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気管支喘息の患者が薬剤投与により心臓疾患が悪化したケース。医師が薬剤処方についての説明義務違反があった事案

札幌地方裁判所判決 平成19年11月21日

平成18年(ワ)第2809号

 

       主   文

 

 1 被告は,原告に対し,110万円及びこれに対する平成19年1月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 2 原告のその余の請求を棄却する。

 3 訴訟費用は,これを20分し,その1を被告の,その余を原告の各負担とする。

 

       事実及び理由

 

第1 請求

 被告は,原告に対し,2000万円及びこれに対する平成16年10月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 事案の概要

 本件は,被告の開設するXクリニック(以下「本件クリニック」という。)において気管支喘息の治療を受けていた原告が,被告の理事長であるX医師(以下「X医師」という。)から気管支拡張剤の処方を受けたことにつき,X医師には原告に処方すべき薬剤の選択を誤った過失があり,これによって原告の不整脈が悪化したなどと主張して,被告に対し,債務不履行に基づく損害の賠償を求めた事案である。

 1 前提事実(争いのない事実並びに後掲証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することのできる事実)

  (1) 当事者等

 ア 原告は,昭和〇年〇月〇日生まれの男性である(争いがない)。

 イ 被告は,〇〇市内において本件クリニックを開設しているところ,X医師は,被告の理事長であって,本件クリニックにおいて医師として原告の診察を担当した(弁論の全趣旨)。

  (2) 本件クリニックにおける原告の診療経過等

 ア 原告は,平成16年9月末ころ(以下,特に断らない限り,平成16年については月日のみで表示する。),咳と痰の症状がひどくなったことから,10月14日,初めて本件クリニックで受診し(争いがない。以下,同日の受診を「本件初診」ということがある。),X医師の診察を受けるとともに,被告との間で,喘息治療を目的とした診療契約(以下「本件診療契約」という。)を締結した(乙A1,弁論の全趣旨)。

 原告は,その後,10月29日,11月12日及び同月26日に本件クリニックを受診し,X医師の診察を受けた(争いがない)。

 イ X医師は,原告が気管支喘息にり患していると診断し,10月14日及び同月29日,原告に対し,喘息治療のため,気管支を拡張する作用のあるテオドール錠100mg(以下,単に「テオドール」ということがある。)を,1日4錠(朝夕食後各2錠)の割合で14日分ずつ処方したが,11月12日及び同月26日の診察の際にはテオドールを処方しなかった(争いがない)。

 ウ 本件クリニックにおける原告の診療経過の概要は,別紙診療経過一覧表の争いのない部分に記載のとおりである。

 2 争点及びこれに対する当事者双方の主張

  (1) 原告に対してテオドールを処方したことが債務不履行に当たるか否か(争点(1))

 (原告の主張)

 ア テオドールの有効成分であるテオフィリンは,副作用として不整脈等を起こしやすいため,心臓病の既往症のある患者に対してこれを投与するに当たっては,常に副作用に配慮して慎重に対応すべきところ,原告は,本件初診の際,X医師に対し,本件初診時以前に心房細動の発作を起こしたことがあり,平成9年ころ受診した病院の医師から,気管支拡張剤は副作用として不整脈を誘発することがあると聞かされていたことを告げた上,気管支拡張剤を使用しないよう求めた。また,本件初診時の原告の症状は,痰が切れないという程度のものであり,喘息の発作はなかったから,そもそも原告に対して気管支拡張剤であるテオドールを処方する必要はなかった。さらに,最近の喘息治療のガイドラインでは,気管支拡張剤よりもステロイド薬の投与を優先すべきものとされている。

 イ これらの事情に照らせば,X医師は,本件初診の際,原告に対してステロイド薬を処方すべきであり,気管支拡張剤であるテオドールを処方することは避けるべきであった。また,仮にこれを処方するとしても,テオフィリンとして1日当たり400mgに相当するテオドールを処方すべきではなかった。ところが,同医師は,原告に対し,テオフィリンとして1日当たり400mgに相当するテオドールを処方した。その結果,これを服用した原告の不整脈が増悪したから,X医師が原告に対してテオドールを処方したことは,診療契約上の債務不履行に当たる。

