心臓手術中に人工心肺装置の送血ポンプのチューブの損傷で空気が混入し、患者が脳梗塞で脳機能障害が残存した事案。原因はポンプの構造にあるとしてメーカーの過失による不法行為責任が認められた事例
千葉地裁 平成13年3月30日
平成9年(ワ)第1510号
主 文
一 被告〇〇株式会社は原告に対し、金一億二六四五万七七六二円及びこれに対する平成七年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告の被告〇〇株式会社に対するその余の請求及び被告〇〇市に対する請求はいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告に生じた費用の二分の一と被告〇〇株式会社に生じた費用はこれを四分し、その一を原告の、その三を被告〇〇株式会社の負担とし、原告に生じたその余の費用と被告〇〇市に生じた費用は原告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 請求
被告らは原告に対し、連帯して一億六三〇九万三一四四円及びこれに対する平成七年七月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告〇〇市が設置した病院において心臓の手術を受けた際、使用されていた人工心肺装置を構成する送血ポンプ内のチューブに亀裂が生じ、そこから空気が血液に混入して脳梗塞を引き起こし脳機能障害等の後遺障害を負ったのは、右ポンプを操作していた右病院の臨床工学技士の注意義務違反と右装置を製造販売した被告〇〇株式会社(以下「被告〇〇」という)の過失が競合した結果であるとして、被告〇〇市に対しては債務不履行に基づき、被告〇〇に対しては不法行為に基づき、損害賠償を求めた事案である。
一 前提となる事実(証拠摘示のない事実は当事者間に争いがないか、明らかに争わない事実である)〈編注・本誌では証拠の表示は省略ないし割愛します〉
1 当事者
(一) 被告〇〇市は、〇〇市立〇病院(以下「〇病院」という)の設置者である。
(二) 被告〇〇は、昭和〇年に設立された医療器械、器具の製造及び販売などを目的とする株式会社で、人工心肺装置を構成する送血ポンプ「PSΩ-一五〇」を製造し、〇病院に納入していた(以下、〇病院に納入された右ポンプを「本件ポンプ」という)。
(三) 原告は、昭和五〇年〇月〇日生まれの男子である。
2 診療契約
原告は、心臓に「ファロー四徴症」の疑いがあるということで、平成七年六月一五日、〇病院の心臓血管外科外来を受診し、同月二六日に検査入院し、同月二七日に心カテーテル検査を受け、「右室二腔症」(右室流出路狭窄症)と診断され、同月二八日、一旦退院し、同年七月五日、被告〇〇市との間で、右室流出路の異常筋束を切除して狭窄部を拡大する手術(以下「本件手術」という)を施行する旨の診療契約(以下「本件診療契約」という)を締結し、同月一二日、人工心肺装置を用いて本件手術が行われた。
3 人工心肺装置
(一) 人工心肺装置とは、心臓手術などに際し、心血流遮断を安全に行うことを目的とした体外循環に用いる装置で、血液を送り出す心臓の役目をするポンプの部分と、血液に酸素を添加し、これにより炭酸ガスを排除する肺の役目をする人工肺の部分を主とし、その他、貯血槽、熱交換機、吸引ポンプなどの付属装置、これらを生体と連絡するチューブ回路より構成される医療機器である。
(二) 本件手術に際し、人工心肺装置を構成する送血ポンプとして本件ポンプが用いられた。
本件ポンプは、ローラーポンプ型のポンプで、その構造は、別紙(一)記載のとおりであり、ポンプヘッド部のΩ型の周壁と回転ローラーの間に弾性チューブをはさみ、このチューブを回転ローラーでしごいて、弁を用いることなく血液を送り出す仕組になっている。
(三)(1) 本件ポンプには、チューブを挟みつけるようにして固定する締め付けボタンの付いた左右のチューブホルダーと、回転ローラーからチューブが脱落しないようにするために回転ローラーと共に回転するチューブガイドが上下各四本付いていた。
(2) チューブホルダーは、左右対称で同一構造になっているが、右側のチューブホルダーの平面図、立面図は、別紙(二)①記載のとおりであり、くの字型の幅一二ミリメートルの中央部に、逆くの字型の幅五ミリメートルの突起を押し出して挟む構造で、右突起は、本件ポンプヘッドの前面にある締め付けボタンを中央部に引く(或いは押す)ことにより可動し、ラチェットにより後戻りしないラチェット構造になっており、ラチェット数は右が二一、左が二〇であった。ラチェット数については、一ラチェット毎に音が出るので数えることは可能であったが、目盛りがついてはおらず、視覚的にラチェット数を数えることはできなかった。
(3) また、チューブガイドは、別紙図面(二)の最下段記載のとおり、棒状のもので、長さが二六ミリメートル、太さが九ミリメートルで、先端を〇・五ミリメートルの面取り加工したものである。
(四) 本件手術に使用された人工肺は、dideco社製のD七〇三で、縦に、順次、貯血槽、人工肺、熱交換器が一体となったものがホルダーによって固定されていて、機械的なエレベーターで上下させることができるようになっており、生体から貯血槽に導かれた血液は、チューブによって本件ポンプ、熱交換器に、熱交換器は人工肺に接続されていた。本件ポンプの貯血槽から熱交換器の回路に使用されるチューブは二つのコネクターで接続された三本のチューブからなり、貯血槽側出口のチューブは、内径八分の三インチ、長さ六〇センチメートル、熱交換器入口のチューブは、内径八分の三インチ、長さ八〇センチメートル、中間部のチューブは、内径二分の一インチ、長さ五七センチメートルであり、中間部のチューブがチューブホルダーで固定され、かつ、本件ポンプ内で回転ローラーでしごかれる部分となっていた。
4 本件ポンプは、被告〇〇が〇病院に平成五年一〇月一三日に納入したもので、本件事故発生までの間に約一五〇例の手術に使用されたが事故はなかった。
5 事故の発生
本件手術の際、本件ポンプのポンプヘッド内のチューブに上部のチューブガイド(以下、単に「チューブガイド」というときは上部のチューブガイドを指称する)の先端下部が接触し、これが繰り返されたことによってチューブが削られ、ついには亀裂が生じ、その結果、右亀裂した箇所から空気が入り、さらに、血液中に混入した空気が原告の脳に入って空気閉栓を起こし、これによって、原告は脳梗塞となった(以下、右事故を「本件事故」という)。
6 後遺障害
原告は、平成八年八月二〇日、〇病院において脳梗塞による言語障害、右手運動障害等と診断された。
二 争点
1 本件事故の発生について、本件ポンプを製造した被告〇〇に過失があったと認められるか。
