研修医が自殺したのは、病院での過重労働に起因するうつ病が原因であると認め損害賠償を認めた判
新潟地裁 令和4年3月25日判決
平成29年(ワ)第498号
主 文
1 被告は、原告X1に対し、5312万7928円及びこれに対する平成28年1月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 被告は、原告X2に対し、5312万7928円及びこれに対する平成28年1月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
4 訴訟費用は、これを3分し、その1を原告らの負担し、その余を被告の負担とする。
5 この判決は、第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。
ただし、被告が、各原告に対し、各4250万円の担保を供するときは、被告は、当該原告との関係において、その仮執行を免れることができる。
事実及び理由
第1 請求
1 第1次的請求
(1)被告は、原告X1に対し、7875万9895円及びこれに対する平成29年9月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)被告は、原告X2に対し、7875万9895円及びこれに対する平成29年9月16日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 第2次的請求
(1)被告は、原告X1に対し、7165万2386円及びこれに対する平成29年8月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
(2)被告は、原告X2に対し、7165万2386円及びこれに対する平成29年8月25日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
第2 事案の概要
本件は、〇〇である被告の設置運営するA病院(以下「本件病院」という。)において後期研修医として勤務していた亡B(以下「亡B」という。)が、平成28年1月25日に自殺により死亡したことについて、亡Bの●である承継前原告C(以下「亡C」という。)の訴訟承継人である原告らが、亡Bが自殺したのは、本件病院における過重な労働によってうつ病を発症したためであるとして、①第1次的に、本件病院の院長らには、亡Bの労働時間を管理し業務を軽減する権限の行使を怠った過失があったと主張し、被告に対し、国家賠償法1条1項による損害賠償請求権に基づき、亡Bから相続した死亡慰謝料及び逸失利益の合計1億7294万9396円に、これに対する平成28年1月25日から平成29年9月15日まで民法(ただし、平成29年法律第44号による改正前のもの。以下同じ。)所定の年5分の割合による遅延損害金1421万5019円を加えた1億8716万4415円から、労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償一時金4172万2000円を控除した1億4544万2415円及び弁護士費用1207万7376円の合計1億5751万9791円について、その相続分に応じ、それぞれ7875万9895円及びこれに対する平成29年9月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求め、②第2次的に、被告には安全配慮義務違反があると主張し、債務不履行による損害賠償請求権に基づき、その相続分に応じ、それぞれ7165万2386円及び履行請求日の後である平成29年8月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
なお、亡Cは本件訴訟係属中の平成30年2月6日に死亡し、亡Cの両親であり、亡Cを2分の1ずつ相続した原告らが、本件訴訟手続を承継した。
1 前提事実(末尾に証拠等を掲げていない事実は、当事者間に争いがない。)
(1)当事者等
ア 亡B、亡C及び原告ら
(ア)亡B(昭和53年○○月○日生。死亡当時37歳)は、平成25年3月に医師国家試験に合格した後、同年4月から、前期研修医としてH病院において勤務し、平成27年4月から、後期研修医として本件病院の消化器外科(以下、単に「消化器外科」という。)で勤務していた者である。
亡Bは、平成28年1月24日から翌25日にかけて、〇〇市内の公園内で、自殺のために睡眠薬を服用して寝込み、搬送先の病院において、低体温症により死亡した(以下「本件自殺」という。甲2、20)。
(イ)亡Cは、亡Bの夫であり(平成20年10月27日婚姻)、亡Bを単独で相続した者である(甲38、39の1ないし3、41ないし44)。亡Cは、平成30年2月6日に自殺を図り、死亡した。
(ウ)原告X1及び原告X2(以下「原告X2」という。)は、亡Cの両親であり、亡Cを2分の1ずつ相続した者である。
イ 被告
(ア)被告は、本件病院を設置運営する地方公共団体であり、本件病院の院長をはじめとする本件病院の医師は、いずれも、被告の地方公務員である。
(イ)D医師(以下「D医師」という。)は、平成20年4月1日から現在に至るまで、本件病院の消化器外科診療科副部長を務めている者である(乙24)。
(2)労災保険給付の支給決定等
ア 亡Cは、平成28年8月17日、新潟労働基準監督署(以下、単に「労働基準監督署」という。)に対し、亡Bの本件自殺について、労災保険法に基づく遺族補償一時金の支給を請求した(甲2)。
イ 労働基準監督署は、亡Bの本件病院における平成27年4月1日から同年9月30日までの間の労働時間は、別表1記載のとおりであること等を認定した上で、亡Bが、平成27年9月頃、世界保健機構(WHO)の国際疾病分類第10回修正版(以下「ICD-10」という。)「F32.9うつ病エピソード、特定不能のもの」を発病したこと、亡Bの精神障害発病に業務起因性が認められ、本件自殺は、当該精神障害による病的な心理のもとでなされたものであると判断し、平成29年5月31日、遺族補償一時金として4172万2000円を亡Cに支給することを決定した(甲2)。
ウ 別表1記載の労働時間の認定に際しては、客観的な資料に基づき特定できる労働時間として、①出務票で出勤の押印がある日の所定労働時間、②宿日直・時間外勤務命令票で時間外労働時間の自己申告が認められる時間、③手術記録のうち手術時間、④電子カルテシステムの操作記録のうち、担当患者の電子カルテを閲覧している時間(ただし、一カルテの閲覧時間が30分を超える場合は30分とする。)及び⑤電子カルテシステムの操作記録のうち、電子カルテを記述している時間(ただし、一カルテの記述時間が30分を超える場合は30分とする。)が積算され、聴取調査等に基づき推定できる労働時間として、回診時間や電子カルテシステムのログイン・ログアウトの操作時間及びそれぞれの間隙時間が考慮された。他方、担当患者以外の電子カルテの閲覧時間や他病院での当直にあたった労働時間は、積算から除外された(甲2)。
