aの頭痛が本件医師に伝わっていたことは明らかである、Aが救急車での搬送中や被告病院での問診時に頭痛を否定したことはないなどと主張するところ、確かに、被告Y医師には、救急指令室からの被告病院に対する収容要請に際し、患者が嘔吐、下痢、頭痛の症状がある男子中学生である旨が伝わっているが(上記一(2)エ)、それは、その後の救急隊の被告病院の当直への連絡及び被告Y医師への引継ぎ並びに被告Y医師のAに対する問診の中で、頭痛の訴えがなかったということ(同エ、オ)と矛盾するものではないし、Cが第二通報や被告Y医師に対する話の中でM病院での受診状況を話し(同ア、オ)、被告病院のカルテに「既往歴:片頭痛あり」との記載があるのも、そのような既往があることを示すものに過ぎない。
BやDの陳述書及び証人尋問時の供述中には、自宅に来た救急隊員に対し、Dが再三にわたってAに頭痛のあることを指摘したかのようにいう部分があり、Cの陳述書及び証人尋問時の供述中には、Aは救急車内では喋らなかったという部分があるが、Aは二箇月ほど前から頭痛を訴えてO医院やM病院を受診し、特にM病院には救急搬送されているのに、いずれも片頭痛ないし片頭痛が疑わしいと診断されるに止まっており(上記一(1))、その事実に照らし、Aの家族がAの頭痛の訴えに重大な危険を感じなかったとしてもやむを得ない状況にあったというべきであること、現に、Dの第一通報は「子供がちょっと吐きまして、あと頭が痛いと」などというものであって(上記一(2)ア)、頭痛がAの主症状であるとは訴えていないこと、その当時Aが第一通報の際に頭痛を訴えたほかに言葉や仕草で頭痛を訴えたとの主張立証のないこと、さらには、松本広域消防局に対する調査嘱託の結果や傷病者情報連絡票の記載に照らすと、Dが救急隊員に対し再三にわたってAに頭痛のあることを指摘したとは認められず、むしろAは、救急搬送中に頭が痛いかと尋ねられて首を振ったものと認めるのが相当である。
Bの陳述書には、BとCの夫婦がみる限り、医師がAから話を聞いたことはない旨の記載があるが、同陳述書及びCの陳述書によっても、B及びCは、Aが被告病院の救急室内に入った後しばらくは外の廊下で待機していたというのであり、また、医師が救急搬送された患者からその症状を聞くことできない場合に、付添いの者がいるのにその者から患者の症状を聞くということもしないというのは、いささか考え難いことであるから、被告Y医師は、B及びCが外の廊下で待機している間にAからその症状を聞き、頭痛のないことを確認したもの(上記一(2)オ)と認めるのが相当である。
三 争点(1)(本件搬送時の検査義務違反の有無)について
(1) 原告は、本件医師(被告Y医師)には、頭蓋内圧亢進を疑ってCT検査を実施すべき義務があったと主張する。
(2) 前提事実(3)アのとおり、頭蓋内圧亢進の症状としては、頭痛、嘔吐、意識障害等がある。
Aは、第一通報時に頭痛を訴えており(上記一(2)ア)、そのことは、救急指令室から被告病院の当直に対する収容要請の際に、被告Y医師に伝わっている(同エ)ものの、Aの頭痛は、本件搬送時には消失し(同ウ)、被告Y医師が問診をした際にも消失したままであった(同オ)。
なお、被告Y医師は、Aに対し、外傷性クモ膜下出血をある程度除外するために、項部硬直及びケルニッヒ徴候(前提事実(3)ウ)を確認したが、Aに異常はなかった(上記一(2)オ)。
また、頭蓋内圧亢進の際の嘔吐は、他の消化器疾患の症状なく、悪心を伴わず噴出するものであるが(前提事実(3)ア(イ))、Aは、第一通報前には下痢をしており(上記一(2)ア)、本件搬送時に気分の悪さ、嘔気を訴えているほか、救急隊員は、当日午後七時頃から嘔気があり、五回程嘔吐としてと聞いているところ(同ウ)、被告Y医師は、救急隊員から、Aに嘔吐のほか、嘔気、下痢のあることの引継ぎを受けている(同エ)。
本件搬送前及び本件搬送開始直後のAの意識レベルは、GCS、JCSのいずれも最も意識障害の程度の低い数値を示しており(前提事実(3)エ、上記一(2)イ)、Aは、自宅に来た救急隊員の「立てますか」との声掛けに応じてトイレから立ち上がり(同イ)、本件搬送時には救急隊員に気分が悪いと話している(同ウ)。そして、被告Y医師は、本件搬送時には救急隊員から意識レベルについては問題がない旨を聞いており(同エ)、Aからも頭痛の有無等を聞いている(同オ)。
