慢性腎炎の治療薬の大量投与で患者が失明し、賠償が認められた事件
慢性腎炎の治療薬の大量投与で患者が失明し、賠償が認められた事件
横浜地方裁判所判決 昭和48年(ワ)第210号 横浜地方裁判所判決 昭和48年(ワ)第210号
判決日 昭和54年9月26日
主 文
一 被告◆は原告××に対し金五、三〇〇万円、原告△△、同◇◇の両名に対し各金二八〇万円宛及び右各金員に対する昭和四八年三月一〇日から右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告らの被告??に対する請求及び被告◆に対するその余の請求は、いずれもこれを棄却する。
三 訴訟費用は、原告らと被告??との間に生じたものは全部原告らの負担とし、原告らと被告◆との間に生じたものは、それぞれこれを五分し、その一を各原告らの、その余を被告◆の負担とする。
四 この判決は、原告ら勝訴部分に限り(但し、原告金子××については金三、〇〇〇万円を限度として)、仮に執行することができる。
事 実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら(請求の趣旨)
1 被告らは各自、原告××(以下「原告××」といい、その余の原告も同様表示する。)に対し金六、四三六万三、〇〇〇円、原告△△・同◇◇の両名に対し各金五七五万円及び右各金員に対する昭和四八年三月一〇日から右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言。
二 被告ら(請求の趣旨に対する申立)
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 請求原因(原告ら)
一 本件被害の発生
1 原告××の入通院
原告××は、大正一二年四月二六日に生まれ、昭和二六年六月原告△△と婚姻、以降主婦に専念してきたものであるが、昭和三七年一一月末頃妊娠していることが判明し、昭和三八年四月中頃、医師の診断の結果、尿蛋白が認められ、妊娠中毒症とされた。そして、原告××は同年六月一七日原告◇◇を出産したが、その後も尿蛋白が認められたので、同年九月一二日被告◆(以下「被告◆」という。)■病院(以下「■」という。)第一内科の診察を受けたところ、腎炎と診断され、同月二五日から同年一一月一四日まで同内科に入院して、担当医の●●医師から慢性腎炎との決定診断のもとに診療を受け、さらに昭和三九年一月九日から昭和四五年八月二七日まで第一内科に通院して治療を受けた。原告××は、その間の昭和三九年五月頃より同年八月下旬まで静養先の新潟県中頸郡大潟町内の開業医渡辺清秀医師のもとに右河野医師の依頼状持参で訪れ、通院治療を受けた。
2 キドラ、CQCの投与
原告××は、■入院当初、シナール及びコンドロンの二種の薬剤を投与されていたが、被告??が昭和三八年一〇月一八日の教授回診の折、河野医師に「右薬剤に加えて内服薬キドラ(オロチン酸クロロキン)を一日三錠宛投与する。」旨指示し、同月二三日に投薬を開始してからは、右入院期間中(一日三錠、二三日分六九錠)と昭和三九年一月九日から同年四月二四日まで一日三錠宛、翌日からは一日六錠宛昭和四〇年六月一四日まで(昭和三九年五月頃から同年八月下旬までは前記静養先の開業医渡辺医師より前記依頼状記載の処方に従い投与されたもの)、引続き昭和四〇年六月一五日から同年九月三〇日まで一日三錠宛、昭和四一年三月一五日から昭和四五年二月頃まで一日六錠宛計七、二〇三錠の投与を得たほか、昭和四一年七~八月に右と同種の内服薬CQC(コンドロイチン硫酸クロロキン)を一日三錠宛二八日分計八四錠投薬されたので、いずれも服用した。
ところで、キドラとCQCとは、いずれも一錠一〇〇ミリグラムで、キドラの含有するクロロキン塩基部はその五〇・六一パーセント、CQCのそれは一三・七六パーセントであるから、原告××が投与されたクロロキン塩基部の総量は、キドラ分が三六四・五四グラム、CQC分が一・一五グラムで、その合計は三六五・六九グラムとなる。
3 原告××の発病
原告××は、昭和四五年一月末頃風邪をひいて寝ていると室内が暗く、柱時計が見えないので、眼の異常に気付き、同年二月■の眼科で検査を受けたところ、クロロキン網膜症、クロロキン角膜症(以下「ク」網膜症、「ク」角膜症という。)と診断され、直ちにキドラの服用を中止し、治療を受け、次いで東京大学医学部附属病院や北里大学病院等各所の病院を訪ねて治療を受けるも病状は悪化する一方で、昭和四六年暮頃から視野欠損、視力の低下は急激に進行し、日常家事も全くできない状況となり、現在全盲となるに至っている。
原告××は、被告市から両眼「ク」網膜症ということで、昭和四七年四月七日身体障害者手帳第一種二級の交付を受け、昭和五一年一二月二五日全盲として一級に等級変更されている。
4 因果関係
原告××は、右診断のとおり「ク」網膜症に罹患し、これによって失明したものであって、その原因はクロロキンを含有する前記キドラ、CQCの服用による。
すなわち、クロロキンをある程度以上服用すると、「ク」網膜症と呼ばれる不可逆的な網膜障害が惹起されうることは、多くの症例により確認されているが、その症状(病像)としては次のものがある。
(眼底)初期には黄斑部の色素の不規則化、中心窩反射の消失がみられる。進行すると、黄斑部に色素が沈着し、その周辺部が脱色素化してやや明るくなり、さらにその周囲に色素沈着がとり囲む、いわゆるブルズ・アイ(Bull’sEye)と呼ばれるドーナツ様の変性が現われる(これは「ク」網膜症のきわだった特徴とされている。)。
そして、網膜変性が進行すると網膜全体がきたなく混濁し、網膜血管は狭細化し、視神経乳頭は蒼白化し、萎縮像を示す。最も進行した場合は色素変性は網膜全体に及ぶ。
(視野)暗点と視野欠損が発生する。一般には傍中心暗点型として現われ、この暗点は輪状暗点に発展する。この場合視力低下は比較的早く出現する。中心暗点が発生すれば視力は極度に低下する。もう一つは周辺視野狭窄型で、この場合は視力は最後まで比較的よく保たれるが、網膜変性はむしろ重症である。
(視力その他)視力は晩期まで比較的よく保たれるものの、中心暗点が現われて極度に低下することもある。いずれにせよ病状が進行すると、網膜全体に変性が拡大し、これにつれて視力は極度に低下し、視野の障害が広がり、失明あるいは失明同様に至る。また、色覚異常や暗順応の障害が生じたり、網膜活動電位図(Elektro RetionGram-以下ERGという。)測定の結果は減弱ないし消失を示すことがある。
(網膜以外の眼障害)網膜障害に先行するか、あるいは、これと同時的に、角膜変化としてクロロキンが角膜に種々の形状の沈着物や混濁を来たすことがあるが、これは可逆性の障害で、クロロキンの服用を中止することによって後遺症を残すことなく消失する。
そして、原告××の場合、もとより遺伝性の眼疾患はなく、かつ前記キドラ服用前には眼になんの異常もなかったもので、またとりわけ■の眼科における前記診察において眼底部にブルズ・アイの存していたことが認められていることからして、「ク」網膜症に罹患していたものということができる。
二 被告らの責任原因
1 被告??を含む第一内科医師らの投薬医としての過失
(一) 基本的注意義務
一般に、患者に対して医薬品を投与する医師としては、医薬品には有効性(主作用)の反面、有害作用(副作用)が必然的に伴うものであり、かつ医薬品の投与は当然その物質(化学物質)に関する吸収、排泄、組織内分布、毒性、対疾患活性などの薬理学的性質及びある特定の疾患との関係における規定投与量、投与期間などを含めての使用方法を理解把握することを前提とするものであるから、投与する医薬品の副作用及び使用方法に充分な注意を払い、これによる障害の発生を未然に防止すべき基本的な注意義務がある。特に当該医薬品を慢性疾患に投与し、そのため使用量が大量になり、使用期間が長期に及ぶことが予定される場合とか、あるいは開発されてから間もないものである場合には副作用発生の危険が一段高いのであるから、特に厳重な注意を払う義務がある。
従って、医師は投薬開始時において、投与しようとする医薬品について、厚生省が薬事法上劇薬あるいは要指示薬など、どのような規制をしているか、製薬会社が医薬品に添付する能書、効能を解説するパンフレットあるいは医学雑誌等に掲載される広告等にどのような記載がなされているかを調査するのは勿論、既に公表された症例報告、学術論文等を調査して副作用情報を的確に把握し、特に投薬が右諸文献及び諸報告において現に推奨し、使用報告のある量よりも多くあるいは長期間にわたって使用することが予定される場合には、長期大量に使用すると、従来の少量あるいは短期使用例について報告されている副作用とは異なったあるいはより重篤な副作用が発現することがないかを調査する義務を負う。また、当該医薬品が当該疾患に使用された例が諸外国には未だないとか、国内においても当該疾患に使用された期間が短いなど、開発されてから間もない場合には、製薬会社が推奨する使用量、使用期間を安易に信用して鵜呑みにしてはならず、外国あるいは国内において他の疾患に使用された場合の副作用報告例の有無を調査するのは勿論、当該被投薬患者において従来報告されたことがないような副作用の発現がないか否かを慎重に監視すべき独自の義務を負う。
投薬が現に、製薬会社が推奨する量を超え、あるいはその期間を超えた場合及び従来報告された少量使用量や短期使用期間を超えるなど、長期大量に及んでしまっている場合には、一般に医薬品の性質上副作用が発現し易いのであるから、投薬開始後新たに行われた薬事法上の規制の有無、製薬会社による能書、パンフレット、広告等の記載の改訂などに注意を払うのは勿論、新たに公表された症例報告、学術論文等を調査すべき義務を負うとともに、当該患者の疾病の経過を観察・検査して、病状に応じて休薬期間を置くとか、他の医薬品に替えるなどして、副作用の発現を事前に防止すべき高度の注意義務を負うものである。
特に重篤・不可逆的障害が発生することがあるとされている医薬品については、特別の事情のない限り、当初から投薬を避けるべきであり、投薬する必要がある場合であっても、適宜休薬期間を置くなどして慎重な投薬方法を採用する一方、患者の経過観察や必要な検査を適宜行ない、常時投薬の必要性があるか、ないかを検討すべきであり、いやしくも回復不能な重篤な障害が発生しないよう万全の回避措置を取るべき義務を負うものである。
(二) 副作用調査義務の水準
■は、大学病院として教育研究機関に附属せられたものであること、公立であること、その医療施設や医療従業者数から見ても、いわゆる一般の開業医、診療所、私立の法人(医療法上の医療法人財団あるいは医療法人社団)あるいは一般の公益法人の経営になる病院、治療のみを目的とする公立の病院などに要求される水準よりも高度の、すなわち医療機関中最高度の医療水準が要求されているとしなければならない。
従って、■の医療に従事する被告??をはじめとする医師には最高度の副作用調査水準が要求されているものである。
(三) 予見可能性
クロロキン製剤(以下「ク」剤という。)の副作用の基本的性質(長期間使用による視力困難)は、アメリカにおいて一九四八年(昭和二三年)当時既に判明しており、公表されていた事実がある。しかも、この視力障害発生の事実は、日本で容易に入手できるアメリカ医師会発行のNNR(Newand Nonofficial Remedies)に、一九四八年版以降毎年掲載されており、これは医学図書館・診療所の必携の書とされている。アメリカFDA(Food and Drug Administration.アメリカ厚生・教育省の食品・医薬品局)承認の能書集であるPDR(Physicians Desk Reference)に一九五八年一二版以降毎年掲載されている。
第一内科の医師らが依拠したとする「ク」剤による腎炎治療の有効性を報告した辻教授の論文においてさえ、「眩暈及び眼のチカチカする感じ」を副作用として明記しているのである。
また、被告??が原告××に対しキドラの投与を指示した昭和三八年一〇月一八日前後に、「ク」剤を長期大量に使用した場合に発生する重篤不可逆な網膜障害を報告する国内外の文献が数多く存在していたことは、別表(一)、(二)記載のとおりである。
その上、「ク」剤により重篤な網膜障害が相当高率に発生することは既に昭和三八年四月以降医学雑誌に掲載された広告中に、夥しい数にわたって明記されているのである。このような広告は必ず被告??ら投薬医の目にふれたはずである。そして、これが掲載された医学雑誌は、日本整形外科学会機関誌たる「日本整形外科学会雑誌」、日本腎臓学会機関誌たる「日本腎臓学会誌」、日本リウマチ協会機関誌たる「リウマチ」、一般的総合医学雑誌である「診療」等を含むのである。
これら雑誌中に掲載された右広告を知れば、被告??ら投薬医師は、大学病院の医師として、前記文献をいとも容易に検索し、「ク」網膜症についての正確な理解を得ることができたであろう。
被告らは、「第一内科の医師らが厖大な内外の文献を読破し、特に専門外の眼科領域の論文にまでも目を通して、「ク」網膜症に関する報告を知見することは酷である。」と主張するが、事実は「ク」網膜症を警告する文献類は非眼科系のものにも数多く存在し、クロロキン薬害についての警告的記事は内科系の方がむしろ多いとさえいえるばかりか、第一内科は、医薬品の副作用報告についても一定の業績があると評価されている実績があることからすれば、その被告??をはじめとする医師らは原告××にキドラを投薬していた当時「ク」剤による眼障害の副作用については既にこれを了知していたことさえ窺えるのである。以下主要な文献のいくつかを個々的に挙げる。