2 本件事故の発生について、本件ポンプを操作していた〇病院の臨床工学技士に責に帰すべき事由があったと認められるか。
3 原告の後遺症の程度及び損害額
三 争点についての当事者の主張
1 本件事故の原因及び被告らの責任の有無
(一) 原告の主張
(1) 被告〇〇市の責任
本件手術に際し、臨床工学技士の若岡力(以下「〇技士」という)らが、人工心肺装置の操作を担当したが、〇技士は、原告から十分な脱血を得られるようにし、かつ、輸血用血液節約のために、上下移動可能な構造となっている貯血槽をできるだけ下げて設置した。〇技士は、チューブがチューブガイドに接触しても亀裂が生じることのないように貯血槽を極端に下げず、チューブがチューブガイドに水平に接触するようにしなければならない注意義務があったのにこれを怠り、貯血槽を下げ過ぎたため、チューブがチューブガイドと接触し、これが繰り返されたことにより、チューブに亀裂が生じたのであるから、被告〇〇市は、本件診療契約につき、債務不履行責任がある。
(2) 被告〇〇の責任
被告〇〇は、貯血槽を下げ過ぎることにより、チューブがチューブガイドと接触し、これが繰り返されることによりチューブに亀裂が生ずるおそれがあったのであるから、貯血槽を下げ過ぎると危険であることを手術担当者(医師、技士)に周知させるか、構造上、一定以下に貯血槽を下げることができなくして、チューブがチューブガイドに水平に接触するようにするか、チューブとチューブガイドが接触しても亀裂を生じないチューブを提供する義務があったにもかかわらず、これを怠り、貯血槽を危険領域まで下げられる状態にしてあったのだから、本件ポンプには欠陥があったといえる。
被告〇〇は貯血槽を下げ過ぎるとチューブが破損することは常識であると主張するが、被告〇〇でさえ本件事故が発生して初めてそのことを知ったのであるから、常識であるということはできない。よって、被告〇〇は、欠陥のある本件ポンプを製造販売したことにより原告に損害を与えたのであるから民法七〇九条により不法行為責任を負う。
(二) 被告〇〇市の主張
(1) 本件事故は、本件ポンプに構造上の欠陥があったことが原因で発生したもので、〇技士は本件ポンプの設置を適切に行っており、〇〇市には本件事故の責任はない。
(2) 本件ポンプの欠陥
①医療機器は患者の生命・身体の安全にかかわるもので、他の工業製品にも増して、その安全性を確保することが要請されているのであるから、製造者はこのような製品を設計する際には、患者が損害を被ることのないよう安全性を確保する高度の注意義務を負っている。
②本件ポンプのチューブガイドとチューブは接触することが設計上予定されていたにもかかわらず、チューブガイドの先端部の角は〇・五ミリメートルで面取り加工したものが上下各四本ずつ付いていた。また、本件ポンプのチューブホルダーは固定状況の確認が難しいものであった。
本件ポンプは右のようにもともと事故につながるような性状であるうえ、事故を回避するための設計の変更も容易であったにもかかわらずこれを怠ったことによって本件事故が発生したものである。
このことは、左記の事実からも明らかである。
記
ア 被告〇〇は、本件事故後に、チューブガイドの数を四本から二本に、長さを二六ミリメートルから二七ミリメートルに、太さを九ミリメートルから一二ミリメートルに、先端を〇・五ミリメートルの面取り加工から二ミリメートルのR加工に改良した。また、チューブホルダーについてはより固定効果があがるように、チューブの固定幅を一二ミリメートルから二〇ミリメートルに変更し、増し締め微調機能を追加した。
イ 平成七年七月一九日、〇病院内において、被告〇〇の技術者立ち会いのもと、本件ポンプと同型の別の送血ポンプを使用して行われた他の患者の手術においても、チューブに亀裂の原因となる削れが生じた。
ウ 本件ポンプと同型機について、平成七年四月、被告〇〇の技術者の操作中に本件事故と同様の事故が起きていることからすれば、本件ポンプには通常要求される安全性が確保されていなかったということができる。
エ チューブの長さは被告〇〇の担当者に対して使用状況を見せた上で特別に注文したものである。
(3) 〇〇市の責任についての反論
① チューブの固定ないし装置の取り扱い上の過誤について
ア 本件手術に際し、〇技士が行ったチューブの取付は以下のとおりであった。
a チューブの一方の末端を貯血槽に接続し、本件ポンプのチューブ取付側に立ち、貯血槽からのチューブを本件ポンプの右側のチューブホルダーに通した。
b チューブホルダーの締め付けボタンを力一杯操作してチューブの貯血槽側を固定した。そして、チューブを引っ張って固定されていることを確認した後、チューブの反対側をローラーを回転させつつチューブガイドの間に送り込んで、ローラーに巻き付けた。
ローラー部内に余分なたるみが生じないよう調整しつつ、チューブを本件ポンプ左側のチューブホルダーに通し、締め付けボタンを力一杯操作してチューブを固定し、そのことをチューブを引っ張って確認した。
なお、〇技士は締め付けボタンを片手で締めたが、これは、右装置の形状が片手で締め付けを行うように設計されていたからである。
c チューブがチューブホルダーの中央に納まっていることを確認した後に、チューブの他方の末端を人工肺に接続した。
d 医師から患者用の送血回路及び脱血回路の末端が若岡、坂本両技士に渡され、それぞれ人工心肺回路の送血回路及び脱血回路に接続し、試運転を行った。試運転は、充填液を回路内に入れて、回路内の脱気を行うために七、八分行い、さらに、人工心肺の温度を上げるために、三ないし五分間の運転を三回程度行った。
試運転の際に、チューブホルダーによるチューブの固定不十分な場合に生じる送血側のチューブの引き込みはなく、その他の異常も特に認めなかった。
イ 被告〇〇は、チューブホルダーの締め付けの甘さが原因であると主張するが、仮にそのような事実があったとしても、チューブホルダーの固定状況の確認は、チューブホルダーに目盛りなどがなく、確認が難しいのであって、そのような製品を製造したこと自体が安全性を確保する義務に違反するものである。また、〇技士は、締め付けが甘いか否かを確認する方法がなかったし、締め付けが甘ければ本件のような事故が生じることを告知されていなかったのであるから、〇技士には本件事故の様な事故が起こることについて予見可能性がなかった。
ウ 被告〇〇は貯血槽を下げ過ぎたことが原因であると主張するが、貯血槽をできるだけ下げるのは患者から十分な脱血を得るためであって、基本的なことである。このように、貯血槽をできるだけ下げることは通常の使用方法であるから、このことを知らずに本件ポンプが設計されたのであれば、被告〇〇は製品の安全性を確保する義務に違反したことになる。また、貯血槽をどの位置で止めるべきかであったのか明らかでないし、本件事故以前に被告〇〇から貯血槽の下げ過ぎについて指摘されたこともない。