エ 労働基準監督署から意見を求められた新潟労働局地方労災医員協議会精神障害等専門部会(以下「専門部会」という。)は、亡Bには、「抑うつ気分、興味と喜びの喪失、易疲労感、集中力と注意の減退、精神運動制止、易刺激性、焦燥感、不眠、食欲不振、自殺既遂」が認められ、平成27年9月頃に症状が出現し、平成28年1月25日に自殺していることから、ICD-10の「F32.9 うつ病エピソード、特定不能のもの」を平成27年9月頃に発症していたと診断した。専門部会が、特定不能のものに分類したのは、関係者からの申述により亡Bにはうつ病が発病していたことは確実であるが、発病後医療機関への受診がない等、重症度を特定する根拠が乏しいことによるものとされている(甲2、22)。
(3)本件訴訟に至る経緯等
ア 亡Cは、平成29年7月7日付け請求書(甲5)によって、被告に対し、被告の亡Bに対する安全配慮義務違反を理由として、1億4307万3245円及び遅延損害金の支払を求めたが、被告は、同年8月25日付けで、本件病院に安全配慮義務違反はなかったものと考えており、亡Cへの支払には応じられない旨回答した(甲6)。
イ 亡Cは、平成29年9月22日、被告を相手方として労働審判を申し立てたが、その後本件訴訟に移行した。
なお、亡Cは、本件訴訟係属中の平成30年2月6日に死亡したため、原告らが、同年4月17日、本件訴訟手続を承継し、被告に対し、亡Cが亡Bから相続した被告に対する損害賠償請求権及び遅延損害金について、それぞれ2分の1ずつの支払を求めている。
2 医学的知見等
(1)うつ病の診断基準等について
ア ICD-10について(甲19、25、乙7、12)
操作的診断法であるICD-10のうつ病の診断基準によれば、「軽症うつ病エピソード」の診断を確定するためには、うつ病にとって典型的な症状とされる、抑うつ気分、興味と喜びの喪失及び易疲労性のうち少なくとも2つの症状が存在することに加え、その他の一般的症状として、①集中力と注意力の減退、②自己評価と自信の低下、③罪責感と無価値観、④将来に対する希望のない悲観的な見方、⑤自傷あるいは自殺の観念や行為、⑥睡眠障害、⑦食欲不振のうち少なくとも2つが存在し、各症状は少なくとも2週間は明らかに持続しなければならないとされている。
「F32.9 うつ病エピソード、特定不能のもの」の分類は、うつ病エピソードが明らかに存在するが、情報不足などにより、それが原発性か、身体疾患によるものか、又は物質使用によって誘発されたものか特定できない場合に用いられるとされている。
イ 米国精神医学会が制定したDSM-5について(甲26、乙7、12)
ICD-10と同様に操作的診断法であるDSM-5では、「大うつ病性障害」と診断するためには、同基準が定める症状のうち5つ以上が同じ2週間の間に存在し、病前の機能からの変化を起こしていること、これらの症状のうち少なくとも1つは、ほとんど一日中、ほとんど毎日の抑うつ気分又はほとんど一日中、ほとんど毎日の、全て若しくはほとんど全ての活動における興味、喜びの著しい減退であるとされる。
DSM-5においても、ICD-10の「F32.9 うつ病エピソード、特定不能のもの」に類似の分類として「特定不能の抑うつ障害」という分類があり、臨床的に意味のある苦痛、又は社会的、職業的、若しくは他の重要な領域における機能の障害を引き起こす抑うつ障害に特徴的な症状が優勢であるが、抑うつ障害群の分類中のいずれの基準も完全には満たさない場合に適用される。この分類は、臨床家が、特定の抑うつ障害の基準を満たさない理由を特定しないことを選択した場合及び特定の診断を下すのに十分な情報がない状況において使用される。
(2)令和2年8月21日付け厚生労働省労働基準局長通達「心理的負荷による精神障害の認定基準について」(甲37。以下「認定基準」という。)について
以下の記載については、改正前の平成23年12月26日付け通達でも同様に規定されていた(甲21)。
ア 認定基準によれば、①対象疾病を発病していること、②対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること、③業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したとは認められないことのいずれの要件も満たす対象疾病は、業務上の疾病として取り扱うとされている。
そして、対象疾病の発病の有無、発病時期及び疾患名は、ICD-10に基づき、主治医の意見書や診療録等の関係資料、請求人や関係者からの聴取内容、その他の情報から得られた認定事実により、医学的に判断され、また、精神障害の治療歴のない事案については、主治医意見や診療録等が得られず発病の有無の判断も困難となるが、この場合にはうつ病エピソードのように症状に周囲が気づきにくい精神障害もあることに留意しつつ関係者からの聴取内容等を医学的に慎重に検討し、ICD-10に示されている診断基準を満たす事実が認められる場合又は種々の状況から診断基準を満たすと医学的に推定される場合には、当該疾患名の精神障害を発症したものとして取り扱うとされている。
イ 心理的負荷について、認定基準によれば、極度の長時間労働は、心身の極度の疲労、消耗を来し、うつ病等の原因となることから、発病日から起算した直前の1か月間におおむね160時間を超える時間外労働を行った場合や、発病日から起算した直前の2か月間に1か月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行い、その業務内容が通常その程度の労働時間を要する場合には、心理的負荷の総合強度を「強」とするとされている。
3 主な争点
(1)亡Bの業務と同人の死亡との相当因果関係の有無(亡Bの業務の過重性並びにうつ病発症の有無及び時期を含む。)
(2)被告の安全配慮義務違反の有無及び被告の責任
(3)過失相殺等の可否及び割合
(4)亡Bの損害等
4 主な争点に対する当事者の主張
(1)争点(1)(亡Bの業務と同人の死亡との相当因果関係(亡Bの業務の過重性並びにうつ病発症の有無及び時期を含む。))について
(原告らの主張)