〈a〉 「優秀処法とその解説」昭和三七年二月発行
右文献の六六頁には抗マラリア剤の内リン酸クロロキンの項目で、副作用として軽度の頭痛、胃障害、視力障害がみられる、としている。その一〇五頁のリウマチ剤「ク」剤の項でも右六六頁が引用されており、腎臓疾患剤の項一四七、一四八頁でも、右一〇五頁参照となっていることから、結局右六六頁が引用されている。
〈b〉 「内科」昭和三九年一二月号特集「医療による疾患と対策」(別表(二)の16)
「薬物療法によって起こる神経・筋障害」の項にて、発生する障害の発生部位別分類に従い、各種医薬品を挙げ、さらにその障害の内容が記載されている。そのⅩⅡ視覚障害の項目下に、クロロキンを挙げ、「長期使用例で霧視、虹輪、暗点、視野狭窄、網膜動脈収縮、網膜浮腫、乳頭や黄斑の萎縮等を生ずる。マラリア治療のさいには副作用は軽いが、紅斑性狼瘡や関節ロイマの治療では副作用が多く重篤である。」としている。
〈c〉 「内科」昭和四二年六月号特集「現代の薬物療法」(別表(二)の49)
ここでは、「腎炎」の項目で、「クロロキン剤を長期投与することによってレティノパティ(網膜症)をきたした例を報告している人もあり、私どもも経験している。この薬の使用に当ってはこの点に留意しなければならない。」と警告している。
〈d〉 「日常臨床の医原病」昭和四二年一〇月発行(別表(二)の51)
本書は、日常治療に携わる臨床医家のために、日常治療で発生しやすい医原病の数数を網罹的にわかりやすく集成したものである。この「医原病性腎障害」の項中に「落し穴」と銘うち、「ク」角膜症と同網膜症について要点を記載し、併わせて予防としてクロロキンが成人一日二五〇ミリグラム以下であればほぼ安全とされる、定期的な眼科的検診が必要であると、予防措置、警戒措置についても具体的に記載している。
〈e〉 「臨床と研究」昭和四三年八月号
ここでは、「臨床指針、常用薬剤の副作用について」の題下に、久留米大学医学部倉田誠教授の内科で昭和三七年一月から昭和四二年三月までの間に実際に経験した副作用例が、その詳細と共に報告されている。この中で「ク」角膜症一例を報告し、併わせて「ク」網膜症の特徴を記載している。
〈f〉 厚生省推薦「腎臓病の百科」家庭の医学百科シリーズ8、昭和四三年六月発行
この中で、クロロキンの副作用として、びまん性表在性角膜炎、網膜障害がみられることがあること、定期的眼科検査を受けたほうが安心であることが記載されており、この時期には家庭医学書にまで「ク」剤の副作用情報は伝わっている。
〈g〉 「応用薬理」一九六八年一~四号(季刊)
これには、毒薬劇薬指定一覧(4)厚生省中村健篇として、各種薬品のうち毒薬・劇薬に指定されたものを掲記しているが、この中でクロロキンの項目では、昭和四二年三月一七日劇薬及び要指示薬に指定されたこと、副作用の欄には「重篤な網膜障害を伴なう場合があるので劇薬に指定された。」と明記してある。
そして、右でもふれたとおり、ついに昭和四二年三月一七日厚生省は薬事法施行規則及び厚生省告示の一部改正(同年九月一七日施行)により「ク」剤を劇薬・要指示薬に指定して使用時の注意を喚起し、さらに昭和四四年一二月二三日には薬発第九九九号薬務局長通達により「クロロキン、その誘導体又はそれらの塩類を含有する製剤」については「本剤の連用により角膜障害、網膜障害等の眼障害があらわれることがあるので、観察を充分に行ない、異常が認められた場合には、投与を中止する。」旨の注意事項を定め、「ク」剤使用上の注意事項の周知を図った。
以上要するに、原告××にキドラ投与が指示・開始された昭和三八年一〇月の時点で、大学病院に勤務する医師であれば、当然「ク」網膜症を知りえたのであるから、第一内科の投薬医師には「ク」剤使用による網膜症の発生につき予見可能性が肯定されるべきである。
(四) 結果回避義務違反
(1) 慢性腎炎との診断と治療について。
原告××は、■入院当時高血圧と尿蛋白とが認められたが、これは慢性腎炎ではなく、特に治療を要せずとも分娩後長くとも一年前後の症状で消失する純粋妊娠中毒症後遺症であったから、キドラの長期投与がどうしても必要な場合ではなかった。日本産科婦人科学会妊娠中毒症委員会の定義では、「分娩後、一か月以上中毒症状(収縮期圧一四〇mmHg以上・ズルホサリチル酸試験で(+)以上の尿蛋白)が残存するものを妊娠中毒症後遺症とする。」ことになっており、臨床症状として尿蛋白と高血圧であって、浮腫があっても長く続くことはないところ、原告××が尿蛋白や高血圧、浮腫が認められるようになったのは妊娠中であり、■入院時浮腫はなかったことからみると、まずもって妊娠中毒症後遺症を疑うべきであり、そのうち慢性腎炎、本態性高血圧、妊娠中毒症後遺症などの合併症のない純粋妊娠中毒症後遺症であったとみるべきである。原告××は、分娩後一年前後経過した昭和三九年夏頃には尿蛋白、高血圧とも軽快しているのであるから、純粋妊娠中毒症後遺症の病像によく合致するのである。
第一内科では、原告××を慢性腎炎と診断するには、少くとも腎機能の程度を最も良く知ることができる糸球体濾過値の測定、腎血流量の測定、尿縮能の測定程度はすべきであり、治療継続中も適宜これらの検査を継続すべきであるのに、これらを行わなかった。
そればかりか、原告××が昭和三九年九月には■の検査によっても尿蛋白が認められず、遅くともこの頃までには安定化し治癒していたものであるのに、「ク」剤の連続投与を中止せず、その後も必要な腎機能検査等により継続投与の必要の有無も検討することなく、さらには「ク」剤の副作用による眼障害の発見に必要な眼検査をもなさないまま、昭和三八年一〇月から昭和四五年二月頃までの間総量七二八・七グラムの「ク」剤を投与させたものである。
(2) 「ク」剤の効能について。
キドラの能書には、キドラが慢性腎炎の原因治療剤であるかの如き記載があったが、これを根拠づける医学論文は、かつて一度として報告されたことはない。すなわち、諸外国においては、昭和三八年一〇月以前に、慢性腎炎に「ク」剤を投与して有効性がみられたとする論文は皆無である。諸外国の腎臓関係の専門雑誌・専門文献において、期間を問わず、「ク」剤が慢性腎炎の治療薬として取り上げられたことさえ一度としてない。また、昭和四五年二月当時まで、内外文献を通じて「ク」剤によって、慢性腎炎が治癒したという報告は、ただの一例も存在しないのである。そして、期間を問わず、日本以外の国において、慢性腎炎が「ク」剤の適用症であるとされた国は一つも存在せず、また、現にこれが慢性腎炎の一般の治療に使用された国もない。
従って、仮に、原告××が慢性腎炎であったとしても、「ク」剤の使用は医学的に必然的であり、他に方法がないというほど不可欠では勿論なかったのである。
(3) 投与期間、投与量について。
原告××に対するキドラの投与はあまりにも長期大量であって、いかにキドラを漫然投与していたかを如実に示している。
被告らは、キドラの能書に「長期連用が望ましい。」とか、「今日の治療指針」一九六二年版(すなわち昭和三七年)で日本大学の大島研三教授が「「ク」剤について投与期間は年余にわたりうる。」旨記載してあることをもって、「六年余にわたってキドラを原告××に投与したことに手落はない。」と主張するが、前記「優秀処法とその解説」(昭和三七年二月発行)一四七、一四八頁は「本剤服用による尿蛋白の改善は通常二~三週間後に現われるため、その間の連用を必要とする。」としており、連用とは効果の現われる二~三週間のことを意味することが明示されているというべきものであるばかりか、右「今日の治療指針」中の記載は「薬物療法に多くを期待し難いが、規則的生活を守らしめるために……」という文章から続く部分であってみれば、これら記載を一体として読む限り、被告ら主張の如く解することはできず、少なくとも六年余の長きにわたって「ク」剤の服用が許されるとするには無理がある。このことは、右大島研三教授が、「今日の治療指針」一九六四年版中のネフローゼ症候群の項で、「ステロイド無効例にクロロキンが有効なことがあり、一日三錠を投与し、有効例には長期(「2分の1」~1年)使用することがある。」と記載している趣旨からも明らかである。
そして、期間を問わず、国の内外を問わず、「ク」網膜症の報告例以外のもので、「ク」剤を六年余の長きにわたって投与した例は一つとして存せず、慢性腎炎に対する「ク」剤の有効性を報告する文献であっても、本件の如く六年余もの長期にわたって投与した例は一つとしてない。
これらの多くは、数週間から数か月間が普通であって、長期のものでも一年以上にわたるものは殆んど存在しない。
キドラの投与量についてはその能書に一日二〇〇ないし三〇〇ミリグラムとしており、キドラの治験例でも一日三〇〇ないし四五〇ミリグラムであるところ、■第一内科が原告××に投与したキドラの量は前記一2のとおり一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラムであって、このように大量のキドラを投与するにつき何らその根拠が認められないのである。
(五) 以上、被告??をはじめとする第一内科の医師らが医師として払うべき注意義務を著しく懈怠し、ために原告××は前記一3の眼障害を負ったものであることは明らかであるから、第一内科医師らの共同不法行為により原告××は失明した。
2 被告??の第一内科部長かつ教授としての過失
(一) 第一内科部長、教授としての注意義務
仮に被告??に対して、直接投薬医師としての責任を問いえないとしても、同被告は被告市の開設する■第一内科部長、かつ▲▲市立大学医学部教授であるところ、右のように公立大学附属病院の一部門の最高責任者たる地位にあるものは、自己あるいは指揮監督下にある医師による投薬により患者に回復不能な重篤な被害が発生しないよう医薬品の副作用情報を調査する義務を負い、一方、入院あるいは外来を問わず自己が教育上あるいは治療上の責任を負うその部門に所属して、治療行為にあたっている医師らに対し、直接あるいは間接の方法によってこれを周知徹底せしめ、万が一にも、その部門のもとにある患者らに回復不能な重篤な被害が発生しないよう万全の回避措置を講じる法律上の義務を負う。
第一内科の部長は昭和三八年当時から現在に至るまで被告??一名のみであり、その指揮監督下に一名の助教授、一~二名の講師、数名の助手及び医務吏員が存する。■規則九条二項によれば、部長は「病院長の命をうけ所管の業務を処理し、所属職員を指揮監督する。」ことになっているが、医師については、部長が指揮監督する者は部所属のものに限られず、部内で研修のため治療行為に当る無給医局員(すなわち、教授の無給医局員に対する服務についての指示や診療方針についての指示権限は絶大であり、無給医局員がこれに反対すること、少なくとも反対し続けることは医局に止ろうとする限り不可能である。)も当然含まれるのであって、これら医師が患者に対してなす具体的治療行為にまで、部長の指揮監督が及ぶことを意味している。
そればかりか、被告??は第一内科の医師のなす治療行為について直接指揮監督すべき義務があるといえるのである。すなわち、原告××は勿論のこと患者は大学病院へ行く場合、個々の担当医ではなく、その診療を担当する医局全体の医学的水準に期待するのである。その全体の医学水準はその医局の最高の責任者である主任教授の学識及びその学識に基づく所属医師に対する指揮監督によって充分に裏付けられるとの信頼に基づくものである。そして、この信頼感は法的に保護されなければならないからである。
(二) 被告??の注意義務懈怠
被告??は第一内科部長、教授として、第一内科の医薬品投与による治療行為についても重大な副作用により患者の身体に損傷を与えないよう指揮監督すべき立場にあったところ、同被告は、■で原告××にキドラを投与していた当時、クロロキン眼障害についてはこれを知っていたか、知らなかったとしても「ク」剤が重篤不可逆のとりかえしのつかない眼障害を発生させるものであるから、クロロキン眼障害に関する前記文献等の情報を把握管理すべき義務を負っていたものであり、特に昭和四二年三月一七日薬事法施行規則の一部改正により「ク」剤が劇薬と指定されたのであるから、直ちに何故に劇薬に指定されたかを調査して、重篤な眼障害発生の故に指定されたことを把握すべきであった。そして、「ク」剤が重篤不可逆な網膜症を発生することを、第一内科の医師らに伝え、定期的に眼科に検査を依頼せよと指導するか、あるいは他のなんらかの方法により警告伝達して、同内科に診療を受けている患者らに「ク」網膜症が発生しないよう結果回避の措置をとるべきにもかかわらず、被告??はこれを怠り、同内科の医師らが原告××に対し漫然長期にわたって大量のキドラを投与することを放置し、ために前記一3の眼障害を発現せしめたものである。
3 被告??の代理監督者としての責任
■の開設者たる被告市は、その医療事業の遂行に当り、各診療科ごとにその監督者たる各科部長を置いており、被告??は第一内科部長として、第一内科の診療業務に現実に従事して、原告××に「ク」剤投与を継続した投薬医師らを被告市に代って監督する立場にあったから、右医師らの前記二1の共同不法行為につき、責任を負うべきものである。
4 責任のまとめ
(一) 被告??の責任
被告??は、投薬医としての、あるいは第一内科部長、教授として同内科の医師達に対する直接指導監督者としての民法七〇九条により、かつ■開設者たる被告市の代理監督者として同法七一五条二項による各責任を負うものである。
(二) 被告市の責任
被告市は、被告??を含む投薬医らの使用者として、かつ代理監督者被告??の使用者として民法七一五条一項による責任を負うものである。