なお、チューブの長さは、被告〇〇の従業員が〇病院に来院し、貯血槽を最大限下げることを前提に、実際に計測して長さを決めたものである。
②人工心肺装置の監視義務違反について
ア 〇技士は人工心肺装置の操作を担当し、送血量、貯血量、温度、酸素流量計及び患者監視モニターの確認を行い、坂本技士は血液検査及び心肺記録を担当しており、装置の監視は行っていた。
人工心肺装置の操作は十分な監視のもとに行われることは当然であるが、運転中に本件ポンプ部分でチューブが破損することまでも想定して操作することはないのであって、そのようなことを想定しながら使用しなければならないような人工心肺装置は手術で使用することはできない。
イ 被告〇〇は、本件ポンプ部分で血液が垂れていることを発見したのが医師であったことを捉えて、〇技士が装置の監視を怠ったと主張するが、〇技士はチューブへの気体の混入に直面し、原告に送血ができるように装置を操作しつつ、貯血槽内の血液の減少や回路の接続部位に異常がないかを確認していたのであって、福地医師が気泡を発見してから坂本技士がチューブの亀裂を発見するまでわずか数分しかなかったことからしても、血液が垂れていることを発見したのが医師であったことをもって〇技士が装置の監視を怠っていたということはできない。
ウ エアー・トラップはチューブが破断してチューブに空気が入るという事態を予想して用いられるものではなく、微小な気泡が混入した場合にこれを除去する装置であるから、エアー・トラップを監視することまでは要求されていないし、エアー・トラップを監視し、気泡を見つけていたとしても、そのことからチューブが破断してチューブに空気が入るという事態を予想することはできないのであるから、監視を行っていたとしても本件事故を回避することはできなかった。また、仮に発見できたとしても亀裂の生じたチューブで送血しなければならないことは変わりがないのであって、早く発見できたことによって如何なる措置がとれたのか明らかになっていない以上、エアー・トラップを監視していなかったことと空気の混入によって原告に傷害が発生したこととの間には因果関係がない。
③ 事故発生後の処置義務違反について
逆行送血はチューブ自体にはなんらの損傷もない場合で血液量の減少による空気の混入の場合には有効であるが、本件のようなチューブに亀裂が生じたために空気が混入した場合には、空気が混入した血液をさらに送り込むことになるだけであるから、チューブが破損した状況では逆行送血は行うことができない。
チューブに亀裂が生じていることが明らかな場合、そのまま送血を続けるよりもできるだけ早く人工心肺装置からの離脱を図る選択をするのは当然である。
(三) 被告〇〇の主張
(1) 本件事故は、本件手術に際し、人工心肺装置の操作を担当した〇技士が、本件ポンプを誤った方法で設置したか、あるいは不適切な本件ポンプの操作によって発生したものであって、本件ポンプに欠陥はなかった。
(2) 被告〇〇市の責任
① チューブの固定ないし装置の取り扱い上の過誤
ア 被告〇〇において、チューブホルダーの緩み、貯血槽の引き下げという操作ミスがあった場合に本件類似のチューブの亀裂が発生するか否かを確認するための実験を行ったところ、そのような操作ミスがあった場合には本件類似の事故が発生する可能性があることが明らかになった。本件事故は、〇技士がチューブの長さを無視して無理に貯血槽を下げたため、チューブが必要以上の力でチューブホルダーの外側で下方斜め方向へ引っ張られる状態になり、これによってチューブホルダーで固定されているチューブの形状が変形して上方向に向く状態になり、チューブがチューブガイドと接触し、これが繰り返されたことによりチューブに亀裂が生じて起きたものである。
イ 人工心肺装置を作動させるに際し、無理に送血ポンプに通したチューブを下方に引っ張るような扱いをすれば危険な事態が発生することは素人でも容易に想像がつくことであり、〇技士は、臨床工学技士であるのだから、かかる事態の発生を予見し、これを回避することは当然可能であったし、注意義務もあった。
ウ 〇技士は、本件手術の際に、脱血をよくするために貯血槽を無理に下げていた。また、日常チューブホルダーを片手で締める取り扱いを行っていたことや、本件手術の際にチューブが固定されているかどうかを確認していなかったことからすれば、本件手術の際にチューブが固定されていたことを証明する客観的証拠はない。
エ このように、本件事故は、チューブホルダーをしっかり閉めなかったという状況と貯血槽の下げ過ぎという異常な使用方法によって発生したのであるから、本件事故の原因は〇技士の操作ミスであって被告〇〇には責任がない。
② 人工心肺装置の監視義務違反
〇技士が、本件ポンプを含む人工心肺装置の運転状況について適宜監視していれば、チューブとチューブガイドとの接触を発見し、チューブの破断を回避できたはずであるし、破断が生じたとしても、チューブが破断したまま長時間運転を続けるということもなく、原告に重大な被害が発生する前に適切な処置がとれたはずであった。また、人工心肺装置が患者の心臓及び血管の働きをする医療機器であって、右機器に問題が発生すれば患者の生命身体に重大な危険を及ぼす可能性のある機器であること、取扱説明書に「機器全般及び患者に異常のないことを絶えず監視すること」と記載されていること、人工心肺装置の回路部分は透明な構造になっており、特にエアー・トラップは〇技士からよく見える位置に存在していて、監視ができる構造になっていたことからすれば、〇技士には人工心肺装置を監視する義務があった。
しかるに、最初に異常に気づいたのは手術を行っていた医師であり、医師が〇技士に異常の確認を求めたにもかかわらず〇技士は異常を発見することができず、結局異常を発見したのは医師であったことからすれば、〇技士が人工心肺装置の監視を怠っていたことは明らかであり、本件事故は〇技士が監視を行わないまま人工心肺装置を操作し続けた過失により、チューブに破断が発生し原告の身体に重大な傷害が発生したものである。
③ 事故発生後の処置義務違反
ア 本件事故の発生後、〇技士は、患者に重大な被害が発生することを回避するために、上行大動脈に挿入した送血カニューレを上大静脈に挿入して逆行性の送血を行い、脳動脈内の空気を大動脈に押し出す等の適切な処置をとるべき義務があったのに、これを怠り、患者に重大な被害を発生させた過失がある。
イ 被告〇〇市は、チューブが破損しているので逆行送血はできない旨主張しているが、〇技士が、チューブを持ち上げたところ空気の流入が防止できたというのであるから、逆行送血を行うことは可能であった。