 (被告の主張)

 本件初診の際,原告には,気管支の攣縮を伴う気管支喘息の症状がみられたから,原告に対しては,ステロイド薬ではなく,β2刺激剤やテオフィリン製剤(キサンチン系薬剤)といった気管支拡張剤を処方する必要があったところ,X医師は,β2刺激剤であるセレベントを使用しないよう原告から求められたため,テオフィリン製剤であるテオドールを処方した。テオフィリンは,気管支を拡張する作用のみならず,気道の炎症を抑制する作用も有しており,喘息の長期管理に有効な薬剤であると考えられていたし,不整脈ないし心房細動を有する患者に対してテオフィリン製剤を投与することは禁忌とされておらず,むしろ,喘息発作の強いときには投与することが珍しくないとされていることに照らし,また,X医師によるテオドールの処方は,同薬剤の添付文書に記載された一般的な用法・用量に従ったものであったことを考慮すると,X医師が原告に対してテオドールを処方したことが債務不履行に当たるということはできない。

 他方で,本件初診時までに他院で投与されていたフルタイドはステロイド薬であって,既にステロイドは投与されているから,その意味でも問題となることはない。

  (2) 説明義務違反の有無(争点(2))

 (原告の主張)

 原告には心房細動の既往症があるところ,気管支拡張剤には不整脈を誘発するという副作用があり,原告は,本件初診時,X医師に対して,原告には心房細動の既往症があって,前医において気管支拡張剤は使用しないように言われていた旨を告げていたのであるから,X医師は,原告に対し,テオドールの副作用として,悪心,動悸等が発生したり,不整脈が増悪する可能性があることを十分に説明すべきであった。ところが,X医師は,原告に対し,これらの副作用が発生する可能性があることを全く説明しなかった。よって,原告は,被告の説明義務違反により精神的苦痛を受けた。

 (被告の主張)

 X医師は,本件初診の際,原告に対してテオドールを処方するに当たり,同薬剤の副作用として悪心,動悸,嘔気等の症状が出現する可能性があることを説明し,これらの副作用が現れた場合には,まず1回当たりの服用量を2錠から1錠に減らすよう指示した。また,本件初診後,X医師の作成した処方せんに従って原告にテオドールを交付した薬剤師は,原告に対し,テオドールが気管支を拡げる薬である旨記載された薬剤情報提供書を交付した。これらの事情に照らせば,原告に対しては,本件初診の際のX医師の上記説明及び上記薬剤情報提供書の記載内容により,テオドールが気管支拡張剤であること及びその副作用につき十分な説明がされていたというべきであり,被告に説明義務違反はない。

  (3) 争点(1)の債務不履行と原告の現在の症状との間の相当因果関係の有無(争点(3))

 (原告の主張)

 原告には,発作性心房細動の既往症があるものの,平成9年ころから本件初診時までの間,不整脈の症状が現れたことはなかった。ところが,X医師から処方されたテオドールを服用したところ,不整脈の発作(胸を絞めつけられるような圧迫感や心臓を内側からトントンと叩かれるような感覚で,若干の痛みを伴うもの。)が起こり,その後に受診した他の病院において,発作性心房細動ないし心房性期外収縮と診断されるに至った。また,テオドールによる不整脈の増悪は,一般的には長期に及ぶことはないとしても,長期間影響が残る可能性を否定することはできない。これらの事情に照らせば,現在原告にみられる上記不整脈の発作は,X医師によるテオドールの処方によって生じたものと考えるのが合理的である。

 よって,争点(1)の債務不履行と原告の現在の症状との間には,相当因果関係がある。

 (被告の主張)

 ア 本件クリニックで診療を受けた後に原告が受診した他の病院の診療録には,原告の症状につき,発作性心房細動ないし心房性期外収縮と記載されているが,いずれの病院の心電図においても,心房細動の所見はみられない。