(三) 従って、被告両名は連帯して原告らの蒙った後記損害を賠償する責任がある。
三 原告らの損害
1 原告××の逸失利益
……金一、六六六万四、〇〇〇円
原告××は、昭和四六年一一月頃には、「ク」網膜症の症状が急激に悪化し、全く家事に従事することができなくなり、以後日常生活において両眼失明と同様の困難に遭遇しているのであるが、当時同原告は満四八歳であったから、満六五歳までの一七年間の逸失利益を求めるに、労働能力の喪失率は一〇〇パーセントであるため、昭和五一年賃金センサスによる女子労働者平均賃金(現金給与月額九万二、七〇〇円、年間賞与その他特別給与額二六万七、五〇〇円合計年間一三七万九、九〇〇円)を基準として、得べかりし利益の現価をホフマン式計算法(一七年間のホフマン係数一二・〇七六九)により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、一、六六六万四、〇〇〇円(千円未満切捨)となる。
なお、被告らは、「身体障害年金やその他の福祉手当により原告××の逸失利益は填補されている。」と主張するところ、同原告が身体障害年金(但し、金額の点は確定できないけれども)を受領したことは認めるが、これは損害に対する填補として差引かれるべき性質のものではない。
2 原告らの慰藉料
……合計金三、〇〇〇万円
原告××は、重篤不可逆な「ク」網膜症に罹患して全盲となったもので、これが改善される可能性はない。このことにより、原告××は妻として、母として、原告△△や同◇◇の世話をすることができなくなる一方、原告△△は今後原告××に替わり家事全般を行わざるを得ないとともに盲目の妻を一生看護してゆかなければならず、また、原告◇◇は成長期において、最も健康な母を必要とするにもかかわらず、母の世話をうけることができないのは勿論、幼いながらも父とともに母に替わって一切の家事を行ないながら、母を一生看護してゆかねばならず、原告らの精神的損害は計り知れないものがあり、これらの精神的損害に対する慰藉料としては、原告××につき二、〇〇〇万円、原告△△、同◇◇につき各五〇〇万円宛が相当である。
3 付添費用
……金一、九三〇万四、〇〇〇円
いわゆる自賠責における近親者の看護料の基準に比較すると、一日三、〇〇〇円が相当である。
ところで、原告××が付添なしに日常生活を送り得なくなった昭和四六年一一月頃は満四八歳であり、その平均余命は二九・六三年であるから、今後二九年間は付添を要することとなり、その期間中の費用の現価を前記ホフマン式計算法(二九年のホフマン係数一七・六二九三)により算出すると、一、九三〇万四、〇〇〇円(千円未満切捨)となる。
4 弁護士費用
……合計金九八九万五、〇〇〇円
被告らは原告らに対し、本件損害を任意に支払おうとしないので、やむをえず原告らはその訴訟代理人らに訴訟の遂行を委任して本訴を提起したもので、これによる弁護士費用(着手金及び報酬)として原告××が八三九万五、〇〇〇円、原告△△、同◇◇の両名が各七五万円宛をそれぞれ支払うべき債務を負担した。
四 結論
以上により、被告ら各自に対し、原告××は右逸失利益、慰藉料、付添費、弁護士費用の合計六、四三六万三、〇〇〇円、原告△△、同◇◇はそれぞれ慰藉料と弁護士費用との各合計五七五万円宛及び右各金員に対する本訴状送達の翌日である昭和四八年三月一〇日から右各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
第三 請求原因に対する認否と反論(被告ら)
一 請求原因第一項(本件被害の発生)について。
1 (原告××の入通院)のうち、原告××の出生と婚姻の日、原告ら主張のとおり原告××が■に入通院したこと、入院時の担当医が河野医師であったことは認め、その余の事実は不知。
2 (キドラ、CQCの投与)の事実につき、原告××に対し概ね主張の期間内に、主張の量に相当するキドラ等が投与されたこと、各薬剤の成分割合は認める。但し、原告××が服用したとの事実までは不知。被告??がキドラの投与を指示したとの事実は否認する。
3 (原告××の発病)のうち、原告××が昭和四五年二月■眼科において「ク」網膜症と診断を受けた事実、原告ら主張のとおり身体障害者手帳の交付を受け、その後、一級に変更されている事実はいずれも認め、その余の事実は不知。
4 (因果関係)の事実につき、「ク」網膜症(病像)が原告ら主張のとおりであることは認めるが、被告ら側が投与した「ク」剤の服用により、原告××が「ク」網膜症に罹患したとの点は否認する。
原告××の眼底部には「ク」網膜症の特徴とされるブルズ・アイが存したことはなく、かえって右網膜症では殆んど見られないチェリー・レッド(Cherry Red-黄斑部桜紅色斑)を呈していたのであって、また、原告××の母親が緑内障であったこと等に照らすと遺伝性をはじめとする、その他の網膜変性疾患の可能性も否定し難く、到底「ク」網膜症であったと断ずることはできない。
原告××の眼障害は、他の医療機関により投与されたか、もしくはみずから購入した薬物の服用その他の原因によって発現したものである。なお、キドラ、CQC服用により「ク」網膜症の発生があり得ることは、現在の一般論としては認める。
二 請求原因第二項(被告らの責任)について。
1の(一)(二)(基本的注意義務、副作用調査義務の水準)につき。
■の医師であっても、その診療行為にあたって求められる注意義務は、その診療当時の通常の医師としての医学常識、すなわち、一般的な医学書や行政通達、能書などで知り得る普遍化された知識であって、臨床学の最先端を行く専門医師の知識ではない。
1の(三)(予見可能性)につき。
■にて原告××に対し「ク」剤を投与していた当時、その担当医師らには一般内科の医療水準に照らし、副作用として「ク」網膜症発現の予見しうる可能性はなかった。以下、この点について詳論する。
(1) 治療学書の記載について。
通常、医師が診療行為にあたって日常的に用いることの多い代表的治療書である「今日の治療指針」の内科の部には、昭和三七年から腎疾患にクロロキンを使用する旨の記載がなされ、内科学教科書としては日本一であった「呉内科書」下巻(昭和四三年版)にもリン酸クロロキンによる長期療法を腎病変それ自体に対する治療として挙げていたが、眼に関する副作用についての注意はなく、この注意が初めて記載されたのは昭和四八年であった。
(2) 「ク」剤による眼障害を報告した文献について。
「ク」剤による眼障害は、昭和三四年にホッブスらによって、「ク」剤一日一〇〇ないし六〇〇ミリグラムを三年前後継続して服用した患者に発生した網膜症三例が報告された。国内では、昭和三七年慶応大学眼科の中野・平山の両医師が「眼科臨床医報」五六巻一〇号(別表(二)1)において、「ク」剤による眼障害の症例を報告したのが最初であり、その後「ク」網膜症に関する報告が何例かなされていることは原告ら主張のとおりである。しかしながら、それは左記の発表論文数の割合からみて決して多数とはいえず、報告中の患者数も各報告につき一ないし八人程度にすぎない。しかもこれらの報告はいずれも「眼科臨床医報」という眼科の専門誌に載ったものであるから、専門分野を異にする内科の医師が、原告ら主張の論文を見て眼科的な「ク」剤の副作用について充分な理解をしていたとはいえない。
国内における「ク」網膜症に関する発表論文数(カッコ書は同一年度の「眼科臨床医報」に登載された論文数である。)。
昭和三七年一(二、一九六)
昭和三八年六(二、五四六)
昭和三九年四(二、一五三)
昭和四〇年九(一、七四六)
昭和四一年九(三、二四八)
昭和四二年五(二、九六九)
昭和四三年四(二、四八六)
昭和四四年一二(三、四三七)
昭和四五年六(三、六四六)
昭和四六年九(三、二四七)
しかも、内科領域において、内科医師が比較的講読する雑誌に掲載された論文記事のうち、「ク」剤による眼障害例を報告したものは、わずか数編にすぎない。
してみれば、第一内科の医師らに対し、厖大な内外の文献を読破し、特に専門外の眼科領域の論文にまでも目を通し、「ク」網膜症に関する報告を知見せよというのは酷というほかないのである。
(3) 「ク」剤の腎炎に対する有効性を報じた文献について。
かえって、■が「ク」剤を原告××に投与開始した昭和三八年当時、「ク」剤の腎炎に対する有効性を報じた有力な文献が相当数あったのである。
すでに、一九五三年頃から外国では腎炎に対する「ク」剤投与の成績が発表されていたが、国内で最初に腎炎に対する「ク」剤投与を試みたのは、神戸医科大学の辻教授であった。同教授は昭和二九年「日本内科学会誌」上(四二巻七九七頁)で腎炎の患者に対し「ク」剤のアテブリンを一日二〇〇ミリグラム宛朝夕分服させ、三ないし五週間連用すると皮膚の黄染と同時に、尿蛋白の減少、尿中細胞成分の著しい減少など主として糸球体の炎症性反応が著しく抑制されるケースのあることを報告した。同報告によれば、それまで種々の薬品が腎炎の治療に対して試みられたが、尿中の糸球体に由来する細胞成分を減少させた医薬品はアテブリンが最初のものである。しかし、アテブリンは皮膚黄染、かゆみ、食欲不振、精神不安、白血球減少などの副作用が強いため、その後リン酸クロロキンに変更し、一日一錠二五〇ミリグラムの投与を三週間ないし二か月半継続した結果、治癒のはかばかしくない急性腎炎の症例について著しく奏効し、慢性腎炎についても尿蛋白の減少がみられたとしている。
その後、この療法は多くの者によって追試されたが、代表的な発表は次のとおりである。
〈a〉 昭和三五年、大阪市立大学医学部内科学教室の大伴医師らは、「ク」剤のレゾヒンを一日一錠二五〇ミリグラム宛投与して急性腎炎二、亜急性腎炎一、慢性腎炎一一、合計一四例について検討し、その一〇例に尿沈渣の改善がみられたと報告した。副作用は全て胃腸症状であった(「日本臨床」一八巻七号)。
〈b〉 昭和三六年、九州大学の井村外一名の講師は、はじめてキドラによる腎疾患治療の臨床的観察を発表した。対象は、各種腎炎一五例であるが、治癒のはかばかしくない急性腎炎二例が著効を示し、尿蛋白消失、円柱、尿中赤血球の消失を認めた。潜伏性慢性腎炎の症例では、六例中五例に有効で、各症例とも三~四年の病歴があったが、本剤の投与ではじめて治癒に向い、尿蛋白消失、尿沈渣の正常化をみた。副作用は、消化器症状が主であるが、引続き投与を継続していると、七ないし一〇か月位で、副作用はほとんど消失し、長期治療に支障はないと述べている(「臨床と研究」三八巻九号)。
〈c〉 昭和三八年には、CQCの腎炎に対する治験例がみられるが、昭和四〇年、名古屋市立大学斉藤教授は、CQC一日九錠投与による各種腎炎二四例の治療成績を報告し、それは二四例中二一例に有効で、腎疾患の治療に対して推奨できると述べている(「診断と治療」昭和四〇年一月号)。
以上は、ごく一部の紹介にすぎないが、従来腎炎に対する特効薬はなく、その治療は、安静と食餌療法が主体であったのであるから、「糸球体の炎症そのものを鎮静させる。」効果のある薬剤として「ク」剤が紹介されたことは医師及び患者にとって一大福音であったといっても過言ではない。
(4) キドラの能書について。
キドラは小野薬品工業株式会社の製造にかかる新薬であり、昭和三五年一二月一七日厚生省により製造承認され、昭和三六年一月二〇日発売された普通薬であり、薬局で誰もが自由に入手できた。
そして発売時の能書には、「腎疾患特に慢性腎炎に適応があり、尿蛋白の軽減、消失作用を有する。」とされていた。副作用については、リン酸クロロキンを使用した際の胃腸障害の発生という欠点も除去され、毒性も少なく、実用上無害と考えられる安全性を有するとされ、用法として疾患の性質上長期連用がのぞましく、その間「断続的使用は避け」必ず規則正しい服用が必要であるとされていたのである。
従来、腎疾患特に慢性腎炎には治療の決め手がなく、ステロイド系ホルモン剤が特殊な場合に、まれに劇的な薬効を示すことがあるのみであったが、右ホルモン剤の長期使用は副作用(内分泌系の平衡を乱し、内分泌機能の低下をもたらす。)の欠点があった。キドラは、クロロキンとオロチン酸という注目すべき二薬剤の長所を生かしつつ合成に成功した化合物であり、本剤の出現によって腎疾患の治療に一段の進展が期待された。
昭和四二年五月頃の能書には「本剤を長期に使用する際は、定期的に眼症状の検査を行うことが望ましい。」との記載が一行加えられた。しかし、これでは何故右検査が必要なのか全く判然としないものであった。
そして、ようやく昭和四四年一二月二三日の厚生省薬務局長通達により、昭和四五年三月以降の能書には、使用上の注意として、眼障害の副作用があらわれることがあるので観察を充分に行ない、異常が認められた場合には投与を中止するとの記載がなされるに至ったものである。
ところで、医薬品に添付されている能書は、薬事法所定の表示書の一種であって、医薬品の組成、効能、使用方法、副作用等が記載されており厚生省の指導のもとに薬品発売会社が作成し、薬品に添付することを義務付けられているものである。薬品の包装を解けば、必ず目に入るものであるから、個人病院あるいは小規模の病院では薬品を使用する医師が、比較的容易に入手できる状況である。しかし、大病院では、薬品は通常は処方により薬局から患者に渡るので、医師が直接に薬品の包装を解いたり、薬品そのものを手にすることはない。従って、能書が医師の目にふれることは普通にはなく、医師が能書を必要とするときには薬局から取り寄せて見るのが普通である。