以下のとおり、亡Bは、平成27年9月頃にはうつ病を発症していたものであり、亡Bの業務と亡Bの本件自殺との間に相当因果関係が認められる。
ア 亡Bの業務の過重性について
亡Bのうつ病発症直前1か月の時間外労働時間は、労働基準監督署の算定によっても、177時間と認定されており、認定基準によれば、心理的負荷の総合評価を「強」とする場合に当たる。また、亡Bのうつ病発症直前の連続した2か月間や3か月間の時間外労働時間も、労働基準監督署の算定によったとしても、認定基準によれば、心理的負荷の総合評価を「強」とする場合に当たる。したがって、労働時間の点だけからも、亡Bが精神疾患に至る危険性の高い程度の長時間労働をさせられてきたことは明白である。
なお、労働基準監督署が亡Bの労働時間を算定するにあたって、一部又は全部について除外した担当患者以外のカルテの閲覧時間や、本件病院から派遣されていた外部の病院での勤務時間等も亡Bの労働時間に加算すべきであり、実際の時間外労働時間は労働基準監督署認定の時間よりも多かったというべきである。
加えて、手術を含む医師としての医療業務そのものが緊張感を持たざるを得ないものであるところ、亡Bは、後期研修医として未だ研修途上であり、一般の医師よりも強い精神的負荷を受けていたと考えられ、しかも、平成27年8月には中難度の急性汎発性腹膜炎手術、腹壁瘢痕ヘルニア修復術を含む14件もの手術を執刀しており、職務負担の質的増強もあった。
イ 亡Bのうつ病の発症及びその時期について
亡Bは、平成27年9月頃から、趣味の手芸や愛犬の世話をしなくなったり、何日も風呂に入らず、服も脱ぎっぱなしで、部屋を片付けなくなったり、よく眠れない、日中の感情が思わしくないといって、亡Cが処方されていた睡眠薬や精神安定剤を分けてもらって服用したりする等のうつ病の症状が現れていたのであり、同月頃にはうつ病を発症していた。
なお、被告は、職場である本件病院において、亡Bにうつ病の発症を疑わせるような様子は見られなかった旨主張するが、うつ病患者が職場ではうつ病を隠して元気に振る舞い、業務に支障が出ないことはよくあることであり、本件病院においてうつ病の症状が見られなかったからといって、亡Bがうつ病を発症していなかったとはいえない。
ウ 以上からすれば、亡Bの業務(長時間労働等)と亡Bのうつ病発症との間に相当因果関係があることは明らかであり、それ故、亡Bの業務と亡Bの死亡との間においても相当因果関係が認められる。
なお、被告は、亡Cがうつ病等に罹患していたこと等が業務外の心理的負荷としてうつ病発症の原因である旨の主張をするが、極めて茫漠とした主張であり、失当である。
(被告の主張)
原告らの主張を争う。
以下のとおり、亡Bはうつ病を発症しておらず、仮に発症していたとしても発症したのは死亡(平成28年1月25日)の直前であり、亡Bの業務と亡Bの死亡との間に相当因果関係は認められない。
ア 亡Bの業務について
亡Bが死亡した平成28年1月25日の直前の6か月間の労働時間は別表2(乙15の1ないし6)のとおりであるから、1か月ごとに集計した時間外労働時間は、以下のとおりである。
死亡前1か月目(平成27年12月26日から同28年1月24日まで)
67時間42分
死亡前2か月目(平成27年11月26日から同年12月25日まで)
116時間48分
死亡前3か月目(平成27年10月27日から同年11月25日まで)
101時間19分
死亡前4か月目(平成27年9月27日から同年10月26日まで)
71時間58分
死亡前5か月目(平成27年8月28日から同年9月26日まで)
112時間14分
死亡前6か月目(平成27年7月29日から同年8月27日まで)
160時間03分
したがって、亡Bの時間外労働時間は、認定基準に照らして、心理的負荷を「強」とすべき場合にあたらない。
イ 亡Bがうつ病を発症していないことについて
亡Bがうつ病を発症していたことを裏付ける診断書等の客観的な証拠は存在しない。
また、うつ病を発症していれば、職場及び家庭生活のいずれの場面においても、うつ病特有の言動が見られるはずであるところ、亡Bが本件病院での勤務を始めた平成27年4月から平成28年1月24日までの間、職場である本件病院において、亡Bにうつ病を発症していることを疑わせるような言動は一切見られず、業務に支障をきたす状況も確認されていない。かえって、亡Bは、平成27年10月頃以降、手術の手技が見違えるほど上達し、亡B自身も手術が楽しくなってきた旨発言していたのである。なお、原告らが主張する同年9月頃からのエピソードは、職場における言動ではなく、客観的な裏付けもなく、信用できないし、労働基準監督署の判断においても、同年10月から同年12月までの3か月間のエピソードの記載はない。
加えて、ICD-10の診断基準によると、うつ病と診断するためには、重症度の如何に関係なく、典型的な症状である抑うつ気分や興味と喜びの喪失、易疲労性のうち2つ以上が、少なくとも2週間持続することが必要であるし、DSM-5の診断基準によると、うつ病と診断するためには、同じ2週間の間に、少なくとも、ほとんど一日中、ほとんど毎日の抑うつ気分又はほとんど一日中、ほとんど毎日の、全て若しくはほとんど全ての活動における興味、喜びの著しい減退が存在することが必要である。しかし、上記のとおり、亡Bには、少なくとも勤務中において上記の各診断基準に該当するような言動は認められていない。
したがって、ICD-10及びDSM-5の診断基準のいずれにあてはめても、亡Bがうつ病を発症していたとはいえない。
亡Bは、平成27年4月7日以降、死亡する直前である平成28年1月22日までの間、執刀医又は助手として、合計245件の手術に関与しているが、亡Bと同じ手術に関与した他の医師や看護師等からは、亡Bの様子に変化があったとの供述は全くない。また、亡Bは、平成27年10月以降本件自殺直前の平成28年1月22日までの間に107件もの手術に関与していたが、仮に平成27年9月頃にうつ病を発症していたとすれば、約4か月もの間、手術手技への影響が全く出ていなかったということは通常考えられない。そして、そのような影響が出ていたのであれば、精緻さが求められる外科手術において、周囲が気付かないことも通常考えられない。
ウ 亡Bの業務外の心理的負荷について
仮に亡Bがうつ病を発症していたとすれば、亡Cがうつ病等に罹患していたこと、すなわち、業務以外の心理的負荷が原因であったというべきである。
亡Cは、平成14年よりパニック障害について、平成19年1月よりうつ病等について、通院を要する程の状態であったところ、亡Bは、このような障害を有する亡Cと、少なくとも結婚した平成20年以降、死亡するまでの約8年の長期間にわたり同居し、心理的負荷を受け続けてきた。