 イ 仮に,現在原告に心房性期外収縮ないし心房細動の症状がみられるとしても,原告には本件初診時よりも前に既に心房細動の症状が現れていたこと,テオフィリンには短期の薬効しかなく,服用後24時間でほとんど効力がなくなるとされていること,テオドールの副作用として不整脈が発生する頻度はわずか0.2%程度と低いこと,テオドールの副作用はテオフィリン血中濃度の上昇に起因する場合が多く,過量服用でない限り副作用として不整脈が生じることはほとんどないとされているところ,X医師が処方したテオドールの用法,用量は,添付文書に記載された一般的な指示に従ったものであって,本件における投与量・投与間隔では上記副作用の発生する血中濃度にははるかに及ばず,過量投与にも当たらないことなどの諸事情に照らせば,原告の現在の症状がX医師の処方したテオドールに起因するということはできない。

 ウ よって,争点(1)の債務不履行と原告の現在の症状との間に相当因果関係はない。

  (4) 原告に生じた損害の有無及びその程度(争点(4))

 (原告の主張)

 原告は,争点(1)の被告の債務不履行により,以下のアないしエの各損害を被るとともに,争点(2)の説明義務違反により精神的苦痛を被った。

 よって,原告は,診療契約の債務不履行に基づく損害の賠償として,下記損害合計3390万7226円の一部である2000万円及びこれに対する本件初診日である平成16年10月14日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

 ア 入通院慰謝料           200万円

 イ 逸失利益        2290万7226円

 原告は,現在も1週間に数回程度胸を絞めつけられるような圧迫感等の不整脈の発作が出現しており,日常生活が大幅に制限され,軽易な労務以外の労務に服することができない状態であるから,後遺障害等級表の9級11号に該当する後遺障害が残存しているというべきである。そこで,賃金センサス平成16年第1巻第1表産業計・企業規模計・男子労働者学歴計・50~54歳の平均年収額661万1700円を用いて原告の逸失利益の現価を算定すると,以下の計算式のとおりとなる。

 (計算式) 6,611,700×0.35×9.899=22,907,226

 ウ 後遺障害慰謝料          700万円

 エ 弁護士費用            200万円

 (被告の主張)

 争う。

第3 争点に対する当裁判所の判断

 1 前記前提事実並びに証拠(〈証拠等略〉)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができ,同認定を左右するのに足りる証拠はない。

  (1) 事実経過

 ア 本件初診前の原告の症状及び診療経過等

 (ア) 原告は,平成2年ころから平成8年春ころにかけて,心房細動の激しい発作を起こし,動くことができなくなって救急車で病院に搬送されたことが数回あったほか,平成9年ころから喘息の症状が現れるようになり,本件初診時までの間,いくつかの病院で気管支の炎症を抑える薬であるフルタイドの処方を受け,1日2回,朝と夜にこれを吸入して使用していた(甲A7,原告本人の尋問調書11・12頁(以下,「原告本人11・12頁」などと表記する。),弁論の全趣旨)。

 (イ) 原告は,平成9年ころ,喘息を発症して呼吸器科の医師の診察を受けた際,心臓の既往症があることを同医師に説明したところ,同医師から,オレンジ色の容器に入ったフルタイドと緑色の容器に入った気管支拡張剤を示された上で,心臓の既往症がある場合には不整脈を誘発するおそれがあるため気管支拡張剤を使用しないよう説明された(甲A7,原告本人10頁)。

 イ 本件初診時の原告の症状及び本件クリニックにおける診療経過等

 (ア) X医師は,本件初診時,原告から,9,10か月前から咳,痰が出て,呼吸がひゅうひゅうしているという訴えを聞き,胸部X線撮影等を行った結果,原告の症状から,原告が気管支の攣縮を伴う気管支喘息にり患していると診断した(乙A1,2,5,被告代表者の尋問調書1・11頁(以下,「被告代表者1・11頁」などと表記する。))。