以上のほか、被告Y医師がAを診察した際に頭蓋内圧亢進を疑わせる症状のあったことを認めるに足りる証拠は存在しない。
(3) 上記(2)のとおり、被告Y医師は、Aに頭痛があるとの情報を得ていたものの、Aの診察時には、その頭痛は消失しており、また、救急隊員から被告Y医師に引継ぎがなされたAの嘔吐は、嘔気、下痢を伴うものであり、頭蓋内圧亢進の際の典型的な嘔吐とは異なるものであった。
さらに、被告Y医師が、M病院でAの症状は思春期のホルモンバランスが安定しないためか片頭痛だろうと言われた旨をCから聞いていること(上記一(2)オ)に照らすと、被告Y医師がAはウイルス性の急性胃腸炎であり、その頭痛症状は一過性の片頭痛によるものと判断したこと(同オ)が医学的に不相当なものであったとはいえず、被告Y医師が頭蓋内圧亢進を疑い、CT検査を行うべきであったとは認められない。
したがって、原告の上記(1)の主張は採用することができない。
四 争点(2)(本件退院時の検査義務違反又は経過観察義務違反の有無)について
(1) 原告は、本件医師(被告Y医師)には、本件退院時の意識障害の発症を疑い、頭蓋内圧亢進を疑ってCT検査等を実施すべき義務があったと主張する。
しかし、Aが点滴終了時に被告Y医師に声をかけられ「頭痛い」と言いながら起き上がったこと(上記一(2)カ)については、上記三(3)に説示のとおり、被告Y医師がAの頭痛症状を一過性の片頭痛によるものと判断したことが医学的に不相当なものであったとはいえない以上、この段階でのAの上記発言のみから改めて頭痛の原因を検討すべきであったとは認められない。
また、後記(2)のとおり、被告Y医師がその後の本件退院時の状況を知り又は知り得べきであったとは認められない。
そうすると、仮に、Aが本件退院時に意識障害を発していたとしても、被告Y医師が頭蓋内圧亢進を疑い、CT検査等を行うべきであったとは認められず、原告の上記主張は採用することができない。
(2) 原告は、Aの症状はウイルス性の急性胃腸炎では説明のつかないものであり、また本件退院時にAは意識障害下にあったから、本件医師(被告Y医師)には、Aを入院させて経過観察をすべき義務があったと主張する。
しかし、上記三(3)に説示のとおり、被告Y医師がAはウイルス性の急性胃腸炎であると判断したことが医学的に不相当なものであったとはいえない。
本件退院時のAの様子については、被告Y医師の面前では、帰宅を許可した後、「頭痛い」という発言のほかにAに異常があった形跡がなく、その発言のみから改めて頭痛の原因を検討すべきであったとは認められないことは上記(1)に説示したとおりであるから、被告Y医師が異常事態の発生を予測し得たということはできず、また、異常があればBやCからその旨の申告がなされてもおかしくはないことを併せ考慮すると、被告Y医師がF看護師に対してAの様子を報告するように指示すべきであったとは認められず、F看護師が被告Y医師に対してAの様子を伝えるべきであったとも認められない。
なお、F看護師は、本件退院時のAの様子は眠気によるものと考えた(上記一(2)カ)ものであるところ、そのように考えたこと自体が誤りであり、不適切なものであったことを認めるに足りる証拠はない。
そうすると、仮に、Aが本件退院時に意識障害を発症していたとしても、被告Y医師がそのことを知り又は知り得べきであったとは認められず、経過観察をしたのみでAの脳ヘルニアの発生を防げたとも考えられないことから、原告の上記主張は採用することができない。
第四 結論
よって、原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がないからこれをいずれも棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 石橋俊一 裁判官 菅野正二朗 馬渡万紀子)
横浜地方裁判所 平成25年(ワ)第1181号 平成29年6月8日