能書には、薬物の組成、性状、薬理作用、適応症、副作用、用量、用法等が記載されており、その組成を薬務行政当局が指導しているので、医師にとって能書の記載は、治療方法を決定するに際して貴重な資料である。なぜならば、治療学書や全集的教科書の如く比較的に詳細な記載がなされている単行本あるいは商業誌にみられる治療薬に関する総説論文であっても個々の薬物についての記載は必ずしも詳細ではなく、不備な点が多々あるからである。例えば、能書には化学構造式や性状、薬理作用、使用法(内服や筋肉内の注射か静脈内注射か)特に起こり得る副作用の多くが記載してあるのに比し、治療学書等には頻発し、かつ重大なもので注意を怠ることができない副作用だけしか記載されていない例が多いからである。大病院の医師は、医薬品の化学構造式や副作用等の詳細を知りたいときには、能書自体は薬局にて収集、保存されているところから、自ら薬局に行って能書を入手したうえで、これを読むのが通例であり、医師によっては能書を病歴に貼付しておくものもある。
(5) 薬務行政について。
医師は、医薬品の製造許可などについての薬務行政を全面的に信頼しており、右許可のあったキドラに「ク」網膜症の如き重篤な副作用があるとは全く予想しえなかった。
厚生省が、昭和四二年三月一七日薬事法施行規則及び厚生省告示の一部改正(同年九月一七日施行)により「ク」剤を劇薬・要指示薬に指定したこと、昭和四四年一二月二三日には原告ら主張の薬務局長通達が発せられたことは認めるが、右の指定は「ク」網膜症には全く言及していないので一般医師が右の指定により「ク」剤による眼障害を予見することは不可能であった。そして、■第一内科の医師が「ク」剤の副作用を知りえたのは、右薬務局長通達が神奈川県衛生部長により、医師会等を通じて一般医師に通知された昭和四五年二月の時点であった。
(6) 以上要するに、第一内科の医師らは、既に述べた能書の記載及び多くの内科書あるいは治療書の記事に従い、慢性腎炎に対する有効な薬剤としてキドラを使用したのである。腎炎に対する使用経験例の報告文献も多数あり、いずれもキドラの薬効を確認し、副作用については消化症状に関しての報告はあっても眼症状についての報告はなかったのである。
右のように慢性腎炎に対してキドラを投与することがむしろ内科医の常識であった時点において少数の眼科分野における副作用の報告に従い、慢性腎炎に対する有効な薬剤であるキドラを投与しない内科医が仮にいたとしても、その医師の存在こそ異例であって、そのような異例を法律的責任の有無を論ずる際の基準とすることはできない。
当時の医学水準からみれば、大多数の医師は「ク」剤の有効性にこそ思い至っても、それが眼障害を惹起する可能性があるとは到底予見することができなかったのである。
1の(四)(結果回避義務違反)について。
(1) (慢性腎炎との診断と治療について)につき。
原告××が妊娠中毒症後遺症であったとの点、原告××に対し必要な諸検査をなさなかったとの点は否認する。
原告らは、「原告××が妊娠中毒症後遺症であった。」と主張するが、妊娠中毒症後遺症は出産後しばらくして消失するものであり、原告××の如く出産後六年余にわたって尿蛋白が陽性を示し、高血圧と浮腫が出現した症状及び尿沈渣における赤血球及び円柱の存在、赤血球沈降速度の亢進、低蛋白血症、総コレステロールの稍高値等の症状が全期間を通じて出没したことからして慢性腎炎というほかない。
原告らは、「■において充分な腎機能検査を実施していない。」と主張するが、臨床検査は必要か不必要かを考えずに機械的に行うべきものではないのであって、原告××は血液尿素窒素値が正常であり、かつPSP試験ことに一五分値が正常であるばかりか、濃縮力も正常であったから、仮に原告らが主張するような複雑多岐な検査を行なったとしても、その全てに正常の結果を得ることは確実であったので、これを実施しなかったものである(慢性腎炎患者の中には腎機能検査の結果が正常である者が多い。)。また、通院中も、適宜必要な諸検査を実施している。
原告らは、「原告××が昭和三九年九月には治癒していた。」と主張するが、昭和三九年九月以降に尿蛋白が陽性となり、血圧が高くなったことが何回もあり、浮腫が出現し、尿沈渣に赤血球が増加していたことは、未だ右時点では治癒していなかったことを示している。
(2) (「ク」剤の効能について)の主張は争う。
従来、腎疾患特に慢性腎炎には治療の決め手がなく、ステロイド系ホルモン剤が特殊な場合にまれに劇的な薬効を示すことがあるのみであったが、これは副作用が伴うことと、原告××に投与しても効果がなかったので、キドラを投与したものである。これは、慢性腎炎に確実に奏効する薬物はないところ、右腎炎という疾患は益々進行し遂に慢性腎不全により生命の危険を伴うものであるから、副作用の危険が多少あったとしても用いざるをえないためで、いわゆる、「許された危険」と見るべきものである。従って、右の点において、原告××に対する右投薬行為は違法性がない。
そして、原告××が昭和四五年二月末頃には慢性腎炎が治癒した事実は動かし難く、「ク」剤が尿蛋白の減少すなわち腎炎の治療に著しい薬効を有することは否定することはできない(なお、ドイツ、ソビエト、チリなどでも、「ク」剤がネフローゼ症候群や腎疾患の治療に使用され有効性が認められている。)。
(3) (投与期間、投与量について)の主張は争う。
すなわち原告××に対するキドラ・CQCの投与期間と投与量との具体的数字は、既に答弁したとおり概ね争わないけれども、その評価について、原告らの主張を争うものである。
投与期間は、当時のキドラの能書に「長期連用が望ましい。」とあるほか、「今日の治療指針」一九六二年版で日本大学の大島研三教授が「ク」剤について「投与期間は年余にわたりうる。」旨記載していることに照らし、相当であり、また、投与量についても決して多量ではなかった。
原告ら側は「原告××が約六年三か月間にわたり連続投与を受け服用した。」如く主張しているけれども、原告××は、その期間中、連続してキドラを服用したわけではなかった。すなわち、原告××は投薬されたキドラがなくなっても来院せず、次の来院までの間に相当の日数の服用しない日があった。この休薬期間は、治療の初期には短く、後期になるに従って長くなった。その実際は、例えば、
昭和三九年度 二六四日分(一年間の日数に対し、七二・一パーセント)
昭和四〇年度 二三一日分(一年間の日数に対し、六三・三パーセント)
昭和四一年度 二一〇日分(一年間の日数に対し、五七・五パーセント)
昭和四二年度 二六六日分(一年間の日数に対し、七二・九パーセント)
昭和四三年度 一五四日分(一年間の日数に対し、四二・一パーセント)
昭和四四年度 二〇三日分(一年間の日数に対し、五五・六パーセント)
の投薬を受け、昭和四五年度には、一月一三日に一回来院し、一四日分の投薬を受けた(眼科からの「ク」網膜症の通知は二月一九日であった)。
このように原告××に対する投薬は、断続的であって、昭和三九年度から昭和四四年度までに一三二八日分の投薬をしたが、これは右期間の日数の六〇・六パーセントに相当する。
なお、昭和四〇年九月三〇日の病歴の記載にみる如く、原告××は、投与された全てのキドラを内服せず、沢山にあまらせる習性があったため、実際のキドラ服用量はさらに少ないとみられる。従って、原告ら側作成の「キドラ投与量と臨床経過」表は、キドラの連続投与を意味しており、実際の投与は、断続的であった事実と相違し、その表示は誤りである。これは、原告××が不当に多量のキドラを投与された如き印象をあたえる。正しくは、被告ら側作成の表の如くである。
2 (被告??の第一内科部長かつ教授としての過失)について。
請求原因第二項2のうち、被告??が■の第一内科部長かつ教授であったこと、■に原告ら主張のとおりの規則が存することは認め、その余の主張は争う。
診療行為について各担当医はそれぞれの独立の資格を有する医師としての責任をもってあたっており、患者について、教授が治療プランを決定し、他の医師をして、これを実施せしめるという関係にはない。■規則は行政体としての病院の運営に関するものであり、医師の医療行為については適用がないのである。
被告??は、昭和三八年一〇月二五日の教授回診の時に、原告××に対しキドラが投与されていることを知ったが、担当の河野医師がキドラを投与したのは原告××の病状からして当時の医学常識上全く妥当であったから、これを容認し、何も指示していない。
そして、退院後の通院期間中については、被告??はまったく原告××に関与する機会がなかった。
3 (被告??の代理監督者としての責任)
請求原因第二項3の主張は争う。独立の資格を有する個々の担当医の診療行為については、第一内科の部長である被告??としても、指導助言にとどまり、その職制上から指揮(命令)監督は不可能であり、民法七一五条二項の監督責任という概念があてはまらない。さらに第一内科部長は所属構成員の選任権限を被告市から付与されていない。従って、被告??に対する民法七〇九条、七一五条二項に基づく責任追及に関する原告らの主張は失当である。
三 請求原因第三項(原告らの損害)の事実は争う。
原告××は、家庭の主婦であり、賃金労働に従事したことはないのであって、このような場合利得の喪失が発生する余地はないばかりか、仮に右の点はさておくとして、「ク」網膜症に罹患しているとしても、全盲の証拠もないし、「死にも比すべき被害」ということはできない。従って、原告△△、同◇◇の両名の慰藉料は発生しない。「労働能力喪失率が一〇〇パーセントである。」旨の主張は争う。
原告××は、現在身体障害者手帳を有しているが、右手帳の交付を受けることにより、既に障害年金を六年間に合計約二三〇万円受け、そのほか福祉手当、神奈川県在宅重度障害者等手当、在宅重度障害者特別給付金、▲▲市在宅心身障害者手当、市営バス・地下鉄特別乗車券交付、水道料金基本料免除、国民健康保険自己負担分免除などの給付を受け得る資格を有している。そして、今後も終生障害年金を受け得る地位にある(昭和五三年度は一級で年額五七万七、六〇〇円)。従って、将来の逸失利益が発生するとしても、右年金及びその余の福祉手当等により填補される関係にあるといわなければならない。
仮に、右身体障害年金等の交付をもって、逸失利益の算定に考慮されないとしても、少くとも慰藉料額算定に参酌されるべきである。
付添費用につき、原告××が現実に支出したとの主張・立証がないので、これは認められるべきでない。
第四 証拠関係《略》
理 由
以下、理由中で使用している書証の成立については、逐一の説示を省略する。
《書証判断略》
一 本件被害の発生
1 原告××の入通院とキドラ等の投与
《証拠略》によれば次の事実を認めることができる。
原告××は、大正一二年四月二六日に生まれ、昭和二六年六月原告△△と婚姻、以降主婦業に専念してきたものであるが、昭和三七年一一月末頃妊娠していることが判明し、昭和三八年四月中頃医師の診断の結果尿蛋白が認められ、妊娠中毒症とされ、同年六月一七日原告◇◇を出産したが、その後も尿蛋白が認められたので、同年九月一二日■第一内科で受診したところ、腎炎と診断され(決定診断は慢性腎炎)、九月二五日から同年一一月一四日まで第一内科に入院して担当の河野医師から治療を受け、次いで昭和三九年一月九日から昭和四五年八月二七日まで第一内科に通院して右河野医師ほか多数の外来担当医(被告??は除く。)から治療を受けた。その間の昭和三九年五月二五日原告××は静養先の新潟県中頸郡大潟町の開業医の渡辺清秀医師のもとに右河野医師の依頼状持参で訪れ、同日から同年八月二一日までの間通院して治療を受けた。
原告××は、右入院期間中の昭和三八年一〇月二三日から同年一一月一四日までの二三日間担当の河野医師から内服薬キドラ(一錠はオロチン酸クロロキン一〇〇ミリグラムより成る、クロロキン塩基部はその五〇・六一パーセント)を一日三錠宛(計六九錠)、右通院期間中はキドラや内服薬CQC(一錠はコンドロイチン硫酸クロロキン一〇〇ミリグラムより成る、クロロキンはその一三・七六パーセント)を別表(三)のとおり(キドラ計七二一八錠、CQC計八四錠)投与され、昭和四五年二月まで服用した。その外に原告××は、前記依頼状の処方に従った渡辺医師により昭和三九年五月二五日から同年八月二一日までの八九日間キドラを一日六錠宛計五三四錠投与され服用した(原告××は、これら投与量のほぼ全量を服用したものと推認できる。なお、原告××の出生と婚姻の日、右のとおり原告××が■に入通院したこと、入院時の担当医が河野医師であったこと、各薬剤の成分割合は当事者間に争いがない。投与期間・投与量についても概ね争いないけれども「連続的投与」か「断続的投与」かの争いがあるので、「ク」剤の数量についても認定した。)。
右のとおり認めることができ、かくして、原告××は、昭和三八年一〇月二三日から昭和四五年二月までの約六年三か月の間、第一内科の医師ら(内数か月間は前記渡辺医師)の処方投与を受けて、キドラあるいはCQCを断続的な時期もありながら、継続して服用し、その総服用量はキドラ約七八〇グラム(内五三・四グラムは右渡辺医師投与分)、CQC八・四グラムであり、クロロキン量に換算して合計約三九〇グラム(内約二七グラムは右渡辺医師投与分)に達した。
原告らは、「被告??が昭和三八年一〇月一八日の教授回診の際、担当の河野医師に対し、原告××にキドラを投与することを指示した。」旨主張し、原告××本人尋問の結果中には右主張に副う部分があり、《証拠略》によれば、右時期に被告??による教授回診がなされたことが認められるが、《証拠略》によれば、原告××の担当の河野医師は患者に関し被告??から意見を述べられたり、助言を受けたときは、その旨を診療録に記載することにしていたところ、《証拠略》によれば、原告××の右入院時の診療録には原告ら主張の事実の記載がないこと、キドラの投与は昭和三八年一〇月二三日から始っているがこれは担当医による定時処方であることが認められ、右認定事実からすると、《証拠略》に照らし、右原告××本人尋問の結果のみでは、いまだ立証十分とは認め難く、他に原告らの前記主張を認めるに足りる証拠はない。