 (イ) X医師は,本件初診時,患者が現在使用している薬剤を確認したり,患者に対して薬剤の使用方法等を説明するために,診察室の机上に,吸入剤(喘息治療薬)の容器を10個くらい置いていたところ,薬剤ごとに容器の色が分けられており,フルタイドはオレンジ色の容器に,セレベントは2種類とも緑色の容器にそれぞれ入っており,セレベント以外に緑色の容器に入った吸入剤は置かれていなかった(甲B4,乙A5,被告代表者2・3頁,弁論の全趣旨)。

 (ウ) X医師は,原告に対し,フルタイドの入ったオレンジ色の容器とセレベントの入った緑色の容器を示して説明しようとしたところ,原告が,フルタイドは他の病院からもらった手持ちがあるため必要ない旨を述べるとともに,緑色の容器を指さしながら,「これは心房細動が出るので使用しないで下さい。」と述べたことから,同医師は,原告がセレベントを使用しないよう求めたものと理解した。そして,X医師は,原告がフルタイドを使用しているにもかかわらず呼吸がひゅうひゅうすると訴えており,喘息の程度としては中等度であると診断したことから,原告に対する喘息の治療としてはフルタイドを使用するだけでは十分でなく,気管支拡張剤を使用する必要があると判断したが,原告からβ2刺激剤であるセレベントを使用しないよう求められたと理解したことから,テオフィリン薬であるテオドール錠100mg(1錠当たりの重量は300mgで,テオフィリン100mgを含有する。)を処方することとし,1日4錠の割合(テオフィリンとして1日400mg)で14日分を処方した(甲B1,乙A1,5,被告代表者2・11頁,弁論の全趣旨)。

 (エ) 原告は,10月14日の本件初診後,X医師の作成した処方せんに基づき,クルミ薬局の薬剤師から,テオドールの交付を受けたが,その際,同薬剤師から,薬剤情報提供書(乙A4)の交付を受けた(乙A5,弁論の全趣旨)。同薬剤情報提供書には,テオドールの「薬のはたらき」として,「気管支を拡げて呼吸を楽にする薬です。」と記載されていた(甲A7,弁論の全趣旨)。

 ウ 本件初診後の原告の薬剤服用状況

 原告は,本件初診時及び10月29日にX医師から処方されたテオドールを,いずれも同医師の指示どおり,1日2回,朝夕食後各2錠ずつ全量服用した(甲A7,原告本人8・9頁)。

 エ 原告のその後の症状の経過

 原告は,10月29日には痰が切れないと訴えており,11月12日には寝る前にひゅうひゅうすると訴えるとともに,不整脈の出現を訴えたことから,X医師は,テオドールの処方を中止したが,同月26日には,原告がひゅうひゅうして寝られないと訴えたことから,テオドールに代わって漢方薬を処方した(乙A1)。

 オ 原告のその後の治療経過(甲A3ないし6)

 原告は,12月21日,札幌南一条病院を受診し,その後も,北海道大学病院,札幌医科大学附属病院等に通院して治療を受けているが,平成17年3月9日には北海道大学病院で発作性心房細動との,平成18年2月13日には,札幌医科大学附属病院において,「心房細動(Af)/心房性期外収縮(PAC)/PIE症候群の疑い」との各診断を受けた。

  (2) 本件に関連する医学的知見

 ア 喘息治療薬一般について

 (ア) 喘息治療薬としては,一般に,ステロイド薬,β2刺激薬,テオフィリン薬等があるところ,テオドールはテオフィリン薬,セレベントはβ2刺激薬,フルタイドはステロイド薬に,それぞれ該当する(甲B3ないし5,乙B1,2,弁論の全趣旨)。

 (イ) ステロイド薬は,現在の喘息治療における最も効果的な抗炎症薬であるとされており(乙B2),厚生省免疫・アレルギー研究班作成の喘息予防・管理ガイドライン2003では,ステロイド薬の投与を優先するとされている(被告代表者10・11頁,弁論の全趣旨)。

 (ウ) 気管支の攣縮を伴う気管支喘息に対しては,ステロイド薬では効果が十分ではなく,気管支拡張剤を投与する必要があるところ(被告代表者9・14頁),β2刺激薬,テオフィリン薬にはいずれも気管支平滑筋を弛緩させ,気管支を拡張させる作用がある(甲B3,乙B2)。