さらに、原告らと同居している亡Cの弟にも、アスペルガー障害、強迫性障害の診断名での入院歴があり、同人は、平成28年1月27日当時も精神科に通院中であったから、この点も亡Bの心理的負担を増加させたものというべきである。
エ 以上より、亡Bはそもそもうつ病を発症しておらず、仮にうつ病を発症していたとしても本件自殺の直前に発症したものであること、発症の原因は亡Bの業務にあるのではなく、業務以外の心理的負荷にあることからすれば、いずれにせよ亡Bの業務と亡Bのうつ病発症及び死亡との間に相当因果関係は存在しない。
(2)争点(2)(被告の安全配慮義務違反の有無及び被告の責任)について
(原告らの主張)
ア 被告は、勤務医の労働時間を把握する義務を負っていたが、それにもかかわらず、何ら労働時間を把握しようとせず、業務軽減策を講じず、結果として亡Bを過重な業務によりうつ病に罹患させて、死亡に至らしめたものであり、被告の安全配慮義務違反は明らかである。
なお、本件のように異常な長時間労働がされた場合の予見可能性の対象は過重な業務等自体であると解すべきところ、被告は、亡Bに極めて高い量的・質的な業務上の負荷がかかっていることを予見することが可能であった。
イ 本件病院の院長らは、上記安全配慮義務を果たすためその権限を行使すべきであったが、過失によりその権限を行使せず、亡Bに過剰に長時間労働をさせたものであるから、その職務を行うに当たり、過失により違法に亡Bに損害を与えたものであり、その損害について国家賠償法上の責任を負う。仮に上記責任が認められないとしても、被告は安全配慮義務を怠ったものとして、債務不履行による損害賠償責任を負う。
(被告の主張)
原告らの主張を争う。
ア 本件のような自殺事案においては、仮に業務と自殺との間に相当因果関係が認められる場合であっても、第1に、うつ病等の精神障害を発症するおそれについての個別的・具体的な予見可能性が必要であり、この予見可能性が認められる場合には、第2に、当該精神障害により自殺することについての個別的・具体的な予見可能性が必要であるというべきである。
そうすると、亡Bがうつ病に罹患していたことを疑わせるような言動は、亡Bの職場である本件病院において一切見られなかったこと、仮にうつ病に罹患していたとしても、その発症は亡Bの死亡の直前であったことからすれば、亡Bがうつ病等の精神障害を発症すること、ましてや、精神障害によって亡Bが死亡することを被告が具体的に予見することは不可能であった。
また、仮に亡Bがうつ病を発症していたとしても、発症時期は死亡の直前であったことから、被告には結果回避可能性はなかった。
イ 以上より、被告には国家賠償法上の責任も債務不履行責任も認められない。
(3)争点(3)(過失相殺等の可否及び割合)について
(被告の主張)
仮に亡Bの本件自殺が本件病院における労働に起因するとしても、損害額の算定に当たっては、損害額の衡平な分担の見地から、以下の点を考慮し、損害額から少なくとも9割の過失相殺等の減額をすべきである。
ア 医師は、一般人に比してより正確に自らの心身の状態を把握し、これを自ら管理する能力が十分に備わっているのであるから、可能な限り自らの健康保持に努めるべき義務を負うところ、亡Bは、自らの健康に異変が生じていることを認識していたにもかかわらず、専門医に受診する等の適切な対応を怠っていた過失がある。
イ 亡C及び原告X2は、亡Bの異変を認識していたにもかかわらず、亡Bを専門医に受診させる等の適切な対応を怠った過失がある。
ウ 亡Cは、平成14年より、パニック障害の診断名で診療機関に受診し、平成19年1月からはうつ病等の診断名で別の診療機関に受診し、亡Bが死亡した平成28年1月25日当時も通院中であったが、このことは、亡Bにとって、相当の精神的負担となっていた。
エ 亡Bは、本件病院に採用される前から不安症及び片頭痛という精神障害の既往症があり、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れる脆弱性を有していた。
(原告らの主張)
被告の主張を争う。
ア 亡Bによる服薬がうつ病悪化に寄与したといえる根拠はなく、亡Bが専門医に受診しなかったことは結果と関連する過失とはならない。
イ 専門家ではない亡Cや原告らに、亡Bを受診させる等の対応を期待するのは無理があり、亡Cや原告らに過失があったとはいえない。
ウ 被告は亡Bの既往症を理由に損害額を減額すべき旨主張するが、亡Bの不安症での受診は平成26年3月が最後であり、本件病院勤務中にも不安症の症状があったといえる根拠はない。
(4)争点(4)(亡Bの損害等)について
(原告らの主張)
ア 第1次的請求(国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求)に係る損害
(ア)死亡慰謝料 2400万円
(イ)逸失利益 1億4894万9396円
亡Bの基礎収入を平成28年賃金センサス・医師・男女計・企業規模計全年齢労働者平均賃金年収である1240万0700円、就労可能年数を40年(ライプニッツ係数17.1591)、生活費控除率を30%とすると、亡Bの逸失利益は、以下のとおりに算出される。
(計算式)1240万0700円×17.1591×0.7
=1億4894万9396円
(ウ)遺族補償一時金による損益相殺
上記(ア)及び(イ)の合計1億7294万9396円に対する亡Bが死亡した平成28年1月25日から遺族補償一時金が支給された平成29年9月15日まで年5分の割合による遅延損害金1421万5019円から遺族補償一時金4172万2000円を損益相殺した上で、さらに残額を上記(ア)及び(イ)の合計額から損益相殺すると、1億4544万2415円(1421万5019円-4172万2000円+1億7294万9396円)となる。
(エ)弁護士費用 1207万7376円
(オ)以上より、亡Bの損害は、合計1億5751万9791円である。
イ 第2次的請求(債務不履行に基づく損害賠償請求)に係る損害
亡Bの損害は、死亡慰謝料2400万円と逸失利益1億4894万9396円(前記ア(ア)及び(イ)と同じ)の合計1億7294万9396円から、遺族補償一時金4172万2000円を控除し、弁護士費用1207万7376円を加えた合計1億4330万4772円である。
(被告の主張)
原告らの主張を争う。
第3 当裁判所の判断
1 認定事実
前記第2の1の前提事実に証拠及び弁論の全趣旨を併せると以下の事実が認められ、他に同認定を覆すに足りる証拠はない(なお、認定に要した主要な証拠を認定事実ごとに掲記する。)。