2 原告××の発病
(一) 《証拠略》を総合すると次の事実を認めることができる。
原告××は、前記キドラあるいはCQCの服用開始前には両眼とも裸眼視力が一・二で眼障害の自覚症状は何らなかったところ、昭和四四年秋頃から夜電灯が暗く感じられたり、昭和四五年二月に入ってから視力の低下や、夜になると物が見えにくくなるなどの視覚異常に気付き、同月六日■の眼科を訪れ検診を受けたのであるが、同月一八日同科の田中助教授が「ク」網膜症の罹患を疑ったほか、担当医ではないがクロロキン眼障害に明るいということで同日協力を求められ、同年六月二五日まで原告××を診察した同科の河田睦子医師も、原告××の「ク」剤の内服期間・内服量を調査するとともに眼底、視力、視野、ERG、螢光眼底撮影等の諸検査の結果をみて、「ク」角膜症・「ク」網膜症であると診断した(但し、原告××が昭和四五年二月■の眼科で「ク」網膜症と診断されたことは当事者間に争いがない。)。その後原告××は同年一〇月一五日東京大学医学部附属病院の眼科で「ク」網膜症という症病名で治療を受け、次いで昭和四六年一一月一五日から昭和四七年一月二一日までの間、北里大学病院の眼科で受診し、眼底、視力、視野、ERG、眼電図Erectro-Oculo-Gram以下「EOG」という。)、螢光眼底撮影等の諸検査を受けて、同科の向野和雄医師により「ク」網膜症との診断を下され、その後も、同年一〇月一二日に金沢眼科医院の宮崎達也医師より、昭和五一年四月三〇日に順天堂大学医学部附属順天堂医院眼科の丹羽康雄医師により、同年五月一二日と昭和五二年三月一一日に東京医科歯科大学医学部附属病院眼科の林一彦医師によりそれぞれ同様「ク」網膜症と診断がなされた。
(二) 原告××の眼症状の経過については、証拠略により次のとおりであることが認められる。すなわち、昭和四五年二月六日から同年一〇月六日までの間における■眼科の検査では眼底にいわゆるブルズ・アイ(診療録にある「チェリー・レッド」とはブルズ・アイを意味したものと認められる。)、網膜のびまん性混濁、網膜動脈の狭窄化などが認められ、視野に輪状暗点(進行性)があり、視力は当初両眼とも〇・七程度(但し、矯正不能)であったものが、逐次低下し、右眼〇・四、左眼〇・二(ともに矯正不能)にまで低下した。昭和四六年一一月一五日から昭和四七年一月二七日までの間における前記北里大病院における向野医師の検査では眼底に視神経乳頭の軽度萎縮(褪色)、黄斑部の色調のむらが、螢光眼底写真によるとブルズ・アイが認められるとともに視野に中心暗点が認められ、視力は右眼〇・二、左眼〇・一(ともに矯正不能)となった。昭和四八年一月六日の東京医科歯科大学眼科の笠井博医師の検査では両眼とも中心視力-明暗(暗室に明りをつけて、明るいか、暗いか識別できる程度の視力)、周辺視力-眼前四〇センチメートル指数(眼前四〇センチメートルの位置で指を見せて本数を識別できる程度の視力)となり、この頃には日常の家事をすることができない状況になった。昭和五一年四月の前記順天堂大学病院における丹羽医師の検査では視野に一〇ないし三〇度の中心暗点が認められ、ERGはほぼ反応がなく暗順応の障害があり、視力は右眼二〇センチメートルの手動弁(眼前二〇センチメートルの位置で手を動かしてその動きを認識できる程度の視力)・左眼三〇センチメートルの手動弁(ともに矯正不能)であった。昭和五二年二~三月の前記医師の検査では視野は広範な中心部絶対暗点が認められ、暗順応、EOGは右暗点のため検査不能の状態であり、ERGは両眼とも陰性波(a波)・陽性波(b波)の振幅の低下、律動様小波の消失を示し(このERGの結果により網膜の広範な障害が考えられる。)、視力が両眼とも三〇センチメートル手動弁であった。
(三) 原告××が、被告市から両眼「ク」網膜症ということで、昭和四七年四月七日身体障害者手帳第一種二級の交付を受け、昭和五一年一二月二五日全盲として一級に等級変更されたことは当事者間に争いがない。
3 「ク」網膜症
(一) キドラあるいはCQCは、いわゆる「ク」剤の一つであるが、その成分、一錠中のクロロキン含有量は前記1のとおりであり、クロロキンの網膜への作用機序はいまだ充分解明されていないが、「ク」剤をある程度以上服用すると、「ク」網膜症と呼ばれる網膜障害の発生することがあることは後記認定の事実から明らかである(なお、キドラ・CQCの服用により「ク」網膜症の発生があり得ることは、現在の一般論として被告らも認めているところである。)。
(二)(1) 「ク」網膜症の症状(病像)が、原告ら主張のとおりであることは当事者間に争いがなく、その性質及び発生率(発生頻度)については、《証拠略》によれば次のとおり認められる。
「ク」網膜症における網膜障害は、極めて初期においては可逆的で「ク」剤の服用を中止することによって消失するが、右時期を経過すると非可逆的で、右服用中止後も改善されないか、又は進行する(右後者の場合において有効な治療法は確立していない。そこで「ク」剤を投与する場合には三ないし六か月ごとの定期的な眼科検査により早期に発見すべきであると警告する者が多い。)。
発生率(発生頻度)は、報告者によって異なり、〇・三四パーセントから三六パーセントにわたって区々であるが、東京大学附属病院診療内科通院中の「ク」剤服用者一〇三例の統計的観察をした同病院眼科の井上治郎医師らは、一ないし一・九パーセントとし、このように報告者によって発生率が異なる原因は、報告者により調査対象者の内服期間、総内服量、一日の内服量などに差があること、「ク」網膜症の早期診断が難しいこと(「同症の疑い」という症例を加えるかどうかで発生率が変ってくる。)の二つであろうと指摘される。
(2) 「ク」剤の一日の服用量、服用期間又は総服用量と「ク」網膜症の発生及び障害の程度との相関関係は判然しないが、「ク」網膜症の報告例はこれをキドラについて見ると次のとおり服用期間二年以上、総服用量二〇〇グラム以上というような長期間にわたって大量に服用したものが大半を占めている。
つまり、国内におけるキドラ服用による「ク」網膜症罹患の報告例について、その一日服用量、服用期間、総服用量をみると、次のとおりであると認められる(各証拠は各括弧内のとおり。)。すなわち、一日三〇〇ミリグラムを七九日間あるいは九九日間、一日三〇〇リグラムを一年六か月間(総量約二〇〇グラム。)、一日三〇〇ミリグラムを二年間(総量約二〇〇グラム)、一日三〇〇ないし四〇〇ミリグラムを約二年間(総量約二五〇グラム。)、一日三〇〇ミリグラムを約二年八か月(総量約二九〇グラム。)、一日六〇〇ミリグラムを約三年間(総量約三〇〇グラム。)、約二年半の間(総量約三一六グラム。)、一日二〇〇ないし三〇〇ミリグラムを二年一〇か月間(総量約三二〇グラム。)、キドラ約三年間(総量三五〇グラム。)、一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラムを約七年間(総量約七〇〇グラム。)、一日五〇〇ミリグラムを三年間(総量約五八〇グラム。)、一日三〇〇ミリグラムを約七年間(総量約七〇〇グラム。)。
4 原告××の眼症状(前記2(二))は「ク」網膜症であるかどうかについて(因果関係)。
《証拠略》によると、原告××の母(明治三三年一月二二日生)は、視力が右眼〇・六、左眼〇・七(いずれも矯正不能)で老人性白内障兼慢性結膜炎に罹患していることが認められるのであるが、これは遺伝性の眼疾患ではないし、原告××の兄弟妹及び子(原告◇◇)はいずれも正常視力を有していることも認められ、原告××に遺伝性の眼疾患があることは窺われない。甲第一一五号証(原告××の昭和四五年の眼科診療録)中には原告××の母が緑内障であるとする部分があるが、甲第一二二号証の一(同人に関する眼科医笹川禮子医師作成の昭和五二年一月三一日付証明書)に照らし措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない(甲第一一五号証の右部分は原告××の問診の際に記載されたものであるので、同人が母親の病名を誤まった可能性がある。)。
原告××は、第一内科の処方により「ク」剤の一つであるキドラの服用を始める以前は正常の視力を有し眼障害の自覚症状はなかった。キドラなどの「ク」剤をある程度以上服用すると、「ク」網膜症が発生することがある。原告××は、一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラムのキドラを約六年三か月の間(投与総量約七八〇グラム。ほかにCQCを総量八・四グラム。)服用したのであるが、前記3(二)(2)の症例に照らして「ク」網膜症発生の可能性がある。原告××の前記2(二)認定の眼症状の経過は「ク」網膜症の症状・性質等に矛盾しない。
後記のとおり昭和四五年当時別表(一)(二)のような内外の諸論文などが公表されていたこと及び《証拠略》によると昭和四五年当時眼科医に「ク」網膜症の症状(病像)、鑑別のための検査法などについての知見が普及していたと推認されるところ、原告××は、前記2(一)のとおり昭和四五年二月から昭和五二年三月一一日の間異なる数人の眼科医(うち一人を除いて大学病院眼科の医師)により「ク」網膜症と診断された。
以上の事実を総合すると、原告××の眼症状は原告ら主張のとおり「ク」網膜症であると認めるのが相当である。
そして、原告××は、第一内科の医師らによって処方・投与された「ク」剤であるキドラ、CQCを前記1のとおり継続服用したことにより「ク」網膜症に罹患し、前記2(二)(三)のような重篤かつ回復不能な眼障害の被害を受けたものと認められる。
被告らは、「原告××は、「ク」網膜症以外の網膜変性疾患である可能性がある。」旨主張するが、《証拠略》によると、被告ら主張の疾患のうち、網膜色素変性の症状には「ク」網膜症のそれとよく似ているものもあるけれども、眼科医は診断に際し両者の鑑別を念頭に置くし、その鑑別も可能であることが認められ、また《証拠略》、前記2(二)、3(二)(1)の各事実及び弁論の全趣旨によると、いわゆるブルズ・アイは「ク」網膜症のきわだった特徴であるが、網膜色素変性では殆んどみられないところ、原告××にはブルズ・アイの存したことが認められ、以上の事実に「ク」網膜症の知見が普及した後、時期を異にして、異なる数人の眼科医が原告××を「ク」網膜症と診断していることなどを併せ考えると、右眼科医らの診断が誤りである疑いは殆んどなく、被告らの前記主張は採用しないこととする。
被告らは、「原告××の眼症状は、第一内科の医師らが投与した薬剤以外の薬剤の服用、その他の原因によるものである。」旨主張するが、本件全証拠によるも、原告××が当時第一内科の医師ら(あるいは同医師らから処方を依頼された前記渡辺医師)により投与された薬剤以外の薬剤を服用していたことを認めることができないので、被告らの右主張は理由がない。
二 被告らの責任
1 被告??を含む第一内科医師らの投薬医としての過失について。
(一) 医薬品投与の際の注意義務
医薬品には有効性(主作用)の反面、常に何らかの有害作用(副作用)が、ときには重篤な副作用さえも伴うものであることは、弁論の全趣旨によって認められるところであるから、医薬品を投与するにあたっては、当該医薬品の副作用の有無・内容・程度について認識・予見する必要がある。従って、ある疾患治療のために、個別的・具体的な患者に医薬品を投与する医師としては、まず当該医薬品の副作用について注意を払い、もしも、これにより看過できない副作用発生の可能性の疑いを抱いたときは、さらに調査をして当該医薬品の副作用の有無・内容・程度を確認する義務があるものであり、そして、右予見義務の履行により当該医薬品に関する重篤な副作用の発現(重篤な障害の発生)の可能性を把握することができたときは、患者の症状・健康状態に応じ、当該医薬品の投与を中止したり、他の安全な方途に切替るなどの措置を講じて、かかる障害が患者に発現することを未然に防止する注意義務(結果回避義務)がある。とくに開発されて間もない医薬品を長期間にわたり大量に投与する場合には、副作用発生の危険度が高くなるのであるから、当該医薬品の副作用についてより慎重に注意を払う義務があるものである。
ところで、大学医学部附属病院は一般開業医などに比べて手軽に閲覧しうる文献の質や量において優り、また学会・医局などを通じて他の医師と接触し、研鑽したり医薬品の評価を聞知する機会や診療に関し、他の領域の医師と接触・協力する機会もあり、医薬品の副作用に関する情報を容易に入手することができる環境にある(このことは《証拠略》によっても窺知される。)のであるから、大学病院の医師は一般開業医などよりも医薬品の副作用について高度の予見義務があるというべきである。
従って、第一内科の医師としては製薬企業の作成した医薬品の能書(添付文書)、薬務行政上の措置などだけでなく、医学雑誌、学会の動向などを通じて投与している個別的医薬品の副作用について具体的患者との関係において常時注意を払う義務がある。
(二) キドラ(「ク」剤)と慢性腎炎
(1) 《証拠略》を総合すると次の事実を認めることができる。