ウ また、〇技士は、実際に大量の空気塞栓があったかどうか確認できない状態で患者の生死を分けるような方法は採れないとも述べているが、これは〇技士の判断ミスであって、本件ポンプのチューブ取付側に血液が垂れているのが見えるほど血液が漏れていた事実がある以上、すでに大量の空気塞栓が発生したと判断できる状況にあったのであるから、これを回避する措置を採るべきであった。
(3) 本件ポンプ等の欠陥についての反論
① 本件ポンプについて
ア ローラーポンプは、すでに一九二〇年代に開発されており、今日に至るまでその基本的な構造に改変はなされておらず、他社のローラーポンプも全て本件ポンプと同じ構造であるのであって、このことは本件ポンプが、安全性及び信頼性の確立した優れた構造であることを示している。
また、〇病院において約二年にわたり、約一五〇症例もの手術において本件ポンプが安全に運転されていたことからすれば、本件ポンプには設計上及び製造上の欠陥は存在しないものといえる。
イ 被告〇〇の行った実験において、通常の使い方では本件の様な事故は発生しないことが明らかになっている。
ウ 被告〇〇市は、チューブホルダーには目盛り等の基準がなく、固定状況の確認が難しいと主張するが、チューブを引っ張る等すれば固定状況を確認することは容易にできる。
エ 原告は、貯血槽を下げ過ぎないような装置にする義務があったと主張するが、貯血槽をどの程度下げれば危険になるかは状況によって異なるのであって、一般的に定めることはできない。また、原告は、チューブガイドを接触しても亀裂が生じないようなチューブを提供する義務があったと主張するが、どこにもそのようなチューブは存在しないし、チューブは〇病院の注文に合わせて寸法が決められたものであった。
オ 以上のとおり、本件ポンプは、安全性の高い構造を有しており、また、〇病院における過去の使用状況からしても、専門技術者による通常の使用、操作方法に従っている限りはチューブに亀裂の入ることは有り得ない。したがって、右ポンプ自体には何ら欠陥は存在しない。
② チューブの設計について
人工心肺装置のチューブの設計は、病院が回路全体を構想し、被告〇〇に回路図案作成の申し入れを行う、被告〇〇は右申し入れに応じて回路図案を作成し、仮の回路を作成して病院に引き渡す、病院は試運転をして最終的に回路の内容を決定する、被告〇〇は病院が決定した回路の内容で図面を作成し、病院にチューブを納品するという経緯で行われていた。
したがって、本件手術に用いられたチューブも〇病院からの特注品であり、その長さについては病院側が自らの判断の上指定し、被告〇〇は〇病院の右注文に基づいて納品をしたのである。〇病院では、輸血用血液の節約のため、送血量を減らすようなチューブの長さはできるだけ短くし、脱血効果を上げるために、貯血槽を無理に下げる方法を取っていた。
③ 本件事故後に装置を改造したことについて
被告〇〇市は、本件事故後、被告〇〇がチューブガイド等の改良を行ったことをもって、本件ポンプの欠陥を主張している。しかしながら、医療機器メーカーがより高度の安全性を求めて、機器の改良を行うのは当然のことであり、改良行為と欠陥とは全く関係がない。
④ 七月一九日の手術でチューブに削れが生じたことについて
平成七年七月一九日、被告〇〇の従業員立ち会いのもとで本件ポンプを含む人工心肺装置を使用して手術が行われた際、チューブの一部が白く濁るような状況はみられたが、これは、被告〇〇市の主張するようにチューブが削れたものではなく、また、亀裂の原因となるものでもなかった。
⑤ 類似事故の存在
被告〇〇市が主張する類似事故は、単なるチューブホルダーのかけ忘れという人為的ミスに基づく事故であり、本件ポンプの安全性とは関係がない。
⑥ 本件ポンプにシールを貼付していたことについて
被告〇〇は、平成七年七月一日のPL法施行に際して、本件ポンプの安全な使用のため、チューブ装着の緩みが亀裂の原因となりうること等の注意事項を記載した警告ステッカーを作成し、被告〇〇の担当者が同月六日に〇病院を訪れ、〇技士に対して右ステッカーの説明を行うとともに本件ポンプに貼付した。
弾性チューブをしごくというローラーポンプの構造上、チューブ装着の不手際により、チューブにこすれ、削れや亀裂が発生するおそれは避けられない。そして、かかる事実は、人工心肺装置を取り扱う資格を有する〇病院の臨床工学技士にとって当然有すべき一般知識である。その上、前述したように本件ポンプに貼付されたステッカーにより取扱者に対して右事実を指摘、警告していることからしても、本件ポンプには指示・警告上の欠陥は存在しない。
2 原告の後遺障害の程度及び損害額
(一) 原告の主張
(1) 原告は、手術前は心臓病以外格別に病変を有していなかったが、本件事故によって生じた空気塞栓によって脳機能障害の重篤な後遺症を残し、両上肢機能全廃及び両下肢機能全廃、咀嚼及び言語機能喪失の障害(後遺障害別等級表第一級2に該当)を負った。
(2) 損害
① 入院慰謝料
原告は、平成七年七月一二日より、平成九年八月ころまで二五か月入院を係属しており、この間の苦痛を金銭に評価すると、慰謝料の額は三六三万円を下ることはない。
② 入院中の諸雑費
原告は、平成七年七月一二日より平成九年八月ころまで二五か月入院を継続しているので、諸雑費として、一日当たり一三〇〇円、七五〇日分で合計九七万五〇〇〇円を請求する。
③ 後遺障害による逸失利益
原告は、昭和五〇年八月二四日生まれの男子であるところ、本件事故により後遺障害を負い、そのため労働能力の一〇〇パーセントを喪失した。平成七年度賃金センサスの男子労働者学歴計新中卒の平均賃金年収額を基礎にし、ライプニッツ式計算方法により年五分の中間利息を控除すると、原告の逸失利益は、次の計算式のとおり八八一四万一六四四円となる。
(計算式)四八七万五九〇〇円×一八・〇七七=八八一四万一六四四円
④ 後遺障害による慰謝料
原告の本件後遺障害による苦痛と一生続くリハビリ生活など一切の精神的苦痛に対する慰謝料は二六〇〇万円を下ることはない。
⑤ 将来の介護費
原告は、一生涯介護が必要であり、原告の余命は五八・三一年で、ライプニッツ係数は一八・八二であるから、この間の介護費は、次の計算式のとおり三四三四万六五〇〇円が相当である。
(計算式)五〇〇〇円×三六五日×一八・八二=三四三四万六五〇〇円
⑥ 弁護士費用 一〇〇〇万円
医療過誤訴訟の困難性ほか、事案の内容に照らし、被告らに負担させるべき弁護士費用として右金額が相当である。
(二) 被告〇〇の主張
(1) 入院中の慰謝料について
原告は二五か月間の入院を根拠としているが、この期間中には従前からの心臓病治療に伴う入院期間も含まれており、その期間に対応する部分は控除されるべきである。
(2) 将来の介護費
原告の当面の必要経費は月額三万円であるし、逸失利益の計算において生活費控除がなされていないのであるから、将来の介護費が認められる根拠はない。