(1)亡Bの本件病院における労働環境等
ア 亡Bの労働条件及び本件病院の労働時間の把握方法等
(ア)亡Bの労働条件
亡Bは、後期研修医として平成27年4月1日から本件病院で勤務していたところ、その所定労働時間は、平日の午前8時30分から午後5時まで(うち休憩時間60分)とされ、土日祝祭日が休日とされていた(乙3の1・2)。
(イ)本件病院の労働時間の把握方法等
本件病院では、亡Bが同病院で勤務をしていた当時、タイムカードによる労働時間の管理は行われておらず、労働者本人から科部長に申告することによって時間外労働時間が把握され、超過勤務手当が支払われていた(乙10、17、証人D医師)。
なお、本件病院は、平成21年9月2日、労働基準監督署から、時間外労働に関する協定の限度時間を超える労働をさせていたこと等について、是正勧告を受けていた(甲3)。
イ 亡Bの就労状況等
(ア)消化器外科の体制(甲2、乙10、24、証人D医師)
消化器外科は、平成27年4月1日から亡Bの死亡まで、科部長、科副部長を含む計11名の医師が所属しており、そのうち、後期研修医は、亡Bを含む3名であった。
また、消化器外科は、上部消化管チーム、下部消化管チーム、肝胆膵チームの3つのチームに分かれており、研修医は、半年ごとに各チームを入れ替わっていた。D医師は、平成26年4月1日から、肝胆膵チームのチーム長をしていた。
消化器外科では、慣例により、研修医がE病院とF病院で宿日直を行うことがあり、本件病院とは別に、これらの病院がそれぞれ宿日直を行う研修医の出勤日の管理及び賃金の支払を行っていて、亡Bも上記各病院の宿日直を行うことがあった。
(イ)亡Bの消化器外科における勤務内容等(甲2、乙10、24、証人D医師)
亡Bは、平成27年4月1日から上部消化管チームの後期研修医として勤務を開始し、同年10月1日からは、D医師がチーム長を務める肝胆膵チームにおいて勤務を開始した。
亡Bは、所定労働時間内においては、入院患者の回診、手術、症例検討会及びその準備、カルテ作成等の業務に、また、所定労働時間外においては、カルテ作成、緊急手術、時間外回診、レセプト作成、ICU夜勤・日勤等の業務に従事しており、この他に手術の練習、イメージトレーニング、調査などの自己研さんも並行して行っていた。
亡Bは、執刀医又は助手として、平成27年4月7日から平成28年1月22日までの間に合計245件の手術に関与しており(平成27年9月30日以前に関与した手術件数138件、同年10月1日以降に関与した手術件数107件)、そのうち執刀医として関与した手術の件数は、平成27年4月が4件、同年5月が8件、同年6月が7件、同年7月が13件、同年8月が14件、同年9月が12件、同年10月が11件、同年11月が8件、同年12月が15件、平成28年1月は同月22日までに14件であった(甲10、乙5)。亡Bは、少なくとも上部消化管チームに所属していた平成27年9月30日までの段階で、手術の経験は少なく、技量も未熟な状態であった(乙24、証人D医師)。
(2)平成27年の秋頃以降の亡Bの本件病院における様子等
ア 亡Bは、平成27年10月1日から所属することになった肝胆膵チームにおいて、同年12月末頃には、急性虫垂炎に対する腹腔鏡手術を約30分で行うこともできるようになり、平成28年1月には、指導医の助けを借りずに、最初から最後まで執刀できるという程度まで手技の向上が見られた(乙24、証人D医師)。
イ 亡Bは、診察に際し、患者や患者の家族からクレーム等を寄せられたことはなかった(乙24、証人D医師)。
ウ 亡Bは、平成28年1月に行われた消化器外科の属する病棟の医師及び看護師による新年会に参加し、仮装をして余興にも参加するなどしていた(乙25の1ないし10、26、証人D医師)。
エ 亡Bの死亡後に労働基準監督署から聴取を受けた亡Bの同僚やD医師は、本件自殺に至るまで、亡Bの心身の異常について、特に気付いた点はなかった(乙8ないし10、24、証人D医師)。
オ 他方、亡Bは、平成27年の秋以降、日当直を忘れたことが数回あり、本件自殺を図る前日である平成28年1月23日も当直業務を忘れていた(甲2)。
(3)亡Bの家庭における様子等(甲20、24、32、原告X2本人)
ア 亡Bは、平成13年頃に亡Cと知り合い、平成20年10月27日に婚姻した。亡B及び亡Cは、婚姻後、亡Cの両親である原告らと二世帯住宅で生活した。
イ 亡B及び亡Cの住宅と原告らの住宅は、2階から行き来ができるようになっており、月曜日から金曜日まで、亡Bは、原告らの住宅で、亡C及び原告らと食事を共にしていたが、亡Bが本件病院に勤務をするようになった平成27年4月以降は、原告らと共に食事をすることはなくなった。
ウ 亡Bは、平成27年9月以降、趣味であった手芸や愛犬の世話をしなくなり、一人で自室で過ごす時間が増え、休日も自室でほとんど寝ているようになった。
また、亡Bは、自宅で食事を摂らなくなり、美容院に髪を切りに行かずに自分で髪を切るようになり、何日も風呂に入らず、服も脱ぎっぱなしで、部屋の片付けもしなくなった。
さらに、亡Bは、亡Cに対し、よく眠れないと言って、亡Cが処方されていた睡眠薬や精神安定剤を分けてもらい、それらを服用することがあった。
エ 亡Bは、平成28年1月中旬ころ、亡Cに対し、当初目指していた医師像より過酷であり、疲れ果てており、看護助手であればこんな状況になることはなかった、医師を目指した自分も悪いが、医師になることを勧めた亡Cにも責任があるなどと言って、責めることがあった。
(4)亡Bの既往歴
亡Bは、不安症(ICD-10:F411)との傷病名で平成25年10月24日及び平成26年3月13日にH病院で受診して薬剤を処方されており、また、平成25年9月12日及び平成26年10月2日に片頭痛(ICD-10:G439)により、同病院で受診して薬剤を処方された(甲2)。
(5)亡Cの既往歴
亡Cは、平成14年よりパニック障害の診断名で医療機関に受診し、また、平成19年1月からは、うつ病等の診断名で別の医療機関に受診し、労働基準監督署が亡Cに対する遺族補償一時金の支給を決定した平成29年5月31日当時も、通院中であった(甲2)。
2 争点(1)(亡Bの業務と同人の死亡との相当因果関係の有無(亡Bの業務の過重性並びにうつ病発症の有無及び時期を含む。))について
(1)亡Bの業務の過重性について