昭和九年(一九三四年)ドイツのアンデルザークらによりクロロキン化合物(2リン酸クロロキン)が合成され、これは外国において、初め第二次大戦中に抗マラリア剤として使用された。その後、外国において各種の「ク」剤(クロロキンとリン酸、塩酸、硫酸などのいずれか一つとを結合したクロロキン化合物)は紅斑性狼蒼(エリテマトーデス)、リウマチ様関節炎などの治療のためにも用いられてきたが、腎疾患とくに慢性腎炎の治療薬として用いられたという報告は殆んどない。
キドラは、クロロキンとオロチン酸とを合成した「ク」剤の一つで訴外小野薬品工業株式会社の製造にかかる旧薬事法(昭和二三年法律第一九七号)二条五項所定の「新医薬品」(その化学構造式、組成又は適応が一般には知られていない医薬品)であるが、昭和三五年一二月一七日同法二六条に基づき厚生大臣より製造が許可され、昭和三六年一月二〇日から普通薬として発売された(なお、現行薬事法は昭和三五年八月一〇日公布、昭和三六年二月一日施行)。
キドラの能書には、「適応症」(効能)として「腎疾患とくに慢性腎炎」(途中から妊娠腎((妊娠中毒症))、エリテマトーデス、リウマチ様関節炎などが追加された。)と、特徴として、「腎疾患では、腎機能が賦活、改善され、尿蛋白の消失、減少が顕著、A/G(血清蛋白であるアルブミンとグロブリンとの比)の改善、尿沈渣中の赤血球の減少をもたらし、尿量が増加する。」(なお、昭和四七年五月から右特徴部分は欠落している。)とそれぞれ記載してある。
(2) 《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
昭和四一~二年頃までに医学雑誌に発表されたキドラが腎炎に有効であるとの論文等は証拠として提出されたものに限ると、昭和三六年、同三七年に合計三編あり、そこでは副作用はないとするが、食欲不振、悪心、腹部膨満感等の胃腸症状を挙げるものの軽度で心配のないものとしているが、投与期間は最長六か月、一日投与量は三〇〇ミリグラムであった。これを「ク」剤全体について検討してみても、昭和三三年一二月発行の「総合臨床」誌上で、神戸医科大学辻昇三教授によりレゾヒンあるいはアラーレン(いずれもリン酸クロロキン)が腎炎に有効であるとの症例報告がなされて以来、昭和四一~二年頃までに各種の医学雑誌、製薬企業発行の臨床治験集等に大なり小なり「ク」剤の有効性を認める論文、報告が多数発表され、そこでは副作用はないとするか、前記胃腸症状のほか頭痛、不眠、眩暈等の神経症状を挙げるものの、いずれも軽い一過性のものであるとしているが、投与期間は六か月を超し一年四か月以下で実験したという数例を除き、皆六か月以下であつた。
しかも、「ク」剤が腎炎に対する治療効果をもつとされる以前、腎炎の治療法として種々のものが報告されていたものの、安静、保温、食餌療法のほかには適確かつ本質的な治療法は未だ確立されていない状況にあった。
(3) 右各事実及び前記一1の事実によると、昭和四二年三月当時(後記「ク」網膜症の予見可能時)も、キドラは慢性腎炎の治療薬として開発・販売されて六年余であるため、未だ専門家の多年にわたる研究がなされておらず、ある一定の期間(少なくとも一年五か月以上)投与しても重篤な副作用は発生しないという見解が確立していた訳ではなかった(却って、後記のとおり「ク」網膜症に関する多数の論文・報告が存在していた。)にも拘らず、既に、この時期において第一内科の医師らは原告××に対し投与開始後三年余にわたって別表(三)(退院後の分の投与だけでも)のとおり「ク」剤を投与していた状況にあったことが明らかである。
(三) 「ク」網膜症の予見可能性
(1) 別表(一)の書証番号欄記載の各書証と《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
「ク」剤による眼症状ないし眼障害は昭和二三年(一九四八年)以来外国文献において報告されていたが、昭和三三年(一九五八年)六月「THE LANCET」誌上に「ク」剤服用により角膜障害が惹起されるとする最初の論文(別表(一)の6)がホッブスらにより発表され、さらに翌年一〇月には同誌上に「ク」剤服用により網膜障害が惹起されるとする最初の論文(別表(一)の11)が同人らにより発表されるに至った。クロロキン眼障害に関する論文を登載した文献は眼科系の専門誌に多いが、一般的な臨床医学の総合雑誌(わが国の大学医学部附属病院の医局医師の間でもかなり読まれている。)である THE LANCET,THEJOURNAL OF THE AMERICAN MEDICALASSOCIATION(JAMA),The Neu EnglandJournal of Medicine誌上にも昭和四〇年までに合計一〇余の論文が公表されている(証拠として提出された外国論文は別表(一)のとおり。)。例えば、
別表(一)の11(前記ホッブスらの後者の論文、昭和三四年一〇月発表)はホッブスらが「ク」剤による治療を受けていた患者三名について重篤な非可逆的な網膜変性を詳細に観察し、三症例における重要な共通した症状は黄斑部障害、網膜血管の狭細化とそれがひきおこす暗点、視野欠損であるとし、かかる網膜症はクロロキン化合物により惹起されると結論し、「ク」剤の使用期間の短縮と定期的な眼科検査を提言している。
別表(一)の31(昭和三八年六月頃発表)は総説であって「ク」剤(リン酸クロロキン)を種々の慢性疾患の治療のために大量に使用するようになってから重篤な障害すなわち「ク」網膜症が発生するようになったとし、医師は「ク」剤の長期大量投与後の網膜障害の可能性に対して警戒しなければならないと警告している。
別表(一)の32(昭和三八年八月発表)はそれまでの「ク」角膜症・同網膜症の報を告ふまえて、一つの病院で合成抗マラリア剤(「ク」剤など)療法を受けていた五六人の患者について長期間にわたって眼所見を観察した結果の報告などであるが、その中で「ク」網膜症六例(うち一例は可逆的であった。)について症例報告をなすとともに「ク」剤服用者四五名中六ないし八名(一三ないし一八パーセント)に網膜症がみられたが、同症発生の大きな要因は「ク」剤の長期にわたる大量の服用にあり、初期の自覚症状のない段階では可逆的であると結論している。
別表(一)の45(昭和三九年二月発表)は注解であって、それまでに公表された「ク」網膜症に関する論文(別表(一)の5、10、13、15、16、22~25、27、33、39等二六編)に基づきその症状、性質、発生率、発生要因、治療法などについて注釈して、る。
(2) 別表(二)の書証番号欄記載の各書証と弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。
一方、国内における「ク」剤による眼障害に関する報告例としては昭和三七年一〇月慶応義塾大学医学部眼科学教室の中野彊医師らが「眼科臨床医報」誌上に発表した「ク」網膜症に関する論文(別表(二)の1)が最初であり、その後原告××が昭和四五年二月キドラの服用を中止するまでの間にクロロキン眼障害に関する論文などは主に眼科関係の専門雑誌に登載されてきたが、昭和三九年末からは内科関係の雑誌(「日本内科学会雑誌」、「内科」、「診断と治療」、「最新医学」など)や内科でも診療の対象とする疾患(《証拠略》によると、リウマチ、エリテマトーデスは内科でも診療するし、内科医もリウマチ学会の構成員になっていることが認められる。)関係の雑誌(「リウマチ」、「整形外科」、「皮膚科の臨床」など)にも登載されるようになり、昭和四一年までのこのような論文・報告は合計一〇編に及んでいる(なお、証拠として提出された国内論文等は別表(二)のとおり。)。以下重要なものについて説明する。
別表(二)の1(前記中野彊医師らの論文。昭和三七年発表・眼科の専門誌)は一例ではあるが慢性円板状エリテマトーデスの治療により発生した「ク」網膜症の所見について詳細に記述したうえ、別表(一)の4、9、10、13、18、22の各外国論文を引用して網膜症の発生要因・発生頻度・眼所見・成因・治療法を説明し、「ク」剤の長期連用に警告を発している。
別表(二)の8(昭和三八年発表・眼科の専門誌)は、東邦大学医学部眼科の大木寿子医師が慢性腎炎、リウマチ治療により発生した「ク」網膜症あるいは同角膜症の三症例の症状について詳細に記述したうえ、別表(一)の7、8、11~13、22、23、26、28等の外国論文を引用して「ク」網膜症・同角膜症の症状・性質について説明している。
別表(二)の13(昭和三九年発表・眼科の専門誌)は、金沢大学眼科の倉知与志医師らが経験したリウマチ様関節炎、エリテマトーデスあるいはてんかん治療により発生した「ク」網膜症三例を報告したうえ、別表(一)の2、5、7、11、13、18、21、26、28、38、39、42、46等の外国論文を引用して「ク」剤の長期間連用による網膜症発生の危険について警告し、定期的な眼科的検査による同症の発生予防、早期発見について提言している。
別表(二)の19(昭和四〇年発表・眼科の専門誌)は、本件と同様に慢性腎炎治療のためにキドラを内服したことにより発生した「ク」角膜症・同網膜症の一症例について所見を詳細に記述し、併せて右疾患について総括している。
別表(二)の26(昭和四〇年九月発行・眼科の専門誌)、41(昭和四一年五月発行・眼科の専門誌)は、東京大学医学部附属病院の井上治郎医師らが同病院物療内科に通院中の「ク」剤服用者一〇三名を対象にクロロキン眼障害の統計的観察をした結果報告(一〇〇例以上を対象とする統計的観察としてはわが国最初のもので、昭和四二年三月一七日「ク」剤が劇薬指定された際、参考資料となった。)であるが右26は角膜症について、右41は網膜症について、それぞれ症状、発生率、発生要因などを詳細に記述したものである。そして右41は網膜症が一〇三例中二例(一・九パーセント。疑しい一例を除くと一パーセント)に見出されたとし、この程度に網膜症が発生することを予想すべきであると提言している。
別表(二)の31(昭和四〇年一月発表。この雑誌は専門家による診療についての解説(総説)を主とする内科関係の商業誌であるが医師の間で愛読されていて、第一内科でも新刊のごとに購入していることが弁論の全趣旨により認められる。)は、東北大学医学部附属病院鳴子分院内科・同学部温泉医学研究所の杉山尚教授らが「ク」剤などの抗リウマチ剤の副作用の一つとしてクロロキン眼障害をとりあげ、別表(一)の6、7、11、13、37、39、47、49等の外国論文を引用してクロロキン網膜症の症状、性質、早期診断法、発生率を説明するとともに、自己の調査によるキドラ、レゾヒン服用者三〇例中角膜症一例、網膜症二例が発生したとし、クロロキン療法にあたっては長期大量の服用を避け、定期的な眼科的検査をして早期発見に努めるよう提唱している。
別表(二)の17、18(昭和四〇年六月発表。日本内科学会の抄録記事((わが国の内科の雑誌における最初の症例報告))。この雑誌は同学会機関誌である。)のうち、右17は、岡山大学内科の木村郁郎医師らが、クロロキン療法中の気管支喘息患者に副作用として眼症状(眼底の変性)が発現したとするとともに、その原因(「ク」網膜症かどうかも含めて)を検討中であるというものであり、特に右18は中電病院内科の三谷登医師らが慢性関節リウマチの治療により発生した網膜症一例の症状(視野狭窄、網膜動脈の狭細化など)・性質(不可逆性)について記述しリン酸クロロキン長期連用例の約三パーセントに網膜症が発生するといわれているとし、その長期連用時には定期的な眼科的眼検査が必要であると警告している。別表(二)の45(昭和四一年五月発表。内科学会地方会の抄録記事)も前記杉山尚教授らが、キドラ、レゾヒン長期継続服用のリウマチ性疾患三七例中初期の「ク」網膜症が三例(八・一パーセント)に認められたとし、右18と同様の警告をしている。
別表(二)の32、33(昭和四一年六月発表。この雑誌は日本リウマチ協会機関誌である。)は、東京大学医学部附属病院物療内科の間得之医師が「ク」網膜症について言及し、その症例が世界で一〇〇例以上、わが国で一三例以上数えられており、注意を喚起したいとし、文献として別表(一)の13、26、37などを挙げている。同時にクロロキン眼障害に関する熊本大学整形外科の木村千仭講師ら(別表(二)46の論文の要旨)と前記杉山尚教授らの各報告がある(これら三編は昭和四〇年の第九回日本リウマチ学会総会の講演抄録等である。)。
別表(二)の46(昭和四一年六月発行)は、前記木村千仭講師らが熊本大学医学部附属病院整形外科の患者で「ク」剤の服用者一〇六名を対象に眼障害を検索し、主に「ク」角膜症について記述するとともに「ク」網膜症の症状、性質について簡明に触れている。
別表(二)の16(昭和三九年一二月発表。特集〈医療による疾患対策〉の一つ。この雑誌も専門家による診療についての解説を主とする内科関係の商業誌であるが医師の間で愛読されており、第一内科でも新刊ごとに購入していることが弁論の全趣旨により認められる。)は、名古屋大学の加藤洋医師がある症状(群)とその原因となりうる薬物について記述したものであるが、視覚障害の項目下にクロロキンを掲げ、「長期使用例で霧視、虹輪、暗点、視野狭窄、網膜動脈収縮、網膜浮腫、乳頭や黄斑の萎縮等を生ずる。マラリア治療の際には副作用は軽いが、エリテマトーデスや関節ロイマの治療では副作用が多く重篤である。」としている。
別表(二)の49(昭和四二年五月発表。特集〈現代の薬物療法〉の一つ)は、新潟大学木下内科の木下康民教授らが、「ク」剤を長期投与することによって網膜症をきたした例を報告している人(別表(一)の16外一の外国論文を引用)もあり、同内科でも経験していると記述している。