 イ テオドールについて

 (ア) 効能について

 テオドールは,気管支拡張作用により気管支喘息等の症状を改善するほか,気道炎症を抑制する作用もあるため,喘息の長期管理(喘息症状の軽減・消失とその維持及び呼吸機能の正常化とその維持)を図る上で有効な薬剤であると考えられている(甲B3,乙B1,2)。また,吸入ステロイド薬とテオフィリン薬による併用療法は,ステロイド薬の使用量を増加させるよりも喘息治療に有効であるとされている(乙B2)。

 (イ) 用法・用量について

 テオドール錠100mg(1錠当たりの重量300mg)には,有効成分として1錠当たり100mgのテオフィリンが含まれており,その添付文書には,用法・用量につき,通常,テオフィリンとして,成人1回200mg(本剤2錠)を1日2回,朝及び就寝前に経口投与する旨の記載がある(甲B1)。

 (ウ) 投与上の注意点(禁忌・慎重投与等)について

 テオドールは,テオフィリン徐放性のキサンチン系薬剤であり,テオドール又は他のキサンチン系薬剤に対し重篤な副作用の既往歴のある患者に投与することは禁忌とされているほか,てんかんの患者等一定の患者に対しては慎重に投与すべきとされているが,心臓に既往症のある患者や,セレベントに対し心房細動の副作用の既往歴のある患者は,禁忌ないし慎重投与の対象に含まれていない(甲B1,乙B1の29・30頁)。

 また,セレベントにより不整脈の副作用が現れたことのある患者に対するテオドールの処方につき,札幌医科大学附属病院において現在原告の診療を担当している同病院第2内科の土橋和文医師(以下「土橋医師」という。)は,同人作成の回答書(甲A9)において,最近の喘息治療のガイドラインは他のステロイド薬の投与を優先する可能性が高いとしつつも,喘息の増悪自体によって心房性不整脈が悪化する可能性があることなどから,他に代替の処方がなく,投与による利益が不利益を凌駕すると判断される場合には,テオドールを処方することがあるとの見解を示している。

 (エ) 副作用の発生頻度等について

 テオドールの主な副作用は,悪心・嘔吐,頭痛,動悸,不整脈等であるが,承認時の安全性解析対象症例939例中85例(9.05%)に副作用が認められ,このうち,動悸が発現した例が11例(発現確率約1.17%),不整脈が発現した例が2例(発現確率約0.21%)みられた(乙B1の34・35頁)。なお,テオドールの添付文書(甲B1)において,副作用の発生頻度は「0.1~5%未満」,「0.1%未満」,「頻度不明」の3つに分類されており,動悸,不整脈の副作用の発生頻度は,「0.1~5%未満」に区分されている。

 また,本件初診時より前に,X医師がテオドールを処方した患者が悪心,嘔吐等の副作用を訴えたことはあったが,悪心,嘔吐等の症状は,患者が服用を中止することなどにより短期間で治まっていた。また,X医師は,本件初診時より前に,心房細動等の心臓の疾患を有する患者に対してテオドールを処方したことがあったが,患者が副作用を訴えたことはなかった(被告代表者10・13・14頁)。

 テオフィリンによる副作用の発現は,テオフィリン血中濃度の上昇に起因する場合が多く,血中濃度が20μg/ml以下の場合,一般には副作用はみられないが,これを超えると中毒作用が生じる場合があるとされており,テオドール錠100mgを健常男子6名に対してそれぞれ1回2錠,12時間ごとに9回連続投与したときのテオフィリン血中濃度は,10μg/mlに達することはなかった(甲B3,乙B1の20ないし25頁)。福岡大学呼吸器科の白石素公らは,「テオフィリンの副作用」と題する論文において,テオフィリンは,治療域での血中濃度が5ないし20μg/mlと狭く,それ以上の濃度(20ないし60μg/ml)では用量依存的に不整脈などの重篤な副作用を起こす安全域の狭い薬剤の代表であるとの見解を示している(甲B3)。