第三 争点に対する判断
一 《証拠略》によれば、本件手術の経緯、手術後の経過等に関して以下の事実が認められる。
1 本件手術の経緯
(一) 本件手術の術者は福地医師、助手は鶴田医師及び渡辺医師、麻酔医は櫻田医師、人工心肺担当は〇技士及び坂本技士であった。
(二) 手術開始前に〇技士は、七月一二日午前九時ころ、人工心肺装置を準備し、左記のような手順でチューブを本件ポンプに取り付けた。
記
(1) チューブの一方の末端を貯血槽に接続し、本件ポンプのチューブ取付側に立ち、貯血槽に接続したチューブを本件ポンプの右側のチューブホルダーに通した。このときの貯血槽の高さは、接続部が本件ポンプのポンプヘッド部分と同じ高さであった。
(2) 右手親指で、チューブを持ちながら、チューブホルダーの前面にある締め付けボタンに人差指を掛けて引き、チューブの貯血槽側を固定した。その後、右チューブの反対側をローラーを回転させつつチューブガイドの間に送り込んで、ローラーに巻き付けた。その際、余分なたるみが生じないよう調整しつつ、チューブを本件ポンプ左側のチューブホルダーに通し、左手の人差指で締め付けボタンを引き、チューブを固定した。
(3) チューブを引っ張ったり押したりしてみたがずれることはなかった。
(三) 本件ポンプと貯血槽、熱交換器の回路設置が完了後、〇技士は、福地医師から、送血回路、脱血回路の末端を受け取り、人工心肺回路の送血回路、脱血回路に接続し、充填液を回路に入れて、回路内の脱気のための試運転を七、八分行い、さらに、温度を上げるため、三ないし五分間の運転を三回行った。〇技士は、充填液を循環後、オクルージョンの適正な位置を設定した。この試運転に際し、チューブがローラーに引き込まれるといった事態はなかった。
(四) 原告は、午前九時三〇分から麻酔をかけられ、午前一〇時二五分から、執刀が開始された。午前一一時八分ころ、上行大動脈と上下大静脈にそれぞれカニューレが挿入され、これらと人工肺が接続された。午前一一時二二分ころ、人工心肺装置の運転を開始され、〇技士は原告から十分な脱血が得られるようにするため貯血槽等を徐々に下げ、熱交換器が床から三、四センチメートルの高さになった地点で停止させた。午前一一時二七分ころ、人工心肺装置の流量が二・八七リットル/分/平方メートルとなり、原告の心臓を止められる状態になった。午前一一時二八分ころ、漏斗部を縦切開し異常筋束の切除が開始され、午前一一時四〇分ころ、大動脈を遮断し、ヤング液で心臓停止とし、GIK液による心筋保護が施行された。午前一一時四七分ころ、人工心肺の送血パターンが、それまでの定常流のみから送血量の二〇パーセントを定常流、八〇パーセントを拍動流に変更された。午後〇時五分ころ、肺動脈弁狭窄症、三尖弁の乳頭筋の損傷がないことを確認した上で、右室切開部の縫合閉鎖を開始した。午後〇時一四分ころ、右室の縫合を完了し、大動脈遮断を解除した。送血パターンを定常流のみに戻し、以後定常流で送血が続けられた。午後〇時二一分ころ、カウンターショックを施行され、心室細動があった。午後〇時二三分ころに二度目のカウンターショックが施行されたところ、自己心拍を再開した。心電図からは右環状動脈への空気塞栓は認められなかった。その後、まだ体温が低いため人工心肺による体温上昇と循環補助を行った。
(五) 午後〇時二五分ころ、左心房、左心室、大動脈内の脱気が行われていたが、福地医師が大動脈の空気抜きの穴から微少な気泡が出てくるのとその量が多いことに気づいた。福地医師は、〇技士に貯血槽の異常の有無を確認するよう指示し、〇技士が確認したが貯血槽に異常は確認できなかった。〇技士は、エアー・トラップ内に空気が貯留していることに気づいたので、エアー・トラップを解放し、内部の空気が貯血槽に戻り、原告には送られないようにして送血を続けた。この処置によって、送血量は減少した。〇技士の処置にもかかわらずエアー・トラップ内への空気の貯留が続いていたが、福地医師が本件ポンプのチューブ取付側に血液が垂れていることを発見した。坂本技士が本件ポンプのポンプヘッド部分を見てみると、本件ポンプのポンプヘッド部分のカバーに曇りがあることを発見した。午後〇時三三分ころ、坂本技士が、直ちに本件ポンプのチューブ取付側に回り、カバーを開けるとチューブガイドの角が回転してチューブと接触し、接触した位置でチューブが裂け、血液が流出すると共にチューブ内に気泡が入り込んでいるのを発見した。チューブの裂けた箇所は、中間のチューブの貯血槽側の端から約一〇センチメートルの部分で、貯血槽側のチューブホルダーのやや奥側であり、亀裂の長さは、約三センチメートルであった。この間、〇技士は送血を続けようとしたが、空気の混入が多くなり送血が不可能となったため、送血を停止した。チューブの交換をすれば送血を再開することが可能であったが、本件手術の現場に予備のチューブを用意していなかったため、〇技士は、チューブを短時間で交換することは不可能であると判断し、人工心肺からの早期離脱を図ることとした。午後〇時三五分ころ、福地医師は、右房の閉鎖と人工心肺からの離脱を急いだが、出血量に見合った輸血がなければ血圧を保つことができない状態であった。そこで、〇技士が本件ポンプの右チューブホルダー外側付近でチューブを持ち上げてみたところ、破損部からの血液の漏出は多いが、エアー・トラップへの空気の滞留はみられなくなったため、輸血程度の送血は可能と判断し、送血を続けた。午後〇時四一分ころ、右房の縫合を完了した。これにより、右心から肺、肺から左心へと正常の血流が可能になり、人工心肺からの離脱操作を急いだ。午後〇時四六分ころ、人工心肺を停止した。午後三時一〇分、原告は手術室からICUに移された。
2 手術後の経過
原告は、手術後ICUで治療を受けていたが、同日午後七時五五分ころ、顔面から全身への痙攣が出現した。原告に対し、翌一三日、頭部のCTと脳波検査を施行したところ、CTでは脳梗塞像は不鮮明で、脳浮腫もみられなかったが、脳波検査では脳機能の抑制がみられた。同月一七日に、頭部CT及び脳波検査が施行されたが、CTでは脳浮腫が全体にみられ、多発的脳梗塞の所見も認められ、右前頭葉、左側頭葉に低吸収域が認められた。脳波検査では、広範囲の両側性の機能障害が認められ、脳梗塞と確定診断された。
二 争点1について
1 前記第二の一1(二)で認定したとおり、被告〇〇は医療器械、器具の製造及び販売等を目的とする株式会社で、人工心肺装置を構成する本件ポンプの製造者であるから、その安全性の確保については高度の注意義務を負っているものと解せられる。