ア まず、亡Bの本件病院における時間外労働時間について検討する。前記第2の1(2)ウのとおり、労働基準監督署は、出務票で出勤の押印がある日の所定労働時間、宿日直・時間外勤務命令票で時間外労働時間の自己申告が認められる時間及び手術記録のうち手術時間等を客観資料に基づき特定できる労働時間等として積算し、亡Bの本件病院における平成27年4月1日から同年9月30日までの間の労働時間を、別表1記載のとおりであると認定しているところ、亡Bの労働時間を把握する手法として不合理な点は特段認められないこと、被告が主張する別表2記載の労働時間もおおむね同様の方法によって算出されたものであること(乙15の1ないし6、16、17)からすれば、同年4月1日から同年9月30日までの間の亡Bの本件病院における労働時間は、少なくとも別表1記載の範囲で認めるのが相当である(甲2)。
なお、原告らは、担当患者以外のカルテの閲覧時間についても、自己の担当する患者の資料の参考にするために閲覧した可能性は否定できず、また、担当外患者の急変などのため閲覧していた可能性も否定できないとして、電子カルテまたはセキュリティ記録と被告主張の労働時間が合致しない場合には、電子カルテやセキュリティ記録に合わせるべきであると主張するところ、確かに原告らが主張する点は首肯できなくもないが、亡Bの担当患者以外のカルテの閲覧時間がどのような目的で使われていたかは証拠上判然としないものであるから、原告らの主張をそのまま採用することはできない。また、原告らは、本件病院から派遣された他の病院での宿日直勤務等の時間についても労働時間に加えるべきであると主張するが、各病院と亡Bとの間の雇用契約であること(甲2参照)を否定する事情は認められない以上、亡Bの本件病院における労働時間としては算入すべきではないと解される。したがって、原告らの上記主張は上記労働時間の認定を左右しない。
イ そうすると、平成27年9月を基準にしてその直前1か月から6か月まで、1か月単位で時間外労働時間を算出すると、別表3記載のとおりとなり、同年9月を基準に直前1か月当たりの時間外労働時間は、最も少ない同月27日を基準にしても99時間55分であり、最も多い同月10日を基準にすると177時間56分にも及んでいるところ、同月1日から同月12日までの12日間のうち10日間はいずれも160時間を優に超える時間外労働時間であったことが認められる。
したがって、平成27年9月1日から同月12日までを基準とする、その直前、1か月の亡Bの時間外労働時間は、そのうち10日間も直前1か月の時間外労働時間が160時間を超えているのであるから(なお、残りの2日間も150時間を超えている。)、かかる極度の長時間労働に従事したことのみで、それ自体うつ病を発症し得る程度の心理的負荷をもたらすものであったというべきである。
ウ その上、亡Bの業務の内容は、前記1(1)イ認定の事実のとおり、多数の手術への関与を含む、緊張感を伴うものであったから、手術の内容が比較的軽易とされるものであったとしても、未だ経験が浅く、技術も未熟な後期研修医であった亡Bにとって、相当重い心理的負担を感じるものであったと考えられるし、深夜の宿直や緊急手術の呼出等の不規則な業務も心理的負担を伴うものであったといえる。
(2)亡Bのうつ病の発症及びその時期について
ア 前記1(3)ウ及びエ認定の事実によれば、亡Bは、平成27年9月頃から死亡するまでの間、少なくとも家庭おいて、ICD-10のうつ病の診断基準によれば、うつ病にとって最も典型的な症状とされる、抑うつ気分、興味と喜びの喪失、易疲労感、さらに、その他の一般的症状とされる、自己評価と自信の低下、将来に対する希望のない悲観的な見方、睡眠障害という症状が日常的にあったものと認められる。
そして、前記(1)で説示したとおり、平成27年9月を基準とした亡Bの労働時間や労働の内容等は精神障害を発症しうる程度に過重な心理的負荷をもたらすものであったことに加え、前記第2の1(2)エ認定の事実によれば、専門部会は、亡Bには、「抑うつ気分、興味と喜びの喪失、易疲労感、集中力と注意の減退、精神運動制止、易刺激性、焦燥感、不眠、食欲不振、自殺既遂」が認められ、同月頃に症状が出現し、平成28年1月25日に自殺していることから、ICD-10の「F32.9 うつ病エピソード、特定不能のもの」を平成27年9月頃に発症していたと診断しており、上記専門部会の意見も考慮すれば、亡Bはうつ病(ICD-10の分類上、「F32.9うつ病エピソード、特定不能のもの」と解される。)を発症しており、またその発症時期は、前記1(3)ウ及びエ認定の事実のとおり、うつ病を示唆する亡Bの言動等が日常的に認められるようになった同月頃と認めるのが相当である。
イ 被告は、亡Bがうつ病を発症していたのであれば職場においてもうつ病特有の言動が見られるはずであるのに、亡Bには、平成27年4月から平成28年1月24日までの間、本件病院において、そのような言動は一切見られず、また、業務に支障をきたす状況も確認されていない、原告らが主張する平成27年9月頃からのエピソードは、客観的な裏付けもなく、そもそも信用できない、労働基準監督署の判断においても同年10月から12月までの間、うつ病を示唆するエピソードがないとして、亡Bはうつ病を発症していなかった旨及び仮にうつ病を発症していたとしても、発症したのは本件自殺の直前であった旨主張する。
しかし、うつ病患者がうつ病を発症していた場合であっても、その症状の程度等によっては、職場において周囲の人間が同人の変調に気付かないということも十分にあり得るのであって(甲18、23参照)、D医師や亡Bの同僚が亡Bの変調に気付かなかったとしても、そのことからうつ病の発症が直ちに否定されるものではないこと、前記1(2)オ認定の事実によれば、亡Bは、平成27年の秋以降、日当直を忘れたことが数回あったというのであるから、本件病院において、うつ病特有の言動が全く表面化していなかったともいえないこと、亡Bの家庭における様子に関する亡Cの聴取書(甲20)並びに原告X2の陳述書(甲24、32)及び供述(原告X2本人)は、その内容からして一応信用できることに加え、同年9月頃にうつ病エピソードを発症したとする専門部会の意見は、証拠(甲2、22)及び弁論の全趣旨によれば、亡Bにうつ病を疑わせる言動や業務への支障が見られなかった旨の複数人の同僚からの聴取結果(乙8ないし10)の提出も受けた上で、医学的知見に基づいて診断されたものであることからすれば、前記被告の主張は亡Bが同年9月頃にうつ病を発症しでいたという上記判断を左右しない。
(3)亡Bのうつ病の発症と業務との相当因果関係
ア 精神障害の発症と業務との相当因果関係を判断するに当たっては、厚生労働省は、認定基準(心理的負荷による精神障害の認定基準について)を作成しているところ、認定基準は、労災保険法における業務起因性の有無の判断に用いられる基準ではあるが、その考え方は、安全配慮義務違反の有無を判断する前提として、精神障害の発症と業務との間の相当因果関係を検討するにあたっても、参照するのが相当というべきである。