別表(二)の50(昭和四二年一〇月発表。この雑誌も専門家による診療についての解説を主とする内科関係の商業誌であるが、医師の間で愛読されていて、第一内科でも新刊ごとに購入していることが弁論の全趣旨により認められる。)は、前記杉山尚教授らがわが国において既に報告されたクロロキン眼障害の症例は網膜症二七例、角膜症七三例に達したと指摘するとともに六〇を超えるクロロキン眼障害に関する国内・国外の文献(別表(一)(二)の大部分)を挙げ、これを引用して網膜症と角膜症に分けて症状、発生率、発生要因について概説し、さらに網膜症もごく初期のものであれば可逆的であり(自己の経験した三症例を紹介)、クロロキン療法にあたっては定期的な眼科的検査による早期発見が重要であると結論づけている。
別表(二)の48(昭和四一年六月一日発行。この論文は皮膚疾患の臨床医家のために執筆されたものである。)は、虎の門病院眼科の茂木劼、前記井上治郎の両医師が別表(一)の6、7、11、13、32、37、39、43、49、54、別表(二)の1、5、8、10、11、19、20、22、26、41など合計三一の国内外の論文を引用しつつ、クロロキンによる眼障害を角膜症と網膜症とに分けて、症状、発生率、発生要因(内服期間・内服量との関係)などについて詳細に解説し、網膜症は非可逆的で重篤な視力、視野の障害を起こすと指摘し、定期的に眼科的検査をして異常があれば直ちに投与を中止することが必要であると警告し、あるいは「ク」剤の使用を抑制するよう要望している。
(3) 《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。
「今日の治療指針」という書物は、各疾患ごとにその疾患の専門家が行なっている治療法を集成した治療書であるが、多くの医師が最新刊を常備し利用していて、第一内科の備え付け図書でもあったものである。なお、どちらかといえば、リウマチは整形外科の、エリテマトーデスは皮膚科の疾患であるが、内科でも診療するものである。
ところで、「今日の治療指針」の慢性糸球体腎炎あるいは慢性腎炎の項には昭和三七年版(同年五月発行)から昭和四一年版(同年六月発行)までは潜伏型慢性腎炎の治療薬として「ク」剤が「多くを期待し難いが規則的生活を守らしめるために」とか「尿蛋白に対しときに有効であるが多くを期待できない」とか「尿蛋白の消失につき効果は不適確であるが」とされつつも掲げられており副作用についての記載はないが、昭和四二年版(同年六月発行)以降は「ク」剤は治療薬として掲げられていない(特に同年版は「期待すべき薬剤はない。」としている。)。
一方、昭和三六年版のリウマチ様関節炎の項と昭和三七年版のエリテマトーデスの項に「ク」剤(レゾヒンなど)の副作用として軽度の視力障害がおきることがあるとの記載がある。しかし、昭和三九年版になると、円板状エリテマトーデスの項に「ク」剤(キドラ、レゾヒンなど)の副作用として目のかすみ、視野狭窄などの視力障害があるとの記載があり、昭和四一年版になると強皮症、慢性関節リウマチ、慢性円板状エリテマトーデスの各項に「ク」剤(キドラ、CQC、レゾヒンなど)の副作用として角膜障害・網膜障害などの眼障害が発生することがあるとの記載が、中でも慢性円板状エリテマトーデスの項には右に加えて角膜障害・網膜障害の症状・性質などについての詳細な記載(網膜障害の症状として視野狭窄、暗点の出現、網膜小動脈の狭窄など、性質として非可逆性)がある。さらに、昭和四二年版の慢性円板状エリテマトーデスの項には、昭和四一年版と同一内容の記載に引続いて、定期的に眼科的検査を行なう必要があるとの記載がある。
(4) 《証拠略》によれば、次の事実を認めることができる。
昭和三九年(と推測される)の日本内科学会中国四国地方会において前記三谷登医師らと木村郁郎医師らとがクロロキン眼障害に関する報告(別表(二)の17、18)をなし、次いで昭和四〇年(と推測される)の同学会関東地方会においても前記杉山尚教授らが「ク」網膜症に関する報告(別表(二)の45)をなした。
昭和三九年の第二回日本リウマチ学会総会において「ク」剤などの抗マラリア剤に関するシンポジウムが開催され、前記杉山尚教授ら(別表(二)の31参照)がクロロキンによる眼障害について報告し、出席者によりそれについて討論がなされ、次いで昭和四〇年の第九回同総会においても前記間得之医師が前記内容(別表(二)の32)の講演を、前記木村千仭講師ら及び杉山教授らが前記内容(同33)の各報告をなし出席者により討論がなされた。
(5) 《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
「日本整形外科学会雑誌」(同学会機関誌)昭和三八年五月号、「日本腎臓学会誌」(同学会機関誌)同年四月号、「リウマチ」(日本リウマチ協会機関誌)同年九月号・昭和三九年二月号、「診療」同年六月号・同年八月号、「リウマチ」昭和四一年第六巻附録にそれぞれ掲載されたリウマチ・腎臓疾患治療剤と銘うったCQCの広告中に「従来の『ク』剤では副作用として稀に網膜障害が現われる。」と記載されている。
昭和四三年六月発行の厚生省推薦「腎臓病の百科」-家庭の医学百科シリーズ8には「ク」剤による副作用として網膜障害を指摘し、定期的な眼科的検査を勧める記述がある。従って、この時期にはすでに「ク」網膜症の存在は家庭医学の知識にさえなった。
(6) 薬務行政
《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
「ク」剤は、その連用により角膜障害・網膜障害等の眼障害があらわれることがある(別表(二)の26、41が参考資料とされた。)ことを理由に、昭和四二年三月一七日薬事法施行規則の一部を改正する省令(昭和四二年厚生省令第八号)をもって劇薬に指定され、同年九月一七日から施行されたが、右指定は「ク」剤使用時の医師の注意を喚起することを目的としたものである。
同時に同年三月一七日厚生省告示の一部改正が行なわれ、「ク」剤は要指示医薬品(医師の処方箋又は指示によらなければ購入することができない医薬品)に指定され、同年九月一七日から施行されたが、右指定は「ク」剤の副作用が強いことから、一般大衆がこれを購入・服用することにより副作用が発生することの防止を目的としたものである。
厚生省薬務局長は、昭和四四年一二月二三日薬発第九九九号をもって各都道府県知事に対し、「『本剤(ク)剤の連用により、角膜障害、網膜障害等が……あらわれることがあるので、観察を十分に行ない異常が認められた場合には投与を中止すること』という『ク』剤使用上の注意事項を定めたので、各都道府県において、右注意事項を記載した文書を添付して販売するよう管下の医薬品製造業者らを指導するとともに関係各方面に右注意事項を周知徹底することを求める。」旨の通達を出した。神奈川県衛生部長は、昭和四五年二月五日薬第一九六六号をもって医師会、病院協会などに対し、右厚生省薬務局長通達(ク剤使用上の注意事項)を会員に周知徹底するよう通知した(なお、厚生省が昭和四二年三月一七日薬事法施行規則及び厚生省告示の一部改正(同年九月一七日施行)により「ク」剤を劇薬・要指示薬に指定したこと、昭和四四年一二月二三日には右薬務局長通達が発せられたことは当事者間に争いがない。)。
(7) キドラの能書(添付文書)
《証拠略》によれば、次の事実が認められる。
キドラが発売された昭和三六年当時の製薬会社作成の能書の〔薬理〕の項には、同剤について「毒性は少なく……、実用上は無害と考えられる安全性を有する。」旨の、〔用法・用量〕の項には、「疾患(慢性腎炎)の性質上長期連用がのぞましく、服用中は断続的使用を避け、必ず規則正しい服用が必要である。」旨の記載がある一方、眼障害の記載がなかったこと、昭和四二年五月の改訂によって、右能書の商品名のところに「「劇」(劇性が強いものとして厚生大臣の指定した医薬品((劇薬))であることを意味する。)」という表示及び〔用法・用量〕の項に「本剤を長期に使用する際は定期的に眼症状の検査を行なうことが望ましい。」という記載が一行加えられ、昭和四五年三月の改訂によって、右能書の〔薬理〕の項から「実用上は無害と考えられる(安全性を有する。)。」との部分が削除され、〔用法・用量〕の項に「本剤は医師等の処方せん・指示により使用すること」という注意事項が加えられ、同時に「使用上の注意(薬事法五二条の一号)」の項が設けられ、「本剤の連用により、角膜障害、網膜障害等の眼障害が……あらわれることがあるので観察を十分に行ない、異常が認められた場合には投与を中止すること」という事項が記載されるに至った。
(8) 原告らは「原告××に対するキドラの投与が開始された昭和三八年一〇月の時点において、被告??を含む第一内科の医師らは「ク」網膜症の存在を知ることができた。」旨主張するが、当時は外国のものでは内科にも関係ある一般的な臨床の総合雑誌に登載された数編の論文はあったが、国内のものでは内科とは関係のない雑誌に九編(うち八編は眼科関係の専門誌)の論文や報告があるにすぎなかったのであるから、前記(二)(3)の事情から第一内科の医師らに前記(一)の義務がより厳しく課せられることを考慮に入れても、原告らの右主張を認めることはできない。
しかし、右(1)ないし(7)の事実によると、昭和四〇年までに発行された外国の一般的な臨床の総合雑誌(国内の大学医学部附属病院の医局の医師の間でも読まれていた。)に一〇余編のクロロキン眼障害-網膜症など-に関する論文が登載されていること、国内の雑誌においても昭和三七年から昭和四一年までに発行された眼科関係の専門雑誌に多数の論文、報告があっただけでなく、昭和三九年末から昭和四一年までに発行された内科関係の雑誌(「日本内科学会雑誌」は同学会機関誌であり、「内科」、「診断と治療」は第一内科でも新刊を常備している。)に六編の論文、報告が、内科でも診療する疾患関係の雑誌にも四編の論文、報告が登載されていること、「今日の治療指針」(第一内科常備の治療学書。エリテマトーデス、リウマチは内科でも診療する。)の慢性腎炎の項には治療薬として昭和四一年版までは「ク」剤が一応挙げられていたが昭和四二年版からは挙げられていないし、昭和三九、同四一、同四二年版の各(慢性)円板状エリテマトーデス、関節リウマチ等の各項に「ク」網膜症に関する記載があること、昭和三九年、同四〇年の日本内科学会地方会、日本リウマチ学会総会(内科医も構成員)においてクロロキン眼障害-網膜症などについて討論がなされたこと、「ク」剤は昭和四二年三月一七日副作用として「ク」網膜症などの眼障害が発現することを理由に薬事法の施行規則の一部を改正する省令により劇薬に、厚生省告示の一部改正により要指示医薬品にそれぞれ指定され、次いで同年五月キドラの能書が改訂され、劇薬である旨の表示や「長期使用の際は定期的な眼症状の検査を行なうことが望ましい。」という事項が加えられた(これらのことは、それ以前から「ク」剤の危険性の認識が医療関係者の間に相当程度に浸透していたことを推測させる。)こと、昭和四三年六月頃からは「ク」網膜症の存在は家庭医学の知識にさえ普及するに至っていたこと、少なくとも眼科領域においては「ク」網膜症が失明に至ることもある重篤な眼障害であることは昭和四二年三月までには既に確立していたことなどが認められる。
これらの事情のもとで、前記(二)(3)の事情から前記(一)の医薬品投与の際の注意義務が課せられることを考慮すると第一内科の医師らは、大学医学部附属病院内科の医師が医薬品を投与するにあたって要求される前記(一)の予見義務を履行すれば、「ク」剤が前記のとおり劇薬、要指示薬に指定された昭和四二年三月頃には、キドラの長期大量の服用により副作用として重篤な眼障害(「ク」網膜症)が発生することがあることを把握することができた、換言すれば「ク」網膜症発生の予見が可能であったというべきである。従って、第一内科の医師らは、当時の原告××の症状、健康状態に応じ、投薬を注しするなどの措置を講じてかかる重篤な障害が原告××に発現することを未然に防止すべき義務があったものと認めるのを相当とする。
(四) そして、前記一2(一)のとおり昭和四四年秋頃になって始めて原告××に「ク」網膜症の自覚症状らしきものが現われたのであってみれば、しかも前記一3(二)のとおり「ク」網膜症はごく所期の段階であれば可逆的で「ク」剤投与中止により消失することもありうるとされている事情を勘案すると、第一内科の医師らが昭和四二年三月(すなわち、右昭和四四年秋頃よりも二年半遡及して副作用の甚大さに気付いてしかるべき時期)以降に原告××に対しキドラの投与を中止するという措置を講じていれば「ク」網膜症の発生という結果を回避することが可能であったものと解するのが相当である。
(五) 次に、昭和四二年三月当時の症状について検討する。
《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。
原告××の症状は慢性腎炎であるとしても、昭和三九年五月頃から尿蛋白がほぼ陰性化し 血圧も正常に近くなってきて遅くとも昭和三九年末頃から昭和四〇年の初期の段階には欠損治癒期、あるいは安定期に入った(従って、その後は、腎炎対症療法用の薬剤を必要としない状態に立ち至っていたともいえる。)。すなわち、昭和四〇年以降も昭和四五年八月までの間に尿蛋白が四回陽性(+)になったり、血圧が九回位高くなったり((上が一五〇ないし一七〇、下が九〇ないし一一〇))、浮腫が二回出現(+)したことがあったが、これは原告××の性別、年令等を考慮すると異常なものではなかった。