2 そして、前記第二の一3(三)(1)で認定したとおり、本件ポンプの上下のチューブガイドは、チューブが回転ローラーから脱落するのを防ぐための装置で、特に上方のチューブガイドは浮上ったチューブを押さえて回転ローラーが上方から脱落するのを防ぐための装置であるから、浮上ったチューブと右チューブガイドが接触することは当然に予測されていたものと認められるところ(なお、チューブガイドの先端が〇・五ミリメートルの面取り加工されていることから、被告〇〇は、右先端部分がチューブに接触することがあることも予測していたものと推認できる)、チューブの浮上りはローラーポンプの血液を送り出す仕組(前記第二の一3(二))から当然に生じるもので、その程度は、チューブの径の大小や回転ローラーの回転速度、チューブにかかる内圧の程度、チューブホルダーの保持力の程度等によって影響を受けることが予測できたのであるから、被告〇〇としては、チューブホルダーの構造をより保持力の高いものに、チューブガイドの構造を、その先端がチューブに接触してもチューブに亀裂が生じにくいものに改良する等すべき注意義務があったものと認められる。
3 しかるに、被告〇〇は、前記第二の一3(三)(2)及び(3)で認定した本件ポンプのチューブホルダー及びチューブガイドの構造に何ら改良を加えることなく放置した結果、前記第二の一5で認定した態様で本件事故を招来したものと認められるから、同被告には、民法七〇九条に基き、原告に生じた損害を賠償する責任がある(ちなみに、《証拠略》によれば、被告〇〇は、本件事故発生後、本件ポンプ及び同型機のすべてについて、チューブの削れの発生を防止するために、上側のチューブガイドの数を四本から二本に減らし、別紙二①記載のとおり、チューブガイドの長さを二六ミリメートルから二七ミリメートルに、太さを九ミリメートルから一二ミリメートルに、先端を〇・五ミリメートルの面取り加工から二・〇ミリメートルのR加工に改良したほか、チューブの保持力を高めるためにチューブホルダーの固定幅を一二ミリメートルから二〇ミリメートルに改良し、増し締め機能も追加したことが認められる)。
4(一) 被告〇〇は、①〇病院においては、約二年にわたり、約一五〇症例もの手術において本件ポンプを用いていたが、何らの事故もなかったのであるから、本件ポンプには設計上及び製造上の欠陥は存在しないものといえる旨、②本件事故は、本件手術に際し、人工心肺装置の操作を担当していた〇技士がチューブホルダーをしっかりと締めなかったことと、脱血をよくするためにチューブの長さを無視して無理に貯血槽を下げたため、チューブが必要以上の力でチューブホルダーの外側で下方斜め方向へ引っ張られる状態になり、これによってチューブホルダーで固定されているチューブの形状が変形して上方向に向く状態になり、チューブがチューブガイドと接触し、これが繰り返されたことにより亀裂が生じたものであるから、本件事故の原因は〇技士の操作ミスにあり、被告〇〇には責任がない旨主張する。
(二) しかしながら、本件事故の態様は前記第二の一5で認定したとおりであって、仮に、〇技士に本件ポンプの操作、貯血槽の設置等に関して何らかの問題があったとしても、本件事故は、後記三で認定するとおり、主として本件ポンプの構造に基因して生じた事故であると認められるのであるから、〇病院において本件ポンプを用いて行われた一五〇例の手術の際に事故がなかったことをもって右2で認定した被告〇〇の注意義務を軽減することはできず、その責任を回避し得る理由とはならないから、右①の主張は失当である。
また、②の点については、〇病院においては、人工心肺装置を使用するに際し、脱血効果を上げ、輸血用血液を節約するために短めのチューブを使用し、貯血槽を下げる方法を取っていたことは被告〇〇市も認めるところであるが、後記認定のとおり、〇技士はチューブホルダーに固定したチューブを引っ張って固定されているかどうかを確認しており、また、貯血槽を下げたものの、これを「無理に」下げてチューブがチューブホルダーの外側で下方斜め方向へ「無理に引っ張った」との事実を認めるに足りる証拠はないから、本件事故が専ら〇技士の右措置によって生じたものとは認められず、また、例え、同技士に本件ポンプの操作、貯血槽の設置等に関して何らかの問題があったとしても、前記第二の一5で認定した本件事故の態様から、本件事故が専ら同技士の注意義務違反によって引き起こされたものとは認められないから、被告〇〇の右主張を認めることはできない。
三 争点2について
1 《証拠略》によれば、被告〇〇は、本件事故の原因を究明するため、平成七年八月二八日、平成七年九月六日、平成一一年五月八日に実験を行い、左記の実験結果を得たことが認められる。
(一) チューブホルダーでチューブを締める場合の通常のラチェット数は九ないし一〇であった。
(二) チューブをチューブホルダーで十分に締め付け、チューブが引っ張られていない状態で、二四〇分間本件ポンプを運転したが、チューブに亀裂は生じなかった。
(三) ラチェット数を〇、八、九、一〇と変え、チューブホルダーの外側で垂れ下がる際の水平との角度を三五度と六五度に変えて本件ポンプを運転したが、ラチェット数〇の場合にはいずれの角度でも削れが生じ、ラチェット数八では六五度の場合のみ削れが生じ、ラチェット数九及び一〇では削れが生じなかった。
(四) ラチェット数を六、九と変えて本件ポンプを運転したが、チューブホルダーの外側でチューブが貯血槽側に引っ張られる際の鉛直方向との角度を〇度、三〇度の場合にチューブに削れが生じるか実験を行ったところ、ラチェット数六で角度三〇度の場合のみ削れが発生した。
(五) オクルージョンを締めたままで、チューブを緩く締め付けて(ラチェット数六)チューブを引っ張って動くか確認したところ、チューブはあまり動かなかった。
2(一) 右実験結果と前記第二の一4の事実(本件ポンプは、被告〇〇が〇病院に平成五年一〇月一三日に納入したもので、本件事故発生までの間に約一五〇例の手術に使用されたが事故はなかったとの事実)並びに右二2で認定したとおり、チューブの浮上りはローラーポンプの血液を送り出す仕組から当然に生じるもので、その程度は、チューブの径の大小や回転ローラーの回転速度、チューブにかかる内圧の程度、チューブホルダーの保持力の程度等によって影響を受けること等の事実からすると、〇技士によるチューブホルダーの締めが従前の一五〇例の手術の際に比べて甘かったこと、貯血槽の位置が従前の一五〇例の手術の際の位置より低かったことも本件ポンプのチューブホルダーやチューブガイドの構造と相まって本件事故発生の原因を構成したものと推認することができる。
そして、《証拠略》によれば、被告〇〇は、平成七年七月一日のPL法施行に際して、同年六月ころ、送血ポンプについて、「警告」として、「チューブホルダーにて確実にチューブを押さえて下さい。緩んでいるとチューブがローラーに引き込まれバーストやポンプ停止の原因となります」と記載したステッカーを作成し、同被告の従業員が〇病院を訪れ、チューブホルダーを閉め忘れたためにチューブが破裂した事故があったことを報告するとともに、本件ポンプに右ステッカーを貼付したことが認められる。