 なお,上記副作用が発現した場合には,特異的な拮抗薬,治療薬がないことから,第1段階として投与を中止し,第2段階として胃洗浄等が行われることになる(甲B3)。

 2 争点(1)(原告に対してテオドールを処方したことが債務不履行に当たるか否か)について

  (1) 前記1(1)ア(ア),イ(ア),(2)ア(ア),(ウ)において認定したとおり,本件初診時の原告の症状は気管支の攣縮を伴う気管支喘息であったところ,このような症状に対してはステロイド薬では効果が十分ではないとされており,実際にも,原告は,本件初診時以前からステロイド薬であるフルタイドを使用していたにもかかわらず,本件初診の際,呼吸がひゅうひゅうしていたことに照らせば,原告に対しては,テオフィリン薬やβ2刺激薬といった気管支拡張作用を有する薬剤を使用する必要があったというべきである。そして,前記1(1)イ(ウ)において認定したとおり,X医師は,原告から,心房細動の副作用が現れることを理由にβ2刺激薬であるセレベントを使用しないよう求められたと理解したことから,気管支拡張剤としてテオフィリン薬であるテオドールを処方したものである。また,前記前提事実及び前記1(2)イ(ア),(イ)において認定したとおり,テオドールは喘息の長期管理を図る上で有効な薬剤であるとされていることに加え,X医師の原告に対するテオドールの処方は,同薬剤の添付文書(甲B1)に記載された一般的な用法・用量に副うものであった。さらに,前記1(2)イ(ウ)において認定したとおり,不整脈ないし心房細動の既往症のある患者や,セレベントによって心房細動の副作用が現れたことのある患者であっても,テオドールの禁忌ないし慎重投与の対象には含まれていない。

 上記のような事情に照らせば,X医師の原告に対するテオドールの処方には特段不適切な点はなく,これをもって診療契約の債務不履行に当たると評価することはできないというべきである。

  (2)ア これに対し,原告は,①本件初診時,原告が,X医師に対し,気管支拡張剤を使用しないよう求めていたこと,②本件初診時の原告の症状は,痰が切れないという程度のものであり,喘息の発作はなかったから,原告に対してテオドールを処方する必要はなかったこと,③最近の喘息治療のガイドラインでは,ステロイド薬の投与を優先すべきものとされていることなどに照らし,X医師が原告にテオドールを投与したことは債務不履行に当たると主張する。

 イ しかしながら,まず,①の点については,原告はその本人尋問においてこれに副う供述をし,原告作成の陳述書(甲A7)中にはこれに副う供述記載があるものの,前記1(1)イ(イ),(ウ)において認定した本件初診時における原告とX医師との会話の内容及び状況に照らせば,原告がセレベントを特定した上でこれを使用しないよう求めたものと解するのが自然であることに加え,仮に,原告が,気管支拡張剤を一切使用しないよう求めたのであれば,そのような原告に対する治療上重要な情報が,被告の診療録(乙A1)中に記載されないことは通常考えられないにもかかわらず,同診療録中にはそのような記載がないこと,原告は,本件初診前に受診していた他の病院においても,初診の際,医師に対し,気管支拡張剤を使わないでほしい旨説明してきたと供述するものの,本件初診前の平成16年1月21日から同年3月まで原告が受診した医療法人社団悠仁会羊ヶ丘病院の診療録(甲A2)中には,原告が同病院の医師に対しそのような説明をした旨の記載が全くないことなどに照らせば,前記供述部分ないし供述記載をたやすく採用することはできない。

 次に,②の点については,前記1(1)イ(ア)において認定したとおり,本件初診時における原告の症状は,痰が切れないことに加え,咳が出て,呼吸がひゅうひゅうしていたのであって,被告の診療録(乙A1)の記載はこれに副うものであり,したがって,原告の症状は原告が主張するように痰が切れないという程度のものであったということはできないから,原告の同主張はその前提を欠き,採用することはできない。