そして、前記(1)で認定したとおり、平成27年9月を基準とした直前1か月当たりの亡Bの時間外労働時間は、それ自体うつ病を発症し得る程度の心理的負荷をもたらすものであり、その業務の内容も相当重い心理的負担を伴うものであったことからすれば、亡Bの同月頃のうつ病の発症と本件病院における亡Bの業務との間には、相当因果関係が認められる。
イ 被告は、亡Bの業務以外の要因として、亡Bが、亡Cやその弟の精神障害によって、心理的負荷を長期間にわたって受けてきた旨主張する。
確かに、前記1(5)認定の事実のとおり、亡Cは、亡Bと婚姻する平成20年10月27日の前である平成19年1月から、うつ病等の診断名で医療機関で受診し、亡Bがうつ病を発症した平成27年9月頃当時も通院中であったことが認められ、亡Bに相応の心理的負荷があったことは推認できるが、本件全証拠に照らしても、亡Bが本件病院への勤務を開始する前後で亡Cの症状に変化等があり、それにより亡Bがうつ病を発症したことを認めるに足る証拠はないし、亡Cの弟の精神障害については、具体的にどの程度の症状であり、それにより亡Bがどのような心理的負荷を負ったかについて、本件全証拠に照らしても不明というほかないから、いずれにしても、前記アの判断を左右するものではない。
(4)以上のとおり、亡Bの平成27年9月頃のうつ病発症と本件病院における業務との間に相当因果関係が認められるところ、本件全証拠に照らし、亡Bにはうつ病の発症以外に本件自殺の原因となるものがあったとは認めることができない以上、うつ病によって正常な認識、判断能力を欠いた状態で、自殺を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されたことにより、本件自殺に至ったと推認するのが相当である。
したがって、亡Bの本件病院における業務と亡Bの死亡との間には相当因果関係が認められる。
3 争点(2)(被告の安全配慮義務違反の有無及び被告の責任)について
(1)労働契約において、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと解するのが相当であり、かつ、使用者に代わって労働者に対し業務上の指揮監督を行う権限を有する者は、使用者の当該注意義務の内容に従って、その権限を行使すべきである。そして、このことは、地方公共団体と地方公務員との関係においても同様に妥当すると解される。
したがって、被告は、地方公務員が遂行する公務の管理に当たり、当該公務員の心身の健康を損なうことがないように配慮する義務を負うところ、当該公務の管理監督を行う職務上の地位にある者が上記義務を怠った場合には、被告には安全配慮義務違反が認められ、国家賠償法上違法と評価されるというべきである。
(2)本件では、本件病院は、前記1(1)イ認定の事実及び2(1)で判示したとおりの亡Bの過重な時間外労働時間及び手術件数等の労働状況を当然把握することができたのであり、しかも、前記1(1)ア(イ)認定の事実のとおり、本件病院は、既に平成21年9月2日に労働基準監督署から、時間外労働に関する協定の限度時間を超える労働をさせていたこと等について是正勧告を受けたこともあったのであるから、亡Bが本件病院における業務から相当強度の心理的負荷を感じていたこと、及びその結果、何らかの精神疾患を発症するおそれがあることを十分認識し得たといえるので、本件病院の後期研修医という立場にあった亡Bの労働時間を管理監督すべき地位にあった者らは、亡Bの労働時間を管理し業務を軽減すべき義務を怠ったというべきであり、被告には安全配慮義務違反が認められ、国家賠償法上違法であると認められる。
(3)被告は、亡Bがうつ病等の精神障害を発症すること、まして、精神障害によって亡Bが死亡することを被告が具体的に予見することは不可能であった旨主張する。
しかし、労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、労働者の心身の健康を損なう危険があることは周知の事実であり、長時間労働による強度の心理的負荷の結果、労働者が精神障害を発症し、自殺に至る場合も決して少なくないことからすれば、被告の安全配慮義務違反の前提となる予見可能性の対象は、客観的に過重な業務の存在で足りるというべきである。
したがって、前記(2)で判示したとおり、本件病院においては、亡Bの過重な業務を把握できたのであるから、亡Bの本件自殺の予見可能性は否定されないというべきであり、これに反する被告の主張は採用できない。
なお、被告は、亡Bのうつ病発症時期は死亡の直前であり、結果回避可能性がなかったとも主張するが、前記2(2)で判示したとおり、亡Bのうつ病発症時期は平成27年9月頃であったので、被告の主張は、その前提を欠き、採用できない。
4 争点(3)(過失相殺等の可否及び割合)について
被告は、損害額の算定に当たっては、損害額の衡平な分担の見地から、少なくとも9割の過失相殺等の減額をすべきという旨の主張をするが、以下のとおり、採用することはできない。
(1)亡Bが専門医を受診しなかったことについて
前記1(3)ウ認定の事実のとおり、亡Bは、亡Cに対し、よく眠れないと言って、亡Cが処方されていた睡眠薬や精神安定剤を分けてもらい、それらを服用していたことからすれば、亡Bは、後期研修医という立場にもあった以上、自らの健康に異変が生じていることについて認識していたと推認される。
しかし、前記2(2)で判示したとおり、亡Bは平成27年9月頃にはうつ病を発症したと認められるのであって、うつ病という精神疾患の性質からすれば、亡Bは自身の変調を感じていたとしても、それが精神疾患によるものであるとまでは認識していなかったとしてもやむを得ないというべきであり、本件病院の同僚等から受診を勧められるようなこともなかったことからすれば、医師である亡Bが専門医を受診しなかったとしても、何らかの過失があったとまでは評価することはできないというべきである。
(2)亡C及び原告らが亡Bを専門医に受診させなかったことについて
前記1(3)ウ及びエ認定の事実によれば、亡Cや原告らは、亡Bの異変を認識していたと認められる。
しかし、亡Bが独立した社会人かつ医師として自らの意思と判断に基づき業務に従事していたことに照らせば、亡Cや原告らが前記1(3)ウ及びエのような亡Bの言動を認識したとしても、亡Cや原告らは専門家でもない以上、亡Bを専門医に受診させる等の対応をとらなかったからといって、亡Cや原告らに過失があったということもできない。