しかるに前記一1の事実並びに《証拠略》によると、原告××の治療にあたった第一内科の医師らはキドラについて前記(一)の予見義務を履行することを怠ったためキドラなどの「ク」剤が長期間にわたり大量投与されると重篤な眼障害(「ク」網膜症)を惹起する可能性のある医薬品であることに気付かず、昭和四二年三月頃の時点において、原告××が昭和三八年一〇月二三日からキドラなどの「ク」剤を一日三〇〇ないし六〇〇ミリグラム投与されていることを診療録により知りながら、以後も■眼科からキドラ投与中止の勧告を受けた昭和四五年二月までその投与を継続した結果、結局原告××は約六年三か月の長期にわたり総量約七八〇グラムという大量のキドラの服用を継続して、「ク」網膜症に罹患し 前記一2(二)のような重篤な眼障害の被害を被ったものであることが認められる。
従って、原告××の担当医として昭和四二年三月頃以降もキドラの投与を継続した第一内科の医師らは医薬品投与にあたり要求される注意義務を怠った過失があったものというべきであり、不法行為責任を負わなければならないというべきである。しかし被告??個人としては、右時期、原告××の治療を担当していなかったことは前記のとおりであるから、右のような不法行為責任はないというべきである。
被告らは、「医師は医薬品の製造許可などについての薬務行政を全面的に信頼しており、右許可のあった医薬品に本件の如き重篤な副作用があるとは全く予想しえないそころ、「ク」剤使用上の注意に関する行政当局の通知が医師に到達したのは昭和四五年二月以降であった。また製薬企業の作成する医薬品の能書には薬事法上の規制があるから医師は能書の記載を信頼しているところ、キドラの能書にその副作用として「ク」網膜症が発現するとの記載がなされたのは昭和四五年三月であった。従って、医師は同年二月頃までキドラにそのような副作用が発現することは予見できず、第一内科の医師らが同月まで原告××に対しキドラを投与したことに過失はない。」旨主張する。
ところで右主張の如く、「薬務行政を全面的に信頼していた。」というのであれば、昭和四二年三月における劇薬指定の件についても、当然了知して信頼し、「ク」剤投与の危険に気付くべきことになるにもかかわらず、「右指定の件は当時『不知』であった。」というのでは、既にこの点において矛盾しており、第一内科の担当医師側の過失というべき関係になる。仮に「劇薬指定の件について■が重大視せず、第一内科の担当医師まで伝達しなかった。」というのであれば、証人丸茂文昭の証言(大学病院における医師の執務態度)を斟酌すれば、むしろ劇薬指定される位の件については、指定される前に、既に■における第一線の担当医師の知識として吸収されているべきであるからこそ軽く扱っていたといわれても致し方がないこととなる。
いずれにせよ、医師は、医薬品投与などの手段を用いて生体に対する侵襲を行なうことを業務とするものであり、かつ国からその資格を付与されたものであるから、過去の知識・経験を墨守したり受働的な情報で満足することなく、自ら諸多の情報を収集し、これを適切な診断ないし治療に反映すべきものであり、とりわけ内科医にあっては薬物療法が治療の大きな比重を占め、あるいは治療の中心となっているものであるから、医薬品に関する情報により大きな関心を持つべきである。また《証拠略》によると製薬企業は昭和四五年頃まで、能書に効果、効能については詳細に記載するが、副作用、禁忌症については自ら確定的と認識したもの以外は記載しなかったこと、医師(少なくとも大学病院勤務の医師)はそのことを知っていたことが認められるから、医師において能書を鵜呑みにするということは許されるべきものではなく、前記主張には左袒し難いものである。
被告らは、「第一内科の医師らにより投与されたキドラにより原告××が「ク」網膜症に罹患したとしても、原告××の慢性腎炎はキドラを投与しなければ治癒せず、遂には慢性腎不全により死に至る危険性を有するものであったから、第一内科の医師らのキドラ投与行為には違法性がない。」旨主張するが、被告らの右主張は昭和四二年三月頃以降も原告××に対する薬物療法の必要があったことを前提とするものであるところ、昭和三九年末頃から昭和四〇年初期において、「ク」剤投与の必要がなかったことは前説示のとおりであるし、遅くとも昭和四二年三月頃以降においても「ク」剤投与の必要があったという立証がないというべき本件において、右主張も失当である。
2 原告らは、被告??個人も不法行為責任があるとして、「▲▲市立大学医学部教授として第一内科部長の地位にある被告??は、第一内科所属の医師の具体的な治療行為につき指揮監督する義務があるから、医薬品の副作用情報を調査し、第一内科の患者(入院患者だけでなく外来患者も含む。)の診療にあたる医師にこれを周知徹底させ、副作用について警告を与え、第一内科の医師のなす医薬品の投与という治療行為により患者に回復不能・重篤な被害が発生しないような措置を講じる注意義務があり、あるいは、第一内科の医師に対し被告市に代って監督すべき地位にあるから投薬医師のなした行為につき代理監督者としての責任を負うものである。」旨主張する。
しかしながら、医師は、医師国家試験(臨床上必要な医学及び公衆衛生に関して医師として具有すべき知識及び技術について行なわれる((医師法九条))に合格し、厚生大臣の免許を受けた者(同法二条)であり、一方、同法二〇条により自ら診察しないで治療をしたり、診断書もしくは処方箋を交付することを禁止されているのであるから、患者の診療を担当していない医師が担当医の治療行為につき指揮監督することは許されないものと解するのが相当であり、この理は大学病院の部長たる医師とそれ以外の医師との間においても同断であるというべきである。従って、■規則九条二項によれば、診療科の庶務権限として、「病院長の命を受け所管の業務を処理し、所属職員を指揮監督する。」と規定しているが、これは、各担当医師の個別的・具体的な診療行為につき指揮監督する権限・義務まで定めたものと解することはできない。また■のような大学病院にあっては患者の担当医がしばしば交替したり、医師の免許取得後間もないものが担当医となることがあるが、そのような医師であっても平均的な大学病院医師が継続して診療する場合の注意義務が課せられており、しかも最終的には使用者たる大学病院設置者がその責任を負うことによって患者は法的に保護されているのであって、前記大学病院の事情から直ちに大学病院診療科の部長に構成員たる担当医の診療行為につき指揮監督する義務があるということはできず、またそのような地位にもない。
《証拠略》によると、昭和三八年から昭和四五年までの間における第一内科の教室員は二〇名ないし三〇名位であり、外来診療を毎週水木土の三日間実施し、その外来患者数は一人の担当医師に引き直して一日当り三〇人位であることが認められるところ、第一内科部長である被告??が、かかる多数の患者の担当医の個々の診療行為につき指揮監督するということは実際問題として不可能であって、法がそのようなことを要求しているとは解し難いものである。その他、特段の事情が認められない本件においては、原告らの前記主張は理由のないものというべきである。
もっとも、《証拠略》によれば、第一内科では週に一度いわゆる教授回診なるものが行なわれていたことが認められるところ、「原告××に、キドラの投与が開始された後の昭和三八年一〇月二五日の教授回診の時には、被告??は担当の河野医師が原告××にキドラを投与していることを知ったが、これを容認した。」旨被告らの自認するところであり、《証拠略》によれば、同年一一月一日と同月八日にも当時入院中の原告××に対し右同様回診のなされたことが認められ、被告らの右自認するところに照らすと、これら回診の際にもキドラ投与を容認していたことが推認されるところであるが、当時としてはキドラにつき「ク」網膜症の如き眼障害を発現せしめる副作用の存することを予見し難かったことは前説示のとおりであり、また退院後原告××にキドラが投与されたのはその時々の外来担当医が当時の判断に基づき投与を決めたものであって、被告??がキドラ投与を前記のとおり容認したことに基づくものとはいいがたいから、結局本件においては被告??に不法行為責任を帰属せしめることはできないというべきである。
3 以上によれば、被告市についてのみ、■第一内科の医師らが前説示のとおり原告××に対し「ク」剤を投与したことに基づく後記損害を、その使用者として民法七一五条一項により賠償すべき責任を負うこととなる。
三 原告らの損害
1 原告××の逸失利益
……計金一、六五五万円
前記一2(二)認定の原告××の眼症状の程度や推移及び同(三)の身体障害者手帳の交付に関する事実を総合すると、原告××(大正一二年四月二六日生)の労働能力喪失割合は、満四八歳から四九歳までの二か年間が八〇パーセント、その後の一五年間が一〇〇パーセントとして、主婦として稼働できるであろう満六五歳までの一七年間の逸失利益を、いわゆる賃金センサスによる「全産業常傭労働者女子平均賃金(学歴計)」(但し、この計数は、当裁判所に顕著である。)により肯認するのを相当とする。そして右当初の二年分の逸失利益は昭和四八年の右賃金センサスの年間平均賃金八七万一、八〇〇円(内訳、月額五万八、九〇〇円、年間賞与など一六万五、〇〇〇円)を基準として、その八〇パーセントの二年分は一三九万四、八八〇円となる。次の一五年分の逸失利益は昭和五一年の賃金センサスによる年間平均賃金一三七万九、九〇〇円(内訳、月額九万二、七〇〇円と、年間賞与など二六万七、五〇〇円)を基準とし、現価をホフマン式計算法(ホフマン係数は、一五年間分が一〇・九八〇八)により年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、一、五一五万二、四〇五円となる。以上一七年分の逸失利益は計一、六五五万円(万円未満四捨五入)となる(専ら家事に従事する女子であっても、第三者の不法行為により労働能力を喪失したときは右家事労働による財産上の利益を喪失したというべきものであって、これによる逸失利益を請求しうることは疑がない。-最判昭和四九年七月一九日民集二八巻五号八七二頁参照-)。
なお、被告市は、「身体障害年金やその他の福祉手当により原告××の逸失利益は填補されている。」と主張するところ、原告××が前記のとおり身体障害者手帳の交付を受け、身体障害年金を受領してきていることは当事者間に争いがなく、さらに被告ら主張のその他の福祉手当を受領したこと及びこれら年金、手当を今後も終生受領しうる見込であることは弁論の全趣旨により明らかであるが、これら給付は被告市の不法行為を原因として原告××が得た利益に当らず、身体障害者扶助の趣旨から法律の規定により右原告になされるものであるから、後記の如く慰藉料・付添費用の額の算定にあたり、これを斟酌するのは格別として、損害に対する填補として損害額から控除すべき性質のものではないと解するのが相当である。従って、この点に関する被告市の主張は採用できない。
2 原告らの慰藉料
……計金二、〇〇〇万円
原告××は、前記認定のとおり改善される見込のない重篤不可逆な「ク」網膜症に罹患して、両眼失明し全盲に陥ったもので、そのため、妻や母としての役割を果すことができないばかりか、かえって一生家族の看護を受けなければならない状況にあり、その他前記認定の一切の事情を考慮すると、同原告に対する慰藉料として一、五〇〇万円が相当であり、原告△△、同◇◇についても右の事情を考慮すると、その精神的損害を慰藉するための金額としては各二五〇万円をもって相当と認める。
3 付添費用
……金一、六四五万円
前認定一2(二)の原告××の眼症状の程度や推移及び《証拠略》によれば、同原告は本訴が提起された昭和四八年二月頃には独力で日常生活ですら送り得ない状況になったことが認められるところ、同原告は当時ほぼ五〇歳になっていたことが認められる。同原告の平均余命は二九・五四年(当裁判所に顕著な厚生省昭和五〇年簡易生命表による五〇歳の平均余命)であるから、損害賠償額算出上のため、切上げて、今後三〇年間は付添を要するものとし、その費用としては、身体障害者として、それ相当額を引続き支払われる(被告市も自認している。)点を斟酌し、一日二、五〇〇円宛を肯認するのを相当とする。これを基礎に右三〇年間の現価を前記ホフマン式計算法(ホフマン係数一八・〇二九三)により算出すると、一、六四五万円(万円未満四捨五入)となる。
4 弁護士費用
……計金五六〇万円
弁論の全趣旨によれば、原告らは、本件訴訟を弁護士たる訴訟代理人に委任して訴を提起追行していることが認められるが、事案の内容や訴訟経過に徴し、本件不法行為と因果関係にある損害賠償として被告市に負担せしめるべき弁護士費用額は原告××につき五〇〇万円、原告△△、同◇◇につき各三〇万円宛をもって相当と認める。
四 結論
以上によれば、被告市は、原告××に対し前認定の逸失利益、慰藉料、付添費、弁護士費用の合計五、三〇〇万円、原告△△、同◇◇に対しそれぞれ前認定の慰藉料、弁護士費用の合計各二八〇万円宛及び右各金員に対する本件訴状送達の翌日であること記録上明白な昭和四八年三月一〇日から右各完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があり、原告らの被告市に対する本訴請求は、右義務の履行を求める限度で理由があるので認容する。原告らの被告??に対する請求と被告市に対するその余の請求とは、いずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。
横浜地方裁判所第五民事部
裁判長裁判官 龍前三郎
裁判官 坂主勉
裁判官 山口博
〔表省略〕別表(一) 国外医学論文一覧表
〔表省略〕別表(二) 国内医学論文等一覧表
〔表省略〕別表(三) (第一内科の通院中の投与