 また,③の点については,前記1(2)ア(イ)において認定したとおり,喘息予防・管理ガイドライン2003では,ステロイド薬の投与を優先するとされているものの,ガイドラインはあくまで治療の際の一般的な指針を示したものにすぎず,喘息治療薬の選択に関し,医師が当該患者の症状等に照らしてこれと異なる薬剤を処方することを一切禁止する趣旨ではないと解すべきであるし,また,前記1(2)イ(ウ)において認定したとおり,土橋医師作成の回答書(甲A9)では,ステロイド薬の投与が優先するとしながらも,代替の処方がなく,投与による利益が不利益を凌駕すると認められる場合においては,セレベントにより副作用が現れた患者に対してもテオドールを処方することがあるとされているところ,前説示のとおり,原告は,本件初診時以前からステロイド薬であるフルタイドを使用していたにもかかわらず,本件初診の際,呼吸がひゅうひゅうしており,症状の改善が十分ではなかったことに照らすと,喘息治療薬を変更ないし追加する必要があったというべきであり,加えて,前記1(2)イ(ア)において認定したとおり,ステロイド薬とテオフィリン薬による併用療法は,ステロイド薬の使用量を増やすよりも喘息の治療に有効であるとされていることをも併せ考慮すると,前記ガイドラインの存在を考慮しても,X医師が原告に対してテオドールを処方したことが不適切であったということはできないというべきである。したがって,原告の上記主張を採用することはできない。

  (3) よって,争点(1)についての原告の主張は理由がない。

 3 争点(2)(説明義務違反の有無)について

  (1) 説明義務の有無について

 前記1(2)イ(エ)において認定したとおり,テオドールの副作用として不整脈の生じる頻度は約0.21%程度と解されているところ,テオドールの添付文書(甲B1)において,副作用の発生頻度が0.1%以上であるか否かを基準として分類されていることに照らせば,約0.21%という発生頻度は,必ずしも低いとはいえない。また,前記1(1)イ(ウ),(2)イ(エ)において認定したとおり,テオフィリンについては,治療域血中濃度以上の濃度では用量依存的に不整脈等の中毒症状を起こす安全域の狭い薬剤の代表であるとの見解も示されていることに加え,X医師は,本件初診時,原告の主訴により,同人に心房細動の既往症があることを認識していた。

 これらの事情に照らせば,前記1(2)イ(エ)において認定したとおり,本件初診時までのX医師の臨床経験上,テオドールの服用によって重篤な副作用を生じた患者はおらず,また,心臓の疾患を有する患者に対してテオドールを処方しても,患者が副作用を訴えたことはなかったことなどを考慮しても,X医師は,本件初診の際,原告に対し,テオドールの副作用として不整脈が生じる可能性があることにつき説明すべき義務があったというべきである。

  (2) 説明の有無について

 ア そこで,X医師が原告に対して上記副作用が発生する可能性につき説明したか否かにつき検討するに,被告の診療録(乙A1)には,本件初診時にX医師がテオドールの副作用につき説明したことが全く記載されていないところ,原告は,X医師からテオドールの副作用について説明を受けたことは一切ない旨当初から一貫して主張し,原告本人尋問においても同旨の供述をしており,また,前記1(1)ウにおいて認定したとおり,原告がX医師から処方されたテオドールを全量服用したのは,本件初診の際,X医師に対して心房細動の既往症があることを告げたのに,同医師からテオドールの副作用として不整脈が発現する可能性がある旨の説明を受けなかったことから,そのような副作用があるとは考えなかったからであると解するのが合理的であること,他方で,X医師の供述は後記のとおり具体性に欠けていると言わざるを得ないことに照らすと,この点に関する原告の主張に副う原告本人の供述は信用できるというべきである。