(3)亡Cの精神疾患等について
前記1(5)認定の事実のとおり、亡Cは、平成19年1月以降うつ病等を患い、通院していたことが認められる。
しかし、前記2(3)イで判示したとおり、本件全証拠に照らしても、亡Bが本件病院への勤務を開始する前と後とで亡Cの症状に変化等があったであるとか、亡Cとの生活によって日常的に生じる心理的負荷が、夫婦の共同生活において通常考え得る限度を越えるものであったとは認められない以上、亡Cの精神疾患等が亡Bの損害を減額すべき事情とは認められない。
(4)亡Bの既往症について
前記1(4)認定の事実のとおり、亡Bは、不安症(ICD-10:F411)の傷病名で平成25年10月24日及び平成26年3月13日にH病院で受診して薬剤処方を受けており、また、平成25年9月12日及び平成26年10月2日に片頭痛(ICD-10:G439)で、同病院で受診した事実が認められる。
しかし、亡Bが継続して不安症等で受診をしていたと認めるに足りる証拠はなく、また、上記症状が継続していたと認めるに足りる証拠もない以上、同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を超えるものであったとは評価できず、素因減額すべき事情とは認められない。
(5)以上より、本件において、過失相殺等の亡Bに生じた損害を減額すべき事情は認められず、被告の主張は理由がない。
5 争点(4)(亡Bの損害等)について
(1)死亡慰謝料 2400万円
前記第2の1(1)ア(ア)の前提事実、前記1(1)ないし(3)認定の事実に加え、前記2(1)で判示したとおりの、本件病院における亡Bの長時間労働の状況、亡Bのうつ病の発症や本件自殺の状況等、本件に表れた一切の事情を考慮すると、亡Bの死亡慰謝料は2400万円と認めるのが相当である。
(2)死亡逸失利益 1億1437万7856円
前記第2の1(1)アの前提事実のとおり、亡Bは、死亡した当時後期研修医として本件病院に勤務していたことに加え、証拠(甲1)によれば、亡Bの基礎収入額は、平成28年賃金センサス・医師・男女計・企業規模計全年齢労働者平均賃金年収である1240万0700円とするのが相当である。
また、亡Bが当時男性医師と変わらない収入を得ていたことからすれば、生活費控除率は、40%とするべきであり、就労可能年数は、死亡当時の37歳から67歳までの30年間(ライプニッツ係数15.3725)とするのが相当である。
したがって、亡Bの死亡逸失利益は、1億1437万7856円と認めるのが相当である。
(計算式) 1240万0700円×(1-0.4)×15.3725
=1億1437万7856円
(3)損益相殺的な調整後 9665万5856円
前記第2の1(2)の前提事実のとおり、亡Cは平成29年5月31日付けで遺族補償一時金4172万2000円の支給決定を受けていたことが認められるところ、労災保険法に基づく遺族補償一時金は、遺族補償年金の受給できる遺族がいない場合に支給され(同法16条の6第1項)、その支給額は被災労働者の収入を基礎に定められるものであること(同法別表2)、また、遺族補償年金が逸失利益等の消極損害に限り填補の対象となることからすれば、遺族補償一時金についても、その填補の対象となる損害は上記消極損害に限られるものと解され、その元本との間で損益相殺的な調整を行うべきである。そうすると、前記(2)の死亡逸失利益から、上記遺族補償一時金4172万2000円を控除すべきである。
なお、原告らは、本件自殺時から亡Cが遺族補償一時金を受給するまでの間の遅延損害金も損害として発生しているので、まずはこの遅延損害金額から遺族補償一時金を控除すべきであるという旨の主張をする。
しかし、前記第2の1(2)の前提事実のとおりの経緯からすれば、亡Cに対する遺族補償一時金4172万2000円の支給が、制度の予定するところと異なって支給が著しく遅延した等の特段の事情は認められない以上、上記遺族補償一時金は不法行為時に損害に填補されたものと解するのが相当である(最高裁平成27年3月4日大法廷判決・民集69巻2号178頁参照)。したがって、上記遺族補償一時金4172万2000円は、不法行為時に損害に填補されるため、その後の損害額は9665万5856円となり、同損害額について、亡Bの死亡した日から遅延損害金が発生することになる。
(4)弁護士費用 960万円
本件事案に鑑みると、被告の国家賠償法1条1項における違法な行為と相当因果関係にある弁護士費用相当額の損害は、960万円とするのが相当である。
(5)原告らの各損害金
以上より、前記(3)の損益相殺的な調整後の金額と弁護士費用相当額の合計は1億0625万5856円となるところ、前記第2の1(1)ア(ウ)の前提事実のとおり、原告らは、亡Cを2分の1ずつ相続しているので、原告らがそれぞれ亡Cから相続した損害賠償請求権の元金は、各5312万7928円となる。
6 以上より、原告らは、国家賠償法1条1項による損害賠償請求権に基づき、被告に対し、それぞれ5312万7928円及びこれに対する亡Bの死亡の日である平成28年1月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を請求することができる。
なお、原告らは、前記第1の1のとおり遅延損害金の起算日を平成29年9月16日として第1次的請求を求めているが、これは、前記5(3)で判示したとおり、原告らが、遺族補償一時金の控除に関し、平成28年1月25日から平成29年9月15日までに発生した遅延損害金からまずは充当するという旨の主張をしているからであり、遅延損害金の発生日としては亡Bの死亡の日である平成28年1月25日である旨主張していることは明らかというべきである。
第4 結語
以上のとおり、原告らの請求は、被告に対し、原告らそれぞれにつき5312万7928円及びこれらに対する平成28年1月25日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、この限度でこれらを認容し、原告らのその余の請求は理由がないからいずれも棄却することとし、仮執行の宣言につき民事訴訟法259条1項を、仮執行の免脱宣言につき同条3項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
新潟地方裁判所第一民事部
裁判長裁判官 篠原 礼
裁判官 谷田好史
裁判官 宍倉良輔
(別紙)
指定代理人目録
被告指定代理人 G
同 (以下略)
以上