(二) しかしながら、
(1) 右(一)の従業員の説明は、チューブホルダーを閉め忘れたためにチューブが破裂した事故があったということの紹介であり、また、右ステッカーの警告は、チューブホルダーで確実にチューブを押さえないとチューブがローラーに引き込まれてバーストすることがある旨警告しているに過ぎず、チューブガイドの先端下部がチューブに接触して亀裂が生じるおそれがあるというようなことは何も警告していないこと、
(2) 本件ポンプのチューブホルダーの構造は前記第二の一3(三)(2)のとおりであって、チューブがチューブホルダーでしっかり固定されているかどうかの確認方法としては、チューブを引っ張ったり、押したりして確認する方法しかないこと、
(3) 〇技士は、チューブホルダーの締め付けボタンでチューブを固定した後、チューブを引っ張ったり押したりしてみたがずれることはなく、また、約二〇分程度の試運転を行った際にもチューブが引き込まれるといった事態は生じなかったこと(右一1(三))
(4) チューブに亀裂が入った箇所は、中間のチューブの貯血槽側の端から約一〇センチメートルの部分(貯血槽側のチューブホルダーのやや奥側)で、亀裂は、チューブ手前内側から奥外側方向に向け約三センチメートルの長さでできており、その状態から、チューブがポンプヘッドの内部で移動した形跡はないこと(平成一〇年四月七日付検証調書)、
等に加え、被告〇〇自身、チューブガイドの先端からチューブに接触して亀裂が生じるといった事故を経験したことがなく、チューブガイドの締め具合や貯血槽の位置関係如何によってチューブがΩ型の周壁の方向に高く浮き上がるといった事実を本件事故発生後に実験等によって調査するまで知らなかったこと、したがって、そうした危険性があることをユーザーに知らせることもなかったこと等の事実からすると、本件手術に際し、本件ポンプを操作する〇技士に対し、チューブがチューブガイドから手で引っ張ったり押したりしても動かないように固定した場合であっても、それ以上に強く固定しないと貯血槽を下の方に設置したような場合にはチューブが右の様に浮き上がり、チューブガイドの先端下部と接触して亀裂が生じることがあることを予見して、そうした事態が生ずることがないようにチューブホルダーをより強く押さえ、かつ、貯血槽の位置を下の方に設置しないように設置することを期待することは極めて困難なことと認めざるを得ない。
3(一) 被告〇〇は、本件事故は、①本件手術に際し、人工心肺装置の操作を担当していた〇技士がチューブホルダーをしっかりと締めなかったことと、脱血をよくするためにチューブの長さを無視して無理に貯血槽を下げたために生じたものである旨、②〇技士が、本件ポンプを含む本件人工心肺装置の運転状況について適宜監視していればチューブとチューブガイドとの接触を発見し、チューブの破断を回避することができ、破断が生じたとしても原告に重大な被害が発生する前に適切な処置がとれたはずであった旨、③本件事故の発生後、〇技士は、患者に重大な被害が発生することを回避するために、上行大動脈に挿入した送血カニューレを上下大静脈に挿入して逆行性の送血を行い、脳動脈内の空気を大動脈に押し出す等の適切な処置をとるべき義務があったのに、これを怠り、患者に重大な被害を発生させた過失がある旨主張する。
(二) しかしながら、①の点については、「しっかりと締めなかった」との趣旨が、チューブホルダーで締めたはずのチューブが手で動く程度であったという趣旨ならばそうした事実を認めるに足りる証拠はなく、手で動かすことはできない程度であったが、チューブがチューブガイドの先端下部と接触する態様で浮き上がるのを防げる程の強さではなかったという趣旨ならば、そうしたことを予期して強く締めなかったことを過失と捉えることができないことは右2(二)で認定したとおりであり、また、脱血をよくするためにチューブの長さを無視して「無理に」貯血槽を下げたとの事実を認めるに足りる証拠はないから、その余の点について検討を加えるまでもなく右①の主張を認めることはできない。また、②の点については、本件ポンプの取扱説明書には「医用電子機器取扱上注意事項」の一つとして、機器の使用中には機器全般に異常のないことを絶えず監視することが掲げられているところ、《証拠略》によれば、〇技士は人工心肺装置の操作担当者として送血量、貯血量、温度、酸素流量計及び患者監視モニターの確認等を行っていたが、福地医師から貯血槽の異常の有無の確認を求められるまでエアー・トラップ内に空気が貯留しているのに気がつかなかったこと、また、本件ポンプのチューブホルダー側に血液が垂れているのを最初に発見したのも福地医師であったことが認められ、〇技士はエアー・トラップや本件ポンプ内のチューブの状態について監視していなかったことが窺われるが、〇技士の第一の仕事は人工心肺装置の操作担当者として送血量、貯血量、温度、酸素流量計及び患者監視モニターの確認等を行うことであり、本件ポンプのチューブが浮き上がりを防ぐために設けられているチューブガイドの先端下部によって削られて亀裂ができ、そこから空気が入るといった様な事態は思いも及ばなかったこと、エアー・トラップは、微少な気泡を除去する目的で設置された安全装置であり、本来、監視すべき器械とは認めがたいことからすると、チューブの亀裂の発見が遅れたことはやむを得なかったものというほかなく、「本件ポンプを含む本件人工心肺装置の運転状況について適宜監視していればチューブとチューブガイドとの接触を発見し、チューブの破断を回避することができ、破断が生じたとしても原告に重大な被害が発生する前に適切な処置がとれたはず」ということはできないのであって、右②の主張も採用することはできない。さらに、③の点については、逆行送血は空気塞栓が生じた場合に静脈側から血液を送ることによって空気を血管から排出するという措置で、送血が行えることが前提となっているところ、本件ではチューブに亀裂が生じ、そこから血液が出るとともにチューブ内に気泡が入り込んでいた状態であったのであるから、手で持ち上げたらエアー・トラップへの空気の滞留がみられなくなったということから直ちに逆行送血が行える状態になったとはいえず、そうした状態のもと、本件手術の進み具合から、できるだけ早く人工心肺装置からの離脱を図る選択をすることは当然のことで、逆行送血を行わなかったことが〇技士の過失であったと認めることはできず、右③の主張も採用することはできない。そして、他に、右2(二)の認定を左右するに足りる証拠はない。