 これに対し,X医師は,その本人尋問において,本件初診時に,原告に対して動悸,嘔気等のテオドールの副作用について説明した旨供述し,その作成に係る陳述書(乙A5)中にはこれに副う供述記載がある。しかしながら,同供述部分ないし供述記載は,原告に対して具体的に説明したことの記憶があるというものではなく,一般的な話として,初診の患者に対してテオドールを処方する際には副作用について説明しているというにすぎず,本件における説明に関しては,「初診であったため,はっきりは分かりませんが,したとは思いますが,定かではありません。」,「一般的に初診の患者さんにはお話ししてるんで,多分したんではないかなと思うぐらいです。」(被告代表者4・10頁)というに止まり,極めて曖昧である。さらに,同医師は,忙しいときなどには初診の患者に対して副作用を説明しなかったことがある旨自認しており(同15頁),仮に同医師が原告に対して上記副作用につき説明していたとすれば,原告は,同説明によりテオドールの副作用として不整脈が生じる場合があることを知りながらあえてこれを全量服用したということになるが,これは,前記1(1)ア(ア)において認定したとおり,本件初診時以前に心房細動の激しい発作を起こしたことがあった原告の行動としては,不自然であると言わざるを得ない。以上の諸点に照らすと,X医師の前記供述部分ないし供述記載をたやすく採用することはできない。

 以上によれば,本件において,X医師が,原告に対し,テオドールの副作用として不整脈があることについて説明したことはなかったものと認めるのが相当である。

 イ なお,被告は,本件初診日にクルミ薬局から原告に交付された薬剤情報提供書にテオドールが気管支拡張剤である旨が記載されていたことから,原告に対する説明義務を果たした旨主張するが,同薬剤情報提供書には,テオドールが気管支拡張剤である旨が記載されていたにすぎず,副作用の発生する可能性及びその具体的な内容等については一切記載されていないし,そもそも,薬剤の副作用についての説明は,基本的には薬剤を処方する医師が自ら患者に対して行うべきであって,薬局が患者に交付する薬剤情報提供書によって代替し得るものということはできないことに照らせば,同薬剤情報提供書の交付によって,原告に対する説明義務が果たされたと評価することもできない。

 ウ 以上のとおり,X医師は,原告に対し,テオドールの副作用として不整脈が生じる可能性があることを説明すべき義務があったにもかかわらずこれを怠ったものであるから,被告には,診療契約上の説明義務に違反した債務不履行があると認められる。

  (3) よって,争点(2)についての原告の主張は理由がある。

 4 争点(4)(原告に生じた損害の有無及びその程度)について

  (1) 以上によれば,被告には説明義務違反があり,原告としては,X医師からテオドールの副作用につき十分な説明を受けていれば,これを服用するか否かにつき慎重に考慮し,選択する余地があったというべきところ,そのような説明がなかったために,原告は,テオドールの副作用を十分に把握し,自らの権利と責任において自己の疾病の治療方法を決定する機会を奪われたことになるのであって,これによって原告が受けた精神的苦痛は,被告の前記説明義務違反と相当因果関係があるものというべきである。

  (2) そこで,原告が被った損害額について検討するに,被告の説明義務違反の内容・程度等本件に顕れた一切の事情を総合考慮すると,上記説明義務違反により原告が被った精神的苦痛を慰謝するには,100万円の慰謝料の支払をもってするのが相当である。また,弁論の全趣旨によれば,原告は,本件訴えの提起,遂行を原告訴訟代理人に委任し,相当額の報酬の支払を約束したことが認められるところ,本件事案の内容,主な争点,難易度,審理経過,認容額等の諸事情を総合考慮すると,本件における被告の説明義務違反と相当因果関係の範囲内の損害として被告に請求し得る弁護士費用は,上記認容額の1割に当たる10万円が相当である。

 なお,原告は,上記損害賠償請求権につき,本件初診日からの遅延損害金を請求しているが,診療契約の債務不履行に基づく損害賠償請求権は期限の定めのない債権であるから,請求によって遅滞に陥るものというべきであり,したがって,訴状送達の日の翌日から遅延損害金を請求しうるにとどまるものである。

第4 結論

 以上に認定,説示したところによれば,その余の争点につき検討するまでもなく,原告の請求は,110万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年1月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容すべきであるが,その余の請求は理由がないからこれを棄却すべきである。

 よって,主文のとおり判決する。

 



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