4 以上によれば、本件事故の発生につき〇技士に「責めに帰すべき事由」があったとは認められず、他にそうした事実を認めるに足りる証拠はないから、結局、被告〇〇市に債務不履行責任があったとは認められない。
四 争点3について
1 入院慰謝料
(一) 《証拠略》によると、原告は、平成七年七月一二日から平成八年九月まで(約一五か月)、本件事故の後遺症のため〇病院に入院し、同年一〇月から、千葉リハビリテーションセンター内の重度障害者更生援護施設第二更生園(以下「第二更生園」という)に入所し、集団生活をしていること、〇病院退院後、同病院には何回か通院していること、千葉リハビリテーションセンター病院にも年三回程度通院していることを認めることができる。
(二) 右事実によると、入院慰謝料は三〇八万円と認めるのが相当である。
被告〇〇は、〇病院の入院期間には心臓病治療に伴う入院期間も含まれており、その期間に対応する部分は控除されるべきである旨主張するところ、本件手術が心臓の手術であることからすれば、心臓手術後の入院期間は必要であると認めることができるが、原告の本件手術後の入院が本件事故の後遺症治療のための入院の側面を有していることは否定できず、右心臓手術に必要な入院期間を控除することは相当ではない。
2 入院中の諸雑費
右1で認定した入院中の諸雑費は、一日当たり一三〇〇円と認めるのが相当であるから、その額は五七万九八〇〇円(一三〇〇円×四四六日)となる。
3 後遺障害による逸失利益
(一) 《証拠略》によると以下の事実が認められる。
(1) 原告は、昭和五〇年八月二四日生まれの男子で、高校中退後、電気関係の仕事に二年ほど勤務し、平成六年九月一日から平成七年七月八日まで、株式会社丙川で週五日勤め、一か月当たり約一三万円の給与を受けていた。
(2) 原告は、本件事故前の平成七年六月三〇日に、右室流出路狭窄症による心臓機能障害により四級の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けていた。
(3) 原告は、本件事故により、平成八年八月二〇日、〇病院の医師により、脳梗塞による言語障害と右手運動障害がある旨の診断を受け、平成九年四月七日、千葉家庭裁判所により禁治産者の宣告を受けた。また、平成一一年九月一三日、千葉リハビリテーションセンターの医師により、服薬によって痙攣発作は押さえられているが、重度の知能障害があり、知能指数は三三、記憶力が著しく低く、見当識障害もあり、簡単な計算はできるものの数概念が未熟であり、労働能力はほとんど期待できず、日常生活状況については、食事は一人でできるとされているものの、用便、入浴は援助があればできる程度とされ、簡単な買い物もできず、刃物や火等の危険や戸外での交通事故等の危険についても判断ができないと診断された。
(4) 原告の母は、本件手術以前から、原告の父も本件手術後に行方不明となっており、また、弟がいるものの原告の介護ができる状況にはない。原告は、平成八年一〇月から第二更生園に入所しているが、要する費用は月額三万円で、後見人の乙山松夫がその支払をしている。
(二) 右(一)(1)ないし(4)の事実によれば、原告の本件事故による後遺障害は、平成八年一〇月には固定したものと、また、原告の労働能力は本件事故により一〇〇パーセント喪失したものと認められる。
そして、原告は、本件事故がなければ、心臓病も治癒し、就労することができ、症状が固定した平成八年一〇月(当時の原告の年齢は二一歳)から六七歳に達するまで、平成八年賃金センサス産業計・男子労働者・中卒の全年齢平均年収である五〇一万四三〇〇円程度の収入を得ることができたものと認めるのが相当である。
右収入を基礎収入とし、原告は本件事故時約一九歳一一か月であったから事故時の年齢を二〇歳とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、逸失利益の額は、次の計算式のとおり八五三八万七〇一〇円となる。
(計算式)五〇一万四三〇〇円×(一七・九八一〇〈事故時からの就労可能期間のライプニッツ係数〉-〇・九五二三〈事故時から症状固定時までのライプニッツ係数〉)=八五三八万七〇一〇円(円未満切り捨て)
4 後遺障害による慰謝料
右3(一)(3)で認定した原告の後遺障害の程度、内容等、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件事故による後遺障害慰謝料は、二六〇〇万円と認めるのが相当である。
5 介護費
前記3(一)(3)及び(4)で認定した事実によれば、原告には生涯にわたって介護が必要な状態で、原告は、現在第二更生園に入所して介護を受けていること、第二更生園に支払う費用は介護費を含め月額合計三万円であること、原告には介護ができる親類・縁者等がいないことが認められ、そうした事実からすると、原告が、将来、第二更生園或いはそれに準じた介護施設以外の場所で自立して生活することは不可能であることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
右事実によると、将来における介護費については、月額三万円を基礎とするのが相当であり、本件事故時二〇歳、症状固定時二一歳、平均寿命七七歳として計算すると、その額は次の計算式のとおり六四一万〇九五二円となる。
(計算式)三万円×一二月×(一八・七六〇五-〇・九五二三)=六四一万〇九五二円
なお、被告〇〇は、逸失利益の計算において生活費控除がなされていないことから将来の介護費を損害として認める必要はない旨主張するが、介護費は生活費とは別に生じる損害であるから生活費控除をしなければ介護費が認められないとはいえず、右主張を採用することはできない。
6 弁護士費用
本件事案の内容、認容額(右1ないし5の合計額は一億二一四五万七七六二円)、その他、本件訴訟の経緯等の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある損害と認めることのできる弁護士費用は五〇〇万円と認めるのが相当であり、原告の損害は、合計一億二六四五万七七六二円となる。
五 まとめ
よって、原告の請求は、被告〇〇に対し、一億二六四五万七七六二円及びこれに対する不法行為の日である平成七年七月一二日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから認容し、同被告に対するその余の請求及び被告〇〇市に対する請求はいずれも理由がないので棄却し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 川島貴志郎 裁判官 菅原 崇 平井健一郎)
別紙(一)、(二)《略》
千葉地方裁判所 平成9年(ワ)第1510号 損害賠償請求事件 平成13年3月30日